あのコートが私の行く先を指し示す《週刊READING LIFE vol.113「やめてよ、バカ」》
2021/02/01/公開
記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
親友のサキと待ち合わせをしたある日、現れた彼女を思わず二度見した。
サキは美人で、オシャレのセンスもあると仲間内で評判だった。ファッション誌に出てくるような可愛らしいコーディネートが好きで、旬をよく捉えた着こなしを見るのは、サキに会う時の密かな楽しみの一つだった。
「お待たせ」
にっこり笑うその笑顔は、変わらず美人。
「ううん、今きたとこ……」
笑い返しつつ、ついマジマジと、サキの頭からつま先まで視線を動かしてしまう。
紺地に白い水玉のスキニーパンツ。
緑とショッキングピンクが鮮やかなニットのカットソー。
ここ最近のメジャーなファッション誌に並ぶコーディネートと言えば、ナチュラルカラーやアースカラーと言われる優しい風合いの色味で、ゆったりしすぎるくらいのシルエットのものが主流だ。ついこの前会ったサキもそんな感じの服を着ていたような気がする。だが、今私の目の前にいるサキは全然アースカラーじゃないし、ゆったりもしてない。個性的、独創的、サイケデリック、そんな単語が脳裏に次々と浮かんで来て、もう一度マジマジと眺めてしまう。顔と髪型は同じなのに、全くの別人になってしまったみたいだ。
だけど、強烈に、サキに似合っている。
待ち合わせはサキと私だけではなく、アミとマイもいた。二人も私と同じようにサキのいでたちを凝視していたようで、結果としてこの場には数秒、体感時間では数分ほどの奇妙な沈黙が流れたことになる。サキは変わらず悠然と微笑んでいて、アミが沈黙にたまりかねたように口を開いた。
「……サキ、服の系統変えたんだね」
「うん、そう」
「似合ってるけど、前と正反対じゃない?」
「実はね」
サキは目的地に着くまでの間に、ファッションがサイケデリックになった理由を話してくれた。ある日職場の同僚のファッションが、今日のサキのようにガラリと変わったこと。オシャレ感度の高いサキは、その変化が気になって気になって、思い切って同僚に聞いてみたこと。彼女はパーソナルスタイル診断と買い物同行サービスを利用していたこと。サキ自身も早速利用してみたこと……。
「診断受ける前は、小花柄とか大好きだったんだけどさ。小花は似合いませんって言われて、速攻全部捨てたよね」
確かにサキは小花柄が多かった。可愛い女性のイメージが強い柄だし、美人のサキが着れば何だって似合っているように見えていた。だが今この強烈にサイケデリックな色合いを颯爽と着こなしているサキを目の当たりにしてしまうと、どちらが似合っているか、と問われて、小花を選べる自信がない。
本当に似合うものを着ると、こんなにも違うのか。
その事実を体現しているサキを目の前にして、欲望を抑えるなど土台無理な話だった。私たちはパーソナルスタイル診断について根掘り葉掘り聞き、サキは快く答え、利用したサービスのURLを送ってくれた。帰路の電車の中でスマホをいじり、パーソナルスタイル診断のページを食い入るように読み漁った。
「…………」
自分に似合うスタイルなんて、ずいぶん昔に置いてきてしまったような気がする。若い頃のオシャレやファッションとは、なりたい自分、憧れの自分を服に投影して纏うことだった。大人っぽく見える服。意中の彼に可愛いと思ってもらえそうな服。テーマパークなどでアクティブに活動できる服。仕事が出来そうな雰囲気の服……。若くて今より痩せていたので、ある程度まではそれなりに着こなせている、というのもあった。服が変わると気分までガラリと変わるのが魔法のようで面白くて、ずいぶんな金額を費やしたものだ。
