医療と狩りと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:天野将明(26 年 9 月ライティングゼミ withAI)
医師として働き始めて、今年で3年目になる。
医療の世界に身を置くようになってから、医療系のニュースは自然と目に留まるようになった。新しい治療法や医療技術の話題はもちろん、医療事故や医療訴訟のニュースもその一つだ。
先日も、ある医師が不起訴になったというニュースを見た。詳しく読んでいくと、検察審査会が出したコメントに思わず息をのんだ。
「医師はささいなミスも許されない重責を担っていることを自覚してほしい」
医師という職業の責任の重さを説いた言葉なのだろう。命を預かる仕事である以上、その責任を自覚し、慎重に医療行為を行うのは当然のことだと思う。
ただ、その言葉を何度か頭の中で繰り返しているうちに、ある違和感が残った。
「ささいなミスも許されない」。
この言葉は、医療者にどう受け止められるのだろうか。もちろん、医療のミスが患者さんの命やその後の人生に大きな影響を与えることはある。だからこそ、ミスを減らす努力は欠かせない。しかし、人間が行うことである以上、どれだけ注意を払い、知識や技術を磨いても、失敗を完全になくすことはできないのではないか。
そう考えていると、ふと、以前見た動物のドキュメンタリーを思い出した。
年に何回か、ふと動物のドキュメンタリーを見て過ごすことがある。テレビでたまたま流れていて何気なく見始めることもあれば、動画サイトで自分から探しに行くこともある。
なかでも、高画質のカメラで映し出される野生動物の狩りの映像には、いつも強く引き込まれる。普段、人間社会で暮らしていると、動物たちがどうやって生き延びているのか、意識することはあまりない。しかし映像を通して彼らの世界をのぞいてみると、そこには私たちが想像する以上に厳しい現実が広がっている。
草食動物も肉食動物も、狩りでは失敗が許されない。
草食動物は、捕食者の気配に気づくのが少しでも遅れれば、命を落とす。群れの中で一瞬判断を誤ったり、逃げる方向を間違えたりすることが、そのまま生死を分けることもある。
一方、肉食動物も、狩りに失敗すれば食糧を失うだけでは済まない。狩りに使った体力を消耗し、次の獲物を追う力を失うこともある。場合によっては、獲物から反撃を受け、命の危険にさらされることもある。
肉食動物が草食動物に反撃される様子は、人によっては滑稽に映るかもしれない。強者と弱者が逆転する瞬間を、下剋上のような痛快さとして楽しむ人もいるだろう。
しかし、少なくとも私は、そうした映像を見ると背筋が凍る思いがする。
そこには、「次はうまくいくかもしれない」という余地がほとんどない。失敗すれば、次の機会が与えられるとは限らない。反省して、やり方を変えて、もう一度挑戦する。そんな、人間にとっては当たり前に思える営みが、野生の世界では必ずしも許されていないのだ。
その点、人間は失敗を糧にして成長できる生き物であり、地球上の生物の中でも特別な存在なのではないだろうか。
もちろん、人間もまた、失敗によって取り返しのつかない結果を招くことがある。誰かを傷つけてしまうこともあれば、失ったものを二度と取り戻せないこともある。それでも人間には、失敗した経験を覚えておき、原因を考え、次の行動を変える力がある。
失敗は成功のもと、とはよく言ったもので、科学や技術の進歩は数々の失敗の積み重ねの上に成り立っている。ある実験がうまくいかなかったからこそ、別の方法が試される。ある製品に不具合が見つかったからこそ、次の製品では改善が加えられる。失敗は単なる損失ではなく、未来の成功に向けた情報にもなり得る。
テレビやYouTubeのバラエティー番組を見ると、お笑い芸人が自分の失敗談を披露して、周りの人たちを大笑いさせていることがある。本人にとっては当時、決して笑えなかった出来事だったかもしれない。しかし時間が経ち、それを言葉にして誰かと共有することで、失敗は人を笑わせるものにさえ変わる。
居酒屋に行って他の人たちの会話に耳を傾けてみても、似たようなやり取りが聞こえてくるかもしれない。「あのとき、こんなことをしてしまってさ」と誰かが過去の失敗を語り、それを聞いた人が笑い、あるいは「自分も似たようなことがあった」と話を広げていく。
失敗は、ときに人と人との距離を縮める。失敗した経験があるからこそ、他人の苦労や不器用さにも共感できる。完璧ではないからこそ、誰かと笑い合うことができる。
私は、失敗を糧に変えられることこそが、人間の大きな強みだと感じている。
だからこそ、人間はここまで進化を遂げ、今もなお発展し続けられているのではないだろうか。もし、あらゆる失敗がすぐに淘汰され、二度目の挑戦が一切許されない世界だったなら、私たちの社会はこれほど複雑で豊かなものにはなっていなかったかもしれない。
そう考えると、先ほどの医療訴訟のニュースが、再び頭に浮かんでくる。
もちろん、医療は命を預かる仕事である。「失敗してもいいじゃないか」と無責任に主張することは、道義に反すると感じる。患者さんやそのご家族にとって、医療者のミスは決して簡単に受け入れられるものではない。医療者自身も、その事実を軽く考えてはいけないと思う。
しかし、「ささいなミスも許されない」という言葉が医療者に繰り返し投げかけられることで、どこか常に銃口を突きつけられているような感覚に陥ることもある。
小さなヒューマンエラーでさえ、すぐに糾弾されるのではないか。自分が何気なく行った判断が、後になって誰かの人生を左右することになるのではないか。そう想像すると、心の中に広がる暗雲は、一生晴れないのではないかとさえ感じる。
そして、もし医療者が「失敗してはいけない」という恐怖に強く縛られてしまったら、それは患者さんにとって望ましい医療につながるのだろうか。
失敗を恐れるあまり、挑戦を避ける。判断に迷っても、責任を負うのを恐れて行動をためらう。あるいは、起きてしまった失敗を正直に共有するよりも、非難を避けるために隠そうとしてしまう。
もちろん、これは医療に限った話ではない。失敗への過度な恐怖は、どんな組織や社会においても、学習や改善を妨げる可能性がある。
だからこそ、医療に求められるのは、ただ「ミスをなくせ」と叫び続けることだけではないと思う。ミスを減らすための仕組みを整えること。個人の注意力だけに頼らず、チームやシステム全体で安全を守ること。そして、起きてしまった失敗から学び、同じことを繰り返さないための環境をつくること。
それは、失敗を容認することとは違う。失敗による被害を軽く見ることでもない。
むしろ、失敗が起こり得ることを前提にするからこそ、失敗を減らす努力ができる。失敗を隠さずに向き合うからこそ、次の失敗を防ぐことができる。そうした姿勢こそが、医療をより安全なものへと近づけていくのではないだろうか。
野生動物の世界では、失敗は命に直結する。しかし人間の世界では、失敗を記録し、共有し、改善へとつなげることができる。
医療行為は狩りと同じで、失敗が許されない。
それは、本当に進歩と言えるのだろうか。
それとも、失敗を許さないという言葉の裏側で、私たちは人間が本来持っている「失敗から学ぶ力」まで、失いかけているのだろうか。
《終わり》
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