コーヒーとは旅である
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:那須健史(26 年 9 月ライティングゼミ withAI)
二十年以上前の冬、札幌の円山にいた。
特に冷え込みが激しい吹雪の日だった。
外気温はマイナス十度ほどの寒さの中を歩いていた。
空気というより、冷たい刃のようなものが頬に刺さるような感覚。
手袋をしていても、指先の感覚がなくなっていく。吐く息は真っ白だ。
そんな中、小さな灯りを見つけた。
通りの奥に、古民家の小さなコーヒー店。
「あった、暖をとらなきゃ」
少しほっとした。
吸い寄せられるように、その灯りへ向かった。
店に入っても、身体はまだ冷えきったままだった。
小さなデミタスカップに、真っ黒な深煎りのコーヒーが注がれる。
一口飲んだ。
「苦っ、苦い、苦い」
思わず、そう言いそうになった。
苦い。とにかく苦い。そして、味がとてつもなく濃かった。
それなのに、不思議だった。
苦いのに、くどくない。
真っ黒なのに、澄んでいる。
濃いのに、まとわりつかない。
まるで、琥珀色の濃厚な味のコンソメスープのようだった。
「なんだ、これは」
こんなコーヒーは初めてだった。
もう一口飲んだ。
やっぱり苦い。でも、また飲みたくなる。
身体の奥まで染み渡っていくようだった。
飲み終える頃には、冷えきっていた身体も少し緩み、指先にも感覚が戻ってきた。
それ以降、濃いコーヒーの中毒患者になってしまい、その味を求めて札幌へ通うようになった。
すっかり気に入った私は、あるとき、その店で焙煎した豆を買って帰った。
当時住んでいた神奈川の自宅でも、あの味を飲みたかった。
コーヒーメーカーに豆とミネラルウォーターをセットした。
これで、家でもあのコーヒーが飲める。
ちょっと嬉しかった。
出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、一口飲んだ。
「あれ?全然違う」
ただ、苦いだけだった。
札幌で感じた、あの澄んだ苦さはどこにもない。
コーヒーメーカーが悪いのかもしれない。
今度はペーパードリップで淹れてみた。
動画で淹れ方を見て、見よう見まねで湯をゆっくり注いだ。
豆の挽き方を変え、湯の温度も測った。
淹れたてのコーヒーを飲んでみる。
やっぱり違う。
同じ店で焙煎した、同じ豆なのに。
だんだん意地になってきた。
水なのか。気温なのか。湿度なのか。
答えの出ないまま月日がただ経過していった。
その頃、所用で頻繁に沖縄へ行く機会があった。
沖縄で入ったコーヒー専門店で出てきたのは、札幌とはまるで違う味だった。
浅煎りで、酸味が強い。フルーティーで、苦さは弱い。
「うーん」
正直に言えば、私の好みではない。
私はやっぱり、苦いコーヒーが好きなのだ。
ところが、酸味の強いコーヒーは、沖縄で飲んでいると妙に身体に入ってくる。
暑い中を歩いた後でも、するすると喉を通る。
「あれ、これはこれでいいな」
札幌で飲んだ、身体の芯にどっしり入ってくるような深煎りとは正反対だった。
札幌では、あれほど美味しかった。
沖縄では、こちらの方が飲みやすい。
ふと思いついた。
そのとき、北海道のコーヒー店のドリップバッグを持ってきていた。
あれを、ここで淹れたらどうなるんだろう。
ちょっと試してみたくなった。
ホテルの室内で、お湯を沸かした。
ドリップバッグをカップに掛ける。少しずつ湯を注ぐ。
見慣れた真っ黒なコーヒーが、カップに落ちていく。
北海道のコーヒーを、沖縄の水で淹れる。
一口飲んだ。
「まずい」
とても飲めた代物ではなかった。
思わずカップを置いた。
札幌では、苦いのに澄んでいた。
沖縄では、苦くてくどい。
同じコーヒーなのに。
水なのか。気温なのか。湿度なのか。
それとも、飲んでいる私の身体の方が違うのか。
私には、いまだによく分からない。
その後、長野県の軽井沢へよく通うようになった。
軽井沢の朝晩は冷える。外へ出て息を吸うと、冷たい森の空気が鼻の奥まで入ってくる。夏でも朝晩は涼しい。
軽井沢の焙煎コーヒー店で深煎りのコーヒーを飲んだ。
「あ、美味しい」
濃い。苦い。それなのに、すっと身体に入ってくる。
札幌で初めてあのコーヒーを飲んだときの感覚を思い出した。
なんだか、少し嬉しかった。
後になって、軽井沢は札幌と気候が似ていると言われることがあると知った。
だから深煎りが美味しいのか。
そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
すっかり気に入り、今では、軽井沢のコーヒーのドリップバッグを自宅に常備している。
そして旅に出るときには、何袋か鞄に入れる。
ホテルに着いたら、その土地の水で淹れてみる。
一口飲む。
「おっ」と思うこともある。
「うーん」と首をかしげることもある。
コーヒーは、豆だけで飲んでいるわけではないらしい。
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