効率化ばかり考えていた医師が、「機械」にならないために必要だった雑談《週刊READING LIFE Vol.373「効率化の先にあるもの」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:五流内科医K(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※患者様のプライバシーを考慮し、一部実際にあった症例を再構成しております。
医師という仕事は、しばしば多忙で、過酷である。
朝早くに出勤し、病棟で指示を出して、朝8時のカンファレンスで病棟患者のプレゼンをして、それから外来で朝から晩まで診察をし、夕方から病棟業務が始まり、時に病棟の患者さんの容態が急変して……全ての業務が終わる頃には日付が変わっていることも珍しくはない。
病院で仕事をしていた頃の私は、「いかに効率よく仕事を回していくか」「いかに楽をするか」ということばかりを考えていた。
例えば、
「あの病棟の人は状態が安定しているので、今日は顔だけ見て、カルテはコピペにする」
「次の再診の人は必要な所見だけ診察、確認する」
「この病気で来た人には、あらかじめ使う薬をセットで登録しておく」
といった具合だ。
もしかしたら医療従事者以外の方からすると、
「そんな適当に患者を扱うな」
「ちゃんと真面目に私たちと向き合ってください」
という反発があるかもしれない。
しかし、不本意ながら、そうでもしないと、仕事が回らないし、身が持たないのだ。研修医の頃、私は外来の患者さんひとりひとりを30分くらいかけてかなり診察していたが、結局全然外来が回せず、逆に状態の悪い患者さんの診察に着手するのにかなり時間がかかってしまったことがあり、それ以降「ちゃんとペース配分を行う」ということを心に誓ったのだ。
さて、どれだけ1日の仕事スケジュールを緻密に組んでも、生身の人間を扱っている仕事であるので、何かしらのイレギュラーは起きてしまう。
例えば、患者様が急変してしまった場合や、予想外の体調不良があり、その対応に時間がかかってしまう場合などである。
この場合は、当然スケジュール云々は後回しにして全力で対応させていただく。それは医師の仕事であり、使命だからだ。
しかし、それ以外に、対患者様、対他職種で、仕事に直接関わらない「あること」に巻き込まれて、仕事が遅延してしまうことがある。私はそれが大の苦手なのだ。
いわゆる「雑談」というものだ。
例えば、患者様と外来で診察している時に、全く診療に関係ないことを話されることがある。「最近孫が来た」とか「庭の花が咲いた」とか「近所の銭湯に行った」とか「テレビでこんな番組を見た」などである。
この手のコミュニケーションに時間を取られては、スケジュールに大きく悪影響を及ぼしてしまう。
もちろん、友人関係などであればそれも会話の種の一つにはなり得るかもしれない。しかし、病院で外来中という状況においては、どうしてもその手の雑談は医学的な情報判断、意思決定にほぼ関係のない「ノイズ」として扱われてしまう。他の患者様も待っていたり、どうしても効率よく診察していくことが求められる中で、いちいち話に付き合っている時間は全くない。そのため、何か話したげな患者様の話を無理やりぶった斬って診察を終了させたことが多々あった。
病院で勤務していた時、雑談を求めてくる相手は、患者様だけではなかった。
例えば、看護師などから、最近のこちらの事情について詮索されることがある。
こちらのプライベートやら、趣味のことやら、休日のことやら、である。
あちらとしては円滑な関係を取るためのコミュニケーションだったのかもしれないが、私は、基本的には職場の人間はあくまで「仕事仲間」であり、それ以上にもそれ以下の関係にもなりたくないと思っていた。仕事以外のコミュニケーションについて効率化の観点からは「時間の無駄」と考えていた。それでなくても自分自身の事を詮索されることなんて大の苦手だ。私は、その手の会話を振られた時、露骨に不機嫌な態度を取って、そういう会話をできるだけ避けようとしていた。
ある時、こんなことがあった。
「先生って休みの日は何してるの?」
病棟の指示を出し切ってカルテを書いているところで、比較的年上の看護師さんが話しかけてくる。
「……今聞くことですかそれ?」
私は一瞥もせずに言い放った。
彼女は小声で「すいません」と言って、申し訳なさそうにどこかに行った。
私は何も言わずにそのままカルテ記載を再開した。
その様を見ていた指導医の上司が、いきなり後ろから「先生、ちょっといい?」と話しかけてきた。
「なんですか?」と振り向くと、「なんですかあの返事の仕方?」と怒られた。彼女は、指導も細かい上に、かなり職場でのコミュニケーションを重視する人で、正直苦手意識があった。
呆気に取られて何も言えないでいる私に、彼女は続けた。
「先生は、もっとコミュニケーションを勉強した方がいいです。カルテ記載とかって、人の話を無碍にしてまでやらなければいけないほど重要なことですか?」
