ゼミ

答えは、当たり前の中に《週刊READING LIFE Vol.371「日本人の心 」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:藤原 宏輝(READING LIFE編LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「いつ来ても外国人が多いよねぇ、タクシーに乗れるのかしら? この行列……。お店の予約に間に合わなかったら、どうしようかしら」

とご新婦様は不安そうに呟いた。

今週も祇園祭は終わったというのに、京都駅は外国人だらけだった。

 

夏の京都。

清水寺へ向かう道も、二年坂も、ねねの道も、人、人、人。

その中でもひときわ目につくのが、外国人観光客だった。

着物を着て、楽しそうに歩く人。スマートフォンを高く掲げ、写真を撮る人。

鳥居の前で立ち止まり、何度もシャッターを切る人。

 

「京都に来た」という喜びは、確かに全身から伝わってくる。

 

日本人にとっては見慣れた風景でも、彼らにとっては、何もかもが新鮮なのだろう。

古い町並み、石畳、神社やお寺、着物、抹茶など。

日本らしいものを見つけるたびに、あちこちで嬉しそうに写真を撮っている。

そんな姿を見ていると、「日本を楽しんでくれているんだな」と、こちらまで嬉しくなった。

日本が選ばれている。

京都が、日本を代表する観光地として世界中の人たちに愛されている。

それは、とても喜ばしいことだ。

 

けれど……。

しばらく歩いていると、少しずつ気になることが目につく。

「立入禁止」と書かれている場所に入って写真を撮っている人。

道端に置きっぱなしになっている飲み物のカップ、そのまま捨てられたゴミ。

「えっ……」

思わず、足が止まった。もちろん、すべての外国人観光客がそうだという話ではない。日本人だって、マナーを守らない人はいる。

 

どこの国にも、いろいろな人がいる。

だから「外国人はマナーが悪い」と言いたいわけではない。

ただ、何とも言えない違和感が残った。

「どうして、ここに入ってはいけないと書いてあるのに、入るのだろう?」

「どうして、自分が飲んだものを、そのまま置いていけるのだろう?」

そんな疑問が、脳裏に浮かんだ。

 

そして、ふと気づいた。

もしかすると、私たち日本人にとっての「当たり前」は、世界の「当たり前」ではないのかもしれない。

ゴミは持ち帰るし、立入禁止なら入らない。大声を出したり、道を塞いだりと人に迷惑をかけない。

「順番はきちんと守りなさい、人さまに迷惑をかけちゃダメよ」

子どもの頃から、何度となく言われてきた。

けれど、それが‘日本人の文化です’と説明された記憶はない。

 

ただ「そうするもの」だと思っていた。

それが、当たり前だった。

京都の街を歩きながら、私はその「当たり前」という言葉が、急に気になり始めた。

 

「遅れて、ごめんなさい」

やっとの思いでタクシーに乗る事が出来た私たちは、予約時間に2分遅れた。

人の家に入るときは「おじゃまします」と言う。

お店に入る時も、時間に遅れたことを詫び

「今日は楽しみにしていました、よろしくお願いします」

女将にご挨拶をし、席に案内して頂いた。

何かをしてもらえば「ありがとう」と言う。

お食事の前には、当たり前のように「いただきます」

食事が終われば「美味しく頂きました、ごちそうさまでした」

 

考えてみれば、私たちは毎日の暮らしの中で、ずいぶんたくさんのことを身につけてきた。

でも、それらを一つひとつ「これは日本人の文化ですよ」と教えられてきたわけではない。

親がしていた、先生が教えてくれた、祖父母がやっていた、周りの大人たちが当たり前にそうしていた。

だから、私たちもそうした。そして、それを次の世代へ渡してきた。

 

「ゴミを持って帰りなさい」

「人さまに迷惑をかけちゃいけない」

「ちゃんとご挨拶しなさい」

「ありがとう。を心から相手に伝えなさい」

子どもの頃は、面倒だと思ったこともある。なぜ、そこまで言われなければいけないのか。

けれど、大人になった今なら少し分かる。そこには、単なるルール以上のものがあった。

ゴミを持ち帰るのは、次にその場所を使う人のため。

列に並ぶのは、後ろにいる人の順番を奪わないため。

ご挨拶をするのは、目の前にいる人を敬い尊重するため。

「ありがとう」と言うのは、相手から受け取ったものを、ちゃんと心で受け止めるため。

 

つまり、その行動の先には、いつも「誰か」がいる。

自分だけではない、自分の後ろにいる人、自分の隣にいる人。

これから、その場所を使う人。

まだ会ったこともない誰か、その人のことを、ほんの少し想像する。

 

そして「このままでは、誰かが嫌な思いをするかもしれない」と思う。

だから、自分の行動を少し変える。それは、とても小さなことだ。

けれど、その小さなことの積み重ねが、社会を心地よくしている。

私は、京都でマナーの悪い外国人観光客を見たことで、初めてそのことを強く意識した。

私たちが「当たり前」と思っていることの中には、実は、長い年月をかけて受け継がれてきた「誰かを思う心」が隠れているのではないだろうか。

 

「お料理が美味しいだけでなくて、とってもきれいでしたね」

とお食事会が終わり、ご新婦様が楽しそうに言った。

日本人は「きれい」という言葉が好きだ。

きれいな景色、お着物、お花、お部屋。そして、きれいな街並み。

子どもの頃から「きれいにしておきなさい」

と言われて育ってきた。

部屋を片づける、使ったものは元に戻す、ゴミは捨てる。

汚したら、きれいにする。

 

でもなぜ? 

