週刊READING LIFE vol,120

うなぎは親不孝の味《週刊READING LIFE vol.120「後悔と反省」》

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2021/03/22/公開
記事:安堂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この記事は、一部、フィクションです
 
 
「うなぎって、何もしゃべらないで食べるのが作法だっけ……」
 
直樹は、そんなありもしないことが、ふと頭に浮かんだ。
 
うなぎ屋のテーブルに向かう5人。
直樹と妻、高校生の娘。それに直樹の両親。
丼がテーブルに着くと、それまでの会話がぴたりと止み、
皆がただひたすらに黙々と食べ続けていた。
 
その店は、岐阜県多治見市にある。直樹の実家がある街だ。
とある中小企業に勤め出してから、会社のある名古屋に住まいを移したが、
両親は今もその街に住み続けている。
実家を出て、20年あまり。
名古屋から多治見までは列車でも車でも30分ほどだが、
その近さが邪魔をして実家を訪ねるのは年に5度もない。
その度に、こうして家族揃ってうなぎを囲むことが決まりとなっていた。
 
多治見は海のない岐阜県の東に位置する陶磁器の街。
美濃焼のふる里として知られる。
市内にはいくつもの窯元があり、職人たちは高温の窯を前にして作業することが多い。
四方を山に囲まれた土地柄から、そうした職人たちの精力剤として、
古くからうなぎが重宝されてきた。
また、十数年前には埼玉県熊谷市と共に40.9度と当時の国内最高気温を観測。
以来、市民たちは「暑さこそ多治見の名物!」と、その暑苦しさを楽しんでもいる。
暑い時のご馳走となれば、これまたうなぎだ。
だから、美濃焼と暑さに加えて、
いつしかうなぎも名物の一つに数えられるようになった。
 
実際、市内には、中央をうなぎのようにうねりながら流れる土岐川を中心に
名店とされるうなぎ店が多い。
その一軒、屋号もそのままの「うなぎや」が、直樹たちのお気に入りだ。
いや、正確に言うと、父・忠夫が「ここしかない」と譲らない。
 
江戸時代から続く市内で最も古いとされる店は、大きな日本家屋の構え。
その店先からは「これでもか」と言わんばかりに、うなぎを焼く白い煙が立ち上る。
香ばしい匂いが周囲を包み、うなぎ好きでなくても、つい誘われてしまう。
屈指の人気店でいつも混んでいるが、
店構えが大きな分、落ち着いて食事をとることができる。
忠夫曰く「とにかく、味と焼きが一番」らしい。
そう言われると、確かに他で食べる味よりも一段上な気がする。
 
しかし、直樹たちが家族でこの店に通い出したのは、つい数年前からだった。
きっかけは、やはり忠夫の一言。
 
「うなぎが食べたい」
 
そのストレートな欲求からだった。
 
70を過ぎた頃、忠夫は歯の悪さに悩まされた。
それまでの不摂生がたたってかポロポロと抜け落ち、
ついには歯が1本だけとなってしまった。
入れ歯もこしらえたが口に合わず、そのせいで、すっかり食が細くなってしまった。
 
「うどんすら固くて食べられないって言うのよ」
 
そう、ため息まじりに母は言った……。
 
忠夫は、父親として放任主義だった。いやそれ以上だったかもしれない。
子供への関心が皆無かと思わせるほど、直樹には構ってもらった記憶がない。
小学校の教員を務め、近所の人から「先生」と親しまれた祖父に可愛がられた分、
直樹がおじいちゃん子だったことも影響したのだろうか。
特に祖父が生きていた頃は、直樹と忠夫の間には微妙な距離があった。
 
ただ、一度だけ少年野球に入ったばかりの頃、キャッチボールをしてもらったことがある。
小学4年生の直樹に向って、なぜかアンダースローで速球を投げつけてきた。
 
「なんて大人気ない。で、なんでアンダースローなんだ?」
 
そう思いながらも、初めての父親とのキャッチボールを楽しんだが、
運動は苦手だという忠夫は、それきり相手をしてくれなかった。
 
旅行に行っても似たようなものだった。
何度かの夏休み、親しい友人家族と一緒に
福井県の美浜海岸へ海水浴旅行に出かけたのだが、
忠夫は宿に着くなり、1人、寝転んで持参した文庫本を読みふけった。
 