私には、怒られている意味がわからなかった。
そんなことがあっても、相変わらず私は、ずっとどれだけ仕事を効率よく回すか、ということばかり考えていた。職場の人間とはノイズになるようなコミュニケーションは極力とらず、最低限仕事のことしか話をしない。友人らしい友人の交流もなく、趣味に打ち込むこともせず、家に帰っても、休日も、ひたすら仕事のことばかり考えていた。明日は誰のどこを診るか、外来はどう診察するか、専門医用のレポートの考察は、学会発表は……
そんなことばかり考えているうちに、いつしか心が仕事に侵食されていき、おかしくなっていった。
寝ても覚めても仕事、仕事、仕事のことで時間が終わっていく。
週6日仕事して、休みの日も体が動かず、夕方まで寝て、夜にカルテチェックやサマリー作りのために病院に向かう。
仕事にもっと真面目に向き合わなければ、効率化しなければ、という思いだけで、飯を食っても何をしても疲れも取れない。何も感じない。面白くない。職場が辛い。ずっと灰色の空間の中にいるような気分で、心が全く晴れない。頭が回らない。俺は馬鹿だ。俺は使えない人間だ。もっと頑張らなければいけないのに。頑張ることすらできない人間のクズだ。
折れかけそうな心を引きずりながらなんとか気合いで仕事を続けていたが、ある日、午後9時に入院患者の家族に病状説明の電話をかけたところ「今まで何をしていたの? 先生はこんな時間に電話をかけてくる非常識な人間だ。それに、患者の話を聞いてくれない」と叱責を食らい、ここで私の心は完全に折れた。そのまま適応障害で休職することになり、抜け殻のような体がやっと動くまでに1ヶ月の時を要し、さらに職場復帰まで3ヶ月を要した。
こんな環境の中ではとてもじゃないけど仕事を続けることはできないと思い、内科専門医の要件だけは辛くも揃えてから逃げるように職場を辞め、在宅診療クリニックで仕事をするようになった。
在宅診療の世界は、病院とはまた違っていた。
患者様の家の中での診察で、病院の中での殺伐とした空気とは違い、比較的「まったり」した空気の流れる中で診察をしていくが、その分移動に時間が増えてしまうため、時間管理や雑談には相変わらず気を揉んでいた。
その日は、定期訪問が朝から晩まで詰まっている日だった。私は、午後2時ごろに、慢性心不全で、話の長い高齢女性Aさんの家に訪問した。
次の家まで比較的遠く、計算上ここの家は10分で診察しなければ終わらない。スケジュールを円滑に終わらせるため、いかに効率的に診察するか、話をさせないか、ということを考えていた。
私は、挨拶もそこそこに、「Aさん、体の調子はどうですか?」と問うた。
目的としては、この最近の体調を聞くためであり、それ以上でもそれ以下でもない。
彼女は鷹揚な口調で話し始めた。
「最近、孫が来てね〜」
私は身構えた。いつも、このパターンになったら、その後長い孫の話が始まってしまい、診察が大幅に長くなる。孫の自慢話になったら、私は話をぶった斬ることができるよう、次の言葉を発射する準備をしていた。
Aさんは続けた。
「……遊んではしゃぎすぎて、少し体調が悪いの」
確かに、なんだか顔色が悪く、少し浮腫んでいる印象だった。
ゴミ箱を見ると、せんべいの袋が捨ててあった。どうやら、孫が来ておやつをたくさん食べてしまったらしい。心不全では、塩分の多いものを食べると心臓に負荷がかかり、全身が浮腫んでしまったり、肺に水が溜まって苦しくなってしまう。
私は、ひとまず看護師に指示して利尿剤の注射を打ち、いくらか落ち着いたところで、「いくら孫が来たからといって、しょっぱいものを食べるのはよくない。今後、せんべいは食べないように」ということを伝えようと考えた。
しかし、彼女の表情にはやや「怯え」が見えた。今回の件で孫との逢瀬も、せんべいも取り上げられてしまうのではないか、という怯えを感じ取った。今までの彼女との会話や、前任医師からの申し送りでも、「せんべいや孫のことが好き」、ということが書かれていたが、それに対して、私はことごとく「塩分過多になるので食べないでください」と一蹴していた。
私は思い直し、少し話をしてみることにした。時間は10分をすでに過ぎているが、ここに時間を取らないと、また同じことを繰り返し、緊急往診につながってしまうだろうと思った。
「ねえ、Aさん、お孫さんは好きかい?」
「そりゃあ、もう、大好きよ」
「お孫さんはせんべいが好きなの?」
「そりゃあ、いつも美味しそうに食べてます」
「お孫さんには好物なのかもしれないけど、今のAさんにはこのせんべいは『毒』になっているよ。心不全がまた悪化して、遊べなくなっちゃったら、お孫さん悲しむと思うよ」
「……」Aさんは少し考え込んでいた。
「お孫さんといつまでも遊ぶためには、できるだけせんべいは食べない方がいいと思う。お孫さんとせんべい、どっちが大事ですか?」
「……孫、だね」
