週刊READING LIFE vol,119

ノート 〜一生もんのパートナー〜《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》


2021/03/15/公開
記事:白銀肇(LEADING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私にとって、一番手離せないツール。
それは、手書きのノート。
携帯が主流というご時世だが、この手書きのノートは欠かせない。
外出するときでも、いつも最低でも3冊のノートは持ち歩く。
ノートが、私の考え方や価値観を変え、自分のことをより知ることができるツールとなっている。
だから、手離せない。
 
用途によって色々と使い分けている。
何か気がついたことをメモしたりするノート。
ちょっと感情的になったときの書き出しに使うノート。
考えごとをしたりする時のノート。
他にも色々とあるが、出かけるときに持ち出すノートは、ほぼこの3種類。
 
使うノートも、こだわっている。
横罫ノートは、使わない。
必ず、無地、もしくは方眼罫線が入ったものしか選ばない。
思ったこと、感じたこと、それを新鮮なまま書き込みたいからだ。
私の場合、横罫だと、その罫線幅に文字を書き込まないといけない、という思いがつい働いてしまう。
その思いが働くといったって、かなり瞬間的なのだが、それでも私の書き込み作業にとっては「ノイズ」になるのだ。
とにかく、何ごとにもとらわれず書き込みたい。
ちなみに、方眼の場合でも、大きいマス目は選ばない。
横罫と同じで、大きいマス目だと、それを意識してしまうからだ。
だから、方眼ノートの場合は、できるだけマス目の小さいものと決めている。

 

 

 

このノートの使い方を教えてくれたのは、友人だった。
数年ほど前に家内を通じて知り合い、それ以来、私たち夫婦との共通の友人となっている。
 
「とにかく自分の秘めている思いをノートに全部書き出すの。喜怒哀楽、全部正直に思ったまま、感じたままのこと、気づいたこと、それをノートに吐き出す。そうしていくと、やがて気持ちが切り替わり、次に進んでいくのよ」と彼女は言った。
 
最初はピンとこなかった。
ノートなんて、事実の記録か、備忘録としての活用しかしていなかったからだ。
 
彼女と出会ったとき、仕事は深夜残業、休日出勤の連続と心身ともに非常にハードな状態、家の方も、ちょうど親父が病死したタイミングで、その整理やらなんやらが重なっていた。
平日は深夜まで仕事、休みの日は平日できなかった仕事のフォローと、家のことの整理。
心を落ち着ける日々が全く無く、まさに心が折れる寸前だった。
だから、少しでもその心を支えようと思い、彼女が教えてくれたことを試してみた。
戸惑いながらも、やり続けてみた。
とにかく仕事が忙しかったので、落ち着いてノート書くという間すらなかったので、このときはもっぱら携帯のメモアプリの活用だったが、とにかく思いついたこと、感情をそのまま書き綴っていった。

 

 

 

不思議なことに、これをやり始めてから、少しずつだが気持ちが変わっていった。
 
頭の中で思い巡らせていることが、書き出すことで整理がつく。
心の中で思っていること、感じていることを、そのままぶつけるから気持ちがスッキリしていく。
書き綴った形跡が残るから、その時に自分が何を感じ、思ったのか、客観的に見ることができる。
どんな状況であれ、その時の自分を書き出すことで、冷静さを取り戻すことができるのだ。
これが感情的に流される自分に歯止めがかかる。
そんなことを繰り返していくうち、感情的で気の短い性格が少しずつ変わっていった。
折れそうだった心も、ギリギリのところを保ちつつなんとか凌いでいくこともできた。
気の短さ、ネガティブな思考、と自分のウィークポイントが改善されているような感覚。
この体験は大きかった。
 
そんな体験の中で、もうひとつ気がついたことがあった。
それは、人間とは、本当にいろんなことを思考して、感じているのだな、ということ。
そうして、思考したり、何かに感じたことを繰り返していることをきっかけに、いろんなことを思いついたり、気がついたりしているな、ということ。
 