「他の家族と来ているのに、みっともない」
 
そう腹を立てる母の姿もあって、
夏休みの恒例行事は、直樹にとって楽しいというよりも切ない思い出となった。
 
ただ、どんな局面でも忠夫は穏やかだった。
何かにひどく腹を立てるような姿を見せることがない。
直樹に向って、きつく叱ることも一度もなかった。
本の虫で麻雀好きのインドア派。母からなじられても飄々としている。
小学生の頃までは「なんて、頼りない父親なんだろう」と見ていたが、
その穏やかな性格が心地よく、いつの頃か直樹は忠夫という父親を好きになっていた。
 
そう言えば、一つだけ忠夫から口酸っぱく言われたことがあった。
直樹の祖母がまだ生きていた頃、家族で夕食を済ますと決まって、こう言われた。
 
「おばあちゃんにやさしくしろよ」
 
最初は「何をそんな当たり前のことを」と思い、煩わしくも感じた時もあったが、
そうした言葉から忠夫のやさしさを垣間見た。
やさしさでは足元にも及ばない……直樹は心の中で決めつけていた。
 
そしてもう一つ、決定的にかなわないものがあった。
 
容姿。
 
小学生の頃、母と写る結婚式の写真を見た時、愕然とした。
若かりし忠夫は彫りが深い細面で、これまた若い頃の黒田アーサーにそっくりだった。
丸顔で垂れ目がトレードマークの直樹には、とても自分の父親とは思えなかった。
そう言えば、忠夫の妹のおばさんもかなりの美人だったっけ……。
 
「なんだ、オレ、母さん似か」
 
子どもながらにそう落ち込み、母に申し訳なくも思った。
大人になり、それなりに身だしなみに気を使うようになると、
写真の忠夫の容姿と自分を見比べ、「絶対に勝てない」そう何度もため息を付いた。
 
ちょっとマイペースだけど、穏やかで人一倍やさしい忠夫。
若かりし頃は黒田アーサー似の美青年だった忠夫。
そんな彼が……、今や歯が一本だけの老人となってしまった。
 
「うどんすら食べられないなんて……」
 
うどん以上に柔らかい食べ物なんてあるのだろうかと、さすがに直樹も心配になった。
 
「口に合う入れ歯を作ろうよ。金はオレが出すからさ」
 
そう、直樹が何度も言ったが、
忠夫は、行きつけの歯科医に悪いからと入れ歯を替えようとしなかった。
それならと、別の提案をした。
 
「好きなものなんでもいいから食べに行こう。オレが金を出すからさ」
 
その問いかけに答えたのが、「うなぎが食べたい」その言葉だった。
 
うどんも食べられないのに、うなぎなんて……と驚いたが、
言われるままに、忠夫が薦める「うなぎや」を予約して、
家族5人で入ったのが始まりだった。
 
「うなぎや」の調理は関西風。関東風と違って蒸さない。
腹開きにして串に刺すと、備長炭でしっかりと焼く。
時には焼きすぎたのではと心配するほどの焦げ目も付いているが、
代々受け継がれてきたという濃いタレにとっぷりとくぐらせると、
その焦げ目にいい塩梅にタレが絡む。
丼に、固めに炊いた熱々のご飯を盛ったら、並なら4枚。
特上ともなると4000円を超すが、その分6枚。
ご飯の上に置くだけでは収まらないので間にも挟むのだが、
1枚が大きくてはみ出してしまう。
ご飯の量に対して、うなぎが多すぎるのではと思わせるほどの量。
丼はなんとかバランスを保っているように見える。
 
で。一言に、うまい。
 
蒸さずにしっかりと焼いた分、にじみ出た脂で皮目はカリカリに仕上がり、
噛むごとにカシュッ、カシュッと香ばしい音を立てる。
焦げの苦みと濃いタレの甘みが絶妙なバランスを醸し出す。
続いてカリカリの皮目から、ふっくらとした身が顔を覗かせるのだが、
思いのほか淡泊で口の中でふうわりと溶けていく……。
そのうまさが消えないうちにご飯をかきこみたいところだが、炊き立てだけに熱い。
だから、ハフハフと空気で冷ましながら口に入れる。
すると、ご飯粒を噛むごとに、その澄んだ甘みが、
一層、うなぎの旨味を引き立ててくれる。
 
カシュッ、ふうわり、ハフハフ。
カシュッ、ふうわり、ハフハフ。
 
無限ループ。
会話をするために箸を置くなんて論外。その間が惜しい。
最初にこの店を訪れて以来、直樹の家族はうなぎに全神経を集中させる。
ご飯粒一粒の旨味すら逃さない。そんな覚悟とも決意とも呼べる強い思いに駆られて……。
 
