だから私は書き続ける《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》
記事:なつき(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「イダダダダダダダ!」
後頭部に激痛が走る。私は髪がロングだがその髪を束ねてまとめて後ろからグンッ! とすごい勢いで引っ張られた様な痛みだ。思わず後ろを振り向く。何もない。また激痛が走る。思わず衝撃で頭がのけぞる。後頭部を触ってみてもなにもない。少し止む。また激痛が走るを繰り返す。怖かった。とてつもなく怖かった。何がどうしてしまったのか。夜も10時を過ぎた頃のことだ。こんな時間に病院も開いていない。行ったところで何もなかったら恥ずかしい。明日も仕事だ。何か治まる方法はないか。必死で検索した。
思い当たる節はあった。この時から2週間ほど前に抗がん剤の点滴をしていた。かなり強い薬だ。どんな副作用があってもおかしくない。まずは「抗がん剤 頭痛」で検索して出たものを上から色々読んだ。病院の医師が書いているものがありそういったものを片っ端から読んだ。でも私が知りたい回答には出会えなかった。そこで検索ワードを変えて再度調べた。それも色々読んだ。抗がん剤の副作用のことや、薬の説明はあったが、今この激痛が何なのかわかる術はなかった。痒いところに手が届かないとはまさにこのことだ。ジレンマに襲われた。痛いのに! これだけ説明があってなんでこの頭の激痛は書かれていないのか。もしかしたら検索ワードがぴったり来ていないのかもしれない。でも今そんなことを考える余裕はない。怖いよ! 怖いよ! これ何なのよ! 副作用ならそう書いてよ! それだけで何となく安心できるのに。
苛立ちを抑えながら、今度は痛みのワードで検索する。個人のブログが出てきた。今までも検索結果に個人のブログも混じって出てきて読んだ。軽い痛みが出る程度のことは書かれていた。そんなやわなもんじゃない。この痛みはこれとは違う。もっと強い痛み。探しても欲しい回答には出会えなかった。だから今回も駄目かなと思いながらエイヤで開いて読んでみる。髪を掴んですごい勢いで引っ張られた感じで、かなり痛いとの表現をしたものがあった。
それーーー! 見つけた! 私が欲しい答え。そのブログを書いた人も同じ痛みを感じ綴っていた。そしてその次の日から髪が抜け始めたとあった。髪が抜ける? 医師からそう聞いてはいるけどまさかねーと思っていた。ところが翌日から同じく抜け始めた。そして寝ている間も痛かった後頭部の痛みは朝には消えていた。抜ける前兆だったのか。
この型の体験を読めたおかげで、痛みが起きるのはおかしくないことがわかり、夜の病院に行けない心細い時間を何とか乗り切れた。このブログを読めなかったら、怖さでどうしていいかわからず悩んでいるところだった。「後頭部が痛いんです!」と夜間病院に駆け込んでいたかもしれない。でも私が治療を受けている病院は電車で1時間かかる場所にあった。この距離でタクシーを使ったら大変な金額になる。そして次の日も仕事がある。今から病院は疲れる。極力仕事は休みたくない、今後もっと体調が悪化するかもしれない。その時に備えた有休を使いたくない。
このブログに出会えたことが嬉しかった。涙が出た。安心感をもらった。体験した個人が書く文章だからとても現実味が増した。私も今の自分を書き留めておかなければと思った。今後再発しても参考になる。今だから書ける。手帳に日記のようなものを書き始めた。でもこの後にくる全身の痛みや体調に左右されて毎日は書けなかった。いつもなら続けられない私は駄目だと悲観する。でもこの時は毎日じゃなくてもいい、目印的なものでいいと思えた。
そんな時夫から「noteに書いてみたら」と言われた。noteって何? WEB上のブログを書ける場所だった。ブログを書ける場所は他にもいくつかあるから知っている。でも広告が表示されるのが辛かった。目がチカチカした。だから書きたくなかった。ところがnoteは広告が表示されないという。試しに書いてみることにした。それまで手帳に書いた日記の様なものを打ってnoteに上げてみる。写真も載せてみる。夫はこうも言っていた「今まで学んだことを備忘録的にWEBで公開して文章を載せている。それは誰が読んでいるかはわからない。数年後忘れたことを検索すると自分の文章が出てくる。それは以前の自分も同じワードが気になって書き留めたもの。自分が書いたものだから、数年経っても自分の検索ワードにぴったり来やすい、検索しやすい。書いたことで自分が助けられている」そんなものなのかな。
