これからのオタクの話をしよう

第2回 こんな可愛い子が女の子のはずがない!〜ロリとショタとキャラクター愛〜《これからのオタクの話をしよう》


記事:黒崎良英(READING LIFE公認ライター)
 
 
「ファンロード」という雑誌がある。
編集は一貫して銀英社が行っているが、出版元の倒産や雑誌の移譲に伴い名称を何度か変えている。人手不足や資金不足に悩まされながらも、マイペースかつひっそりと出版を続けた風変わりな雑誌である。2012年12月の電子版第1巻発行を最後に、事実上の休刊状態となっている。
 
特徴的なのがその内容である。一応アニメ雑誌に分類されるが、内容は食事や旅行など多岐に渡っている。そして一番の特徴が、読者投稿が紙面の大部分を占めていることにある。よく雑誌の最後にある読者の投稿コーナー、それが大半を占めている雑誌なのである。
好きなアニメのファンイラストやいわゆるフツオタ(普通のお便り)、特集ごとの内容など。投稿者のレベルも高く、後にプロとしてデビューした漫画家やイラストレーターも多数いた。
 
1981年、この雑誌に一つの質問が寄せられた。編集長であるビスケットのK氏が、読者の質問に時に真面目に、時に適当に返答するコーナーである。
 
「少女を好きな男性はロリコンと呼ばれるが、では少年を好きな女性は何と呼ぶべきか?」
 
これに対しビスケットのK氏は、半ズボンの似合う少年の代表として横山光輝のロボット漫画『鉄人28号』の主人公・金田正太郎の名を挙げ(当時はフルカラー版のアニメ『太陽の使者鉄人28号』が放映していた)、そこから名を取って「ショウタロー・コンプレックス」と回答した。
この言葉が広まり、少年を愛する女性のことを「ショタコン」、愛らしい容姿の少年を「ショタ」という言い方が浸透していった。
 
というわけで今回はロリとショタの話である。念のため説明しておくと、少女を愛する男性を「ロリコン(ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』が語源らしい)」、対象となる可愛らしい少女を「ロリ」と呼称する。
オタクの世界で根強い人気のある分野であるが、同時に一般化されにくい、すなわち一般人に受容されにくいジャンルでもある。
どうも、ロリコン=異常性愛者というイメージが先行しているようにも思われる。またオタクコンテンツでのロリキャラは、少し現実離れしすぎているディフォルメがされているため、というのもあるかもしれない。
 
代表的なコンテンツは、ばらスィーによる漫画『苺ましまろ』あたりか。なんといっても名キャッチコピー「かわいいは、正義!」を生み出した作品である。英語圏でも文法を無視して「Cute is Justice」と訳されているらしい。
ローティーンの少女たちの日常を、大変シュールに描いた作品だ。
他には蒼山サグの小説『ロウきゅーぶ!』もロリ作品の代表としてたびたび挙げられる。小学校のバスケットボール部(つまり籠球部)の監督となった男性を主人公として、メンバーの少女たちとの交流や成長を描く、ライトノベルでは珍しい、直球のスポーツものである。キャッチコピーは「少女はスポコン! コーチはロリコン!? ハートフルなさわやかローリング・スポコメディ!」であった。作品の面白さもさることながら、イラストを担当した“てぃんくる”の可愛いらしい表紙や挿絵がとても印象的である。おそらく、あなたが「ロリ」と聞いて何となく浮かんだイメージを、実際に形にしたものではないだろうか。
 
そしてこれもおそらく、であるが、世間に受容され難いオタクコンテンツのキャラクターのイメージは、実はこの「ロリ」のイラストとして、非オタクの脳裏に思い浮かぶことが多い。「まさに」なイラストなのである。
 
一方、ショタの作品は、というとショタがメインの要素とされている作品は中々見つけるのが難しい。私自身が女性向け作品に疎く不勉強という点はご容赦いただくとしても、ストーリーがあってその上でショタキャラがいる、という作品が多いような気がする。
有名所では、実写映画にもなった枢やなの漫画『黒執事』あたりか。執事セバスチャンが使える主人シエル・ファントムハイブは12〜13歳くらい。世の腐女子(女性のオタク、特にショタ好きBL好きを指すことが多い)の方々から絶大な人気を誇る。
ショタの一分野としては「おねショタ」というジャンルも存在する。「お姉ちゃんとショタ」という意味で、年上の女性と少年の関係を描いたものだ。
評価を得たものとしては、「このマンガがすごい!2017」でオトコ編第2位を受賞した、高野ひと深の漫画『私の少年』がある。30歳代のOLと10代の少年の交流を描いた物語であり、連載開始時、「まんが史上最も美しい第1話」と絶賛された作品である。
 