「わかりました。じゃあ、せんべいを食べるなとは言わないけど、できるだけしょっぱいものには気をつけてください。飲み薬の利尿剤を増やしておきますね」
私は家を後にした。時間は30分ほどが経過していた。スケジュールはもう押しに押してしまい、次の患者様を待たせてしまった。時間管理にうるさい患者様の怒り顔が目に浮かぶ。
それでも、少なくとも悪いことをした気分にはならなかった。
次に訪問した時、Aさんはにこやかに私を出迎えた。顔色は前の訪問時よりも明らかに良くなっていた。
利尿剤を増やしてから、しばらく心不全の増悪はなく、孫が来た時にも症状悪化することなく経過していた。
「先生、ありがとね。あそこまで言ってくれて、ようやくせんべいが体に悪いって理解できたのよ。それでね、あのあと孫がね〜」
私は彼女の長い雑談を聞きながら、かつて自分が無駄なものと思って切り捨てていた「雑談」というものについて考えを巡らせた。
患者が「孫が来た」と話すこと。
休日に何をしていたかを看護師と話すこと。
昼休みに、誰かが昨日見たテレビの話をすること。
それらは確かに、どこにも残らないし、医学的な情報をあまり持ち合わせないものではある。ゆえに以前の私は、それらをノイズだと思っていた。
けれど、人間は必要事項だけを交換して生きているわけではない。
「最近、孫が来た」という一言には、その人が何を楽しみに生きているのかが隠れている。
「休みの日は何をしているんですか」という一言は、仕事上の役割しか知らなかった相手が、一人の人間としてこちらを見るきっかけになる。
そんな何気ない会話を積み重ねることで、患者の生活が見えることがある。相手の考え方がわかることがある。困ったときに声をかけやすくなることもある。
そして時には、くだらない話をして一緒に笑う数分間が、張り詰めた一日の中で、自分を「医師」から一人の人間に戻してくれることもあるのだ。
病院勤務時代の私は、仕事をいかに捌くかということしか考えていなかった。いや、私のプライベートですら仕事のために投げ捨てて、適応障害になるくらいには、考えられていなかった。
限られた時間で多くの患者様を診なければならない以上、無駄な作業は減らさなければならない。カルテの定型文も、処方のセット登録も、効率と手際よく外来を進めていくことも、病院での仕事を成立させるためには必要だ。
ただ、私はいつの間にか、効率化してはいけないものまで効率化しようとしていた。
患者様との雑談。
同僚との何気ないやり取り。
立ち止まって誰かの話を聞く時間。
プライベートの余白。
それらまで「何分短縮できるか」という物差しで測るようになっていた。
思えば、あの頃の私は患者を効率よく診ようとするだけではなく、自分自身をも、効率よく働くための機械にしようとしていたのかもしれない。
しかし私は、「医師」という肩書を持つだけの生身の人間である。
疲れるし、傷つくし、腹も立つ。理不尽な言葉を受ければ心もすり減る。誰かに笑いかけてもらえば少し救われる。
そして、診察する相手もまた、生身の人間である。
だからこそ、医療における現場では、対話の中でどうしても効率化できない「雑談」が残る。一見すると無駄かもしれないが、それは、多忙で、時に殺伐とした医療現場の中で、人と人との間にほんの少しだけ残された「余白」なのかもしれない。
私は在宅医となった今でも仕事を効率よく終わらせたいとは思っている。できることなら早く帰りたいし、無駄な作業は一つでも減らしたい。
ただ、以前とは一つだけ違うことがある。
誰かが何気ない話を始めたとき、それをすぐに「ノイズ」として切り捨てないようになった。
その一見無駄な数分の中に、その人を知るために必要なものがあるかもしれないし、自分が人間でいるために必要なものがあるかもしれない。
効率化の先で私が拾い直したのは、そんな「無駄」だったのだろう。
「……先生?」
看護師さんが、私に話しかけて、我に帰った。
「……ああ、すみません。少し考え込んでましてね」
「あら、珍しい。考え事なんて」Aさんが茶化す。
「でも、だいぶ利尿剤のおかげで心不全良くなりましたし、元気そうですね」
「先生の薬のおかげですよ。昨日も孫と遊んでも全く疲れませんでしたし」Aさんが笑いながら話をする。
「いえいえ」私はここで診察を終わらせようとしたが、もう一つ聞かなければいけないことがあったことを思い出し、またAさんに向かって問いかけた。
「ところで、Aさん、次にお孫さんはいつくるんですか?」
せんべいこそ食べなくなったが、Aさんは孫が来た時にやや食べ過ぎてしまう傾向がある。あくまで利尿剤の調整目的だが、こればかりは医師として聞いておかなければならないのだ。
「そうねえ」Aさんは考えた。「明日くらいかな!」
「流石に来すぎじゃないですか!?」私は思わず突っ込んだ。
Aさんの家に、和やかな空気が流れた。
《終わり》
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