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週刊READING LIFE vol.244

同時通訳のスキルに汎用性はあるのか?《週刊READING LIFE Vol.244》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/12/18/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「今日の『チコちゃんに叱られる!』は見ましたか?」
 
と聞かれたのはつい先日のこと。
 
長年、私は通訳という仕事をしている。そのことを知っている方がちょうどオンラインで会う機会があったので、番組で同時通訳が取り上げられたということを教えてくださったのだ。
 
実際、「通訳」という職業は知らない人はあまりいないかもしれないが、はっきりいって裏方の裏方。表に出ることは極めてめずらしい、といえる。重要で大切な役割を果たしているという自負は、ある。でも、あくまで間に立つ仲介役としての側面が強く、通訳者が目立つことは本意ではない。というか、どちらかといえば目立ってはいけない。
 
あくまで「黒子」の存在なのだ。
 
その証拠にどの現場に行っても名前で呼ばれることより、「通訳さん」と話しかけられることの方がうんと多い。
 
おまけに「語学のプロフェッショナル」としてへたに知られているため、
 
「めちゃくちゃ英語勉強してないとできないんでしょう?」
 
と妙に尊敬のまなざしを受けることもある。
 
でも通訳者本人は知っている。
 
英語力がある程度必要なのは間違いないとはいえ、通訳者として一番大切なのはそこではないのだ。必要不可欠なスキルは日ごろから誰でも使っている力だといったら、どう思われるだろうか?
 
「そんな訳ないでしょ?」
 
と思うなら、その日の『チコちゃんに叱られる!』を後から見た私の見解を聞いてみて欲しい。
 
効率のよいワーキングメモリの使い方
 
まず、通訳者に大切なスキルのひとつ目は、「ワーキングメモリ」だ。
 
番組での質問は「同時通訳って何でできるの?」だった。『チコちゃん』ではいつもストレートな回答が一文で提示される。それは
 
「頭の中に入ってきた情報をあっという間に消しちゃうから」
 
というものだった。
 
そもそも人間にはワーキングメモリというものがあり、その数はあらかじめ決まっている。努力すれば増える、というものではなく、通訳者でも他のどんな人でも違いはない。
 
そんなに容量が大きい訳でもないので、たとえば英語がどんどんと次から次へ流れてjくると、最初に来た単語はどんどんワーキングメモリの領域から押し出されてしまうことになる。
 
だから、押し出される前に同時通訳者はその部分まで訳を出してしまい、すぐにそれを忘れて次に出てくる英文に備え続ける、というのだ。確かに保持できる容量には限界がある。別に通訳者は瞬間記憶能力者のような特殊能力の持ち主ではない。すべてを記憶に止めておくのは無理だ。
 
そこで、次の段階が出てくる。
 
熟練の通訳者なら、ワーキングメモリのスロットひとつに単語が1つなどではなく、もっとたくさんの単語を入れることができる。そのおかげでより自然な日本語に訳すことが可能だというのだ。
 
ご存じの通り、英語と日本語では語順がまったく異なっている。
 
“Do you know a good method to study English efficiently in Japan?”
 
