週刊READING LIFE vol.56

サバランの逆襲。《週刊READING LIFE Vol.56 「2020年に来る! 注目コンテンツ」》


記事:佐和田彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

ケーキを選ぶ時、私はとある一文を探す。
『このケーキにはお酒が含まれています』
色とりどりのフルーツも、褐色のチョコレートも、どれも美味しいのは分かっている。
だが、私は、そこにどうしても入って欲しいのだ。
舌にピリリと感じるわずかな苦味と深みのある芳香。
フルーツの爽やかさを落ち着かせ、チョコレートの濃厚さを引き立てる。
紅茶やコーヒーで口の中がリセットされても、胃の底からほのかに上がる熱は消えることはない。跡形もなくなったケーキの残穢が、そこにある。
その感覚が、どうしても忘れられない。
そして、その残穢を一番強く感じるケーキを、私は知っている。
たとえ、シンプル過ぎる見栄えで、ショーケースでは目立たなくても。
たとえ、他のケーキよりも若干高値を付けられても。
あれば買ってしまう、魅惑のケーキ。
その名は、『サバラン』
このケーキの主役は、フルーツでもチョコでもない。スポンジや生クリームすら脇役だ。
スポンジは主役を引き止めるための土台であり、生クリームは逃がさないための蓋だ。
洋酒。シロップと一緒に混ぜられた液体こそが、このケーキの主役なのだ。
 
「日本酒のサバラン?」
洋酒じゃない。
蒸留酒でもない。
初めて見るケーキに、私の好奇心は止まれなかった。
これから、池袋に行かなければならないのに。
これから、天狼院書店で講義を受けるのに。
頭の中で抗議しても、すでに手提げの中には件のケーキが入っている。
そっと箱を開けると、中には真っ白な丸の中央にスポイトの頭がぷすり、と刺さっている。
最近、流行りのスタイルだ。
中には酒をふんだんに用いたシロップがたっぷりと入っている。
追いシロップ、と言えばいいのだろうか?
ただでさえしっとりとスポンジを濡らすシロップを更に足すのだ。
口いっぱいに広がる酒の芳醇な香りとしっかりとした甘さ。
この器具が付いているだけで期待が高まる。
だが、どこで食べよう?
流石に店内に持ち込める飲食店はないし、道端で食べるには惜しい。
私は、仕方なく、南池袋公園へ向かう。
最近、近くにブルーボトルコーヒーが開店したので、こちらのご相伴にも預かって。
桜の木の下にあるテーブルの上に即席のケーキセットを展開する。
生い茂る葉の隙間から、青空が見える。
太陽が頭上にある時に食べるサバランは、なぜかいけないことをしている気分になる。
使われている酒のアルコール度数が高ければ高いほど、背徳感が増していく。
スポイトの中を全て押し込むと、もう、後戻りはできない。
「いただきます」
切り口から染み出すシロップがサバランを守る容器に溜まる。
普通のケーキより若干背の高いそれは、サバランの必需品だ。
滲み出るシロップを一滴残さずうけとめるため。
そして、余ったシロップを一滴残さず飲むため。
どれだけ容器に溜まるのか、期待しながらケーキの一片を口に含む。
日本酒と甘味。これがとてつもなく合う。
日本酒独特のフルーティな香りは消えず、甘さと一緒に口の中に広がる。
日本酒自体、あまり香りの強いものではないのだが、このサバランはしっかりと日本酒が自己主張していて、洋酒にない爽やかさとすっきりとした後味が心地いい。
美味しい。すごく美味しい。
コーヒーで口直しをしても残る日本酒の味。
そういえば、どこかで聞いたことがある。
日本酒の旨味は舌に残りやすい、と。
ワインなどのマリアージュは口に少し食べ物を残した状態で行うのだが、日本酒はそんなことをしなくても、きちんとマリアージュできているのだという。
腹の底からくる熱と相まって、ほのかに寒かった公園の風が心地よくなっていく。
一口、一口とケーキが小さくなるにつれ、シロップがどんどん容器に溜まっていく。
この液体を飲み干したら、どんなに幸福なのだろう。
そう思いながらふと時計を見る。
時刻は、講義開始時間をゆうに越えていた。
 
人をダメにするスイーツ。
それが『サバラン』というものだ。
今はなき浅草のアンジェラスのサバランはシロップのアルコールがとてつもなく高かった。まるで、固形の酒を食べているような、そんなケーキだった。
また、食べることができるだろうか?
完全に大人のためのケーキ、『サバラン』は、日本酒という強い味方がついてさらに進化した。
洋酒も沢山ある。
ブランデー、ウイスキー、ラム。それぞれの良さを生かしたシロップが染み込んだサバランはどれも魅力的だ。
ケーキは華やかさだけが武器ではない。
シンプルながらも最高の背徳感を得られる。
非日常への一歩は、こんなにもシンプルなのだ。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
佐和田 彩子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

埼玉県生まれ
科学、サブカルチャーとアニメをこよなく愛する一般人。
科学と薬学が特に好きで、趣味が高じてその道に就いている。
趣味である薬学の認知度を上げようと日々奮闘中。

http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-11-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.56

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