ただ、抱きたいだけじゃなかった。《週刊READING LIFE Vol.73「自分史上、最高の恋」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
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記事:平野謙治(チーム天狼院)
浮気をしたことは、一度もない。
だけど浮気相手になったことなら、ある。
あれはまだ、大学生の頃のこと。
彼女と出会ったのは、バイト先。派遣のライブスタッフをやっていた時のことだった。
とあるアイドルの3日間連続の公演という、大変な現場。突然そこに、入れられてしまった新人の女の子。
それが、彼女だった。
僕はその時、バリバリ働いていて、「チーフ」という称号を持っていた。
自然と教育係にされて、3日間仕事を教えながら指示を出した。
フリーターのスタッフが多数入り混じる中、歳も近く、学生である僕らが仲良くなるのには、そう時間はかからなかった。
彼女は、可愛らしい子だった。
顔立ちが特別派手という訳ではないけれど、色白で、整った顔立ちをしていた。スタイルも良くて、手足の長い娘だった。
でも可愛いのは、見た目の話だけではなくて。現場で会うといつも、「今日入ってたんだ、安心した!」と、手をぶんぶん振って、駆け寄ってきた。その笑顔を、向けてくれた。
休憩時間が合えばいつも、近くに寄ってきてくれた。
彼女は、明るくて、愛想が良かった。献身的で、気が利き、周囲からの信頼があった。
当然仕事もできる方だったから、現場ではいつも重要なポジションを任されていた。
だけど、あまり負荷をかけると、壊れてしまいそうな危うさも感じさせた。
だから僕は、自分の仕事の大変さに関わらず、いつもさりげなくフォローを入れた。
放っておけない娘だった。
ほんの小さなフォローすら、彼女は毎回見逃さなかった。
仕事が終われば、感謝の連絡が毎回のように来た。
現場を重ねるごとに、僕らの距離は近づいていった。
気づけば、彼女と会うことを楽しみに仕事をする自分が、そこにはいた。
でも彼女には、彼氏がいた。
ある日の現場の帰り道。同僚の他の女がぽろっと漏らした。
「恥ずかしいから言わないでよ!」と言う彼女。そんなやり取りを見て、表面上は笑っていた僕だったけれど、正直ガッカリしていた。
でもまだ、何も始まっていなかったから。ダメージは最小限で済んだんだ。
それにその後、彼氏が一年間の留学に行っていると聞いた。「へー」と、気のない返事をした僕だけど、悪いことを考えなかったと言えば、嘘になる。
夏も後半に差し掛かり、ようやく大きな現場が終わりを迎えた。
打ち上げは、それはもう盛り上がった。飲み会も後半になり、酔いが回ってきた時のことだった。
彼女はすっと僕の隣に来た。
「聞いて欲しいことがある」と、眠そうな様子で切り出してきた。
先週の横浜の現場が、とてつもなく大変だったこと。
一人暮らしの夜が、寂しいこと。
留学に行ってしまった彼氏が、全然連絡してくれないこと。
彼女は、いろいろ話をしてくれた。
だけど僕の頭には細かい内容は、入ってきてなくて。半分くらいは、聞いているフリだった。
首筋から、やたらと良い匂いがした。それに、負けないようにするのがやっとだった。
酔いも進んで、理性も鈍っている。寂しそうな横顔を見て、抱きしめたいと思った。でも彼氏がいるし。みんながいる場だし……と脳内でせめぎ合った。
だけど机の下。見えないところで、膝と膝が触れていて。
絶対に気づいているのに、彼女は離そうとしなくて。
次第に、理性的なものは全部、どうでも良くなっていった。
夜は、加速した。
打ち上げを時間差で抜け出して、二人だけで二次会に行った。
そこからはただ、口実を探すだけの作業だったように思う。
僕の終電がなくなる時間まで、適当な店で適当に飲んだ。「帰れないし、仕方ないから」と、彼女の家に行った。
その後は飲み会以上に、いろいろな話をした。
最近観た面白いテレビのことから、バイト先での悩みといった、真面目なことまで。
どのくらいの間、話しただろうか。話題が尽きた僕らは、裸になった。
それは、ごく自然のことだった。
翌朝。いや、もう昼だったかもしれない。
「もうこんな時間だよ」と、起こしてくれた彼女が、あまりに愛おしくて。すぐさま抱き寄せた。
大学の講義をサボった僕らは、飽きるまで触り合っていた。
僕はまだ、彼女にとって特別な存在ではなかった。
ただ、一夜を共にしただけの存在。
だけど僕の中ではもう、紛れもなく彼女は、特別な存在だった。
