AIさん、日本人の英語力引き受けてくれます?《週刊READING LIFE Vol.252 AIと私》
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2024/3/4/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
今から10年近く前だったろうか、まだまだAIが夢物語だった頃、父が私にこう言い放った。
「そのうち機械が翻訳するから、お前のような通訳は仕事がなくなるやろうもん?」
そして、
「そうなれば、お前はクビやな、クビ」
と私にニヤリと笑ってみせたのだった。
こんのクソジジイめ!
と私は思いつつも、言葉を訳すことにおいては機械が人の代わりをすることなど、あり得ない、と鼻で笑っていた。
ところが、今現在を見るとどうだろう?
2022年ごろからだったろうか、ChatGPTの登場で一気にAIブームとも呼べるものが到来した。特にプログラマーでなくとも、私たちが普段使う言葉でAIとやりとりすることができるようになった。
驚くべきはその言語能力だ。私のような英語のプロから見ても一見まったく問題のないレベルの翻訳能力を持っている。その少し前から、使えないサービスの代名詞と揶揄していたGoogle翻訳がかなり本格的なものになっていた。
こうなると、きっとこういう問いが多くの日本人の心に浮かぶのではないだろうか?
「AI時代はもう、日本人は英語を勉強しなくてもよいのでは?」
確かに英語と日本語は言語的にかなり隔たりのある言葉だ。
アメリカのForeign Service Institute(FSI)という政府機関が公表している情報によると、英語のネイティブが日本語を学習するのに必要な時間は2200時間だそうだ。英語からみると、日本語や中国語、韓国語、モンゴル語といった言葉は言語間の距離が4段階中もっとも遠いとされている。これを逆に日本人が英語を習得する場合、としても同じ2200時間が必要だろうと推測できる。
日本の中学、高校、大学の10年間で英語を学ぶ時間はだいたい1,120時間といわれている。残りは約1000時間。普通に考えると、これをどう埋めるか、という点が英語を習得する上で鍵となるポイントだ。
だが、ここで逆に考えてみよう。
英語が苦手な人がその1000時間を語学の習得に費やすより、他のことに使った方が有益なのではないか。より生産性が上がるといえるのではないだろうか?
『AI翻訳革命』(隅田英一郎、朝日新聞出版)という本を読んだとき、それはそれでありなのでは、と思った。
日本という国は、「母国語内需国」である。これは私の作った造語だが、つまりその意味するところは、日本語だけでじゅうぶん暮らしていける国、という意味だ。よく日本は昔から輸出大国といわれているが、実は輸出部分より国内の経済活動、つまり内需の方に支えられた内需大国である。
だからいろいろなものが独自の発展を遂げて、「ガラパゴス化」する下地となっているのだろう、と私は推測する。これと同じ状況が言葉にも表れている、というわけだ。
それに対して、たとえばフィンランド、ノルウェーなど北欧の小国では、自国言語だけでは十分な量の出版物がある訳ではないので、大学で勉強したりする場合など学びをどんどん深めるていくためには英語や他国の言語を学ぶことが必須である、ということを聞いたことがある。
日本でも大学の教授などアカデミアの人は論文を国際的なジャーナルに出版した方が研究業績としてはよいのだが、国内のジャーナルに日本語で掲載されるだけ、という研究者もまだまだ多いそうだ。携帯と同じく、実にガラパゴス化している、といえるだろう。
つまり、何が言いたいかといえば、日本人は英語ができる、ということに対して妙なコンプレックスを持つ傾向があるにしても、
「英語できなくても生活に困らないから、別にいいや」
と言い切れる社会だ、ということだ。今までは、だが。
では、そもそもAIはどうやって言語を訳しているのだろうか?