という英文があったとしよう。
 
最初の「単語ひとつひとつ訳していったら忘れる方式」でいくと、
 
「あなたは知っていますか、よい方法を、英語を勉強するために、効率よく日本で?」
 
となる。文がブツ切れでとても自然な日本語とはいえない。
 
しかし、意味のかたまりをまとめて扱うことができるなら、
 
「いい方法知らない? 英語を効率よく日本で勉強するには?」
 
どうだろう?
少し自然な感じになったと思っていただけるだろうか。
 
これにより、ワーキングスペース的には同じ量の英文を入れても、まだ次の文を入れるゆとりが出ることになる。
 
イメージ化の威力
 
面白いのはこの次の段階だ。
 
もっと熟練の通訳者なら、英文の意味するところをイメージとしてとらえ、文章全体を映像化している、という。必須スキルのふたつ目だ。
 
例えば、
 
「日本地図の上にどや顔で立ち、英語をペラペラしゃべっている人」
 
みたいな映像が文章を聞いただけで頭の中に浮かび、そのイメージはワーキングメモリのスペースをスロットひとつ分しか消費しない、ということになる。
 
そんなバカな?! と思っただろうか?
でも実は普段から私たちは「普通に」言語のイメージ化は行っている。日常の会話などまさにそんなことだらけだ。
 
例えば、友だちから「明日カレー食べに行こうよ」と誘われたとしよう。そのとき、あなたはけっして一言一句その会話で何をいっていたか、覚えている訳ではないだろう。きっと、頭の中にはいつもその友人と食べに行くカレーのお店のイメージや、そのカレーの映像そのものが浮かんでいるのではないだろうか?
 
それこそ、言語のイメージ化といえる。
通訳者が元の発言を聞いてやっていることも原理的にはこれと変わらない。ただ、それが外国語だったり、母国語だったりするだけだ。
 
もしそれが、カレーでなく未知の料理だったりしたら、とたんにそのイメージ化のプロセスが解像度を失ってしまう。それが英語だと「単語を知らないので意味が分からない」という状態に似ていると思われる。日本語だろうが、英語だろうが、知らないものはそもそも想像できないのだ。
 
私がまだ通訳学校に通って修行していた頃、
 
「情景が絵に描けるように訳しなさい」
 
と講師の先生がよくいっていたことを思い出す。通訳とは言葉を「文字通り」変換していく作業ではなく、聞いたことをイメージとして自らの脳内に投射し、そのイメージを反対言語で再現する作業だ、といえる。人からよく
 
「通訳者の方はどっちの言語で考えているんですか?」
 
と聞かれることがある。私の答えは以前から
 
「どちらでもない、言語に依拠しない何か」
 
という回答だった。というか、そうとしか答えようがなかったのだ。今回の『チコちゃんに叱られる!』を見て、それが正しかったと確認することができた。
 
通訳者のスキルは汎用スキル?
 
さて、このように同時通訳者は、「ワーキングメモリ」と「イメージ化」を効果的に使って同時通訳を行っている、といえる。
 
ではまず「ワーキングメモリ」とは何だろうか?
 
「ワーキングメモリとは簡単にいえば、一時的に情報を脳に保持し、同時に処理する能力」
 
と『ワーキングメモリを鍛える「ながら」脳トレ』(秦有樹、幻冬舎)で紹介されている。同時通訳では主に情報の処理を扱うところとして説明したが、本書では
 
「覚えたことを使って問題を解決したり、変化に対応したりする流動性知能と関係している」
 
とされている。つまり、日常や仕事で行う作業や会話などすべての行動に関係している機能なのだ。
 
ワーキングメモリはよく、作業デスクに例えられる。何らかの作業を行うときに使うスペース、といったイメージだ。ここが整理整頓されているか、それとも散らかっているか、ということは作業の効率にかなり影響する。
 
そしてこのスペースの状態は常に同じという訳ではない。もし、心に気がかりがあり、集中できない状態だとしたら、それはデスクが汚れていたり、物が積み上がっていたりするせいでスムーズに作業ができない、ということになる。
 
メンタル的な側面だけではない。たとえば過度の疲労や睡眠不足などフィジカルな側面でももし問題を抱えていれば、作業を効率よく行うための障害になってしまう。
 
ワーキングメモリは「作業記憶」と訳されることもある。人間が他者とコミュニケーションを取りながら生きていく上で不可欠なもの、ということもできるだろう。
 
次に、イメージ力はどういう働きをしているのだろうか?
 
