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それは、尊敬の裏返しだと感じた《週刊READING LIFE vol.377「フリー」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:山田THX将治(天狼院・ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)

 

「話が違いますよ」

 

と、元メジャー(MLB)リーガーで、ボストン・レッドソックス在籍中にワールドシリーズで勝利した経験が在る上原浩治氏は述べた。

相応しくないものだが、これは追悼の言葉だ。

 

追悼されたのは、今年9月9日に亡く為ったと後日報道された張本勲氏だ。

多分、上原氏は、厳しくとも優しかった張本氏の死を、そう謂う言葉でしか表現出来なかったのだろう。

かく謂う私も、上原氏と同じ感想を持って仕舞って居た。

 

 

張本勲氏のことを、現在の多くの日本人は、

 

「喝!!」

 

と、言いながら怒ってばかりの頑固爺と思って居るだろう。

 

然しだ。

張本氏の現役時代を知っている多くの老人(私を含めて)は、日本プロ野球(NPB)史に数々の記録を残した、偉大な選手であったと記憶していることだろう。

何しろ、NPB史上唯一の通算三千本安打の達成者なのだ。唯一無二なのだ。

他方で、ホームランバッターの象徴でもある通算500本塁打と、俊足選手を示す通算300盗塁の両方に名を連ねている選手は、張本勲氏のみなのだ。

即ち、NPB史上に於いてパワーとスピードを兼ね備えた選手は、張本氏を置いて他に無いと断言出来るのだ。

 

 

王貞治氏と同い歳・同学年の張本勲氏は、高校在学中既に、

 

『東の王、西の張本』

 

と、呼ばれる逸材だったそうだ。

両氏がNPB入りした年に生まれた私は知る由も無いが、当時は大層世間に騒がれたそうだ。

 

私に物心が付き、野球をテレビ観戦する頃に為ると、毎夏のオールスターゲームが楽しみだった。

何しろ、連日の新聞でその活躍や、パリーグ打撃十傑の常に上位にいる張本勲選手の姿を観ることが出来るのは、オールスター戦だけだったからだ。

当時(昭和40年代前半)、テレビの野球中継と謂えば王選手が居る巨人の試合ばかりだった。パリーグの東映フライヤーズに所属していた張本選手は、新聞の記録でしか確認出来なかったのだ。

然も、悪いことにフライヤーズは、張本選手の活躍が有ってもチームの成績が振るわず、中継がある日本シリーズに出て来られる様なチームでは無かったのだ。

必然的に、動いている張本選手の映像は、オールスター戦に限られて居たのだ。

 

オールスター戦での張本選手は、主にパリーグの二番打者として登場した。強打だけでなく、俊足を認められて居た証拠だ。

現代で例えるなら、ドジャースの大谷翔平選手が、打者として打線の上位(1・2番)を任されて居るのと同じと謂えよう。

 

或る年のオールスター戦、初回のパリーグの攻撃で、先頭打者がセリーグの先発(中日ドラゴンズの小川健太郎投手)四球を選び出塁する。

次打者の張本選手は、その初球にバット一閃すると、ライトスタンド中段へライナーで運ぶホームランを放った。

見たことも無い張本氏のバットスイングに、私は度肝を抜かれた。

当時は、王選手を代表とする、投球に向かって上からバットを振り下ろすダウンスイングばかりだった。

ところが、投球に向かって横の軌道でバットを合わせる張本選手のレベルスイングは、非常に珍しかったのだ。同時に、バットのヘッドが目にも止まらない速度で走るスイングだったので、相当の腕力が有るものと思われたのだ。

小学生だった私は、思わず、

 

「うゎー! MLBのバッターみたいだ」

 

と、感心したものだ。

丁度、現代の子供が、大谷選手のバッティングを観た時の驚きと一緒だと思う。

 

 

実は、張本勲氏と同世代の方から若い頃の張本選手が、とんでもなく大きな身体をしていて、その上、物凄い足の速さがあることを伺った。

 

その方(女性)は当時、東映動画と謂うアニメーション制作会社に勤務されていた。会社が在ったのは、先達て閉館された東京・銀座の東映会館だ。

同じ建物に、フラーヤーズの事務所が在った。

昭和の時代は、NPB選手でも給与は現金支給で、しかも手渡しだった。

依って、フラーヤーズの看板選手であった張本勲選手も、月に一回は球団事務所に出向き、給与を受け取って居たそうだ。

或る時、知り合いの女性がエレベーターで昇ろうとしていたら、建物が面した外堀通りに停まったタクシーから、

 

