週刊READING LIFE vol.15

消しゴムso sweet.《週刊READING LIFE vol.15「文具FANATIC!」》


記事:水峰愛 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 
 

ひんやりした畳に腹ばいに寝そべって、モロゾフのクッキーの缶の手触りを確かめる。手の熱を奪うような、まろやかな冷たさ。すこし持ち上げると、それはずっしりとした重量を帯び、振るとゴロゴロと鈍い音を立てた。
そっと缶の蓋を開けると、人工的なイチゴが香った。
 
私は小学2年生で、夏休みのすこし前のことだったと思う。その頃、クラスの女子の間で消しゴムを集めるのが流行っていた。
もともと収集癖のあった私は、僅かなお小遣いの全額を消しゴムに投じ、他クラスの児童が閲覧を希望してくるほどの消しゴムコレクターへと成長していた。
その頃流行っていた消しゴムは、動物やフルーツを象ったもの、消しカスを掃除するためのローラーがついたもの、ブロックの形をしたもの(もはやこれは、消しゴム素材で出来たブロックだった)小豆大の動物消しゴムがガラスの小瓶に詰められたものまであり、もはやそのほとんどが、消しゴムとしての機能を果たさないファンシー雑貨として販売されていたように思う。
コレクションの中でとくに私がお気に入りだったのは、クレヨン消しゴムと、バナナ消しゴムだ。
クレヨン消しゴムは、小指の先ほどのクレヨン型の消しゴムが紙のケースに6個ほど収まったものだ。それぞれの消しゴムには、クレヨンがそうしてあるように、きちんと紙が巻かれていた。普通、クレヨンにはその紙に色名が記してあるのだけれど、クレヨン消しゴムには猫だか犬だかのイラストが描いてあった。それもそのはずで、その消しゴムの色合いは、ちょうど金平糖のような、半透明の淡いピンクや水色や緑色だったから。バナナ消しゴムも、その名の通り、小さな小さな小指の爪ほどのバナナを象った消しゴムが、プラスチックの瓶に10個ほど収められたものだ。瓶の蓋と瓶底だけが黄色だった。
この手の消しゴムには、だいたい人工的なフルーツの香りがつけられているのだけれど、バナナ消しゴムはちゃんとバナナの香りだった。そういう仕事の丁寧さも幼い私の気を惹いたのだろう。
帰宅後にコレクションを点検するのが日課だった私は、クレヨン消しゴムは箱から出し、バナナ消しゴムもすべて瓶からだし、畳に並べて眺めることを好んで行なった。
この女子文化は、少なからず男子にも伝播していた。
男子が偏執した消しゴムは、もっぱら、噛みつきばあちゃん消しゴムと、まとまるくんだ。
噛みつきばあちゃん消しゴムとは、いかめしい表情をした老婆のキャラクターが、その入れ歯で鉛筆に噛み付く仕様になっている。入れ歯部分のゴムで鉛筆を挟み込む形で固定する仕組みなのだけれど、当時、多くの男子の鉛筆には、水色や黄色の老婆のキャラクターが噛み付いていた。
一方まとまるくんは、他のファンシー雑貨消しゴムとは一線を画す。
シンプルな四角い普通の消しゴムで、とにかく消字性に長けている。MONO消しゴムと人気を二分する、実用消しゴムの雄だった。そういった意味で、イチゴだのウサギだのの、非実用的な消しゴムの収集に血道をあげる女子たちも、まとまるくんには一目置いていた。
しかし、まとまるくんをこの地位に押し上げたのは、その消字性よりも、消しカスを集めて作る「ねりけし」の存在だ。
まとまるくんは、その名の通り消しカスがパラパラと散らからないことを売りにした商品だった。今思えば不衛生極まりないのだけれど、まとまるくんの消しカスを集めてこねると、粘土状のねりけし風の物体ができあがる。他の消しゴムには無いその副次的な性能に、男子たちは熱狂していたのだ。皆が揃って無駄に消しカスを出し、それをこねて、ねりけしの大きさを競っていた。
 