先ほど日常会話の例でも説明した通り、日本語、英語問わず、総合的な理解力、内容を把握する力に大きく関係している。そして、言語情報は主に左脳で扱われるが、映像情報を扱うのは右脳である。
 
つまり、イメージ化された言語情報は映像情報として右脳の処理対象になる。さらに右脳は情報処理のスピードが左脳より速い。人の話している内容、本に書いてあることなどを素早く理解しようと思ったら、やはり右脳の映像情報処理能力を使わない手はない。
 
右脳は
 
「非言語の情報をいろいろな要素から直感的に取り入れて処理する」働きがあり、
 
左脳は
 
「言語化された情報―――いわばデジタル化された情報を処理する」脳
 
である。(『一生成長する大人脳』加藤俊徳、2023、扶桑社より)
 
情報をイメージ化して映像といて扱えば、直感的にすみやかに処理することができる訳だ。
 
同時通訳、という極限に時間の制限のある環境下ではイメージ化なしには情報の圧縮ができない。ルームランナーの上で歩いている時に速度を上げ過ぎると、脚が前に出なくなって転んでしまうことは想像できるだろう。同じようにネイティブの速い英語についていけなくなるのも、知らない単語や発音のせいで細部に目が行ってしまい、全体のイメージ化ができないから起こる現象であるともいえるだろう。
 
物事を迅速に理解するには、言語のイメージ化は欠かせない。
 
さらに日常で理解したことを自分の言葉で「言語化」することは、必要とされるスキルではないだろうか。通訳だとそれが反対言語ということになるが、それ以外の面では仕事や生活で必要なスキルだ。
 
右脳で「イメージ化」、左脳で「言語化」、そして言語化したものを受けてさらにイメージ化、そして言語化、とまるで無限ループのように続くのが、人と人のコミュニケーションではないか、と私は思う。
 
脳を鍛える
 
同時通訳で必要不可欠なスキル、ワーキングメモリを効率よく使うこと、それとイメージ化することが、別に通訳をする訳ではない人でも重要かつ必要なスキルであることは分かっていただけただろうか?
 
通訳は英語という違う言語を扱うという見かけのせいで、「難しそう」という印象だけをもたれることが多いが、実はやっていることを分解すると通訳ではない人にもカギとなるスキルが核となっている。
 
では、通訳ではない一般の人がワーキングメモリを効率よく使い、右脳を活用してイメージ化を行うにはどうしたらよいのだろうか?
 
「ハイ、では同時通訳のトレーニングをしてみましょう」
 
というのではブーイングの嵐だと思うので、ここでは脳を鍛える、という面から考えてみたい。
 
ワーキングメモリについては、『チコちゃん』でも放送されていた通り、鍛えても増える訳ではない。どちらかといえば使えるようにメンテナンスしておく、という方が合っているかもしれない。ご紹介した『「ながら」脳トレ』のような本を参考に自分の脳の使い方を見直してみるのもよい方法だろう。
 
イメージ化は常日頃から聞いたことを連想して情報を映像化するようにしてみてはどうだろうか。記憶法にも単純な言語情報を力技で覚えるより、イメージ化して関連付けを行った方がずっと覚えやすい、というものが多い。
 
実は私は昔から人の名前と顔を覚えるのが苦手だった。でも覚える時になんとなくイメージで動物に例えたり、その動物が何をしていそうか、という連想をしたりするようになってずいぶん覚えやすくなったという経験がある。いろいろと工夫してみるといいだろう。
 
脳の神経細胞は使うところは太く強く成長するが、使わないとどんどん細くなって、しまいには使えない道にまでなってしまうらしい。身体の筋肉も使わないところは衰えてしまうのとまったく同じだ。
 
「筋肉は裏切らない」というのがNHKの『筋肉体操』では合い言葉になっているが、ここはひとつ続けて「脳細胞も裏切らない」をスローガンにしてみてはどうだろう?
 
そうすればいつまでも若々しく、意欲的に人生を過ごせそうだ。
 
同時通訳、という仕事を以前はただ淡々と続けてきた。特殊技能で汎用性はないものと思っていたが、こうしてみると脳科学的にも大変つぶしの利くスキルの複合体といえそうだ。
 
まだまだこれからの人生、楽しめそうな予感がプンプンするようで、とても楽しみだ。気付かせてくれた『チコちゃんに叱られる!』には、御礼をいいたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2023-12-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.244

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