私たちは「きれい」を、そんなに大切にしてきたのだろう。

もちろん、汚いよりきれいなほうが気持ちいい。

けれど、日本人の「きれい」は、それだけではないような気がする。

 

神社の境内を掃除する、店先を掃く、玄関を整える、庭を手入れするなど。そこには、

「自分が気持ちよくなるため」だけではない何かがある。

そこを訪れる人が、気持ちよく過ごせるように。

次に使う人が、気持ちよく使えるように。

誰かが来る前に、誰かのために整えておく。

そう考えると「きれいにする」という行為の向こう側には、いつも「誰か」がいる。

 

私は、そこに日本人の心の一つがあるように思う。

自分さえよければいい、ではなく「次の人のために」という感覚だ。

この感覚は、言葉にすると簡単だ。

でも、実際に行動するには、ほんの少し想像力が必要になる。

この椅子が乱れていたら、座りにくいかもしれない。

この場所が汚れていたら、せっかく訪れた人が残念に思うかもしれない。

自分ではない誰かの気持ちを想像する。その想像力が「きれい」という形になって表れているのではないだろうか。

「きれい」は、単なる美的感覚ではなく「あなたが気持ちよく過ごせますように」

という、言葉にならない思いがある。

そう考えると、ずっと幼い昔から、祖母に「心を形にすること」を教えられてきたのかもしれない。

 

そうして私は、ブライダルの仕事を通して、たくさんのお客様の所作を見てきた。

結婚式という特別な一日では、普段なら気にならないような小さな動きまで、人の目に入る。

 

お食事会の午後からは、前取り撮影。

「こんな高いヒールで、うまく歩けません」

ご新婦様が不安そうに呟く。

慣れないドレスと高いヒールに戸惑いながらも、一歩一歩、裾を踏まないように丁寧に歩こうとされるそのお姿。

立ち方、お辞儀のしかた、物の渡し方、椅子への座り方。そして、人への接し方。

普段は何気なく行っている一つひとつの動作に人は「相手をどう思っているか」を込めている。

不思議なことに、心を込めて丁寧に動こうとするお姿は、ご新婦様の人柄そのものを美しく見せてくれる。

「撮影、なかなか進みませんねー、暑いし。外国人ばっかだし……」

ご新郎様が汗を拭きながら、ぼやいていた。

どれほど高価なものを身につけていても、人への接し方が雑だと、どこか寂しく見える。

けれど文句を言いながらも、歩きづらそうなご新婦様の腕をそっと支え、歩調を合わせている。歩き方や立ち方、人への接し方。

そういえば以前。

プロトコールの先生から「所作には、その人の過去も未来も表れるのよ」

と教えていただいた事があるが、まさにその通りだと思う。

所作とは、ただきれいな動作のことではない。

その人が相手をどう、考えているのか? 周囲をどう、見ているのか? 自分を、どう扱っているのか?

そうしたものが、知らず知らずのうちに表れる。でも、本質はもっとシンプルだ。

人を大切にする心。

その心を、ふるまいという「形」にすること。たとえば、

「ありがとうございます」

と言いながら、相手の目を見る。誰かが話しているときは、最後まで耳を傾ける。

後ろから人が来ていたら、ドアを少し長く開けておく。狭い道では、ほんの少し自分がよける。誰かが困っていたら、声をかける。

どれも、大げさなことではない。

でも、そこには、「あなたを大切にしています」というメッセージがある。

 

結婚式には、たくさんの「形」がある。

新郎新婦がお辞儀をする、両親へ感謝を伝える、ゲストに料理を振る舞う、引出物を用意する、席を整える、手紙を書く。一つひとつを見れば、儀式に見える。

でも、その「形」の中には、

「今まで、ありがとう」

「今日は、来てくれてありがとう」

「これからも、よろしくお願いします」

という、言葉にならない思いが込められている。

すべては、目に見えない心を、相手に届けるための「形」なのだ。

「ご新郎・ご新婦様、ご披露宴の当日きちんと出来るかしら?」

とふと思った。

 

