魂の生産者に訊く!

【魂の生産者に訊く! Vol.3-2】「湘南唯一の蔵元」は、時代と地域と共に育つ(街づくり編) 《天狼院書店 湘南ローカル企画》


記事:河瀬佳代子(かわせ かよこ)(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
閑静な住宅街の中に突如現れる古民家。木々を抜けていくと、そこには蔵が現れる。
訪れる人、そして働く人の心を落ち着かせる数々の緑と、木々を主体としたその場所は、すがすがしくも静謐であり、酒造りの原点でもある神聖さを失っていない。
その根底には、蔵元の並々ならぬ信念があった。
 
 

Vol.3-2 「湘南唯一の蔵元」は、時代と地域と共に育つ(街づくり編)
熊澤酒造株式会社 六代目蔵元 熊澤茂吉さん


前編(酒造り編)はこちら
 
神奈川県出身。
早稲田大学卒業後、米国留学を経て家業である熊澤酒造を引き継ぎ、1997年熊澤酒造株式会社代表取締役に就任。六代目蔵元。本名:信也。
 
熊澤酒造株式会社HP →https://www.kumazawa.jp/
 
 

酒蔵造りのコンセプトは自然がもたらしてくれた



 
最初僕が酒蔵を継いだ時は、ここには草木は1本も生えていなかった。なので「木があったらいいなあ」と思って、元々殺風景なコンクリートだった部分を整備して、木を植えました。さらにそこからまた2~3年経ったら、「今度は違うところに大谷石を置いたり枕木を置いたりしてみようか」とか、そういう感じです。
建物ですけど、最初は直売所から始まりました。そこに食べ物が出せればいいなということでレストランを作りました。そして何年かした後にスペースが足りなくなって古民家を移築するとか、そんなことを積み重ねて、今の形になりました。
 
今の酒蔵の全体像まで作り上げるのに、25年くらいかかっています。
とはいっても、実際は僕の個人的な好きとか嫌いとかで決めているだけですけどね。
コンセプトとして同じ酒蔵が出来上がるにしても、最初に真っ平の更地にしてから一斉に作るのではなくて、僕らの場合は時間をかけて、1つ1つ必要に応じてやっているうちにそうなっちゃったというところです。
「降って沸いたような場所」というよりは、「自然に生えてきたような場所」にしたかったので、そのようにしています。
 
 

多岐に渡るプロジェクトの誕生は身近なニーズから



 
うちの社員は共働きが多くて、話を聞くと、子どもを保育園に入れるのに自治体に応募しますよね。応募すると役所の方から振り分けられるので、自分たちで保育園を選べないんですね。保育園に訊くと、逆に保育園は園児を選べない。
 
「こういう教育をしたい」教育者と、「こんな教育で子どもを過ごさせたい」保護者の想いが一致していない。しかも待機問題もある。社内からは「うちの会社の価値観に合うような保育園がほしい」という声は昔からあったんですけど、行政に相談に行くと、保育園を作るためのハードルがめちゃくちゃ高かったんです。
 
それでずっと保育園を作ることは諦めてたんですけど、ある時子どもたちと、小田原にある自然の茶園に茶摘みに行ったんですよ。茶摘みをしていた時に知り合った方と話していたら、仕事は「保育園やってます」っておっしゃる。
なので僕が保育の話をしたら、「今は企業内保育って制度ができたから、熊澤さん、それは実現できますよ」みたいな話になって。
その方の理想は森のような空間で教育をしたかったんだけど、実際は駅ビルとかマンションの一室で教育施設をやっていた。そんなご事情だったので、「じゃあうちの会社の敷地内に森みたいなスペースがあるから、一緒にやりませんか?」ということになったわけです。お互いに需要と供給が一致したんですね。こうして生まれたのが、企業主導型保育施設「ちがさき・もあな保育園」です。
利用しているのは約半分が社員、あとは近隣の方たちになります。
 
 
そしてワークショップやイベントを行う「暮らしの教室」ですが、これは元々僕を入れて4名、地域の親しくなった仲間で始めました。
 
「東京まで仕事に行ってはいるけど、会社の人たちとはそんなに深くプライベートでは付き合わない」という人が僕の知り合いにも多いんです。住んでいる地域に、職場でも家庭でもない居場所があると、様々な価値観を持った人と知り合えて、世界が広がるんじゃないか。そんな場所が作れたらなというのが始まりでした。その共通認識を持った4人が所有するそれぞれのスペースを使って、部活的に始めたのが「暮らしの教室」です。
 
元々ベースにあったのはトークショーでした。月に1人、いろんな世界で活躍している人が地域にいる、そういう人を発掘して話を聞くことでした。また「モノづくりの体験」もプラスアルファでやっています。アート系のイベントも取り入れて、サークル活動みたいな感じですね。それとギャラリー(「okeba」)の2階で古本も売っています。僕が古本が好きなんで始めてみました。
 
 