「一寸、待ってくれー!」

 

と、大きな声で呼び止められた。

すると、タクシーから飛び降りて来た大男が、脱兎の如くエレベーターに乗り込んで来たそうだ。

その声の大きさ(外野から声を出すのだから当然)、大きな身体(張本選手は大型選手の部類)、そしてアッと謂う間にタクシーからガードレールを飛び越え、エレベーターに乗り込んで来たスピードに、驚いたと謂うか身が竦む思いがしたそうだ。

後刻、事務所で給料を受け取った張本選手は、たまたま廊下で見掛けた例の女性に、

 

「さっきは有難う! 懐が暖かく為ったから、これから呑みに行こうか」

 

と、冗談紛れに、分厚い札束を押し込んだ上着の内ポケットを叩いて見せたそうだ。

 

どれもこれも、真の昭和な光景であることは間違いない。

 

 

張本勲氏は、在日韓国人二世として広島で生を受け、5歳の時の被爆もしていた。

NPBの現役引退後初めて、被爆者手帳所持者であることを告白し、体調が悪く為ると(原爆の)後遺症を疑ったと語っていた。

戦中・戦後は、激しい差別にも晒されていた。

 

又、4歳の時に右手に大火傷を負い、右手薬指と小指(バッティングでは極めて重要)の自由が効かなかったことも、引退後に告白した。

 

自らの負い目を、決して言い訳にしない、古風な昭和男子を地で行って居た様だ。

 

後年、出生に関しては、韓国プロ野球発足と発展に陰ながら尽力し、両親の祖国への感謝とした。

張本氏自身は、後に日本へ帰化している。

 

右手に関しては、目立たない様心掛けていたが、或る時、NPBの先輩である川上哲治氏に見られた際に、

 

「御前! こんな手で野球をしていたのか!! さぞかし辛かったろうに」

 

と、労われたそうだ。

張本氏はその言葉に、

 

「他人に言えない努力をしてきて佳かった」

 

と、心が洗われる思いだったそうだ。

 

 

張本勲選手の現役時代や、引退直後を知らない方達に張本氏は、日曜朝の情報テレビ番組のスポーツコーナーで、怠慢プレーに対し、

 

「喝だ!!」

 

と、怒っている昭和の御爺さんの代表と思われている。

更に、頭ごなしにMLBを否定するNPB擁護派と思われている。

然し私は、その双方共、否定したい。

 

先ず、“喝!”に関してだが、

“喝!”を日曜朝の情報番組で言い始めたのは張本勲氏では無いのだ。

“喝!”を言い始めたのは、‘親分’こと大沢啓二氏だ。若い方々には、タレントの大沢あかねさんの祖父と謂った方が、御解かり頂けることだろう。

いつも“喝!”と叫び怒り捲る大沢氏に対し張本氏は、同じく“喝!”と発言することも有ったが、佳いプレーに対して、

 

「これは、見事だ! “天晴れ!”だ」

 

と、褒めて居たものだ。

依って、張本勲氏を正確に記すと、“喝!”の元祖ではなく“天晴れ!”の元祖なのだ。

 

張本氏は、頑固な一面は有ったものの、若い選手の必死なプレーに対しては、誰よりも褒め称える好々爺でも在った。

 

 

MLBに対してもそうだ。

張本氏は或るインタビューで、もし現役時代にMLBに誘われたらと問われて、間髪を入れず、

 

「明日にでも行きますよ!」

 

と、答えていた。

理由としては、何十倍もの給与が貰えるだろうからとのことだ。

 

唯、NPBに恩義を感じている張本氏からすると、NPBの有力選手が次々とMLBへ流出することが、何よりも心配だったのだろう。NPBの未来に対して。

 

こんなことも有った。

今年に入り、キャンプ中だった村上宗隆選手(シカゴ・ホワイトソックス)の映像を観て張本氏は、

 

「相当(ホームランを)撃つでしょうねぇ」

 

と、その力強いバットスイングを褒め称えた。

その一方で、

 

「しかし、アメリカのパワーに対抗して居るのが心配」

 

とも、語っていた。

 

何でも、踏み出す右足の爪先が上がっていることが心配とのことだった。

そのことに触れ、

 

「パワーを出そうと足を突っ張って居ます。だから爪先が上がるのです。そうすると、膝に余裕が無く為ります。いつか、脚を傷めるかも知れません」

 

と、心配して居たのだ。

案の定、村上選手は今シーズン中に右足の筋肉を傷め、30試合もの欠場を余儀なくされたのだ。

 

