わたしの知らない世界はすぐそこに。 《週刊READING LIFE vol.9「人生で一番思い出深い旅」》
記事:中川 文香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「わ~、本当にひつじがいる!」
空港で、小さな飛行機に乗り換えてしばらく。
窓の下に大きく広がるみどりの中に、ぽつぽつと白い点が見えてきた。
地上に近づいて、だんだんと形が見えてくる。
飛行機を降り「結構寒いな」と思いながら車に乗り換え、空港を離れてしばらくするとまたみどりの草原が広がっていた。
そこで悠々と草を食む羊。
車内までは鳴き声こそ聞こえないものの、絵に描いたような「牧歌的」な風景だった。
初めて海外の地に降り立って、私はなんとも言いようのないワクワクした感覚を抱えていた。
入国の際に麻薬犬に吠えられて個室に連れて行かれた先輩の話で盛り上がったり(もちろん麻薬は持っていないのでしばらくして開放された)、同級生やら先輩やら乗ったバスの中だけはいつも通りの空間で、その外はまるで普段と違う空気に包まれているようだった。
バスが大学に着くと、小さな歓迎の会が開かれて、お世話をしてくれる方々が紹介された。
約10日間のホームステイ。
国際交流協定を結んでいるニュージーランドの大学へ短期間の交換留学という研修プログラムだった。
「ホストファミリーはどんな人なんだろう?」
少しの不安と期待を持って向かった先には、看護師をしているというホストマザーと、大工さんだというホストファザー。
子どもはすでに独立して、二人暮らしの夫婦だった。
「私は朝仕事が早いので、朝食は好きなものをとって食べてちょうだい。ごめんね」
ここがキッチンよ、と案内された時そう言い添えられた。
これまでもたくさんの学生を受け入れてきたのだろうけれど、会ったばかりの見ず知らずの他人を一人で家に置いて出掛けることの出来る度量にまず驚いた。
そのくらいでないと、ホストファミリーって務まらないのか。
特大サイズのシリアルや、水は貴重だからシャワーの水量は弱くて入浴はさっとすることとか、階段にも廊下にも家族の写真がたくさん飾られていたこととか、家のいたるところには、私の日常とは離れたものだらけだった。
壁の写真を褒めるとホストマザーはにっこり笑って、
「日本人の子たちは、みんないい子たちだった。礼儀正しいし、ルールをちゃんと守ってくれる」
とこたえた。
朝起きてひとりでキッチンに行き、コーヒーを淹れて飲む。
昨日まで知らなかった人の家だと思うと、不思議な感覚がある。
大学までの迎えのバスの中には、見知った顔が揃っている。
非日常と日常の行き来をしているようで、なんだかそれだけで楽しかった。
そのバスに乗って、ある日小学校の様子を見学に行く機会があった。
体育館に揃った子どもたちが歓迎の歌を歌ってくれた後、それぞれの教室を見て回った。
廊下には子どもたちのめいめいのカバンがかかっていて、とてもカラフルだった。
教室の中ではそれぞれ聞きやすい格好で授業を聞いていて、あるクラスでは机と椅子は後ろに下げられて床に寝そべって先生の話を聞いている子もいた。
私の想像する日本の学校ではありえない光景。
制服や、きちんと座ることの意味ってなんだろう、と思わず考える。
小学校の案内にもついてきてくれた研修中のバディは、その時たしか30代で、仕事をしながら大学に通っている学生だった。
休日に「遊びにおいで」と誘ってくれたので家に行くと、子どもを抱っこしながら迎えてくれたのでさらに驚いた。
「見せたいものがある」と言って案内してくれたガレージにはかっこいい車が停めてあった。
車の種類はよく分からないのだけれど「かっこいいね!」と言うとすごく嬉しそうに笑った。
部屋に戻って子どもと遊んでいる時に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「この子のお父さんは?」
「この子が出来た、って分かったら、逃げちゃったの」
父親のかげが感じられなかったので離婚したのかと思って聞いてみたら、返ってきたのは意外な答えだった。
なんと答えたら良いか分からずに微妙な表情をしていたのだろう、私の気持ちを和ませるかのように「ひどいでしょ」と鼻の頭にしわを寄せて笑ってみせた。
ひとりで子どもを育てながら仕事をしてお金を稼いで、大学に通って勉強もしている。
しかも好きな車も持って、やりたいことをすべてやる、なんでも諦めない彼女の力強さを垣間見たような気がした。
最終日を間近に控えて、ホストマザーが散歩に誘ってくれた。
近くの海岸。
「仕事が忙しくてどこにも連れて行ってあげられなくて、ごめんなさいね」
と謝りながら、お気に入りの場所だというその海岸沿いの道を案内してくれた。
一緒に研修に来た同級生が、ホストファミリーにキャンプに連れて行ってもらった、という話をきっと聞いていたのだろう。
なんでもない時間だったけれど、ホストマザーと肩を並べておしゃべりしながら歩いて、その日の空はちょっと曇っていて海風が強く吹いていたこととか、犬の散歩をしている人とすれ違ったこととか、なんだか妙に印象深かった。
もう十年も前のことなので、正直断片的にしか覚えていない。
いわゆる観光地にもクラスのみんなで出掛けたりした。
歴史的な建造物や、野生のアシカやペンギンも見に行った。
けれど、こうやって思い返してみると心に残っているのはなんでもないようなそこでの日常の出来事だ。
バディの家に遊びに行ったり、
ホストマザーと一緒に夕食を作ったり、
そんななんでもないような日常の中で、
実はひとりで子どもを育てながら学校に通っていたり、
お皿はささーっと洗剤が落ちきっていない状態で洗ったり、
小さいドラマや自分の想像のつかないことが溢れていた。
誰にでも日常があって、その日常は十人十色。
私の普通は他の人の普通ではないし、少し飛び込んでみたら、意外に近くには知らない世界がたくさん転がっている。
そもそも文化も違うような遠い国に出掛けて、自分の普段の生活のまわりにもきっと知らないことがあちこちに散らばっているんだ、ということを教えられたような気がした。
❏ライタープロフィール
中川 文香(Ayaka NAKAGAWA)鹿児島県生まれ。大学進学で宮崎県、就職にて福岡県に住む。
システムエンジニアとして働く間に九州各県を仕事でまわる。
2017年Uターン。
現在は事務職として働きながら文章を書いている。Uターン後、
地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、
地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、
まちづくりに興味を持つようになる。NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPプラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。興味のある分野は
まちづくり・心理学。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
http://tenro-in.com/zemi/62637