「湘南唯一の蔵元」が判断の全ての基本



 
湘南という地域は、日本全国にある地域とは違って、独特の歴史的なカルチャーがありますよね。
ざっくり言うと湘南って、「東京の範囲内にいたい場所」だと思うんですよ。生活圏内に東京が入っている。「学校に行ったり、買い物に行ったり、会社に行ったりする範囲内に東京があるのに、東京に住まない選択をした人たち」が住む場所だと思っています。
 
例えば元から茅ケ崎にいた人たちは漁民か農民が殆どでしたけど、後から入ってきた人たちがいわゆる「湘南の人」ですね。その人たちは東京が生活のベースなのに、敢えて「都心から離れすぎずに離れている」茅ケ崎とか藤沢に住んでいる。
 
湘南は「ドレスダウン志向」って僕は思ってます。何にも気にしない田舎の格好をするだけじゃなく、もちろんドレスアップもできるんだけど、ずっとドレッシーだと息苦しくなってしまう。なのでちょっとドレスダウンした生活をしたい、というような感じです。だから、流行や世の中の動きには敏感だけど、そこに必死になっていなくて、普段はTシャツ・短パン・ビーサンで暮らせれば十分。そんな気分を持っている文化だと思うんですよね。
 
湘南という土地自体も特色に溢れていますが、蔵元も独特な文化があります。
神奈川に1,070軒あった蔵元は今、うちを含めて県内には13軒しかない。そのうち、「湘南」と「蔵元」っていう文化を併せ持つのはうち1軒しかないので、「湘南の蔵元にふさわしいかどうか」を座標軸にする。それをいつも肝に銘じています。何かがあったときは「それが湘南の蔵元にふさわしいかどうか」をもう1回自分の中で考えるということですね。
 
もしうちが山奥にあったなら純粋に造り酒屋で運営した方がいいと思います。しかし湘南という変化の激しい場所にあり、周りの環境にかなり影響されるものですから、柔軟性のある代々の引継ぎが必要です。
 
 

100年先に残すために、今を守る使命がある



 
茅ヶ崎で美味しいと評判の養豚場が2軒ありました。
とても美味しい豚肉なのに全然儲かってなくて、後継者もいない。
その豚肉はブランド化して残していく価値があると思ったので、生産者と一緒に「うちの会社にソーセージ部門を作って、そちらの肉を使って作って地域に広めましょう」と考えましたが、数年するうちに後継者がいないまま生産者さんの年齢が高くなってしまって。そこにTPPでアメリカの豚が入ってくるということが決まって、「もう辞めます」ということで廃業されてしまったんです。
 
そういう事情で、茅ケ崎の養豚の文化を残せなかった。残すための協力が実を結ばなかったことは非常に残念でした。
そんな所に、「茅ケ崎の水田が10年以内になくなりそうだ」という話が入ってきて、これは大変な事じゃないかと。湘南の食文化がまた1つ、消滅の危機に瀕しているのに、手を打たないと手遅れになるので、熊澤酒造で農業部門を作ったんです。
 
養豚の時は単に取引先としてやってたんで、向こうが「辞めます」って言った瞬間に守れなかった。今回は社内で農業部門を作って、農業担当の人間が米作りをするということで、米作りを辞めてしまう水田をうちが借りて、10年後にはうちのお酒は全量藤沢・寒川の水田で穫れたお米で作りたいと思っています。
 
米に関しては、もし熊澤酒造が50年後、100年後もお客さんから支持されて隆盛を誇っていたとしても、肝心の米がなくなった、水田がなくなったら本末転倒です。
いい酒蔵がある地域にはいい食文化がしっかり残っている。その意味で水田を興したい。50年後、100年後というスパンで物事を考えたい。損得ではなく。その方がかえって間違いを起こさない、確実な事業ができる。その地域に根ざす企業の存在価値に繋がっていると思っています。
 
 

 
茅ケ崎という土地に生まれ、そして蔵元の一族として育った者にしか託されない使命。
 
変化の激しい時代において企業を維持する苦労をものともせずに、むしろ時代という風を味方につけて乗り越えていくその姿勢は、アントレプレナーとして大いに手本になるに違いない。
 
時代にも、地域にも愛される企業として、これからも先頭を走りつづけていくことだろう。
 
 
 
 
(文・河瀬佳代子、写真・山中菜摘)

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)(READING LIFE編集部公認ライター)

東京都豊島区出身。
日本女子大学文学部卒。公務員を経て、現在は団体職員、ライター。2020年9月よりREADING LIFE編集部公認ライター。神奈川の農産物の豊富さ・質の高さ・生産者さんの信念を描いた、天狼院書店湘南ローカル企画「魂の生産者に訊く!」連載中。 http://tenro-in.com/manufacturer_soul

□カメラマン
山中菜摘(やまなか なつみ)

神奈川県横浜市生まれ。
天狼院書店 「湘南天狼院」店長。雑誌『READING LIFE』カメラマン。天狼院フォト部マネージャーとして様々なカメラマンに師事。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、カメラマンとしても活動中。

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2020-10-19 | Posted in 魂の生産者に訊く!

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