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チーム天狼院

永遠という虚言に溺れて《 《週刊READING LIFE Vol.50「『書く』という仕事」》


記事:平野謙治(チーム天狼院)
 
 

「懐かしいな……」
 
休日の昼下がり。部屋を整理していた時のこと。
引き出しの奥から出てきた分厚い冊子を開いて、思わずそうつぶやいた。
 
「卒業してからも、たくさん遊ぼう!」
「これからもずっと、仲良くしてね」
 
高校の卒業アルバムの白紙のページには、そんな言葉ばかりがぎっしりと並ぶ。
ああ、オレ、こんな青春してたんだっけ。たかだか5年前のことなのに、やたらと昔のことにように思える。すごく、懐かしい気分だ。
字体も大きさも様々な、ひとつひとつの文章を、思い返すように読んでいく。
 
そうしているうちに、ある感情が湧き上がってきた。それは次第に大きくなっていき、すぐに心を支配した。
ああ。今、どうしようもなく、虚しい。
 
「ずっと」とか、「これからも」とか、僕のアルバムに書いてくれたクラスメート、部活、もしくはそれ以外の、様々な友達。
この中で、実際に今も交流が続いているのは、何人いるだろうか。
 
考えたくも、なかった。多分10%も、いないから。
それ以外の友人とは、もう何年も会っていない。それどころか、連絡すらまったくとっていない。どこで何をやっているのか、たまに流れてくるSNSの情報くらいしか、今は知らない。
 
続けざまに僕は、小学校の頃の卒業アルバムも開く。
……同じだ。書かれているメッセージに、差はない。そのほとんどと、交流が途切れていることも。
 
白紙ページから離れ、文集へと目をやる。学校指定のテーマは「将来の夢・目標」。
僕含め誰もがが、希望たっぷりに将来を描くいている。「野球選手になりたい」、「絶対に〜を成し遂げる」。強い感情が、伝わってくる。本当にそう思って、書いたのだろう。少なくとも、文集を書いていたその時は。
 
同時に、思った。ここに書いたことを、実際に成し遂げた人はどれだけいるだろうか。もう11年経って、みんな大人になった。結果はだいたい、出ているだろう。
クラスメートはもう、何年も会っていない人ばかり。だけどSNSの情報と、伝え聞く噂でなんとなくわかる。やはり達成している人は、10%もいないだろう。むしろ僕のように、何を書いていたのかすら、忘れてしまった人ばかりなんじゃないかな。
 
たまにテレビとかで観る、夢を成し遂げた人の話。若くして、海外のクラブチームで活躍するサッカー選手。彼はなんと、小学校の卒業文集に、その目標を描いていたらしい。
小学校の頃にはすでに、その目標を見据えていたなんて。そしてそれを、叶えてしまうだなんて。思わず湧く、スタジオ。大きくリアクションをとる、キャスターたち。
 
なんでそんな話が、テレビに流れるのか?
だってそれは、それだけ珍しいことだから。ひとつの夢を持ち続け、成し遂げる人なんて、ほとんどいないから。
だから話題になる。「すごい」って口を揃えて皆が言う。僕もそう思う。
だってそんなの、選ばれた人にしかできないんじゃないか。普通はそうじゃない。強い感情も、時間とともに薄れていくものだ。
大人になった今、そんな風に思ってしまう。
 
人間は、忘れる生き物なんだ。
周りの人たちを大切に想う気持ちや、頑張ろうと決意したこと。幼き頃に抱いた夢や、誰かを愛しく想う気持ち。大切なものを失ってしまった、悲しみすらも。
 
それなのに、「これからもずっと」とか、「永遠に」とか、「一生」とか、つい口にしてしまう。文字に起こしてしまう。
別に、軽々しく言っているつもりはない。その時々は、確かにそう思っているんだ。
 
だけど次第に、忘れていく。薄れていく。
川の流れに削られていく岩のように。潮風を浴びて錆びていく海沿いの建物のように。
時間経過とともに風化していく。何もかもが。
 
忘れてしまった虚しさに、想いを馳せるうちはまだいい。そう感じたあの日のことを、まだ覚えているから。
だけどいつかは、忘れたことすら忘れる。すべての生き物が、土に還っていくように。「あの日の出来事」が確かにあったはずの場所は、次第に何もない更地になる。

 

 

 

しかしありがたいことに、消えてしまった感情は、それで終わりとは限らない。
土に還ってしまった生き物とは違い、忘れたことすら忘れていた出来事が、蘇る瞬間が少なからずある。
 
僕の場合それは、素晴らしい文章に触れた時だった。
偶然出会った文章に触れた、その瞬間。いつしか忘れてしまっていた幼い頃の経験や、失ってしまっていた感情が、突如としてフラッシュバックした。
気づいたら涙が流れていて、最後にはスッキリとした読後感だけがそこにはあった。
 
そうして思ったのである。「救われた」、「この文章に出会えて良かった」と。
作者は知りもしない僕一人のことなんか、考えちゃいないだろう。ただ自分自身と、その文章に触れる人が、何かしらの救いを得られるように。そうして書かれた、文章だったと思う。
 
あるいは救われたのが文章ではなく、映画やドラマなど、他の創作物だったというケースもあるだろう。僕の場合は、たまたま文章だったに過ぎない。
だがそのたまたまが、僕の人生を突き動かした。読んで心が救われ、強烈に憧れた。そうして僕は、文章を書き始めた。
 
そうだ。今の僕には、書くという手段がある。なんだって書いてしまえば、いい。
強い感情や、忘れたくないものはすべて、書いて残してしまえばいい。
 
他人に共感したり、同じような意見を持つことはある。だけど厳密に言えば、僕が感じていることを知っているのは、僕だけだ。それを表現できるのも、書き残せるのも、僕だけだ。
目に写った景色と、鼻を通った匂い。肌で感じた雰囲気と、そこで抱いた感情。それらすべてを真空パックして文字に落とし込み、コンテンツとして届ける。
 
そうして自分にしか紡げない文章で、誰かの失くしてしまった感情を蘇らせることができたなら。新しい気づきを与えることができたなら。
いつかの僕のように、救うことができたなら。
 
これ以上の喜びは、ない。
誰かが一歩を踏み出すきっかけを与えるために。これからも僕は、文章を書く。
 
だけど一本書いて終わり、ではダメだ。それでは、卒業アルバムに書かれたメッセージと同じ。
ひと時の感動は、時間経過とともに薄れていく。いつしか、忘れ去られる。それでは、いけない。
 
息を吐くように、書き続ける。
自分と、読者の心を、震わせ続けよう。
 
今のこの決心も、いつかは消えて無駄になるのかな。そんな風に、今の僕は思わない。これからもずっと、書き続けてやる。
誰かに笑われようとも、愚直に「永遠」ってやつを、信じてみるとする。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
平野謙治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京天狼院スタッフ。
1995年生まれ24歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告会社に入社。2年目に退職し、2019年7月から天狼院スタッフに転身。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
『母親の死が教えてくれた』、『苦しんでいるあなたは、ひとりじゃない。』の2作品でメディアグランプリ1位を獲得する。
6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。

 
 
 
 

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