これをただ頭の中で繰り返しては、そのままフワっと消えていくのは、なんと勿体ないことか、と感じ流ようになった。
それからだ。
ことあるごとに、感じたこと、気づいたことがあれば、それを書き綴っていくということが習慣になっていった。
ふとしたきの思いつき、気づき。
意外とあるもので、面白い。
書き綴りながら、「あー、自分はこんなことを考えているんだな」「こんな感覚になっているんだな」と、自分で自分を再確認しているようになる。
そんな感覚も味わいながら書き綴ると、その思いつきや気づきが体の中に染み込んでいき、新しい感覚が芽生えていくような感じだった。
 
その習慣から、「ことば」を「書くこと」って、なんか力があるな、面白いな、と感じていくようにもなり、それがライティングを学ぶ気持ちなった原点にもなっている。

 

 

 

ノートは、私たち夫婦を危機からも救ってくれた。
 
去年、11月下旬の日曜日。
私と家内は、過去最大の夫婦喧嘩をやらかした。
お互い相手への怒りの感情が止まらず、それこそ殴り合いに近い事態まで発展した。
今までにも夫婦喧嘩はちょくちょくあったが、ここまでの規模は初めてだった。
この時ばかりは、さすがに本当に離婚を覚悟した喧嘩だった。
そんな規模の喧嘩を収拾させ、離婚の危機から救ったのがノートだったのだ。
 
この日、二人して大阪の知人のところへ行くため車で出かけ、この車中で喧嘩が起こった。
車という限られた空間でもあるから、周りのことを気にすることもない。
双方とも周囲に遠慮することなく感情を昂らせて、ついには、知人のところへ一緒に行くどころか、途中で別れ別れになった。
「もう一緒の空気を吸うのもイヤ! どこか適当なところで降ろして!」
と、家内にそう言わしめるまでの事態になったからだ。
 
結局、私が車を降り、電車で知人のところへ行くこととなり、家内が車でそのまま家へとんぼ返り。
車を降り、ひとりになった途端、私は気分が悪くなった。
相手への怒り、相手を受け入れられない己の器量を責める感情、後悔。
いろんな感情が湧き出てきて、頭の中が収拾つかなくなり吐きそうになった。
こんなことで吐きそうになるなんて、初めての体験だった。
 
とにかくこのままでは、自分が持たない。
そう思った私は、私たち夫婦のことをよく知ってくれている友人に思い切って相談した。
ノートのことを教えてくれた夫婦共通の友人だ。
 
とんでもない喧嘩をしてしまったこと。
いろんな感情で頭がいっぱいになって、自分がおかしくなりそうなこと。
とにかくこの事態を聞いて欲しくて、思わず連絡してしまったこと。
そのときの心情の全てを、LINEで彼女に吐露した。
 
「ブラボー! いろんな感情が出てきてよかったね。こんなときこそチャンスだからノートに書き出してみて」
しばらくして彼女から返信がきた。
「とにかく思いつくまま、格好つけずに、アホ、ボケ、カスの悪口でも何でもいいから、感情に身をまかせて出てきた思いをノートにぶつけて!」
詳しいアドバイスまできた。
 
訪れる予定であった知人には、急用でドタキャンとなることを深くお詫びするメールを入れ、すぐさまノートワークができる場所を探した。
人の少ない喫茶店を見つけ出し、そこに入りコーヒーを注文しノートを広げた。
家内への悪口雑言に始まり、自分の言い分、とにかく思いつくまま、感情にまかせるままに書いた。
きっと、おかしな光景だっただろうと思う。
中年男性が、ノートに覆いかぶさるようにして何かをただひたすら書いているのだから。
それぐらい夢中になっていた。
 
この喫茶店には、6時間ぐらい居座った。
それだけ、書くことがあった。
激昂していた感情は、それを書き出すことでやがて解消された。
その感情が消えていったとき、次に「何でこんな喧嘩になっていったのか」という自問自答が始まった。
冷静な自問自答となり、過去の自分まで遡った向き合いになっていった。
で、気がついたら6時間。
そのときには、その自問自答での結論というか、気づいたことも見出し、それを家内へ伝えて冷静に話し合いたい、という想いになっていた。
喧嘩してひとりになったときの、あのドス黒いような感情は、どこにも無くなっていた。
体重が数キロ減ったのではないか、というぐらい体も軽い感覚がした。
 