こういったロリ作品・ショタ作品、そしてそれらを愛する人々の根底には、一つの共通する思いがある。
 
それは「キャラクターへの愛」である。
しかも高純度の熱量を持った愛だ。
 
一般の人々がオタクコンテンツを見る時、それは主にストーリーを見ている。
当然といえば当然である。ストーリーが面白くないコンテンツはコンテンツとして成り立っていない。
あのストーリー展開は良かった。あのシーンは最高だった。
それが一般の感想であり、そのように言われることが妥当な賛辞でもある。
 
しかし、オタクにとっては必ずしもそういうわけではない。オタクはストーリーもさることながら、キャラクターに注目し、その良し悪しを判断することもある。
 
この視点については、エフヤマダのネットコンテンツ「OTAPHYSICA(オタフィジカ)」に詳しい。真のオタクの側から発信するオタク論であり、私家版を掲げながらもオタクの特徴を詳細に考察した論考は、まさに慧眼である。
 
その中では、「オタクとは、オタク的な行為をすることができる人間である。(中略)オタク的な行為とは、物語内のキャラクターについて妄想することである。結論。オタクとは妄想することができる人間である(『OTAPHYSICA』)」と述べている。
 
そう、オタクはキャラクターに注目し、そして妄想をする。
あなたは、例えばアニメ映画を見たとき、登場キャラクターに対して愛情を抱けるだろうか? どちらかというと、ストーリーの面白さの方に感動しているのではないだろうか?
 
これによく似た傾向は、歌舞伎などの古典を含んだ演劇にも見られやすい。ある芝居を見る時、あなたはストーリーに注目するだろうか? いや、演劇に慣れ親しんでいる方ならば、古典と言われる演目はストーリーをすでに知っているはずだ。だからこそ、注目するのはそれを演じている役者、つまりキャラクターではないだろうか?
 
オタクにとっては、あのストーリー展開が良かったというより、あそこであのキャラクターがあの行動をとることが良かった、と感じる。あのシーンが良かったというより、あの時の仕草が良かった、と感じる。
キャラクターありきのストーリーでもあるし、ストーリーはキャラクターが内包している、と言っても良い。
 
もちろん、魅力的なキャラクターというのは、コンテンツ全般においても重大な要素であり、一般の方でも登場人物に対しての感想は持つことは多い。あのキャラクターが良かった、あの人の演技は良かった、あのキャラクターはカッコイイ、などなど。
 
しかし、よくよく考えて見ると、そこで「良かった」と思ったのはキャラクターそのものではなく、「キャラクター性」なのではないかと思う。
それは、その世界観に必要なキャラクターの特徴であり、性格である。そこを取り出しての感想であるように思う。
つまり、このストーリーだからこそ、そのキャラクターを魅力的に思うのではないだろうか。
キャラクターが作品を飛び出したらどうだろうか? あなたはそれを想像、いや妄想できるだろうか?
オタクはキャラクターそのものを愛している。それゆえに、そのストーリーで現れたキャラクター性は、そのキャラクターの一面でしかない。
だからこそ、作品世界を飛び出して「妄想」ができるのである。IFの世界を描けるのである。
言うなれば、ストーリーは享受者自身が作るのだ。
 
この「妄想」「ストーリー」というものは、何も2次創作のような本格的なものだけを指すのではない。「キャラクターが作品とは異なる服装を着て愛しいセリフを言ってくれる」というのを「想像」するだけでも、それに該当する。そのキャラクターの後日談を勝手に妄想する、と言ったことでも構わない。
要はキャラクターにどれだけ入れこめるか、である。
 
このキャラクター愛というのを如実に表したコンテンツがある。
育成ゲームやシミュレーションゲームといったものだ。
特に「アイドル育成ゲーム」は、オタクの世界でも強大なジャンルの一つである。
その地平を切り開いたのは、株式会社ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が世に送り出したゲーム『アイドルマスター』であろう。
プレイヤーがプロデューサーとなって、キャラクターをトップアイドルへと導くゲームだが、大雑把にいえばストーリーは基本的にそれだけである。レベルアップのためのミニゲームやコミュニケーションが用意されているが、何か明確なストーリーがあるわけではない。
その代わり、各キャラクターには特徴的且つ詳細な設定がなされている。それがまたイラストと相まって魅力的なのである。
そんな彼(男性アイドルをプロデュースするゲームもある)・彼女との日々の特訓の中で、二人の絆を育む。そこに生まれる妄想こそが、本当の意味でのストーリーなのである。
 