人間のように意味を全体から把握して、そしてひとつひとつ訳して行く、という方法ではない。人間には到底及ばない演算力を利用して、膨大な訳例のデータベースから学習して最も適当な組み合わせを探し出すやり方である。
「人間の通訳者は、「今、ここ」でのコミュニケーションが、どのような目的で行われ、どういうコンテクストの中で起きて折るのかを把握した上で訳します」
と、その著書『やっぱり英語をやりたい!』(幻冬舎新書、2023)の中で書いているのは鳥飼玖美子さん。通訳者として活躍された経験もあり、NHKの英語番組に長らく関わられている方だ。
コンテクストとは文脈のこと、つまり言葉の裏のこともきっちり想像した上でその場に合った適切な訳出を行うのが、人間の訳し方だ。その文脈を完全に把握することは機械には不可能だろう。いや、その演算能力をもって膨大な訳例から総合的に判断することもできるようになっているから、AI翻訳の精度がかなり向上してきているのだが、その精度はまだ人間には及ばない、ということだ。
翻訳の場合は、プリエディット、ポストエディットといって前処理、後処理を人が手がけることが必要だ。だけど、通訳の場合は一度音声となって出た言葉を処理することはできない。文脈を把握して訳さねばならないような通訳は、まだまだ自動でAIにやらせることは難しいだろう、と私も思うのはこの点だ。
ただし、決まり切った定型の会話文などなら問題ない。旅行で使う英語とか、お店に外国人が来たときの会話などのために英語が必要なだけなら、スマホでじゅうぶんだ。それこそマルチモーダル化して音声での入力が可能になったChatGPTのアプリ版をはじめ、音声をその場で訳してくれるアプリは他にもいろいろある。
それこそ文脈を考慮しない直訳が飛び出てくるので困る場面もあるかもしれないが、上手に使うことで助けになるだろう。
AIの有り様について私が感心した話がある。
「AIにできなくて、人間にしかできないものって何でしょうか?」
という問いに対して、
「簡単だよ。共感だよ、共感」
と答えられた、という『東大教授の考え続ける力つく思考習慣』(あさ出版、2021年)に載っていたエピソードだ。これは同書の著者、西成活裕先生が経営学の大家である野中郁次郎先生と対談したときのことだそうだ。
なるほど、と思った。翻訳や通訳などコミュニケーションの場合、この「共感」は「想像力」と置き換えて考えられるかもしれない。AIにできることは参照して引用することだけ、本質をとらえる大局力は持ち得ない、ということではないだろうか。
世の中で天才と呼ばれる人は何らかの思考の飛躍がある、と思う。発明王エジソンはその生涯で数多くの発明品を生み出したが、また失敗の数も多かった、という。彼の有名な言葉「99%の汗と1%のひらめき」の99%はそういった失敗を意味しているのだとすると、おそらくAIは汗もかかずにその99%の失敗をこなしてしまうのだろう。だが、AIに「1%」のひらめきを産むことができるのか。そのような人間が綺羅星のように生み出す思考の飛躍は、今のところ、機械にはあり得ないのではないだろうか?
AIには与えた条件のもと、動くことができるだけ。その動作が正確であるためには与える条件、今ChatGPTなどのAIでいうところの「プロンプト」の正確さが不可欠になる。AIには、”Anne of Green Gables”を「赤毛のアン」と訳すような名訳はあり得ない。
そこが今からの世の中で「人間だけにできること」として、我々が鍛えていかねばならないポイントだろう。
コロナ禍を経た今からの時代は、特に本当の意味で世界が国際化していく時代になるだろう。日本国内にも、今押し寄せているようなインバウンド需要の旅行者だけでなく、移民として国内に住む人、永住権を持ち、日本に居住する人達がきっと現れるだろう。そもそも実際、今すでに日本の特定の地域では多くの外国人が日本に居住している。
そして逆に日本から海外へ出て行く日本人ももっと多くなっていくはずだ。海外に住むわけではなくても、旅行やビジネス、留学などなど、海外との接触は大いに増えてくる。
そこで理解すべきことは、「多様性」だ。多様性とは自分と他人が違う、ということを意味する。これを「生物多様性」といえば、その場所に住む生き物、つまり人間のみならず他の哺乳類、爬虫類、そして菌類など微生物に至るまで生息している種の数が多いことであり、この生物多様性が豊かな土地は自然が残る地域であり、逆にこれが失われると停滞や衰退、そして自然のバランスが崩れやすい場所になってしまう。
日本、という国はアイヌや琉球など別の言語や文化も抱えていながら、大部分は単一民族を維持してきたため、どうしても異質なものに対して排斥する傾向が強い。「出る杭は打たれる」などのことわざに表されているのはその典型かもしれない。
しかし、今からの社会は違う。いかに多様性を理解して受け入れるか、多様性を維持していくか、という問題は未来の日本にとって急務といえる課題だろう。
私が通訳としてよく仕事をしているのが、大分県にある立命館アジア太平洋大学、通称APUという大学だ。そこでは「混ぜる教育」といって国内学生、国際学生の比率をほぼ半々とし、働く教職員も日本人だけではなく、外国人も多い。
昨年までAPUで学長をつとめていた出口治明氏は、そのような多文化環境で多様性に満ちた学生生活を送った「尖った人材」こそがこれからの社会に必要とされる、と常々おっしゃっていたのを思い出す。
では、これからの社会で生き抜くにあたって、その大切な多様性を理解して、受け入れるには、どうすればよいのだろうか?