今、アラフォーとなり子育てをしていると、当時と同じような気持ちで日々ファッションを楽しむことは難しい。小さな子供のママは、ファッション性よりも動きやすさ、汚れの落ちやすさ、洗いやすさを基準に服を選びがちだ。そうすると履き古してクタクタになったスキニージーンズやTシャツなどを選びがちになる。子供を産む前はそういう組み合わせは所帯感が漂うような気がして敬遠していたが、なんてことはない、これはママ達の制服のようなものなのだ。自分の希望など二の次で、ママ達はこのスタイルに収束していく。そうすると、今日のようにたまの外出をする時にどんな服を着ればいいのか分からなくなるのだ。ちなみにサキの話を聞いた後、それぞれの最近のファッション事情について話したが、私の服装へのコメントは予想通り「すっかりママって感じだね」だった。
受けてみたいな、パーソナル診断。
だが、それじゃあすぐさま申し込もうと思い切るにはやや高い金額だった。お小遣いを貯めて受けようかどうしようか迷っているうちに、先日の四人で集まる機会がまたあった。サキは今度はどんな服を着てくるかな。楽しみに集合場所に向かうと、先に着いていたサキは鮮やかなコバルトブルーのワンピースを着ていた。深いV字の胸元とノースリーブが何とも上品な雰囲気で、そのままハリウッドのレッドカーペットだって歩けそうだ。さすがだね、素敵。着こなしにコメントをすると、サキは相変わらず美人に微笑んだ。アミが合流し、残すはマイが来るのを待つのみだ。
「お待たせー」
色白のマイは、肌の白さがより際立つような紅い服を着ていた。大胆なフリルがついているけれど、過度に豪奢なわけではない。そのいでたちはとてもよく似合っていたが、マイはもともと青が好きだと公言していたので、紅を纏う彼女は何かハッと引き寄せられるようなミステリアスな雰囲気を醸していた。話を聞くと、マイもパーソナル診断を利用したのだという。彼女が好きだった寒色系を否定され、ストライプ柄を否定され、クローゼットの中身がガラリと変わった、とマイは笑った。
「ずーっとストライプ柄着てたからさ、職場の先輩に、やっと刑務所から出てきたね、なんて言われちゃったよ」
ストライプ柄だから、それを鉄格子に見立てて刑務所! ウィットに富んだ先輩だね、と私たちは学生時代に戻ったかのように笑い転げた。
「サキもマイもガラッと変わってすごいなあ。私も受けてみようかなあ」
「うん、受けてみなよ、すごい変わるよ」
「やっぱりプロの見立てってすごいよ」
経験者二人は私のぼやきを鋭く捉えてグイグイ引き込んでくる。
「けいちゃんはね、きっとドラマチックだと思うなあ」
「わかる、絶対そうだよね」
二人が利用したパーソナル診断は、骨格や輪郭、肌のトーンに合わせていくつかのタイプに分かれるんだそうだ。ロマンチックやらなにやらいろいろあるらしいが、私はおそらくドラマチック、という見立ては二人とも譲らなかった。
「だって、あのコートを着こなせる人は、そうそういないよ」
サキが青い衣の女神のように笑いながら言う。
「初めてみた時の、これを似合う人がいるんだ、って衝撃は、一生忘れないと思う」
「あーあのコートね! モンゴルっぽいやつ」
「あとなんかハギレ適当にくっつけましたみたいなやつ」
「もー、やめてよ〜」
アミもマイもあのコート、と言うだけでバッチリ思い出せるほど強烈に覚えているらしい。こうなるといつもの流れで、どれだけ奇抜なコートだったか、初めて見た時に度肝を抜かれたか、三者三様の感想を聞かされる羽目になる。今更新しい感想なんて出てきやしないので完全なる茶番なのだが、私が黒歴史を思い出したような顔をするので、三人とも面白がっているのだ。言われる身としては勘弁してほしいものだ、バカバカバカ。
三人があのコート、というのは二着あった。一つは真冬向けのフェイクファーのロングコート、もう一つは春先に着る綿素材のスプリングコート。ロングコートは、端的にいうと、モンゴルや中東あたりの狩猟民族が着てそうな刺繍の入った毛皮のコートを、日本の若い子が着る用にシュッとした感じにファッショナブルにしたものだ。とにかく細身で、下にもこもこセーターの類は着ることができない。薄手のものを着ても、太ると二の腕まわりがきつくなったり、ウェストのところのファスナーが閉まらなくなったりする。その上身長166cmの私の膝より更に少し長いくらいの丈なので、着る人を選ぶコートなのは間違いない。大学生になりたての頃に、友達に連れられて渋谷のパルコでこのコートを見かけた時の衝撃は私自身よく覚えている。都会にはなんて前衛的なものがあるんだろうという驚き。コートとしての値段はまあ相場だが、ついこの前まで高校生で、一着一万円しないユニクロのコートを着ていた私には、清水の舞台から飛び降りるような価格。それでも、一目見た時から「これは私のコートだ」と確信してしまって、取り置きをお願いして、お小遣いを前借りして、なんとか手に入れたコート。
