パッケージの格好良さは、創業者が描いたシナリオだ《週刊READING LIFE Vol.82 人生のシナリオ》
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
「性能の良い物、速い物は、先ず、格好良くなければならない」
新幹線の生みの親、旧国鉄の技師長であった島秀雄氏が、東海道新幹線の車両設計について語った言葉だ。
初代の新幹線‘0系’は、開業当時5歳だった私の眼で見ても大変格好良く、異次元の走り(速度)を感じさせるものだった。
確かに、列車を始めとして飛行機でも自動車でもそうだが、最新鋭の物は必ずといっていい程、格好良く仕上がっている。しかも、乗り物である以上、その時点での最速という副産物も付いてくるものだ。
モノづくりの国である日本では、職人肌の創業者を歴史上数多く輩出している。代表的なのは、SONY創業者の井深大氏や、本田技研創業者の本田宗一郎氏だ。それらの方々は職人出身なので、自然と意匠(デザイン)にこだわる。作り出されるものは、必然的に格好良くなる。島秀雄氏の意見と、一致するところだ。これはまるで、職人気質の創業者は、世に出すモノのデザインまで、既にシナリオに起こしてモノ作りをスタートさせているかの様である。
また、そうした見た目の格好良さは、本体だけでなくパッケージ(外箱)等にまで及ぶことが多い。それは、パッケージ・デザインによって中身(本体)の性能を低く捉えられたら大変だからだ。特に本体が、比較的均一な物、例えば大きく性能差が出難い消費財等は、外箱のデザインが中身(本体)の性能以上に重要な場合が多い。
このところの騒動で、国内のマスク不足が続きていた。5月の半ばに入って一段落した感が有るが、4月中のマスク不足は悲惨ともいえる状態だった。事情は兎も角、政府はマスク製造可能な異業種各社に対し、一斉に製造要請を掛けたことが大きく報じられた。その中で、最も早く名乗りを上げ、要請に対し最も協力的な姿勢を取ったのが、家電メーカーのシャープだったことは周知の事実だ。
未だにネットでの抽選販売となっているシャープ製のマスク。当然、滅多なことでは手に入らない状況が続いている。私も何回となく抽選に申し込みをしているが、一向に当選する気配を感じない。
そんな中、関西に住む私の友人が、シャープのマスクに当選した。正確には、購入する権利を抽選で得た。
医療関係の仕事に就いていて、当然、在宅での勤務が出来ない状況の彼女は、長年ひどい花粉症に悩まされていたので、マスク当選は、自分のことの様に嬉しく安堵したものだ。当選を喜んだ彼女は、SNSを通じて我々に当選を報告してくれた。
添えられた写真は、見慣れた何の変哲もないマスクと、それに反して実に格好良い外箱だった。白地に暖色で印刷されたハートマークと、社名ロゴが印象的な外箱だった。
毎日使う消費財のマスクだけに、この外箱のデザインには、力が込められていると感じた。それと同時に私は、シャープという会社の意地を感じた。そしてこれは、創業者が書いたシナリオなのではとの思いを禁じ得なかった。
御存知の通り、シャープといえば、液晶テレビのガラパゴス化により業績が悪化していた。テレビのガラパゴス化とは、日本製独特の高度・高性能化が進み過ぎ、価格が高騰すると共に機能が進み過ぎてしまったことに始まる。
日本では、多機能なテレビが喜ばれるが、一方、輸出先である諸外国では、性能よりも丈夫さと低価格を求められていたのだった。日本の国内市場の需要に気を配り過ぎ、より大きな国外市場の需要を見誤った形となった。
実際、鳴り物入りで建設された、三重県の亀山工場では世界でも類を見ない高品質な液晶パネルとテレビが生産された。『SHARPの亀山モデル』というネーミングを、一度は聞いたことが有るだろう。
ところが、その高品質は万人が認めることとなったが、業績が思った様には上がらず、巨費を投じた最新鋭工場は経営を圧迫することとなった訳だ。ところが、クリーンな空気を必要とする液晶パネル製造ラインの環境が、衛生用品であるマスクの生産に役立つことになったのだ。
奇(く)しくもこの投資(亀山工場建設)が無ければ、こうして、日本国中が非常事態となったこの時に役立つとは誰が考えたことだろう。
その答えは、シャープ(SHARP)という、母体が大正元年(1912年)に設立された会社にしては、妙にハイカラな社名にあるのではと、今回、私は気付いた。
何しろ、1912年といえば、松下電器(現・パナソニック)が立ち上がる前で、遠く北欧のストックホルムでは、第5回近代オリンピックが開催されていた年だ。嘉納治五郎先生の呼び掛けで、三島弥彦・金栗四三の二選手が、初めて日の丸を掲げて入場行進し、国旗のデザイン性が世界に知られた年でもある。
シャープの創業者は、早川徳次という明治26(1893)年、東京下町(現在の中央区日本橋人形町辺り)生まれの男だ。職人の家の生まれだったが、実母の死によって2歳の時に養子に出されてしまった。養子だった為、学校は小学2年までしか通わせてもらえなかった。
一歳年下の松下幸之助(松下電器創業者)も同じだが、19世紀生まれの企業創業者の多くが、まともな学校教育を受けていな。だからか、戦前生まれの多くが、
「商売人=学校教育不要」
の教えを信じていたものだ。
なので日本では、そうした低学歴でも事業を成功させた創業者を、美談として祭り上げる傾向がよく見受けられるのかも知れない。