名前を、仮に岩渕くんとする。
彼は、クラスの「ねりけし王」だった。
彼も私と同じく、小遣いのほとんどを消しゴムの購入にあて、さらには帰宅後も地道な努力を怠らなかった。寝る間も惜しんで消して消して消しまくり、こねてこねてこねまくって作った岩渕くんの汗と涙の結晶は、ものの見事なテニスボール大のねりけしとなった。皆が彼の作ったねりけしを触りたがり、触った暁には、賞賛を惜しまなかった。一部の(常識的な)女子からは、「気持ち悪い」「汚い」「くだらない」と手厳しい批判を受けていたけれど、彼のカリスマ性はそんな外野の声の一切を跳ね除けるだけのものだった。
 
岩渕くんが転校することになったのは、そのブームの渦中で彼の人気が絶頂期にあった一学期の終わりだ。
放課後、机にむかってイラストを描いていた私の元に、岩渕くんがやってきた。
そして、私の机に、あの黒光りする球体を置いて、言った。
「これお前にやるわ」
その時、自分がなにを思ったのか、私はもう一切覚えていない。ただ黙って、机を探り、ペンケースの中から取り出した香り付きの消しゴムを机に置いた。
「じゃあこれ、あげる」
それが、私と彼が交わした最後の言葉だ。
岩渕くんは終業式の日、皆に盛大に見送られながら、いつものように能天気に笑い、何事もなかったかのように転校していった。
 
モロゾフのクッキーの缶は、赤地に花柄で、アール・デコ調の女性のイラストが描かれている。蓋を開けると、色とりどりの消しゴムがぎっしり詰め込まれている。
その中で、真っ黒の球体は異彩を放っていた。
宝石箱のようだった私だけのコレクションは、岩渕くんのおかげで、他者の意思という一種の緊張感を帯びることになった。そしてその緊張感は、私が生まれて初めて味わうタイプの快楽でもあった。
 
あの静かで狂おしい衝動になんと名前をつければ良いのか、いまでもわからない。
誰もいない夏休みの昼間。ひんやりした居間の畳に寝そべっていつものようにコレクションの点検をしていた私は、ふとそれを手に取った。
そして、その黒い球体に、ゆっくりと歯を立てた。球体は抵抗なく私の歯を受け入れ、あっけなく均衡を崩した。欠けた球体の一部を吐き出すと、また同じようにして私はそれを噛んだ。何度も歯を立てられた球体は球体でなくなり、ただの唾液で濡れた汚い塊になった。
私はそれをキッチンに持ってゆき、ゴミ箱に捨てた。
 
あの出来事を思い出したのは、私が大人になってからのことだ。
告白するのも若干憚られることだが、私にはパートナーの肩や腕を甘噛みする変な癖がある。それは恐らく、愛着とか愛情とか寂しさとかが入り混じった複雑な感情の発露だと自分なりに解釈している。
だとしたら、岩渕くんのくれたものを噛み砕いて壊して捨てたのは、多分あれは自覚される以前の、幼くて原始的な恋のようなものだったのかもしれない。
放課後に、自分の宝物をくれるという唐突な愛情を示し、そしてすぐに私を置いていなくなってしまった彼への、愛憎入り交じる気持ちの現れだった。ような気がする。
 
ちなみに、私は今でも消しゴムというものに、すこしフェティッシュな愛着を持っている。さすがに噛んだり頬ずりをしたりはしないけれど(当たり前か)他の文具を買う時よりも、若干どきどきしてしまう。
最近はもっぱらスマホやパソコンで文字を書くので、使う機会もほとんど無い。
でも時々、手書きの文字を消しゴムで消すときの、すこし狡いようなあの甘さを味わってみたくなる。
 
 

ライタープロフィール
水峰愛(Mizumine Ai)
1984年鳥取県生まれ。2014年より東京在住。
化粧とお酒と読書とベリーダンスが趣味の欲深い微熟女。欲深さの反動か、仏教思想にも興味を持つ。好きな言葉は「色即是空」

http://tenro-in.com/zemi/66768


2019-01-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.15

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