張本氏は、単にMLBを無視するのではなく、海を渡って行った日本人選手のことを、確りと見守って居たのだ。

 

 

冒頭の相応しくない追悼の言葉を発した上原浩治氏とは、例の情報番組絡みで特に親交が深かった。

現に、張本氏が情報番組のレギュラーを降りると、後任の白羽の矢が立ったのは、他でもない上原浩治氏だったのだから。

 

上原氏が“話が違う”と言ったのは、毎年夏に行われる、ビール会社主催のOB親睦野球でのことだ。

親睦試合のことなので、毎年御決まりの筋書きが存在する。

大ベテラン、今回は張本氏に対して、関りが深いOBが対戦すると謂うものだ。

張本氏に対して投球するのは、上原氏の役目だ。

病み上がりで足取りが覚束無い張本氏は、それでも現役時代ソックリの構えで打席に立って居た。

上原氏は、張本氏にぶつけまいと外角へ大きく外した投球をした。

張本氏は一球バットを構えただけで、申告敬遠が告げられた。これが、御決まりだ。

 

翌日曜日、例の情報番組で上原氏と特別ゲストで登場した張本氏が顔を合わせた。張本氏は、

 

「今年は病み上がりで、全く練習出来ませんでした。来年は練習して置きますので、ストライクが来たら必ず撃ち返します」

 

と、言ってその場を和ませた。

上原氏も、

 

「来年は、必ずストライクを投げます」

 

と、約束した。

 

そう。

張本氏は上原氏に対して、来年夏の対戦を約束した訳だ。

寂しさ紛れに上原氏が、“話が違う”と吐くのは尤もなことなのだ。

 

 

しかし、ここに至る迄の張本勲氏と上原浩治氏の間柄は、特別なものだった。

 

先ず、張本氏に対して唯一“喝!”を放ったのは上原氏なのだ。

それは未だ、上原選手がMLBに在籍中のことだ。シーズンオフの帰国中、例の情報番組に出演した上原選手は、開口一番、

 

「初めに、張本さんに“喝!”を入れて下さい」

 

と、言い放った。

何でも、MLBを馬鹿にし過ぎて居るとのことだった。

一応演技で、反論した張本氏だったが、スポーツコーナーの最後には、

 

「今度来る時は、チャンピオンリングを見せてくれ」

 

と、依頼する程だった。

 

ここには一つ、上原氏特有の拘りが有る。

日本には、ワールドチャンピオンになった選手が他にも居る。その誰もが、事有る時にチャンピオンリングをテレビで見せてくれている。

どれもが、とても高価な物だ。

 

が然し、上原浩治氏は唯の一度もチャンピオンリングを公開して居ないのだ。

或る時、どうしてもと謂うことでリングを見せなければならない状況と為った。

遂に公開かと楽しみにしていたが、上原氏が持って来たのは同じリングでも同年のリーグチャンピオン・リングだった。

上原氏は、

 

「チャンピオンリングは、飾って置く物(トロフィーの様に)なので持ち出すものでは無いのです」

「今日は特別に、リーグチャンピオンのリングを持って来ました」

「そして、これが(と、手を見せ)外に嵌めて出る用のリングです」

「本当のワールドチャンピオン・リングは、家に飾ってあります」

 

と、答えた。

 

 

その時私は、

 

「これは多分、本物のワールドチャンピオン・リングを、張本氏には見せたのかも知れない」

 

と、感じた。

そう、二人の仲なので、病床の張本氏に見舞いとして見せたのだろう。

もしかすると、張本氏の指に嵌めて差し上げたかも知れない。

 

多分そうだろう。

 

張本氏は、上原氏に今生の、

 

「“天晴れだ!”」

 

と、送っただろう。

 

 

多分、間違いない。

 

 

張本勲氏を、最も尊敬し敬愛して居たのは、上原浩治氏だったのだから。

 

 

《終わり》

 

 

〈著者プロフィール〉

山田THX将治(天狼院・新ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役・事業再生コンサルタント

幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数18,000余

映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を50年に亘り務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る

これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿

ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている

本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ、謂わば「50の手習い」

映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載

続けて、1970年の大阪万国博覧会の想い出を綴る『2025〈関西万博〉に伝えたい1970〈大阪万博〉』を連載

加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する

更に、“天狼院・解放区”制度の下、『天狼院・落語部』の発展形である『書店落語』席亭を務めている

天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeason Champion

 

 

 

 

 

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