週刊READING LIFE vol.248

2024年1月に起こった大きな出来事《週刊READING LIFE Vol.248》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2024/2/6/公開
記事:油井貴代子(READING LIFE編集部ライティングX)
 
 
ふぅ……
中島は車の中で電子タバコをくわえ、一息ついた。
 
今日は正月である。2024年という新しい年を迎え、中島は嫁の実家の集まりに加わっていた。「今年もよろしくお願いします!」親戚一同が挨拶を交わし、たくさんのごちそうがテーブルの上に並んでいた。中島は隣に座った一人息子の面倒を見ながら、食事をとる。
「ほら、これも食べて」
「遠慮せずにもっとたくさん食べてくれないと残って困るじゃない」
そういう義両親や親戚の言葉に応え、いつも以上にたくさん食べておなかがはちきれんばかりだ。正月らしい賑やかな一年の始まりを迎えていた。
少し食べすぎたこともあり、「タバコを吸ってきます」とその場から一旦離れ車に移動した。
親戚の集まりは居心地の悪さはないけれど、やはり多少は気を遣ってしまう。電子タバコを吸いながら、ふぅと大きな息をついた。
 
その時である。
気持ちの悪いアラーム音がスマートフォンから鳴り響く。緊急地震速報である。
「え?地震?どこだ?」
慌ててスマートフォンを探り、それが石川県能登半島であることを知った。
震度7、それがどれほど大変な事態であるか、中島は過去の経験からよくわかっていた。
 
中島は災害支援NPO法人の代表理事である。
災害発生直後から被災地に入り、技術的な側面から被災地の支援活動を行なっている。東日本大震災で初めてボランティア活動を行なって以来、毎年のように起きる災害に対応しながら多くの経験を積み上げてきた。
石川県能登半島沖地震が起きたのはこれが初めてではない。ここ何年かの間に何度も能登半島では地震が発生しているのだが、特に令和5年に起きた能登半島沖地震では石川県珠洲市で屋根対応の活動を行なった。その珠洲市が震度7だという。
 
「あの地区の方々は大丈夫だろうか?」
さっきまでの正月気分がどこかに飛んでしまい、中島の頭の中はどんどん研ぎ澄まされた静けさが広がり、そして活発に動き始める。と同時にスマートフォンからメッセージの着信音が止まることなく響き始めた。
ここ何年もの災害の間にたくさんの仲間ができた。皆同じ方向を向き同じように被災者に寄り添いながら、自分たちの得意分野で活動する頼もしい仲間たちである。みな能登のことを心配していた。
そして大津波警報が発令された。東日本大震災で見たあの光景が頭の中をよぎる。「どうかみな無事であってほしい」そう願いながら、中島は祝いの席から離れた。
 
自宅に戻り、ニュース画面を見ながら仲間たちと情報を集める。いつどのような行動をとるか、既にこんな準備をしている、ニュースの様子ではまた重機が必要になるな、現地から来てくれと言われている、うちは今から会議を招集だ、などと様々な情報が飛び交う中で、同時にスタッフとも今後の対応についてやり取りを交わす。忙しくスマートフォンを操作しながら、中島は翌2日に石川に向けて出発することに決めた。
ちょうどその頃、去年支援に入った地区の区長と連絡が取れた。取るものもとりあえず、大津波に備えて高台にある施設に避難したという。停電の中、寒さに震えながら200名ほどがその施設に集まっていた。
「こっちはなんとか命は助かったから。危ないから来なくても大丈夫だから」
電話の向こうでそう話す区長の声に緊迫感は隠せない。やはり行くべきだ、そう判断し他中島は出発に向けて行動を開始した。まず避難者の命を守るために必要な水や食料を大量に購入した。
 
