もう、無理。いい加減にして!
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: 藤原 宏輝 (ライティング・ゼミ名古屋会場)
「またです。もう、どうしたらいいのか分かりません」
目の前で、新人プランナーが今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くしていた。手元の資料には、何度も引かれた赤線と、度重なる変更のメモが痛々しく残っている。
「来週挙式のご新婦様なんですけど、昨夜『やっぱりドレスをもう一度選び直したい』って、夜遅くにラインがあって……。これまでも装花や席次表、進行まで、決まったと思った翌日にはすべて白紙に戻るんです。一生懸命お答えしてきたつもりなんですけど、振り回されているようで、私の心がもう折れそうです」
彼女は小さく肩を震わせ、デスクに視線を落とした。連日の夜遅くまでの対応で、彼女の目元には隠しきれない疲労が滲んでいる。
「私、担当者として失格でしょうか。ご新婦様が、最近はなんだかわがままで、苦手になりそうで……、そんな自分が嫌なんです」
時間と焦りに追われる姿。
それは、今から25年前のブライダル業界に飛び込んだばかりの、私自身の姿そのものだった。
「かしこまりました。ヘアメイク担当に確認いたします」
そう答えて電話を切ったあと、私は思わずオフィスの天井を見上げて、小さくため息をついた。
結婚式まで、あと2週間。
「写真を見たら、メイクが気に入らないなんて。リハーサルまでしたのに、どういうこと?」
その少し前にも「テーブルのお花をやっぱり変更したい」と言われたばかりだった。
当時の私は、ブライダルプロデューサーとして経験も浅く、心に全く余裕がなかった。
だから、正直に言う。私はそのご新婦様が苦手だった。
振り返れば、最初からそうだった。
式場探しの段階で、彼女は3週間で7会場と3つのブライダルフェアを巡った。
お隣で「このあたりで決めようよ」と優しく宥めるご新郎様の言葉にも耳を貸さない。そんなお客様は初めてだった。
会場が決まってからも、終わりなき変更の嵐。
招待状の文面、ウエディングドレス、テーブル装花、引出物、進行……。
電話が鳴るたび、22時を過ぎてメールが届くたび、私の心は少しずつ削られ、焦りだけが積もっていった。
「どうして、こんなに決められないのだろう……。私はなぜ、こんなに振り回されるのだろう?」
そんな限界に近い状態で迎えた、最終打ち合わせの日。
確認事項も終盤に差し掛かった頃、突然、彼女が俯いて黙り込んだ。
ぽたり、とテーブルに大粒の涙が落ちた。
「何か、不満があったのだろうか?」
と身構える私に、彼女は震える声で、胸の奥に隠していた重い蓋を開けた。
「本当は、ずっと怖かったんです。私の両親は離婚しているから、自分が幸せな家庭を作れる自信がなくて。もし失敗したらどうしよう、同じことになったらどうしようって。結婚式が終わったら、本当に結婚しちゃうんだと思ったら、急に怖くて、何度も確認してしまいました」
その瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。
私は彼女の「変更」という表面的な言動ばかりを見て、「もう! いい加減にして。どこまでわがままなんだろう」といつも心の中で毒づいていた。
でも、本当は違った。
彼女は迷っていたのではない、怯えていたのだ。
結婚式が怖かったのではない。
その向こう側にある、何十年という「結婚生活」という未知の人生に、足がすくんでいたのだ。
私は「なんてひどいことを考えていたんだろう」と情けなくなった。
私たちが向き合っているのは、たった一日のイベントではない。ご新郎・ご新婦様の「人生そのもの」なのだと、初めて思い知った。
そんな昔のことを思い出しながら、目の前の新人プランナーに向き直った。
「そのご新婦様は、あなたを困らせたくて変更を繰り返しているわけじゃないと思うよ」
私は温かい紅茶を彼女の前に置き、優しく微笑みかけた。
彼女はカップを両手で持ち上げ、ゆっくりと顔を上げ、私の言葉にじっと耳を傾ける。
「人はね、本当に大切な決断をするとき、不安が大きいほどどんどん臆病になるものじゃないかな。ご新婦様にとって、その不安をまっすぐにぶつけてもあなたは『見捨てないでいてくれる場所』なんだと思う。
ご新婦様の言葉を聞くのではなく、その奥にある心を聴いてみて。要望を見るのではなく、その裏にある不安を包み込んであげること。それが、私たちブライダル業界にいる者の、本当に大切な役目だよ。大丈夫、これまでの頑張りは、必ずご新婦様に届いているから。最後まで一緒に伴走しよう」
私の言葉に、彼女の瞳から張り詰めていた涙がぽろぽろと溢れ出した。
けれど、その表情はさっきまでの絶望ではなく、ほんの少しだけ温かい光を取り戻していた。
「はい! 私、もう一度しっかり向き合ってきます」
と力強く頷く彼女の背中を、私はそっと見送った。
25年前の私のご新婦様の、結婚式当日。
あの最終打ち合わせの日を境に、私たちの関係は変わった。
私が彼女の不安に寄り添い、共に歩むと決めてから、彼女の表情からは少しずつ刺が消えていった。
会場はたくさんの笑顔と祝福に包まれていた。
彼女は、息をのむほどに美しく凛としていて、あの不安そうな表情はどこにもない。
結びに、ご親族やゲストの前で、彼女はご両親への感謝の手紙を読みながら、何度も涙を流した。確かに、複雑で不完全な家庭環境だったかもしれない。
けれど、そこにあった愛もまた本物だったのだと、彼女自身が受け入れた瞬間だった。
お開き後、着替えを終えた彼女が私の元へやってきた。
目を真っ赤に腫らしながら、心からの満面の笑みを浮かべて。
「ありがとうございました」
その一言に続けられた言葉を、私は一生忘れない。
「最後まで見捨てないで、私の不安に付き合ってくれて、本当にありがとうございました。私は主人と、ちゃんと幸せになります」
胸がいっぱいになり、言葉が出なかった。ただ、彼女の手を強く握り返すことしかできなかった。
ご新婦様は、私を困らせるために現れたのではない。
プロのウエディングプランナーとして、そして一人の人間として、一番大切なことを教えるために現れてくれた人。
むしろ、私が成長していくために、必要な人だったのだ。
あの時の私は、ご新婦様に振り回され「最悪なお客様」だと思い込んでいた。でも、本当は違った。そんなひどいことを思った私の方が、よっぽど最低だったのだ。
「はい! 私、もう一度しっかり向き合ってきます」
そう言って部屋を出ていった、さっきの新人プランナーの背中を、もう一度思い出す。
かつての私がご新婦様に育てられたように、今度は彼女が、あのお客様に育てられる番なのだ。
そして私は今、経営者として、多くのスタッフの成長を見守る立場にいる。
言葉の裏側にある本音をキャッチし、聴き取り、すべてのお客様の人生とスタッフをこの手で守り、決断し、導いていく。
あの26年前の怒涛のような日々は、私を「今の私」に成長させてくれるための、避けては通れない一つの試練であり、ギフトだったのだ。
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