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週刊READING LIFE vol.248

私史上最高に洞察を与えてくれた恋愛映画《週刊READING LIFE Vol.248 私史上〇〇な恋愛》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2024/2/6/公開
記事:Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
『今日俺、左の気分だわ』
「私も左の気分だったかも」
『じゃあ、いいよ』
「え、いいよいいよ! 左がいいんでしょ」
『いいから』
 
二人で並んで歩くときに、左側を歩きたい気分の時と、右側を歩きたい気分の時がある。
どうやら彼も同じ性分らしく、その日は二人とも左の気分だった。
一緒にお酒を飲んだ帰り道だったから、譲り合って押し合いへし合いしたところ、ほろ酔いの私の足がもつれて彼に受け止められた。
思わず笑い合ったその時、「あぁ、この瞬間がずっと続けばいいのに」と思った。
 
そんな瞬間は、至る所に溢れていた。
雪見だいふくを二人で分けて食べようとした時に、粉を吸い込んで思い切りむせて相手の顔に粉を吹きかけてしまい、二人でめちゃくちゃ笑ったこと。
スマホから流れるスピッツのメドレーを一緒に口ずさみながらお風呂に入り、この曲のメロディラインの特にこの部分が異様に好きだという話に共感してもらえたこと。
マンションの下でバイバイする時に名残惜しくて、彼の乗ったエレベーターがぶぅんと遠ざかっていく音をじっと聴いていたこと。
春の日、ばら色の夕焼けの中を散歩していた時に、偶然入ったお店がとても美味しくてホクホクしながら帰ったこと。
 
二人が出会ったのは奇跡だと思っていたし、紡がれる物語は二人だけの特別なものだと思っていた。
でも、とある映画を観てから、それはどこにでもあるありふれた恋愛だったことに気づいてしまったのだ。

 

 

 

それは、麦と絹という二人の恋の始まりから終わりを描いた「花束みたいな恋をした」という作品だった。
私史上、最もハマった恋愛映画である。
 
大学三年生の麦と絹。
終電を逃してしまった駅で偶然出会い、二人で居酒屋で過ごしていると、好きな本や映画、音楽など共通点が多く、いつまでも話がつきなかった……というシーンから始まる。

 

 

 

物語には、麦と絹のナレーションが交互についている。
普通の恋愛映画のように、恋愛の出来事をただ映像で描写するだけではない。
彼らがその時どう感じているかを、自分自身で朴訥と語ってくれるのだ。
このナレーションこそが、この映画の最大の魅力であり奥行きを生み出していると思う。
 
麦と絹は、安っぽい恋愛ドラマのように考えていることを相手にぶちまけたりはしない。
基本的に淡々と日常を生きていく。
だから、二人はナレーションで語る内容をほとんど相手との会話で話していないのだ。
それが一層この恋愛のリアリティを増していた。
 
付き合うことになって夜の交差点でキスをするシーンでは、麦のナレーションは「信号はなかなか変わらなかった」と、ドキドキして時間が長く感じる様子を語っている。
一方で絹は、「電車に乗っていると」ではなく「電車に揺られていると」と言った麦に、心を惹かれたことを語っている。
こんなふうに、それぞれ違う視点で恋の喜びを語る様子は、聞いていてとても心地よい。
 
しかし、物語が進むと二人が身を置く環境も変わり、関係性にも変化が訪れる。
麦と絹のナレーションには、相手に対する疑問も含まれるようになり、それぞれ語りの内容も大きく変わってくる。
一緒に住んで同じ時間を共有しているはずの二人が、全く違うことを語っていく様は聴いていてとても辛かったし、観終わった後に友人と交わし合った感想は「恋人と一緒に見なくてよかった」というものだった。
 
このことは、麦と絹がそれぞれ新しい恋人に対して「恋愛は一人に一つ」と強く語る冒頭のシーンにつながっている。
全く同じ曲を聴いていてもイヤホンのLとRで流れている音が違うように、同じ恋愛をしていると思っていても、感じていることは二人の間で全く違うのだ。
だから、恋愛は「二人に一つ」じゃなくて「一人に一つ」だと、彼らは強く語る。

 

 

 

ここまで読んだ皆さんは、すでにお気づきかもしれない。
「花束みたいな恋をした」は、あまりにも客観的に恋愛を見てしまう恐ろしい映画なのだ。
 
この映画を観た時、私もちょうど二人と重なるような恋をしていて、自分の視点で自分の恋愛に夢中だった。
しかし、一つの恋愛を俯瞰するようなこの映画を観て、自分たちの恋愛は決して特別なものではなく、ごくごくありふれたものであることを認識してしまったのだ。
 
例えば、麦と絹が、運命的な出会いに感謝し、恋をし始めた冒頭のシーン。
私たちも付き合う前に居酒屋で話していて、驚くほどに話が合ってもっと一緒にいたいと思ったことがあり、それは麦と絹と全く一緒だった。
 
私は恋をしているときいつも、時間がゆっくりと流れ、周りの景色が不思議に近く見えるような感覚がする。
この感覚は私だけのものかと思っていたが、全く同じものが映像から伝わってきて、ごくありふれた感覚であったことに気づいた。
 
