週刊READING LIFE vol,119

人生何度でもやり直せるなんて無責任に言ってはいけない《週刊READING LIFE vol.119「無地のノート」》


2021/03/15/公開
記事:椎名真嗣READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
 
 
「人生は何度でもやり直せる」って言えない時もある。
息子が中学受験を失敗した時もそうだった
 
息子は小学校3年から塾通いを強いられていた。
目指すは超有名私立大付属の中高大一貫校。
私自身は地方出身者であり、私大一貫校の有難みなんて全くわからない人間だ。一方東京出身の妻はもちろんの事、妻の父、母、姉、弟とも東京の有名私大一貫校出身者。私は内心「別に学校なんて公立でよいじゃないか」と思っているが、マスオさん状態の私に息子の進路に関する発言権なんて一切なかった。
 
私に似ず真面目な息子は、難関中学合格者数ナンバー1を謳う有名進学塾に小3から通い始める。6年生になると、平日は夜10時前まで、土日も1日中塾にいる生活。ほぼ塾に住んでいるようなものだ。
塾終わりに車で迎えに行くのは私の務め。助手席の息子の横顔を見ると勉強疲れで生気がない。私自身は小説家を目指し、私大の文学部に入りたかったが、見事に受験失敗。滑り止めに受けた地元の国立大の経済学部へ行った。それでも今は中小企業の営業本部長を務める身。憧れの小説家には慣れなかったが、それなりに自分の人生には満足している。「学校だけが人生ではないのだよ」と助手席の息子の横顔に言ってやりたかった。しかしそんな言葉は口にできない。
 
1月に入ると息子は学校を休み、寝る時間以外は全て受験勉強にささげる。
2月には偏差値70を超える本命の超一流私大付属中学を筆頭に、五月雨式に試験を受け続ける息子。そして試験の結果は……。
 
私大付属は全落ち、完敗だ。なんとか中堅どころの中高一貫校に合格できて、妻と私はほっと胸をなでおろす。
息子には
「人生は何度でもやり直せる」
なんて、いうのは入試失敗=人生失敗 みたいに映るのでさすがにいうのをやめた。
その代わり
「実はおとうさんはS中学(息子が合格した中高一貫校)も良いと思っていたのだ。なにせ東大合格者も毎年だしているようだし、お前が行きたがっているW大への進学者も毎年数十人いるらしいよ」
なんて、暗に「お前は結果的に良い選択をしたのだぞ」と言ってみたが、息子にとっては気休めにもならない。
 
息子が小学校の卒業式を2週間後に控えた3月11日。
三陸沖で震度7の地震が起きた。
東日本大震災だ。
その日、東京では主要交通網は全てとまり、私は会社のある新宿から自宅まで3時間かけて徒歩で帰ることになる。東京ではすぐに主要交通網復旧したが、東北地方の被害は甚大。ネットやTVでは津波に飲み込まれる家屋が連日のように映し出されていた。
 
7月 息子の中学校も夏休みに入る。入試失敗を未だ引きずっているのか、部活にも入らず、友達もつくれない息子が、
「東北被災地のボランティアに行きたい」
と言い出した。
7月になっても東北では以前ほどではないが余震が度々続いている状況である。東北新幹線はほぼ復旧しているとはいえ、被災地までのローカル線の復旧は未だ目途が立っていない。そんな状況の被災地に息子一人で行かせることはできない。
他方、今まで受験一辺倒で自己主張をしてこなかった息子の望みはかなえてやりたい。私は、息子と一緒に被災地に行く事を決意した。
 
目的地は岩手県某市。
某市は三陸海岸南部の代表的都市のひとつであった。
しかし、地震時の大津波の襲来で某市では死者行方不明者は合わせて400人以上、倒壊家屋は約4,000棟。津波襲来後の瓦礫の山々が当時のTVでは毎日のように映されていた。その場所に私と息子は向かったのだ。
 
新幹線でいけるのは一関まで。一関のホテルに一泊し、レンタカーを借りて、某市を目指す。
目的地の某市に近づくにつれ、瓦礫の山、山、山・・・・・・。
助手席の息子に目をやると息子はただ茫然と外の景色をみていた。
 
昼前に某市に到着した。黄土色の土と瓦礫、廃墟。
ボランティアセンターという大きな看板を見つけて、そこで係の方から説明を受ける。
 
「瓦礫撤去をお願いします。もし遺骨等を発見した場合はもってこようとせず、ボランティアセンターのボランティアに言ってください。明確に個人が特定できるものでない限り、ゴミとして所定の場所に捨ててください。とにかく怪我がないように。よろしくお願いします」
 
一通り係の方から説明を聞き終わると、私と息子は瓦礫が散乱している場所に向かった。そこには既に20名くらいの人々が瓦礫を撤去し、廃棄場に移動させる作業を無言で行っている。誰が指示するわけでもなく、会話もほとんどなく、一心不乱に瓦礫撤去に挑む人々。これが平和な街の清掃作業なら、「どこから来たのですか?」なんていう世間話の一つもするのであろうが、ここで尊い生命が奪われた場所。祈りを捧げるように瓦礫を撤去していく人々。
 