学校にも行けず、幼くして家業を手伝わされている早川徳次を不憫に思った近所の人が、自分の知人を頼って徳次を川向う(隅田川)の金属細工職人の所へ奉公に出す。明治時代の金属細工職人を、錺職人(かざりしょくにん)と呼んだそうだ。
当時の金属細工といえば、細工全般を担っていた。徳次はというと、『徳尾錠』というベルトに穴を開けずに使えるバックルを考案したり、新種の蛇口(水道自在器・5号巻島式水道自在器)で特許を取得したりした。
ここまでは、早川徳次自身が描き演じた人生のシナリオは、順調にページをこなしていった。
金属細工加工の技術に長けていた早川徳次は、次に文具に着目し、当時、一般に普及し始めた万年筆の金属クリップの製造を始めた。そこで好評を得て、次に大きな転機となったのが、繰出鉛筆(後のシャープペンシル)の内部部品製造を依頼されたことだ。徳次は工夫と創意をこらし、内部に真鍮の一枚板の部品を使用し、外装もニッケルメッキを施した金属軸とすることで、実用性と装飾性の高い製品を完成させてみせた。
未だ和装が多かった当時の日本では、和服に合わない・冷たく感じるとの理由で、早川式シャープペンシルは、大ヒットしたとはいえない状況だった。徳次のシナリオに狂いが生じ始めた。
そして遂には、東京都墨田区東部や、江東区に広げた工場を1922(大正12)年9月1日に発生した“関東大震災”でその大半を失うに至った。早川徳次のシナリオは、震災を避けた筈の家族まで失うに至って完全に崩壊した。
そのまま、立ち上がることが出来ないのは凡人で、後の世に残る偉人のシナリオは、例え崩壊しても、何らかの形で回収されるものだ。少なくとも、修復を試みたり、周りから助けられたりするものだ。
時には、世間が放っておかないというか、必ずといっていい程、要望が聞こえてくるものだ。
早川徳次のシナリオでもそうだった。
東京の下町で被災し、家族は罹災したので、徳次は止む無く知人を頼って関西で出直しを計ることになる。その際、再起する財源として、シャープペンシルの特許を取引先だった文具会社に売却した資金を充てた。
職人として、世に役立つモノ作りを心掛けていた早川徳次は、大震災の被災現場で、情報が最も重要なものだと知り、一般放送が始まる前にもかかわらず、ラジオ受信機の製造を始める。
そして、新設した『早川電気工業』の商品ブランドに、礎(いしづえ)となった特許から“シャープ”を使うことにしたのだった。これこそ、早川徳次のシナリオの真髄だった言えるのだろう。
その後、“シャープ・ブランド”は、ラジオから家電やテレビも手掛ける様になり、今日の隆盛は、家電量販店に並ぶ商品の数を見れば一目瞭然だろう。
ただ、創業者の没後、会社としてのシナリオは、狂い始めていた。正確には、より良い・より役立つ製品を目指していたが、会社の業績では、より利益を取ることが出来る他社の、後塵を拝することとなった。
そして遂には、業績回復を手助けしてくれる国内企業が見付からず、隣国の同業社からの出資を受けることになった。一部では、外国企業に買収されたと陰口を叩かれたが、私から見れば、手助けが現れるだけマシだし、外国からの援助が気に入らなければ、自分で助ければ済む問題だ。
これは、“役立つ製品を世に送り出す”という創業者が起業の際に描いたであろうシナリオと、何等相違がないと私は感じるからだ。
会社が消滅し、売却されでもしていたら、こんなに高性能で格好良いパッケージ・デザインのマスクが、出回ることは無かっただろう。
SNSに挙げられた写真を見て、私は思わず、
「何故、made in JAPAN」
と、表記しなかったのだろうか少々残念に感じてしまった。
むしろ、私が当事者だったら、このマスクに、
「亀山モデル」
と、名付けてしまったことだろう。
多分、その両方の表記が無かったのは、早川徳次のシナリオに、
「自社を誇る」
との、書き込みが無かったからだろう。
1mm程の、残念感が出て来た。
□ライターズプロフィール
山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター 1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役 幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余 映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿 ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている 本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」 映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
現在、Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックを伝えて好評を頂いている『2020に伝えたい1964』を連載中
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
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