そして、もう一つ。

日本人の心を考えるとき「まごころ」という言葉を思い出す。

「思いやり」という言葉よりも、もう一歩深いところにある気がするからだ。

「こうしたほうが、この人は嬉しいだろう」と思ったから、そうする。

ただ、それだけ。それが「まごころ」なのだろう。ほんの数秒、ほんの一言。でも、その小さな行動によって、誰かの心が少し温かくなる。

そして、まごころは、人から人へ伝わっていく。

自分が誰かから優しくしてもらったから、今度は自分が誰かに優しくする。

自分が助けてもらったから、今度は困っている人を助ける。

自分が大切にしてもらったから、誰かを大切にする。

 

愛を受け、感謝を知り、恩で結ぶ。

そんな「感謝のリレー」が、ずっと続いてきたのではないだろうか。

それは、日本人だけのものではない。

人間が人間らしく生きるために、大切なものなのだと思う。

 

ただ、日本には、その心を日常の小さな「形」にして受け継いできた文化がある。

「いただきます」「ごちそうさまでした」「ありがとう」「すみません」そして、

「お先にどうぞ」。

どれも小さな言葉と小さな動作だ、その小ささの中に深いものがある。

 

京都でたくさんの外国人観光客を見たことから始まった、私の小さな疑問。

「どうして、分からないのだろう」と思っていた。

けれど、考えていくうちに、少しずつ違うことが見えてきた。

文化が違う、育った環境が違う「当たり前」が違う。

だから、知らないことがあるのは当然なのだ。

日本人だから、すべてを知っているわけではないし、いつも正しく振る舞えるわけでもない。

私だって失敗するし、余裕がなくなれば、人に優しくできない日もある。だから、

「日本人の心とは、こういうものです」

と胸を張って語ることは、できないのだと思う。

むしろ私自身が、日々‘日本人の心’を思い出さなければならないのだと思う。

 

そうして、夕方。やっと、撮影は終わった。

お食事会に始まり、前取り撮影まで終えた、蒸し暑くて長い1日だった……。

その後、少しだけ街を歩く。

古い町並み、石畳、神社、お寺。

そこを行き交うたくさんの人。

外国人観光客も、日本人観光客も、この街で暮らす人も、働いている人もいる。

それぞれが、それぞれの目的で歩いている。

そんな中で、誰かが落としたゴミを拾う人がいる。

後ろの人のために、ドアを押さえている人がいる。

道を譲る人がいる。

店員さんに「ありがとう」と声をかける人がいる。

食事を終えて「ごちそうさまでした」と言って店を出る人がいる。

その小さな行動によって、誰かの心が少しだけ温かくなる。

私は、それでいいのだと思う。

 

日本人の心とは、もしかすると、そんなに難しいものではない。

ありがとうを、忘れない。自分が受け取ったものを、次の人へ渡す。

そして、誰も見ていなくても、自分が大切だと思うことをする。

それだけなのかもしれない。

 

東京オリンピックの誘致の頃。

「おもてなし」という言葉が、世界中に知られるようになった。

けれど、本当のおもてなしは、特別なサービスのことではなくて、相手を思う心が、自然に行動となって表れること。

それが「まごころ」決して古いものではなく、時代が変わっても、暮らし方が変わっても、テクノロジーがどれほど進んでも、人が人と生きていく限り必要なもの。

だから私は、これからも大切にしたい。

日本人だからではなく、人として。そして、誰かと一緒に生きていくために。

 

京都で外国人観光客を見たことから始まった、小さな違和感。

「どうして分からないのだろう」と思った。

でも、今なら少し違う言葉を選ぶ。

「私たちは、どうしてそうしてきたのだろう」と。

私たちが「当たり前」だと思っていた、その一つひとつ。そこには、先人たちから受け取った、たくさんの思いやりが詰まっていたのだ。

当たり前だと思っているものを、当たり前のまま終わらせない。

なぜ、そうするのかを知る。

その心を受け取る。

それが、文化を守るということなのかもしれない。

もしかすると……。

日本人の心とは、こんなものなのかもしれない。

誰かのために、ほんの少しだけ自分の行動を変えること。

その小さな「まごころ」を、今日から明日へ、明日から未来へ渡していくこと。

当たり前だと思っていた、その一つひとつの中に。私たちは、ちゃんと日本人の心を受け継いできたのだから。

 

 

【終わり】

 

❒ライタープロフィール

藤原宏輝(ふじわら こうき)『READING LIFE 編集部 ライターズ俱楽部』

愛知県名古屋市在住、岐阜県出身。ブライダル・プロデュース業に25年以上携わり、2200組以上の花婿花嫁さんの人生のスタートに関わりました。思い立ったら世界中どこまでも行き、知らない事はどんどん知ってみたい。好奇心旺盛で、即行動をする。

何があっても、今を全力で生きる。切り替えが早く、とにかく前向き。

これまでのブライダル業務の経験を活かして、次の世代に、未来に何を繋げていけるのか? 

といつも模索しています。2024年より天狼院で学び、日々の出来事から書く事に真摯に向き合い、楽しみながら精進しております。

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