週刊READING LIFE Vol.26

キラキラネームに翻弄された半世紀《週刊READING LIFE Vol.26「TURNING POINT〜人生の転機〜」》


記事:射手座右聴き(READING LIFE編集部 公認ライター)
 
 

最近、キラキラネームを改名した男性が話題になったのをご存知だろうか。
裁判所から郵送された「改名許可証」をツィッターにアップし14万件を超えるいいね! を獲得したという。ツイートの中には、キラキラネームを背負って生きていくことの難しさについて語られていた。印象的で、夢があるものが多い、キラキラネーム。
でも、常に名前と向き合い続ける人生には、葛藤も少なくないと思う。
かく言う私も、半世紀間、キラキラネームと向き合ってきた。
 
初対面の名刺交換などはこんな感じだ。
 
「わー、本名ですか。これは、とてもいい名前ですね」
その一言から居心地の悪さが始まる。
「お父さんお母さんは、期待してつけてくれたんでしょうね」
と続く。なんでいきなり、初対面の人に家族のことを言われなければならないのだ。
 
「何か謂れがあるでしょうね」
トドメはこれだ。
 
あー、もう、なんでここまで話題にされなければ、ならないのだろう。
 
すべては、名前のせいだ。
私の本名は、「可能」という。
下の名前だ。
 
そんなにない名前である。
実際いままで同じ名前の人には、一人だけあったことがあるくらいだ。
 
そして、かなり大それた名前でもある。
私は、できる。と最初から言ってしまっているのだ。
 
これはもう、キラキラネームと言っていいと思う。
検索してみると、キラキラネームとは、一般常識から著しく外れているとされる
珍しい名前(本名)に対する表現、とある。
 
たしかに、可能、とは、何かができるかできないかの話をするときに使う言葉であって、人名向きかと言われると、どうかな? と思う。
 
それが証拠に、私が生まれてから半世紀が過ぎても、一般的な名前にはなっていない。
 
そんな、元祖キラキラネームの私は、
小さい頃から、名前との向き合い方に難儀な思いをしてきた。
 
まず、「変な名前だね」
幼稚園でも、小学校でもこう言われた。
周りは、いちろうさんとかだいすけさんとか、
たかしさんとか、ザ・男の子という名前の中で、
あまり見かけない名前が入ってくるわけだ。
いじめとかそういうことでなくても、子どもの素直な反応は、そうなるだろう。
 
小学校高学年になると、怪我をした友だちが私のところに集まってきた。
「化膿しちゃったよ」
と言いに来るのだ。
社会の時間になれば、風神雷神図の狩野派だと言われ、
中学になればりゅうこつ座のカノープスという恒星の名前を出され、
高校になれば、カノッサの屈辱で、からかわれた。
まあ、それはよい。最大の問題は、そう。何かができないときだ。
 
「可能なのに、不可能」という攻撃がくる。
これは常について回った。
なんでも「可能」にしなければならない。
と言われても、こちらは人間である。
物理は苦手だし、球技もさほどできない、絵は上手く描けないし、、、、、、
誰だって、弱点はある。でも、そのたびに、言われるのだ。同級生、先生、みんな
「可能じゃないの?」
サラッと言ってくる。これが意外に効いてくる。自己肯定感をじわじわと蝕むのだ。
逆にできたときはほめられない。
「可能だから、できるでしょ」
なんだ、あたりまえかよ。
特徴的な名前はありがたいけれど
自分の名前の高い高いハードルと向き合うことが常に要求されるのが、キラキラネームを
持ったものの人生なのではないだろうか。
「名は体を表す、と言われてもそんな簡単にできないよ」
人にはなかなか理解してもらえないであろう、この弱音を隠しながら、笑顔で
毎日を過ごさなければならないのだ。
 
そんな人生にもいい時はある。就職面接の時だった。
集団面接などでは、これほどツカミになることはなかった。
「どんなことが可能なのかね?」とさえ面接官に言わせれば、自己PRは簡単だった。
自分の土俵に持ち込める名前に、このときばかりは感謝した。
 