ハッキリと、恋心を自覚した。
海外にいる彼氏から、奪い取ってやりたいと本気で画策した。
でも僕は、「都合の良い関係」からなかなか昇格することができなかった。
お互いバイトを入れてない日に、どこか遊び行こうと誘うと、毎回のように断られた。
デートらしいデートをすることは、決してなかった。
だけど現場が終わって、翌日はお互いバイトがない時。飲みに行こうと言うと、彼女は毎回のように来てくれた。
それが23時であろうと、24時であろうと。
行き着く場所は、毎回同じ。それなのに毎回丁寧に、口実を探した。
もはやそれすら、前戯に思えた。
接していくうちに、彼女のことを理解していった。
彼女は、確かに彼氏のことが好きだった。
僕は、穴を埋める存在に過ぎなかったんだ。
それは、何度夜を重ねても、何度朝を迎えても、変わらない事実としてそこにあった。
むしろ一緒にいればいるほど、そのことを深く感じ取っていく自分がいた。
ズルい女だった。向こうから誘ってくることは、ついに一回もなかった。
だけど僕が家に行こうとすると、拒むことは決してなかった。
「好きだよ」だなんて、思ってもない言葉を吐く。それも、ベッドの上でだけ。
その言葉が中身のないものだとわかってなお、喜んでしまう自分がそこにいた。
上手い女だった。悔しかった。だけど、心地良かった。
彼女はそうやっていつも、その二枚舌で俺を弄んだ。
ある日のこと。朝が来る前に目を覚ますと、
彼女は廊下に立ち、囁くような声で電話をしていた。
その相手は、聞くまでもなくわかった。
先入観なのかな。わからないけど、見たことのない顔をしているように見えた。聴いたことのない声のように聴こえた。
僕には決して見せない一面を、見てしまったような気がした。
嫉妬で狂いそうになった。こんなにも俺は、側にいるのに。
好きなとこも、嫌いなとこも。全部指先でなぞって、確かめたつもりだった。わかったつもりだった。それなのに。なぜ。
遠くにいるそいつに勝てないことが、腹立たしくて仕方なかった。
無茶苦茶にしてやろうかと思った。首筋を強く噛んで、消えない傷をつけてやろうかと思った。
だけど僕は、しなかった。
全部、気づかないフリをしていた。
そうでもしないと、側にいられなくなるような気がして。
都合の良い存在。それでも構わない。
かけてくれた言葉、そのすべてが嘘だったとしても。
一緒にいたい。失いたくない。
僕の目に写る、目の前の彼女がすべてだった。
それ以外の瞬間は、知らなくていい。
2番手。あるいは、他にも僕と同じような関係の男がいたのかもしれない。そういう女だった。
飲み会で友人に話すたびに、関係を続けることを反対された。
「何それ。その女やばいって」
「もう会わないほうがいいよ」
「そいつと一緒にいても、絶対幸せにならないよ」
わかってんだよ。そんなことは。
でももう、理屈じゃなかったんだ。
心が、身体が、彼女を求めていた。あんなに良い匂いがする人を、他に知らなかったから。
暇さえあれば、彼女のことを考えていた。
もう俺は、彼女を好きになる前の自分がどんな風だったか、思い出せなくなってしまっていた。
そうして関係を断ち切ることもできず、変化を起こすこともできず、半年の月日が流れていった。
平行線のまま迎えた、冬の日。
現場を終えた僕らは、いつもどおり、安い居酒屋で、美味しくもない酒を飲んでいた。
今日はいつもより飲むな。そんな風に思っていると突然、彼女が遠くを見ながら切り出した。
「来週なんだよね」
「え?」
すぐさま、聞き返す。正直、何の話かはわかっていた。
彼女は続けた。合わない目線は、そのままに。
「……彼氏が帰ってくるの。
だから……」
飲み込んだ言葉。「今日で、最後にしよう」。
言わなくても、わかった。わかりたくないけれど、わかった。
「……そうか。
じゃあ、今日はもう帰るね」
僕がそう言うと、彼女は少し、驚いた顔をした。最後に泊まりに来るものだと、思っていたのだろう。
伝わったかは、わからない。僕としては、「ただの身体の関係を、続けたかったわけじゃない」というメッセージ性を、示したつもりだった。
もう一緒にいられないということを、すぐに悟った。
酷く悲しかった。だけど、どこかでもう、覚悟が出来ている自分もいた。
彼女と一緒にいる時間が、いつまでも続いて欲しいと思った。
だけどもう、終わらせた方がいいとも思う気持ちもあった。
わがままを言って、困らせてやろうかとも思った。
だけど、結局僕は、何かを切り出すことなく、ただ、他愛もない話をしながら、手を繋いで、駅まで一緒に帰った。