次の日、事務所には正月休みにもかかわらずスタッフや支援者が集まり、出発の準備を手伝った。飲み水や食料、マスクや消毒液などの衛生用品や日用品、そして灯油やガソリンなど初期の避難生活に必要と思われる物資が提供され、大きな車いっぱいに詰め込まれた。
「気を付けてね」「いってらっしゃい!」
そんな声を後に、中島は石川県珠洲市に向けて出発した。
 
石川県に入り震源地に近づくにつれ通れない道が増えてきた。土砂崩れや道の断裂など危険な道が続く。穴水市まできて通行止めのため山道に迂回させられてしまった。すでに夜、電灯の無い暗闇の中、車のヘッドライトだけが頼りだ。
「だめだ、これはやばい」
今まで感じたことの無い危険を感じ、中島は車を停めた。自分の命は守らなければならない。はやる気持ちを抑え、暗闇の山の中でそのまま朝を迎えるまでじっと待つことにした。
ちょうど少しは仮眠が取れる。そう思ったものの何度も襲い来る大きな余震に、あまり眠ることはできなかった。
 
朝になり、珠洲市に向けて再び車を走らせる。明るくなり周りの状況が見えたことで、自分が動かなかったことが正しかったと確信した。珠洲市は震源地である。近づけば近づくほど、被害は大きくなっていった。ぐしゃぐしゃと押しつぶされた家、かろうじて建っているが一階が斜めに歪んでいる家、大きく傾いた家、既に原形をとどめていないものなど、道沿いに被害のあった家が続く。家が倒れ道をふさいでいるものもあった。何度も行っては引き返しながら、地震の大きさを思い知る。熊本地震よりひどいかもしれない、これは長くかかりそうだ、目の前に次々と現れる光景に言葉を失いながら慎重に車を走らせ続けた。
あの地区までもう少し。ところがもう少しのところからなんとも進むことができない。多くの道が土砂崩れのために遮られていたのだ。
行っては引き返しを繰り返しこれが最後の道、これでたどり着けなければ歩いていくしかないな。
祈るように最後の道を進む。目の前に施設が見え、みんなが大喜びしながら飛び出してきた。
「やっと着いた……」積んできた荷物を運び出す住民を見ながら、しかしほっとする間もなく、中島は大勢の避難者を守るために次にするべきことを考えていた……

 

 

 

「無事に到着しました!」
中島からの電話を受け、私はほっとしていた。彼のご家族も心配しているだろう。あちこちに無事の到着を連絡し、被災地の状況をSNSで発信する。中島が入った地区は能登半島の一番先端にある地区で、珠洲市の中でも孤立地区とされていた場所である。海沿いにいくつかの集落がありその周辺もまた、土砂崩れなどで道がふさがれ孤立していた。
大規模災害のため電気や水道も止まっており、電波も非常に不安定であったためなかなか連絡も取れない状態であった。
 
私は中島の元で事務局を担当している。
SNSで到着を発信したことで、取材の申し込みや支援の申し出、自分も活動に参加したいという希望など、多くの声が集まってきていた。またニュースから流れる映像に、この地震の大きさを知り寄付を申し出てくれる方も大勢いた。それを取りまとめることが役目だ。いわゆる後方支援である。
 
たくさんのメールの中に、被災地に住む家族を助けて欲しいというものがあった。
中島の向かった集落の隣の地区に向かってほしい、物資がなにも届かず困っているとのこと。
ご家族にしてみれば、警察にも消防にも市役所にも連絡をしたのだろうが、街中から離れた地区ということもあり、藁をもすがる思いで助けを求めているに違いない。それほど状況は悪く、市全体が大きな被害を被っていることは簡単に想像することができた。
だが、その孤立地区で中島はたった一人で奮闘している。スタッフも向かっているがまだ到着しておらず、被災地に入った仲間は輪島市など周辺の市部でそれぞれ活動を開始していた。
メールのご家族の気持ちを考えると、心臓を握りつぶされそうになりながら返事を打つ。
申し訳ありません、今は行けません……
一体どんな気持ちでその返事を受け取ったのだろう。私は泣きながら、次のメールの返事を打っていた。
 