最終的には、「自分の名前のように、人の印象に残るCMを作りたい」などと調子のよいことを言って、広告会社に潜り込んだ。そして、CMを企画する部署に配属された。
 
しかし、仕事を始めると、名前は印象に残るものの、その後がなかなか難しかった。
名刺交換のとき、名前の話題で引っ張りすぎてしまうのだ。いや、私が引っ張るのではない。名刺を受け取った方が興味本位でいろいろ聞いてくださるのだ。それは、ありがたいのだが、場の空気はあまりよくない気がした。上司より目立ってしまった、というような感じがした。広告の仕事は、プロジェクト単位で動くものが多く、個人プレーの世界ではないことが多かった。名前が目立ちすぎる、というのは、浮いてしまう感じがするのだ。
 
さらに、仕事でハードルの高い課題を課された時も、名前でもやもやした。
「可能なんだから、できるでしょう」学生時代と同じくこういう言葉が呪縛になった。
「なんでできないんだろう。ダメなのかな」
自己肯定感が削られていった。
そんなわけで、次第に、名刺交換が億劫になった。名前のことを聞かれるのが、面倒というか、目立つのが厄介な気がするというか。
可能なのに、可能じゃないなあ、という、もやもやが続いた。
ポジティブなキラキラネームのはずなのに、名前を言う時、全然ポジティブでないとは。
 
このもやもやが、スーッと消えたのは予想外のときだった。
「へー。可能なら、なんでもできるんですよね」
名刺交換をして、いつもの質問がきたとき、こう答えたのだ。
 
「もちろん可能です。だいたいのことは」
 
自分でも思わぬ言葉を口にしたのだ。
「だいたいって、なんですか。あははは」
これには、みんな笑ってくれた。場がなごんだ。
 
まず、名刺が違った。大きく、「可能」と書いてあるだけの名刺だ。
もう会社の一員ではなかった。退職して、すぐの仕事だった。
独立したフリーランスのディレクターとしての名刺交換だ。
そうだ。フリーランスは目立ってなんぼ。自分をPRしたとしても、
許される立場だった。私は、無意識に、自分を売り込もうとして、名前の話に
のっかっていったのだ。
「へー。可能なら、なんでもできるんですよね」
「もちろん可能です。だいたいのことは」
 
数十年、もやもやし続けた、キラキラネームを克服した、
転機の一言はこれだった。
 
「だいたい可能」
この一言で楽になった。
 
考えてみると、いままでの私は、学校、会社といった組織に所属しながら、
キラキラネームに、できるだけ忠実に生きることを、目指していた。
なんでもできる人にならなければいけないと。
もし、できないならば、できるだけ目立ちすぎないように、はみ出しすぎないように、
と生きてきたような気がする。
 
ところが、独立してみると、「可能でなければいけない」の呪縛がとけた気がした。
だって、できないことはできないのだ。ほぼ開き直りだが、もう、会社の人に、
「可能でしょ」と言われることもない。そして、目立つことは世の中から承認された気がした。フリーランスなのだから、名前を売りたいのは当然だろうと。
あいまいだが、ネガティブではない「だいたい可能」という一言が、名前との新しい向き合い方を教えてくれたのだ。
 
転機となった一枚の名刺。そこには、苗字が書かれておらず、名前だけが書いてある。
作ってくれた後輩は、こんな風に言ってくれた。
「可能さんは、名刺交換の時、名前のことを必ず聞かれるので、面倒なんじゃないかなと
思いました。だったら潔く、可能、だけにすれば、逆にもうはっきり話題になるから話しやすいんじゃないかって」
なるほど、気づいていてくれたのか。
 
これからも、この元祖キラキラネームと向き合っていけるかもしれない、
そう思えた瞬間だった。
きちんと、ではなく、だいたい、だけれども。

 
 

❏ライタープロフィール
射手座右聴き (天狼院公認ライター)
東京生まれ静岡育ち。バツイチ独身。大学卒業後、広告会社でCM制作に携わる。40代半ばで、フリーのクリエイティブディレクターに。退職時のキャリア相談をきっかけに、中高年男性の人生転換期に大きな関心を持つ。本業の合間に、1時間1000円で自分を貸し出す「おっさんレンタル」に登録。4年で300人ほどの相談や依頼を受ける。同じ時期に、某有名WEBライターのイベントでのDJをきっかけにWEBライティングに興味を持ち、天狼院書店ライティングゼミの門を叩く。「人生100年時代の折り返し地点をどう生きるか」「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。天狼院公認ライター。
メディア出演:スマステーション(2015年),スーパーJチャンネル, BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバーとして出演

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2019-04-01 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.26

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