冒頭で書いたような「あぁ、この瞬間がずっと続けばいいのに」と思った出来事たちは、ディテールこそ違えど麦と絹の物語の中に散りばめられていた。
まるで自分の恋をなぞっているようにすら思えた。

 

 

 

この映画を観たのは、ちょうど今から3年前、学生時代が終わり就職する直前の春休みだった。
だから、学生時代に出会った彼との恋も、環境の変化とともにどう変わっていくのだろう、と自分に重ねてドキドキした。
高校生の頃にこの映画を観たとしても、ここまでハマらなかっただろう。
 
実際にその後、私の恋も環境の変化とともに関係性も変わったことで終わってしまった。
終わり方も含めて、本当にありふれた恋だった。
 
私の恋にも彼のナレーションがついていたら、どんなふうだったんだろう、と時々思う。
一生聴くことのできないそれは、私の感じていたこととはきっと全く違っていたのだろう。
 
どんなに時間を共有していても、決して交わらない思いはある。
そんな恋愛の普遍的な悲しみを、「花束みたいな恋をした」は巧みに描いていた。

 

 

 

この映画が私に与えてくれた気づきは、恋愛だけにとどまらなかった。
私は自分の感情というものに対して、軽く懐疑的な思いを持つようになった。
 
「こんな感情は、初めてだ」
「こんな気持ちになるのは、私だけかもしれない」
水彩絵の具が混ざり合って偶然できた色のように、私の気持ちはオリジナルな色だと思っていた。
 
でもそれは、誰かの他の人の引用かもしれない、と思うようになった。
 
26年間、読んだ小説の一場面、美術館で見た絵画など、さまざまな作品が心の琴線に触れてきた。
自分が日常で感じていると思った感情は、今まで触れてきたコンテンツで味わった感情を、ただ思い出したり反芻したりしているにすぎないのかもしれない。
例えば恋愛している時、実は無意識下で「進研ゼミでやったところだ!」と、過去に読んだ少女漫画の名シーンを引っ張り出しているのかもしれない。
 
こんな具合に、自分自身の完全にオリジナルな感情なんてないのかもしれない、と思うようになったのだ。
水彩絵の具だと思っていた自分の感情は、実はコラージュ作品だったのかもしれない。
 
「自分のオリジナルな感情なんてない」という考えは、自分のアイデンティティが消えていくような、なんとなくうすら寒くて心許ない気持ちを伴った。

 

 

 

この懐疑的な気持ちを、ストレートに表現している文章に最近出会ってしまった。
 
それは、川上未映子さんの「すべての真夜中の恋人たち」という小説に出てくる、校閲者の女性のセリフだ。
美人で仕事ができるけど異性関係に奔放で、同性からのやっかみを受けてしまうその女性は、主人公に対してこう語る。
「感情とか気持ちとか気分とかが全て、どこから自分のもので、どこから他人のものなのかわからなくなる」
「いつか誰かが書き記した、文章や、映画のセリフ、他人の表情でもなんでもいいんだけど、とにかく他人ものを引用しているような気持ちになるの」
彼女は、自分をやっかむ職場の同僚に対して憤る。
そして、「その感情は自分のだけのものではなく、いつか誰かのものだと思うからこそ憤り続けるのだ」と続けた。
 
これを読んだ瞬間、「あぁこれだ」と思った。
 
先日、自分の辛い経験を書いた文章を読んで、「私も同じ経験をしてきたから泣きました」という感想をいただいたことがあった。
そんな経験は初めてだったから、喜びとともに「私の辛い思いは私だけのものではなく、誰かのものでもあった」という気づきを得た。
これはまさに、小説の中のセリフと一致する気がした。
 
自分の感情や思ったことを書くと、似たような体験をした誰かの心を動かせる。
それによって、自分の痛みもコンテンツに昇華することができる。
このことこそ、「私がものを書く理由」足りうると心から思った。
 
これまで「自分の感情は他人からの引用でできている」と、自分のアイデンティティを失うような気持ちがしていたのは、自分がコンテンツを消費する側だったからだ。
でも、ライティングを始めてコンテンツを作る側になった今は、「自分の感情を表現すると、他人の感情にも影響を与えられる」ということも同時に知った。
 
私の感情は所詮引用なのかもしれないけれど、それを新しく私の言葉で紡ぎ直すこともできる。
それを他人に読んでもらうことで、新たな感情の種を読み手の心に植えることができるのだ。
それは、とてつもなく素敵なことに思えた。
これからも私は、自分のであり同時に誰かのものでもある感情を、自分の言葉で紡いで表現していきたい。
 
「花束みたいな恋をした」を観て得た気づきは、3年の時を経て今、私の中で新たな実を結ぼうとしている。
こんなに深い洞察を与えてくれるようなコンテンツと不意に出会ってしまうから、やっぱり映画や読書はやめられない。
今年はどんな作品に出会うのだろうか?
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Kana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。滋賀県在住。 2023年6月開講のライティングゼミ、同年10月開講のライターズ倶楽部に参加。 食べることと、読書が大好き。 料理をするときは、レシピの配合を条件検討してアレンジするのが好きな理系女子。 好きな作家は、江國香織、よしもとばなな、川上弘美、川上未映子。

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2024-01-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.248

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