週刊READING LIFE vol.50

偉人から学ぶ、書くための基本スタンス《 週刊READING LIFE Vol.50「「書く」という仕事」》


記事:吉田健介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

何かについて文章を書く時、そこにはどうしても障壁が生じる。
心の壁。
ゲゲゲの鬼太郎のぬりかべくらいの高さ。
 
大丈夫かな……
うまく書けるだろうか……
 
ネガティブなスタート。
乗り越えるしかない壁。
登っていくしか道はない。
分かってはいる。
孤独との戦い。
 
天狼院ライターズ倶楽部では、週刊テーマがある。
スタッフが掲げるテーマに沿って文章を書く。
ライティング・ゼミとは違って、自分のテーマで書くわけではない。
 
国際社会、雑誌、ドキュメンタリー……
 
ピンポイントなものから幅の広いものまで、その範囲は様々だ。
 
「書けそうだな」
と直感的に構想が組み立つこともあれば、
 
「え…… なんだそりゃ!」
と、自分の日常生活とは関わりの薄いテーマもある。
 
困惑し、うろたえる。
 
「まずいな……」
 
国語が苦手な僕は、もちろん文章を書くことも苦手である。
そのレッテルを貼ったまま今に至る。
 
時に、軽快にキーボードを叩き、罪悪感にすらかられるほど、滑らかに文章を紡ぎ出せたこともある。
ただ、僕の中で、「書く」という行為にはデコボコとした砂利道が心に広がっている。
足元を1つ1つ確認するように、恐る恐る前へ進む。
体に染み込んだ癖というか、習慣のようなもの。
読むときも、書くときも、とにかくネガティブな自分が常にいる。
 
「続けることが才能だからね」
油絵の師匠がかつて言った。
20歳という、デッサンを始めるには遅いスタートとなった僕は、その言葉を信じて今も制作に励んでいる。
37歳で文章を書き始めた僕は、頭の中の目立つ所に、ライターズ倶楽部のテーマが掲げられている。どうしよう…… と落ち着かない日々を送っている。
 
天狼院ライターズ倶楽部では、普段、気にしたこともないようなテーマが登場する。
 
「これではダメだ」
 
とある時期を境に、僕はスタンスを切り替えた。
 
インプット。
必要な知識や情報を脳にストックしていくこと。
ここから始めないと、どうにも話にならない。なぜなら、知らないのだ。あまりにも僕には知識や情報が不足しているのだ。言葉を紡いでいくことができない。文章が続かない。縮れ麺を、ただ放り投げたような手応え。
「国際社会」について書こうとしても、「雑誌」について思いを巡らせても、そもそも脳に必要なストックが蓄積されていないのだ。
 
正しくインプットを行わないことには始まらない。
自分というフィルターを通して、文章を弾き出し、コンテンツとして面白く包装するには、これしかない。
出来上がっていく形を手で触り、その感触を入念に確かめる彫刻家のように、情報をインプットしては書き、読み返し、書き直し、インプットをし直し確かめる。そうした作業を繰り返す。
 
「とにかくたくさんの絵を見なさい」
 
絵を始めて間もない頃、師匠からそう言われた。
 
「はい!」
 
何も知らない僕は美術館やギャラリーを巡った。
全く意味が分からなくても、時間とお金が許す限り、多くの作品を見るようにした。
 
そういえば、作曲家の武満徹(たけみつとおる)がこんなことを言っていた。
作曲とは、無から有を創ることではない。世界に既に存在する音に耳を傾け、それを聴き出し、すくい取っていく行為だ、と。
 
小説家、村上春樹も同じようなことを述べている。
小説家になるための条件は、本をたくさん読むこと、そして周りで起こる事象を観察すること。
 
つまり、0を1にすることではない。
必要な知識や情報をインプットすること。
また自分の身の回りをよく観ること。
このスタンスは、作曲家も小説家も同じようだ。
 
だから、文章を書く上においても、インプットから始めることは、正しいスタートなのかもしれない。
必要な知識や情報が不足すると、自らの経験談を長々と書き並べて終わってしまいがちになる。自分が言いたかったこと、知ってほしいと思ったことは、グラグラとした骨組のまま、不安定な構造のまま、文章の最後に「おわり」という3語を書くことになってしまう。
 