さて、ここで問おう。あなたはストーリーを超越して、キャラクターへ愛情を注ぎ込むことができるであろうか? キャラクターをそのストーリー内で終わらせず、日々をともに歩めるだろうか? いや、さすがにそれは言い過ぎだが、『〇〇(作品名)』が好き! ではなく、「〇〇の△△(キャラクター名)」が好き! と言えるだろうか?
 
そこに「イエス」と言えたあなたは「こちら側」の人間である。ようこそ。
 
ともかく、この一見疑問視してしまうほどの愛情が、ロリコンやショタコンの根底にある。
ところがそれは、長い文学史の中で見ても、大して珍しいものではなかった。
『源氏物語』の主人公、光源氏は、マザコンからロリコンまで、幅広いオタジャンルをカバーするプレイボーイである。まだ幼い紫の上を理想の女性にすべく養育するといった、リアル育成ゲームを平気でやってのける人物でもある。
 
また、学校の古典の授業で「稚児のそらね」を勉強した人も多いだろう。
稚児=幼子が横になっていると、僧侶たちがやってきて餅を焼きだす。稚児は寝たふりをし、呼ばれるのを待っていたが、1回目で起きるのもバツが悪いと思って、再度呼ばれるのを待つ。しかし「ぐっすり眠っているのを起こしてはかわいそうだ」との気配りで、稚児はそのままにされてしまう。餅が焼ける香ばしい匂いと、それを美味しそうに食べる音につられ、ついに自分から声を出して起きだす。僧侶たちはそれに大笑い、といった内容である。
古代において寺は女人禁制である。その中で可愛らしい稚児は、半ばアイドル的存在であった。この稚児を可愛らしいショタに脳内変換して想像すると、現代にも通用しそうなまことに可愛らしい内容になりはしまいか。
そういう視点で見て見ると、ショタやロリを愛する土壌は、古くから日本にあったと言えるのではないだろうか?

 

 

 

インターネット上の掲示板、「双葉ちゃんねる」において、あるとき性別不明のキャラクター絵が投稿されたことがあった。
この可愛らしいキャラクターはショタなのか? ロリなのか?
諸説芬芬する中、強烈な一言が投下される
 
「こんなに可愛い子が女の子なわけないじゃない!」
 
その強烈さには、事実はともかく納得せざるを得ない。この言葉にはショタへの愛情が詰まっている。そこに詰まっている熱量は大変高く、純度の高いものである。
あなたは、これほどまでにひたむきな愛情を持ったことがあるだろうか?
ある人はこの強烈さを「キモい」と片付けてしまうことだろう。だが、そこまでに愛情を捧げることができる対象があることは、大変幸せなことであるとも思うのである。
何かに夢中になる。それ自体が素晴らしいことでもあるし、それをキャラクターという膨大なストーリーの塊にしたことは、大変な幸運である。作品としてのストーリーは単体で終わってしまうが、キャラクターが内包するストーリーには際限がなく、それは享受者である私たちが紡いでいくものであるからだ。
 
さあ、いつか見たあのストーリーのあのキャラクターを、再びあなたの世界でよみがえらせてはいかがだろうか?
そのキャラクターに愛を注ぐことができたなら、妄想の世界へともに旅立てるなら、私は最大の敬意を込めて、改めてあなたに言うだろう。
 
ようこそ、「こちら側へ」
 
 
 
 

今回のコンテンツ一覧
・『ファンロード』(雑誌/銀英社)
・『鉄人28号』(漫画・アニメ・ドラマ等/原作:横山光暉)
・『苺ましまろ』(漫画・アニメ/原作:ばらスィー)
・『ロウきゅーぶ!』(小説・アニメ/原作:蒼山サグ イラスト:てぃんくる)
・『黒執事』(漫画・アニメ・映画/原作:枢やな)
・『私の少年』(漫画/原作:高野ひと深)
・『OTAPHYSICA』(ネットコンテンツ/管理者:エフヤマダ)
・『THE IDOLM@STER』
(ゲーム・アニメ・漫画等/原作:バンダイナムコエンターテイメント)

 

❏ライタープロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨で、国語と情報を教えている。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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