ただ、直樹は最初、うなぎに集中できなかった。
 
「こんなに歯ごたえがしっかりしたうなぎ、親父は食べられるのだろうか」
 
その当たり前すぎる疑問がよぎった。
 
歯が一本の忠夫。
うどんすら食べづらいという忠夫。
 
好物と言えど、うなぎを噛み切ることなんてできるのだろうか……と、
心配したのも束の間。
忠夫は事もなげにうなぎをほお張り、あれよあれよという間に平らげていた。
 
「固くなかった? 大丈夫だった?」
 
母が声をかけると、飄々と「うまいものは食べられる」とうそぶいた。
 
「うどんすら固いって、あれ、ウソだったのかよ?」
 
拍子抜けしつつも、直樹は親孝行できたことがうれしくて安堵した。
以来、実家に帰ると決まって「うなぎや」を訪ねるようになった。
 
あれから数年経ったこの日……。
忠夫を筆頭に、やはり家族は一切の言葉を発することなく、うなぎと向き合っている。
忠夫の食欲は数年前と変わらない。いや、同年代と比べれば旺盛なほどになった。
家族で一緒にうなぎを食べるようになって以来、ずいぶんと元気になっていた。
母親が作る料理を「固い」と言って拒むことも随分と減ったらしい。
「好きなものを腹いっぱい食べさせたい」
そう選択したのがよかったと、忠夫がうなぎをほお張る度に、直樹は思った。
 
ただ、一方で最近は心に引っ掛かるものがある……。
 
実は…。
直樹は、一度たりとも実家に金を入れたことがない。忠夫たちの生活費を、だ。
社会人となった頃は、両親ともに働いていたから気にもならなかったが、
70を過ぎ、年金と母親の手仕事の賃金だけが収入となった今も入れていない。
以前、「生活費、大丈夫?」とさりげなく聞いたことはあるが、
その度に「な~んも問題ない」と返された。
娘が成長するにつれ、直樹たちの生活に余裕がなくなってきたこともあり、
そのまま甘えていた。
 
「うなぎや」へ通うようになった頃は、
忠夫に好物を食べさせるための親孝行の一つと思っていた。
しかし、いつの頃か親孝行と呼べるものをこれだけしかしていないことに気が付き、
「だから、せめても……」と、うなぎを囲むことにこだわった。
 
つまり……。
 
直樹にとって、忠夫たちと食べるうなぎは、親不孝の贖罪になっていた。
「オレは両親に何もしていない……」そう思うと、自分が恥ずかしくなった。
 
一口食べる毎に、滅多に実家に顔を出さないことを後悔
一口食べる毎に、生活費を渡さないことを反省
一口食べる毎に、初月給で何も贈らなかったことを後悔
一口食べる毎に、どこへも旅行に連れて行かなかったことを反省
 
「こんな息子でごめん」
 
頭の中で後悔と反省が交差して、少しだけうなぎが苦くなる……。
忠夫や他の家族は、ただただうなぎのおいしさに言葉を忘れているが、
その中で一人、直樹は両親への申し訳なさで言葉が出なかった。
 
カシュッ、ふうわり、ハフハフ、ごめん。
カシュッ、ふうわり、ハフハフ、いつまでも元気でいてね。
 
あと何度、こうしてうなぎを囲めるのだろう……。
 
うなぎに黙々と向かう無言の団らん。
傍から見れば奇妙なこの光景は、
直樹にとって親孝行と親不孝を悔いる時間となっていた。
 
「ごちそうさま」
「いつも悪いね」
 
店を出ると、そう忠夫と母から声を掛けられた。
 
「気を付けて帰りなよ」
 
お互いにそう言って、それぞれの車に乗って別れる。
直樹たちは名古屋の家へ。忠夫たちは多治見の家へ。
 
「うなぎや」から名古屋に向かって車を走らせる時は、決まって愛岐道路へ出る。
岐阜県と愛知県の県境、土岐川の流れに沿って山間を縫うように伸びる道。
木々の枝が道路にたれるようにかかる風景は、直樹に子供時代を思い出させる。
この前通った時は、寒さに凍え灰色に見えた木々も、
この日は、ところどころが萌黄色に染まり始めていた。
 
直樹は、春の訪れを感じながら、
さっき別れたばかりの忠夫の顔を思い浮かべていた。
 
「また、うなぎ、食べに行こうな。いっぱい親不孝させてくれ」
 
さっきあれほど後悔と反省を繰り返したのに、1人、微笑みながらハンドルを握っていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
安堂(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

名古屋市在住 早稲田大学卒
名古屋を中心とした激安スーパー・渋い飲食店・菓子
及びそれに携わる人たちの情報収集・発信を生業とする

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2021-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol,120

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