またこんな依頼もあった。
中島がいる避難所の親戚と電話がつながらない。親戚の一人が家屋の下敷きになって救出を待っていると聞いている。一体どうなったのか連絡が取れず心配している。
結局この方は助け出せずに亡くなったとのこと。私は言葉を選びながら返事を打った。
 
私が中島と出会ったのは熊本地震の活動中である。団体の運営を手伝ってほしいと言われ、2018年の大阪北部地震以降、団体の運営を担ってきた。
団体の運営は初めてであったが試行錯誤しながら私自身も経験を積み、中島というフィルターを通して被災地の現状を見続けてきた。毎年のように大きな災害が発生し、その旅に被災地に向かう中島を頼もしく見送りながら、彼が最大限に力を発揮できるようにバックアップを続けてきたつもりである。
事務方の仕事をしながら時々は被災地に赴くこともある。実際に自分の目で見て肌で体感することの大切さを知っているからだ。ニュースで切り取られるのはほんの一部分であり、実際に見る被災地は暑さや寒さ、カビや泥のにおいなど体のすべてで感じることができる。そして被災者と話をすることで一人一人が体験してきたことを感じることができるのだ。
 
そして私はようやく石川に向かうことができた。
私が実際に目で見たものは、とてつもなく悲惨なものであった。壊れた家、散らかった家財道具、家の下敷きになった車、道路をふさぐ土砂や倒壊家屋などがずっと続いている。
そしてその中にメールで見た土地の名前があった。今は行けませんと断った孤立地区である。
そこは津波の被害もあったことから周辺の被害とはまた違った光景であった。こんなところで支援を待っていたのか、どれほど心細かったことだろう……。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。今はその地区も私たちの団体で支援をおこなうことができている。
多くの集落がお互いに助け合いながら生活を行なう姿がそこにあった。
いまだに水道の復旧が進まない中、井戸水の出る家では洗濯やお風呂などをご近所の方に開放しているところもある。まだまだ前を向いて進むには程遠いに違いないが、助かった命を繋いでいくように生活をする力強さを感じた。
 
今日、一通のメールが届いた。
それは中島が最初に向かった避難所にいた方からであった。
7ヶ月の赤ちゃんを抱え必死に逃げたものの、余震が続く中で助けも来ず、これからどうしていけばよいのか不安で仕方なかったこと。そんな時に中島が来てくれて初めて安心感を持ったこと。すぐに必要なものを聞き出し、赤ちゃんに飲ませるミルクを買いに行ってくれたことがどれほどうれしかったか……
その方はより安全な場所に二次避難することを選び、生きることのありがたさを感じながらやっと落ち着いた生活を送ることができるようになってきたとのことが書かれていた。
 
メールを読みながらまた涙した。今度はうれし涙である。
中島は被災者の命を最優先にして活動をしてきた。せっかく助かった命を守ること、災害関連死を防ぐことを一番に考えて行動してきたのだ。少しずつ避難所の生活も改善されつつある。
 
能登半島地震が起きて、もうすぐ一か月を迎える。
次々と新しいニュースが流れ被災地のニュースは少しずつ減っていき、次第に私たちの生活から見えなくなっていく。ただ見えなくなっているだけで、これから先も長い間避難生活は続いていく。
被災地が忘れ去られないこと。これが大きな課題になっていく。
これからどのように被災地の現状を伝えていくのか、少しでも関心を持ってもらえるように発信していくことが大切な役割になっていく。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
油井貴代子(READING LIFE編集部ライティングX)

京都市在住
2022年ライティング・ゼミ2月コースに参加
主婦・サービス業・団体職員をしつつ書くことに奮闘中
やってみたいことが多すぎて首が回らなくなる、お茶目なうっかりおばさんです

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2024-01-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.248

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