私と息子は炎天下の中、3時間ぶっ通しで瓦礫撤去を続けた。さすがに疲れてきた私達はコンビニで事前に購入しておいたお茶とおにぎりで昼食を取る事にした。50m先に学校らしき建物が見える。そこで昼食を取ろうという事になり、息子と2人でその建物に向かって歩き出した。
 
校庭を横断し、その建物へ入る。やはり小学校だった。3階建てのその建物は全てのガラス窓が破れ、この建物が津波にのまれた事がよくわかった。3階に行くと白いチョークで黒板一杯の字で『卒業おめでとう』の文字。その隣には『先生ありがとう』と書かれている。その文字を囲うように似顔絵が並んでいる。
地震があった3月11日は金曜日だった。
この教室で6年生達は最後の授業を受けたのだろう。授業が終わり、中学校の新生活に心を弾ませていた子供達。そこへ津波が押し寄せ、全てを飲み込んだ。この教室にいた息子と同学年の小学生たちは助かったのだろうか?
 
その教室の隅で瓦礫に挟まって泥だらけのCompassのA4のノートを息子が見つけた。このノートの持ち主は中学に入ったら使おうと思っていたのかパラパラとめくっても文字は書かれていなかった。表紙にも裏面にも所有者を表す名前や手がかりは一切記されていない。息子はやむなくそのノートを合掌しながら、瓦礫の中に返した。
「人生何度でもやり直せる」というのは明日も人生が続くから言える言葉。人生を奪われてしまえばやり直せる人生はない。人生何度でもやり直せるなんてそんな無責任な事、この場所では決して言えない、と私はその時思った。
 
小学校で昼食を取り終え私と息子は、また瓦礫の山とさらに3時間ほど格闘した。日も傾いてきたころ、作業を終了させて、私達は一関のホテルに帰り、夕食を取り眠った。
 
あくる朝、息子が「釣りをしたい」と言い出した。
私は街の釣具屋で2人分の竿と糸、そして餌を購入する。釣具屋の店主に、釣りができそうな場所を聞くと、1時間ほど東に向かうと釣りができる川があるとの事。私達は東に向かって車を走らせた。30分くらい走らせると眼前に川。道路わきに車を停車させ、川に降りてみると川底に魚が泳いでいるのが肉眼でもはっきり確認できた。私と息子はその川で釣りをする事にしたのだった。
 
1時間ほど釣り糸をたらしただろうか。目の前に魚が泳いでいるのは確認できるが、我々の釣り竿には全く魚がかかる気配がない。そこへ川沿いを川下から初老の男性が上ってきて私達に声をかけた。
 
「おめはんがだはどごがら来だの?」
「東京から某市のボランティアをしにきました」
「そうが。どうも。どうも。あっちの方はまだまだ酷がったごった」
「はい。 瓦礫の山で、すごかったです」
私の返事を聞いて、その男性は神妙に頷く。
「おらの知り合いもあそごで3人亡くなってらんだ」
私は男性に返す言葉を見つけられず、黙ってうなずいた。
 
その後もその男性と会話をしていると、今度は川上からもう一人中年の男性がやってきて不審そうにこちらを見ている。どうも今話をしている初老の男性とは知り合いらしい。
「この人達は東京がらボランティアさ来でら人だぢだ。んだがら大目にみでやって」
と初老の男性。
すると中年の男性は何も言わずに、私達を通り過ぎ、川下へと歩いて行った。
この時期はこのあたりは禁漁区になるようだ。しかし、初老の男性の口添えもあり私達は見逃してもらえた。
男性は息子に竿をちょっとかして、といって、川の流れがぶつかり合ってしぶきをあげているところにめがけて竿を振り、しばらくするとその竿を引き上げた。竿には手のひらよりひと回り大きい鮎。
「5歳の孫でもあそごめがげで投げれば十匹ぐりゃーあっという間さ釣れる。やってみなさい」
と男性。
息子は言われるがまま、何度かそのしぶきに向かって竿を振る。しかし中々狙い通りにはいかない。10投目くらいにやってめがけた場所に針と重りが落ちたのがわかった。しばらくすると息子は竿を上げた。息子が竿を上げるとそこには男性が釣ったものとは比較にならないくらい小さな鮎がぶら下がっている。それでは息子は満面の笑顔。男性も嬉しそうだった。鮎は川に逃がしてやり、さらに30分ほど粘ったが、その後竿にはあたりはなかった。男性に礼をいって私達はその川を後にし、その日最終の新幹線で東京へ戻った。

 

 

 

夏休みが終わると息子はサッカー部に入部し、中高6年間、控えのキーパーではあったがずっとサッカーを続けた。公式戦の出場は1試合だけ。その試合に私は残念ながら仕事の都合で見に行けなかった。代わりに観戦しに行った妻によると、息子は体を張って何度もファインセーブをしたが、3対1で負けてしまったという事だった。息子は高校3年の夏までサッカーを続けその後は中学受験で失敗したW大学を目指して受験勉強。今度は見事にW大学に合格して、今年W大を卒業し、社会人になる。
 
一方私はというと、あの岩手の夏以来、一度諦めた小説家にもう一度と挑戦しようと、駄文を毎日書き貯めている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
椎名 真嗣 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
現在自身のライティングスキルを更に磨くためREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol,119

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