それ、使い方間違ってますよ―私の日本語は地雷だらけ―
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:まつ☆ひで(26年9月ライティングゼミ with AI )
「それ、使い方間違ってるよ」
「えっ?」
後ろにいた課長からの声に、驚いて思わず振り向いた。
「意味が逆だよ」
何? 意味が逆?
何を言われているのかまったくわからなかった。
それは、その日の朝のことだった。
「課長から資料の作成を頼まれたんですが、どうもうまくいかないんですよねぇ。先輩、ちょっと手伝ってもらえませんか?」
「何がうまくいかないの?」
「このデータ、どうまとめたらいいのか、よくわからなくて……」
パソコンの画面を見ると、表やグラフが並んでいるものの、まだ途中までしかできていない。
「じゃあ、ここはこうして……」
と、つい手を出そうとしたその瞬間、ふと思った。
ここで私が全部やってしまったら、この後輩のためにならないんじゃないか。
自分で考えて、試行錯誤することも仕事を覚えるうえでは必要なことだ。
「いや、これは自分でやったほうがいいよ」
「でも……」
「わからないからって、すぐ人に頼ったらダメだよ。まずは自分で考えてやってみなよ。そうじゃないと、自分の力にならないからね。ほら、『情けは人のためならず』っていうじゃないか」
そのとき、後ろから課長の声が飛んできた。
「それ、使い方間違ってるよ」
「えっ、『情けは人のためならず』って、人に情けをかけても、その人のためにはならないって意味じゃないんですか?」
「違うよ、逆だよ。人に親切にすれば、巡り巡って自分にも返ってくるって意味だよ」
私の背中に冷たい汗がスーッと流れた。
「そうですか。逆の意味で使ってたんですねぇ……。ハハハ」
恥ずかしさをごまかすように頭をかきながら、その場を離れた。
後でスマホで調べてみたら、課長の言うとおりだった。
なんと私は、その言葉を何十年も間違えて覚えていたのだ。
さらにその後、決定的な事件が起きた。
会議の場で、新プロジェクトの責任者になるよう推薦されたときのことだ。
「推薦いただいたのは大変ありがたいことなんですが、私には役不足かもしれません」
と言ったとき、隣の同僚が小声で耳打ちしてきた。
「役不足って、『本人の力量に対して役目のほうが軽すぎる』っていう意味で、使い方が逆だよ」と小声で教えてくれた。
まただ……。
前を向くと、全員がジッとこちらを見ていた。
ドクン、ドクンと、自分の心臓の音が耳元で鳴り響く。
恥ずかしさで顔が熱くなり、頬から耳まで、一気に火がついたような気がした。
「早く、会議が終わってほしい……」
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだった。
いったい私は、何年間この怪しい日本語で生きてきたんだ?
思わず天を仰ぎたくなった。
本当に知らないことだらけだ。
しかも、中途半端に聞きかじった言葉を、疑いもせずに堂々と使い続けていたのだ。
「でも、なんで今まで誰も言ってくれなかったんだろう……」
そうつぶやいて、ハッと気づいた。
相手も同じ勘違いをしているか、「間違っているけれど、指摘するのも角が立つし、まあ意味は通じるからいいか」くらいの親切心でスルーしてくれていただけなんじゃないか。
その優しさに甘えて、自分は正しいと思い込んだまま、歳を重ねてしまったのだ。
さすがに不安になって、普段何気なく使っている言葉をスマホで検索してみた。
すると、出てくる、出てくる。
「えっ、これも?」
「これも違うの?」
調べれば調べるほど、自分の日本語に自信がなくなってきた。
「これからは、自信のない言葉を使うときは、事前に調べるようにしよう」
そう、心に誓った。
そして迎えた、新プロジェクトの初会議の日。
責任者として挑む、大事なキックオフ会議だ。
プロジェクターの明かりが照らす中、私は壇上に立った。
緊張で喉がカラカラになり、レーザーポインターを持つ指先がかすかに震えていた。
何日も前から資料の言葉をひとつひとつ入念に調べ、穴が開くほど見直して臨んだプレゼンだった。
資料をめくる手を止め、顔を上げる。
メンバーたちが大きく頷きながら、真剣な眼差しで私の言葉を追ってくれている。
「——以上で、私の提案を終わります」
一礼した瞬間、会議室にワッと温かい拍手が広がった。
私の言葉が、ちゃんと届いたのだ。
張り詰めていた緊張が一気にほどけ、私はすっかり誇らしい気分になっていた。
「先輩、初日のプレゼン、完璧でしたね!」
会議室を出ると、後輩たちが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「ああ、みんなが協力してくれたおかげだよ。よし、今から打ち上げだ! 駅前に新しくできた店で、乾杯でもしようか」
「えっ、あそこですか? すごく高そうなお店ですよ」
「まあ、俺たちには、ちょっと敷居が高い店かもしれないけれど、今日くらいは贅沢してもいいんじゃないか」
私は胸を張ってニッコリ笑ってみせた。
すると後輩は、どこか言いにくそうにしながら、
「あの、先輩……。『敷居が高い』って、不義理をした人のところには行きにくい、って意味ですよ」
「えっ! 高級すぎて自分には合わない、って意味じゃないの」
「はい、使い方間違ってます」
また、やってしまった……。
赤くなる頬を手で押さえている私の横で、後輩たちが堪えきれずに吹き出した。
私もつられて吹き出しながら、駅前への道を歩き始めた。
私の言葉はまだまだ地雷だらけだ。
けれど、こうして恥をかき、立ち止まり、誰かに正してもらいながら、私は少しずつ言葉の深さを知っていくのだ。
知れば知るほど、言葉の海は深くて広い。
どうやら、まだまだ私の言葉の旅は終わりそうにない。
《終わり》
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