もう一つは、淡い水色の木綿地に、ピンク、黄色、茶色で小洒落た街並みを描いた布を、スパンコールとともに大胆に縫いつけた、これまた実に前衛的なデザインだ。確かモンゴルコートを買ってしまった時の春にやはり衝動買いしてしまい、親にこっぴどく怒られたことまで一緒に思い出される。これは丈は普通のスプリングコートと変わらないので、モンゴルコートほど人を選ぶわけではなさそうなのだが、着たらとにかく派手になるので、本人の雰囲気によっては派手さに負けてしまうかもしれない。これを着こなしていると相当目につくらしく、最寄駅で電車待ちをしている時、「あなたこの前原宿にいた? そのコート素敵だなって見てたのよ」とセレクトショップのオーナーを名乗る人に声をかけられたこともある。
モンゴルコートと、派手春コート。
この二つのコートが似合う私は、パーソナル診断でもきっとドラマチックになるだろう、と二人は頷きあっていた。
「…………」
その日の帰り道は、スマホはいじらずに、クローゼットにしまいっぱなしの派手なコート二つを思い出してみる。このコートを着て、踵の高いブーツを履いて街を歩くと、あちこちから視線を感じた。好奇とも羨望とも嘲笑ともつかないが、誰かが数秒、私に目を留めている。素敵でしょ、このコート。素敵でしょ、このコートを着ている私。誰に言うわけではないが、背筋を伸ばし、目線を上げて、少し微笑みながら歩く。視線なんて気にしていない、精一杯そんなそぶりで、でも誇らしい気持ちで胸いっぱいになりながら、街を、キャンパスを歩く、あの指先がチリチリとするような感覚。
私は子供の頃からオシャレだったわけではない。むしろ無頓着な方だったと思う。更に母と私は服の趣味が違うのに、母が選んだものを着ることが多かったので、尚更似合うだとか可愛いだとかそう言った感覚はなかった。中学に進学して制服を着るようになるとますます服から興味がなくなったが、同時に親よりも一人や友達と服を買いに行くようになったので、自分はどんな服が好きなのか、何が似合うのか、全くわからなくて困惑した。友人達が熱心に選定する横で何となく自分も選ぶうちに、少しずつ自分の好みやに合うものが分かってくるのはとても楽しい作業だった。
それでも、あのコートを見た時の衝撃を超える服に出会ったことはない。
モンゴルコートも派手春コートも、私のためにあつらえたかのように、私に似合っていた。
「…………」
あのコートが、私はドラマティックだろうと判断する材料になるのなら、今はまだパーソナル診断は受けなくてもいいんじゃないかな。なかなか時間は取れないけれど、自分の直感に、琴線に響くものを選べば、それはきっと私に似合う服なんじゃないだろうか。そうやって選んだ服は、サキやマイのように、かつての私のように、不思議と人に自信と余裕を与えてくれる。まだ私に、そんな服を選ぶことができるセンスが残っているだろうか。残っていればそれに従えばいいし、ダメそうならパーソナル診断を頼めばいい。
手始めに、次にこの四人と会う時は、あのコートを着て行ってみようか。
三人とも目を丸くして、大爆笑して、事あるごとに話題にしてくれるだろう。
二十歳の私を最高に輝かせてくれたコートは、今の私も同じように包み込んでくれるだろうか。
「……次に会うまでに痩せよう……」
二十歳の頃とは比べ物にならないほど逞しい自分の二の腕を鷲掴みにして、私はがっくりとうなだれたのだった。
□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」、取材小説「明日この時間に、湘南カフェで」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company
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