コミュ障はコミュ障と言われるからコミュ障になるのだ《川代ノート》
記事:川代紗生(天狼院スタッフ)
小学生の頃、私はクラス内カーストの最底辺にいた。
おとなしく、運動神経が悪く、暗い。いつも教室の隅で、ノートに絵を描いている。そんな子供を想像してほしい。周りに人間が集まってくるはずがない。
いわゆる「オタク」というやつだったんだろうと思う。周りからすれば。子供という生き物は、残酷である。子供は、ドッジボールをするでもなく、教室の中でおとなしくしている人間にたいし、純粋な軽蔑を抱く。
カースト最底辺の私たちにたいし、はじめのうち、ただ近寄らないだけだったクラスメイトたちは、徐々に「いじる」という行為をするようになった。
面白がって、こう言うのだ。
「真面目だね」と。
真面目だね、と言うその言葉に、侮蔑の色がはらまれていたのを、私は幼いながらに、感じ取っていた。
あの子たちは、真面目だから。
真面目だから、私たちとは違う、という視線を、無視できるほど、私は鈍感ではなかった。
「あー、だめだって、この人、コミュ障だから」
社会人になってすぐの頃だったろうか、忘れたけれど、とある飲み会に行ったとき、そんなことを言われて、ふと、小学生の頃の記憶が、鮮明に蘇ってきた。
私は、人と話すのが得意ではない。
ものすごい人見知りで、はじめて会う人と話すときは緊張で喉がカラカラになるし、何を話していいかわからなくなる。話題を必死で探して、頭の中をフル回転させる。その人がどんなにいい人だとわかっていても、緊張を止めることができない。手にじわりと汗をかくし、気持ち悪くて仕方がない。
大勢の飲み会なんかは本当に苦手で、しかも、そのときはどうしてか、私のことを知っている人がほとんどいない状況で飲み会に参加するはめになってしまった。
私以外は、全員知り合い。
いわゆる、アウェイ、というやつだろうか。
その場にいる15人くらいの人たちの、「誰だろう」という視線を浴びた瞬間に、私の脳みそはフリーズしてしまった。
頭が、動かない。
とにかく、動かないのだ。
動かなくて、何をしゃべったらいいのかわからなくなるのだ。
社会人経験をある程度積んだ最近は、はじめての人とも楽しく話せる余裕も出てきたけれど、大学生の頃とか、社会人になりたての頃は、本当に何も話せなかった。
とにかく、その飲み会に行って、席についた瞬間、こう言われたのだ。
「ああ、この人、コミュ障だから、優しくしてあげて」
コミュ、しょう。
頭の中で、そのフレーズを繰り返した。
コミュニケーション障害。
若者言葉の一つとでも言えばいいのだろうか、つまり、コミュニケーションが苦手な人を、いじるときによく使う。
よく、大学やサークルの友達が「俺ってすげーコミュ障だからさ〜」などと、自虐的に使ってウケを狙っているところを見かけたことはあるけれど、自分自身がそう言われたのは、はじめてだった。
そうか、私は、コミュ障だったのか。
そう言われた瞬間、ぶわっと、小学生の頃、カースト最底辺にいて、クラスメイトみんなのあざ笑うような、あの目線を浴びたことを思い出した。
それは、私が友達どうしで、漫画雑誌を作った時のことだった。
少女漫画が好きで、大のりぼんっ子で、そして、自分でも漫画家を目指していた私は、自分で漫画を描いて、それを一冊の本にまとめて図書館に置いてもらっていた。
今でいう、「同人誌」のようなものだろうか。
そのときは同人誌なんて言葉もちろん知らなくて、ただ純粋に、漫画が好きで、漫画家になりたくて、友達同士で漫画を描きあい、読み合って「好き」という気持ちを共有したかった。それだけだった。ただ楽しい、という思いでやっていた。
けれども、私たちが漫画を描く、という行為は、からかいの対象だった。
なんだよ、あいつら。漫画なんか描いちゃって。
うわ、いやだー、オタクっていうんだよ、ああいうの。
真面目だねえ。
真面目だね。
さきちゃんは、真面目だから。
川代さんは、いつも真面目で、優等生で、よく先生の話をきいてくれて……。
それはオブラートに包まれた言葉だった。けれども私は、「真面目」というその言葉の裏に、前に出られない人間を、友達がいない人間を、孤独な人間を、見下しあざわらう感情があったことを、11歳の頭で、きちんと認識していた。