岡本太郎が興味深いことを言っていた。
作品は単なる結果に過ぎない。だから、創るということに枠を敷いてはならない。
自分は音楽だ、私は踊りだ、というように、カテゴリーにはめ込むことは、間違いであり、返って自分を限定し、つまらなくしてしまう、と述べている。
 
何かを奏でたり、何かを彫ったり、何かについて書くとき、創るという行程は同じだよ、ということだ。
使う素材、出来上がったあとの形が異なるだけ。
文系だ、理系だ、というような区切りを設けるのではなく、自由に好きなことをやればいいんだよ、と背中を押して、励ましてくれるような岡本太郎の言葉である。
 
探偵物や推理小説でも同じだ。
 
「……!? そうか、そういうことだったのか!」
後半お決まりのシーンだ。
解けない謎にぶち当たった主人公。
誰かのふとした発言や何となくとった行動がヒントとなり、そこから真理を見出す。
クライマックスへ向けて矢が放たれる場面だ。
 
「謎は全て解けた!」「じっちゃんの名にかけて!」
主人公の決め台詞が飛ぶ。
 
必要な知識や情報をインプットし、身の回りに起こった出来事を拾い上げて、1つの推理を完成させている。
 
事件に関して、現場の状況を調べ、被害者の状態を確認し、関係者のアリバイを洗い出す。
まさにインプット。
 
それでも解けない謎が残る。
どうしてもはまらなピースが存在する。
すると、横で誰かが事件とは関係のないやり取りをする。
それを見て、主人公は事件を解く鍵をそこから見つける。
真実への扉が開く。
 
「犯人はお前だ!!!」
 
芸術だけではなく、探偵や刑事にも同じようなことが言えるわけだ。
 
何かについて文章を書く前に、準備をしておくのは良いことだろう。
様々な文章を読み、必要な知識や情報、また必要とは思えない知識や情報をストックする。
多くの文体に触れることで、構造や骨組み、切り口や論点といったことを身体に馴染ませておく。
 
また、普段の生活もポイントだ。
武満徹は、自然界に存在する音から音楽を創り上げた。
村上春樹は、野球観戦をしている時に、「小説が書ける気がする」という啓示のようなものを受けた。
名探偵コナンや、金田一少年、東野圭吾の小説に出てくる刑事は、誰かの何気ない行動で多くの事件を解決してきた。
身の回りの出来事が自分に何を与えてくれるか、その力は計り知れないものである。
 
孤独な作業である。
一筋縄ではいかないものである。
何かについて文章を書くとき、そこには多くの障壁が付きまとう。
苦手だとか、苦手じゃないとか、そういったことを考えている余裕はなさそうである。
 
自らが弾き出す文体が、内容が、本当に正しく、滑らかに、満足のいくものとなっているのか。彫り出した形が、きちんと造形として魅力を放っているのか。
 
そういった意味では、何かについて書くことは、造形的なやり取りなのかもしれない。
 
実際の所はどうなんだろうか。
もう少し続けてみないと、どうやら分からないようである。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
吉田健介(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1981 .7.22 生まれ。兵庫県西宮市育ち。
現在は京都府亀岡市在住。

関西大学卒業、京都造形芸術大学(通信)卒業、佛教大学(通信)卒業。

現役の中学教師。美術と数学の二刀流。

趣味:パーカッション(ダラブッカ、フレームドラム、カホン)
カポエラ

制作:静物画(油絵)
写 真(風景、人物)kensukeyoshida89311.myportfolio.com

 
 
 
 
http://tenro-in.com/zemi/97290

 


2019-09-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.50

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