このnoteも続けようと思いつつ、結局数本の文章しか載せられなかった。それでもその時の正直な気持ちが書かれている。今は抗がん剤も終わり1年が経とうとしている。思った以上に月日が経つのが速い。そして渦中にいた時の自分の記憶はどんどん薄れていく。貴重な体験をさせてもらった、あの時のことをこのままにしては駄目だ。私もかつての出会って役に立った、嬉しかった文章を書きたい、残したい。あの時のことを外に出して公開するのは如何なものか葛藤したが、これは私にしか書けないものだ。がんで悩んでいる人に少しでも参考になればいい。抗がん剤治療中はとにかく色々な情報が欲しい。選択肢が欲しい。通り一辺倒な言葉でなく、体験した人の生の声が欲しい。そして抗がん剤の副作用は個人差がある。その時の自分に合ったワードがいくらあってもいい。抗がん剤治療中のブログをいくつも見たが皆色んな書き方をしていた。治療中はとにかく自分と一緒の副作用がある人の文章が読みたい。典型的な副作用だけでなく、一部の人にしか出ない副作用も知りたい。だから表現はいくつあってもいい。
病気について発信することは抵抗があった。でもこの2年病気のこと、抗がん剤のこと、色々調べた。体で色々受け止め、体験した。本気で向き合った。この期間は自分にとってかけがえのないものだ。痛かった、辛かっただけではなかった。色々勉強させてもらった。風化させたくない期間だ。病名は出さずに書こうかとも思った。でもそれでは何が言いたいのか、何を伝えたいのか、ぼんやりもやっとした文章になる。「がん」と病名を書くことで伝わってほしい人に届きやすくなると思った。だから病名も書くことにした。そしてnote以外にもWEB上に文章を公開した。
『がんになったら肩こりが治った』(2018.5.3 WEB天狼院掲載)
これは、がん摘出手術後にある体操を行ったおかげで、万年の肩こりが解消されたという話だ。その体操は必要な期間が終了した今でも続けている。肩こりに絶大な効果を発揮している。がんにならなければ出会えなかった効果だ。
『マニキュアから絆創膏へ』(2018.8.15 WEB天狼院掲載)
抗がん剤治療中は、爪にも影響が出る。薄くなって亀裂が入りやすくなる。何かいい方法が無いか探した時に見つけた、亀裂止めできるある物について書いた話だ。薬局で誰でも簡単に買える。1年経った今もまだ抗がん剤の影響で亀裂は入りやすく、続けて使用している。
『がんで妥協を学んだ』(2019.3.5 WEB天狼院 READING LIFE掲載)
ネガティブイメージだった「妥協」がポジティブイメージに変わった話。がんになったことで、初めて聞いた卵子凍結という言葉。卵子凍結をするかしないかの選択肢、しなかったことから見えた転機と希望。
公開したことを後悔することがあるかもしれないと思ったが、書くことで自分の頭の中が整理できた。そして公開することでこんな言葉もいただけた。がんではないが肩こりに悩んでいた人から「本当に肩こりが改善した」、お母さんががんの治療をしている方から「読んで笑った、元気になったと母が言っていた。ありがとう」。
いずれも拙い文章だが、喜んでくれた方がいる。それだけで、役に立てたことが嬉しい。私の経験が生きた瞬間だ。そして、今苦しんでいる方が少しでも楽になれば嬉しい。かつての私があるブログの文章に救われたように。だから私は発信を続ける。だから私は書き続ける。そしてプロフィールには次の一文を加えた。『書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている』。
❏ライタープロフィール
なつき(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)
東京都在住。2018年2月から天狼院のライティング・ゼミに通い始める。更にプロフェッショナル・ゼミを経てライターズ倶楽部に参加。書いた記事への「元気になった」「興味を持った」という声が嬉しくて書き続けている。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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