「私たち、漫画を創刊しました!」
ただ、好きだと思ったから。
私が楽しいと思ったから。
みんなでつくったのが、とても面白かったから。
誰を傷つけることもない、純粋無垢な思いを、もっと色々な人に知ってもらいたくて、クラスメイトの前で発表した。
そのときにクラス全体に広がった、クスクス、という笑い声。
こそこそと目配せしあい、私たちに聞こえるか聞こえないかの声で、悪口を言う、カースト最上位の女子たち。
ニヤニヤしながら、ネタにする、男子たち。
私は、あのとき、教室の前に立ったときの、あの光景が、今でも忘れることができない。15年近く経った、いまも。
「この人、コミュ障だから」
そう言われた瞬間に、子供の頃感じた恐怖心が、蘇ってきた。ものすごく鮮明に。
ああ、私、バカにされてる。
私、ネタにされてる。
そう気づいた瞬間、私は私のことを「コミュ障」だとしか思えなくなる。自分は本当にコミュニケーションに障害があって、自分のことをちゃんと話せるような人間ではないんじゃないかと思えてくる。
もともと人見知りだった私の喉は、どんどんカラカラになって、ひたすらにアルコールを飲んで、やり過ごす。
しだいに、もう、コミュ障としていじられるなら、コミュ障でいいんじゃないかと、思えてくる。
だって、「コミュ障じゃないし」と不機嫌になったら、それこそ、「コミュ障」認定されるような、空気の読めない言動じゃないかと、頭のなかで制限がかかってしまうからだ。
とはいえ、今思えば、その人もきっと、私を仲間に入れるためにわざといじってくれたのだろう。
けっして、嫌なタイプの人ではなかった。
悪気がある人ではなかった。
でも、私はこう思うのだ。
人は、人格は、他者からの言葉によってつくられると。
本当は、その人本来の人格や、性格なんかなくて、生まれつき「コミュ障」な人なんか存在しなくて、「コミュ障」と言われるから人は、コミュ障になっていくんじゃないかと、そう思うのだ。
私たちは日々、周りからの評価を受けている。
そしてその評価から、しらずしらずのうちに、影響を受けている。
良くも悪くも、「思い込み」によって、人間は作られる。
評価される自分と、本当の自分とのあいだに乖離があると、気持ちが悪いから、徐々に、その言葉に合わせるようになる。
そうやって、「自分」が沈んでいく。「個」が、沈んでいく。
本来なりたい自分ではなく、周りから「お前はこうだ」と言われる人間に、近づいていく。
「真面目だね」と言われ続けることに耐えられなくなった12歳のある日、私は、漫画家になるという夢を捨てた。
周りからの評価で、自分の夢を、未来を、諦めた人間が、この世の中にどれだけいるのだろうか。
ただ、好きだと思う表現の道を、「オタク」だとか、「真面目」だとか、「コミュ障」だとか、それだけの言葉によって、遮られた人間が、この社会に、どれだけいるのだろうか。
けれども、私は、そうやって私に言葉をあびせてきた人たちを、せめる資格はない。
なぜなら、私もまた、しらずしらずのうちに、他者を評価し、傷つけているかもしれないからだ。
私たちは、常に、他者からの、社会からの、評価の中で生きている。
本来なりたい自分として生き続けるのは、たやすいことではない。
ただ、私たちにできるのは、私たちは本来、他者からの評価に左右される必要はない、ということと、私たちは、無意識のうちに、この世のあらゆるものの「評論家」になってしまっているということを、自覚することだけだ。
夜、寝る前。
目をとじると、浮かんでくる光景がある。
小学校の教室。
ホームルーム。
木の机のにおい。
そして、子供たちの残酷な、嘲笑の視線。
恐怖を感じて、私は今でもときどき、眠れなくなる。
そのたびに、思うのだ。念じるのだ。よく、言い聞かせるのだ。
私自身もまた、あのせせら笑う群衆の一部にいるという事実を、忘れないように、と。
❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」木曜コース講師、川代が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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