あの日あの瞬間のことは、今でもハッキリと覚えている。
小さな冷たい手や、冬の日の澄んだ匂いも。空気を和らげようとして、震え気味になる声も。
忘れないと思う。多分、これからずっと。
ほどなくして、彼女はバイトを辞めた。
僕らが会うことはなくなった。
男女の関係になってしまった僕らは、もう友達には戻れなかった。
思えば、初めての夜から、この未来は決まっていたように思えた。
今振り返ってみても、思う。どうしてあんな女を、好きになってしまったのだろうって。
だけどあの時、あの瞬間ほど、誰かを恋い焦がれたことは一度もない。
思えば今までの恋愛は、どこか打算が入り混じっていた。
「あの娘と付き合えば、カッコがつくんじゃないか」みたいな見栄や、
「あの娘なら、付き合ってくれそう」とか、振られるリスクを考えてみたり。
でも彼女は、そうじゃなかった。
世間体とかは、一切関係なく。振り向いてもらえる可能性に、関わらず。
あらゆるリスクなんかは、度外視して。ただ、好きで、追い求めていた。
それなのに最後まで、「付き合ってほしい」ということは出来なかった。
好きだから。あまりにその想いが強いから、嫌われないために、鬱陶しいと思われないように、都合の良い存在になり続けた。
ただ、一緒にいたかった。
いや、本当は。それだけでは、なかった。
本当は、俺だけを見ていて欲しかった。特別な存在に、なりたかった。
どちらにせよ、一緒にいられないなら、言えば良かった。
後悔が、無いわけじゃない。
だけど僕は、思い出にすることを選んだ。
彼女に抱いた、いろんな気持ち。それらはすべて、純粋で、混じり気のない、俺の中から出た感情であり、欲望。
だから思い出として、今も鮮烈にこの胸に残り続けているのだろうと思う。
2年の月日が流れ、彼女が思い出の一部になった頃のこと。
突然、元バイト先のLINEグループができた。
なんでも、彼女が就職して福岡に配属になったらしい。
だから東京にいるうちに、送別会をしよう! という話だった。
参加していいのかわからなくて、曖昧な返事をした。
だけど来て欲しいと、彼女が言うから、参加することにした。
飲み会は、始まった。
僕は彼女と、遠い席に座った。全体で盛り上がることはあっても、二人で話すようなことはなかった。
だけど酒も進んできた後半。彼女がひとりひとり回って、挨拶をすると言い出した。
ドキッとした。ときめきではない。その感情の名前を、僕は知らなかった。
僕の番が来た。彼女は、何を話すのだろう。
用意してた言葉なんてなくて。口を開くのを、ただ待った。
「……また東京戻ってきたら、飲みに行こうね」
その言葉をすぐに返すことなく、僕は想像を巡らせた。
果たしてそんな瞬間、あるだろうか。僕が福岡に行ったとして、彼女と連絡をとることはない。
反対に、彼女が東京に来たとして、僕個人に連絡してくるようなこともないだろう。知ってる。そういう女だ。
それなのに、また会おうとか簡単にいうんだ。
「……そうだね」
今度は僕が、嘘をついた。二度と会うことは、ないだろう。
もう、未練はなかった。友達に戻りたいとも、思わなかった。
これで終わりでいいと、思ったんだ。
「帰るときは、声かけるからね」
隣でそう話す、彼女の膝が、僕の膝に触れていた。
触れていた、だけだった。
お会計をして、店を出た。
手を振って言った、「バイバイ」。それは何も特別なことなんてなくて。
僕はただ、周囲と一緒に、元同僚の一人として手を振って、その横顔を見届けたんだ。
さよなら。
もうあなたを、求めることはしない。
だからかな。
今、あなたは美しいよ。
◽︎平野謙治(チーム天狼院)
東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ24歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。
青年の悩みや憂いを主題とし、16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
同年6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。
現在に到るまで、『なんとなく大人になってしまった、何もない僕たちへ。』など、3作品でメディアグランプリ1位を獲得。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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