それこそ、「外国語を学習する」ことが、一番効果的だ。
言語はその言葉を話す民族の文化を反映するものだ。主語を省略しがちで動詞が文の一番最後に来る日本語と、必ず主語を明確にし、なおかつ動詞は前の方に来て趣旨を鮮明にする英語とはまったく正反対といえるほど異なっている、というのは、中学校で英語を初めて習ったときにきっと気が付いていたことだと思う。
そこで、
「なんや、この英語ってやつは訳分からんわっ!」
とキレて終わりにするのか、
「なんでこんなに違うんだろう?」
と興味を持って接するのでは、大違いだ。その違い、その共通点、それぞれに思考のあり方も色濃く浮き出ているものだ。
そこで学習する言語は別に英語である必要はない。今はたまたま英語が世界を席巻して共通語のように使われているが、別に中国語でもドイツ語でも構わない。要はなんだっていいのだ。言語の学習を通して、自分とは違う何かの存在を学ぶ、という経験さえあれば。
そうやって他の言語や他の文化を学ぶ、ということは、別に外国人を理解するためだけのものではない。自分とは違う意見を持つ別の立場の人、たとえばLGBTQの人達だったり、障害者の方々だったり、発達障害の人達だったり、そういう目に見える大きな違いも、そして私たち均一なつもりの日本人の中にも自他の違い、つまり多様性は存在する。多様性を理解する、そして受け入れるということは、これからの社会に必ず必要になる考え方だ。
日本語を母国語とする、現在の人口数に我々はけっして頼っていてはいけない。ご存じの通り、日本は少子高齢化社会となっている。将来の日本語人口がどのぐらいの規模になるかは分からない。これからも日本が国際社会で生き抜いていくためには、多様性を十分に理解して行動する必要がある。
今からの世の中は、ダイバーシティー&インクルージョンな社会を実現するべき、なのだそうだ。日本語に訳すとすると、「多様性と包摂的な社会」となる。人と人が違うことを認め、どんな人でも受け入れる社会、といった感じであろうか。
その実現には偏見、思い込み、などなど自分自身を振り返っても修正すべき点が多々ありそうだが、これは少なくとも意識しておくべきだろう、と思う。
そこでAIの登場だ。
一昔前と違い、AIを始めとして外国語を学ぶサポートになる便利なツールが今の世の中たくさんある。ここで使わずしてどこで使う? AIという膨大な演算力を持ち、人間の頭で探しきれないほどのデータを詰め込んだツール、使いこなしたものの勝ちだ。そういう意味では、今ほど多様性に触れやすい時代はないのかもしれない。
『迷わない星』(石川雅之、講談社)というマンガがある。
仮想的な未来のある時代、地球は地表が汚染されて磁気嵐砂嵐が吹きすさんでいる。そんな地球において人類はわずかにシェルターを作って生き残っているのだが、そのとき日本はオタク文化のみに頼って生活を続ける三流国家となっている、という設定だった。
そんな国にならないためにも、まずは目の前の一歩から。
「やっぱり英語、やりましょうよ!」
と、鳥飼玖美子さんも著書でおっしゃっている。そうだ、やってみようよ!
□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
「食う」「寝る「読む」で人生が埋まるナマケモノで、日々美味しいごはんを求めて突き進んでいる。福岡県出身、大分県在住。
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