ちなみに、そのときのノートを見てみると、何が書いてあるかさっぱりわからない。
文字がぐちゃぐちゃ、ミミズがのたくっている。
そのときの感情をそのままぶつけているからだ。
でも、それでいい。
これは、あとで「読む」ノートではない。
あくまで、たまった鬱憤をただひたすら吐き出すノートであり、その瞬間瞬間の自分と向き合うツール。
だから、変な感情に引きずられることなく、次のステップに進むことができる。
 
自宅に戻ったのは深夜だったので、その日はそのまま家内と話すことなく就寝。
次の日、何気ないお互いの朝の挨拶とともに、前の日の喧嘩についての話になった。
行動を別にしてからの、自分の思い、ノートのこと、そしてそこで気づいたことを包み隠さず話をした。
ふむふむ、と軽く頷きながら話を聞いてくれる。
一通り話をした後、今度は家内が話をしだす。
最初に切り出した話で、びっくりしてしまった。
家内もまた同じように、共通の友人に相談をしたみたいで、同じようにノートを使って感情を整理していた、というのだ。
何というシンクロニシティ!
そんな出来事のやりとりが、また話し合いの雰囲気を落ち着いたものにしてくれた。
 
そうして、お互い冷静になって、もう一度話し合うことができた。
それぞれが、自分の気持ちの奥底まで探り、その上での気づきを元に話すことができたことは、今までにない関係の修復方法だった。
 
言い争い。
それは自分の正当化の主張。
どちらが正しいのか悪いのか、ただ言い合いだけ。
個人の価値観は、そもそも違って当たり前だ。
夫婦といえども、結婚するまでは歴史はそれぞれ違うのだから。
 
だけど、自分の価値観を正しいと思って、無意識に相手に押しつけてしまったりする。
それが、今回の私たちの喧嘩の真因だった。
何のことはない、ちょっとだけ「ないものねだり」していた、ということに近い。
 
その感情がわかれば、あとは冷静になるだけだ。
自分が何を感じ、何を思ったのか、をただ冷静に語ればいいだけの話だ。
感情的になる必要はない。
ノートに色々と書き出すことは、そんなことを気づかせてくれる。
そして、そのノートの使いかたを気づかせてくれた友人には、本当に感謝のことばを語り尽くせない。
感謝しかない。
この出来事以来、多少の言い合いはあるにしても、以前のように喧嘩に発展するということが今のところ無くなっている。
こうして、ノートは私たちの夫婦関係の危機を救ってくれた。

 

 

 

このようなことだから、ノートは手離せない。
 
思った「まま」、感じた「まま」を、そのまま手を動かしてぶつける。
書かれている文字が、ミミズがのたくっていても、あっちこっちいったいりしていても、それがそのときの感情の現れ。
手を動かして、のたくっているミミズ文字を見ることが、その気持ちの「まま」を体で味わっているような感覚になる。
何事にも邪魔されずに、そのときの自分の気持ちを、何の枠にもとらわれず、その「まま」に表す。
そのときに、自分が本当に何を考え、感じているのか、自分の真の姿が見えてくる。
携帯やパソコンでは、ちょっとここまでの感覚にはなれない。
「手書き」のノートだからこそ、できること。
ノートは、間違いなく一生もんのお付き合いになるであろう。
 
そして、ノートは無地、もしくは方眼目。
これに限る。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
白銀肇(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

京都府在住。
2020年6月末で29年間の会社生活にひと区切りうち、次の生き方を探っている。
ひとつ分かったことは、それまでの反動からか、ただ生活のためだけにどこかの会社に再度勤めようという気持ちにはなれないこと。次を生きるなら、本当に自分のやりがいを感じるもので生きていきたい、と夢みて、自らの天命を知ろうと模索している50代男子。

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2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

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