阪神ファンの次世代育成
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:みちよ(ライティングゼミ名古屋会場)
4月。新しい職場に転勤した。
わたしは新しい職場では、自己紹介の中で「阪神タイガースのファンです」と言うことにしている。
私の住む名古屋は、中日ドラゴンズの本拠地だ。
何も言わなければ、中日ファンだと思われる。
無用のいさかいを避けるため、あえて表明している。
その表明に反応した人がいた。課長だ。
「負けても平気な阪神ファン?」
と聞く。
とっさに何を確かめたいのか察して、
「もちろんです。負けるのがデフォルトだと思っています」
と返す。
すると課長は満足げに、「そう」と言った。
2023年、日本一に輝いた阪神タイガースは、いまや強いチームというイメージで語られる。
この職場に異動した2025年4月も、優勝候補と目されていた。
しかし、阪神タイガースには「暗黒時代」と呼ばれる時期がある。
1985年の優勝の翌年は3位、その翌年は最下位。
さらに1987年から2001年までの15年間、Bクラスが常態化し、
最下位は実に10回にのぼる。
昔ながらの阪神ファンは、この時代を耐えてきている。
課長は、わたしが「にわか」なのか、
それとも、この暗黒時代を知るファンなのかを、確かめたかったのだ。
この時代に阪神に鍛えられた私は、
「負けを楽しむ」こともお手のものだ。
たとえ「10対0」で負けようとも、
「あの選手のゴロの捕り方が最高だったね」
「8回に登板したルーキー、打たれたけどカーブが良かったよね」
と、いいところを見つける。
また、試合途中まで、「13対0」で勝っていようとも、
勝ちのムードに浸ることはない。
「信じちゃだめだ。これから逆転されるかもしれないのが阪神だ」
と、万が一に備える。
そうしておけば、逆転されたときのメンタルダメージも少なくて済む。
「ダメな子ほどかわいい」
そんな言葉が浮かぶくらい、三振しても、エラーしても、ぼこぼこに打たれても、
「あかんやっちゃなあ」の一言で、翌日もまたテレビの前に座ってしまう。
そして今日も、スポーツ新聞の見出しが、どんなダジャレで飾られるのかを楽しみにしてしまう。
勝っている阪神、強い阪神を見ていると、どこかくすぐったいような、一抹の戸惑いが拭いきれない。
本当かな、現実かな、と疑う気持ちが、私の野球脳にどっしりと染みついているのだ。
そうは言っても、勝利はやはり楽しい。
2023年の優勝は、9歳の娘とともに大いに騒いだ。
娘にとって、物心がつき、初めて野球にどっぷり浸かった年が、日本一の年だった。
そんな娘を、課長は心配する。
「娘ちゃん、負けても大丈夫? 阪神、嫌いにならない?」
――負けへの耐性が弱いのではないか、という心配だ。
娘は、2023年のシーズンオフ、日本一の試合を扱ったスポーツニュースの特集を録画したものを、毎日見続けていた。
大げさではなく、本当に毎日だ。
だからこそ、課長の言いたいことが、私にはよくわかった。
強いのが当たり前だと思ってはいけない。
その発想自体が、暗黒時代を知る阪神ファンのものだということを、
私も課長も、わかっているが、抗えない。
娘が本当の暗黒時代を体験したとき、
彼女がそれに耐えられるのかは、まだわからない。
何しろ、あの時期は異常だった。
わたしや課長の性格の形成にも、一役買っていると思えるほどに。
「『阪神ファン』は、宗教だから」
と課長は、ときどき言う。
その意味が、わたしにはよくわかる。
「最悪の状況でもいいところを探す」
「どんなに良い状況でも最後まで勝利を確信しない」
「逆境を自虐に変える」
そんな“教義”は、いつのまにか私生活にまで染みこんでいる。
意識してそうしているのではない。
まるで信仰のように、自然とそう振る舞ってしまうのだ。
脳の奥にまで、染みついている。
そんなわたしたちと娘は、同じではない。きっと。
そんな中、阪神タイガースはその年の交流戦で大きく負け越した。
「ああ、もう面白くない」
と、娘は毎日のように言う。
それでもゲームセットまでテレビを切らない。
お風呂に入るのも遅くなり、寝る時間も削られながら、試合を見続ける。
――案外、根性があるな。
わたしは、そんな娘を横目に見ていた。
時々、娘と一緒に球場にも足を運ぶ。
トラの耳のカチューシャにユニフォーム、手にはメガホン。
立ち上がって、選手の応援歌を歌う。
得点が入れば、周りのファンたちとハイタッチを交わす。
お祭りのように騒いで、ライブのように一体になって。
そのとき、ある選手が交代で守備に入るのを見た娘が言った。
「えーと、あの選手、最近は内野が多かったけど、今季はこれまでに2試合、外野を守ってるよ。盗塁も3つきめてる。」
……え?
その瞬間、周りのファンたちが、一斉にこちらを見た。
隣のおじさんが、思わず声をかけてくる。
「あの……おじょうちゃん、なんでそんなに詳しいの?」
娘は、おじさんたちの注目を集め、得意げににんまりと笑っている。
どうやら彼女は、データを頭に入れることで楽しんでいるらしい。
そんな楽しみ方もあるのか。
わたしは、昔ながらの阪神ファンとして、
少しだけ驚きながら、そして、頼もしく思った。
そして、そんな新入りの小さなファンをみんなで愛でてくれる仲間たちのことも、頼もしく思った。
次の日。
出勤したわたしは、課長に
「大丈夫そうです、いい阪神ファンになります、きっと」
と告げた。
課長は、
「そうか。娘ちゃんが欲しい応援グッズ、一つ買ってあげるから。
欲しいのに付箋貼ってきて」と、
ファンクラブの会報を私に手渡しながら、力強く頷いた。
こんな風にして、阪神ファンは次世代を育成している。
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