週刊READING LIFE vol.121

あなたはアヒルの子? 映画「まともじゃないのは君も一緒」を観て《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》


2021/03/29/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
アンデルセンの「みにくいアヒルの子」の話を覚えているだろうか。
 
卵からかえると、ほかとは似ても似つかないほど大きな灰色のヒナがいた。
黄色いヒナたちは、「みっともない」「なんかヘん」と、みにくいアヒルの子を笑った。
最初はかばっていたお母さんも、いつまでたってもなじめないその子の様子をみて、とうとう群れから追い出してしまう。
みにくいアヒルの子は、その後、孤独にさまよい、行く先々で、さまざまな動物たちにいじめられる。「みっともない」「なんかへん」と。
その冬、たった一人で厳しい寒さに耐え、春を迎える。
その間に、灰色の毛が抜けて、美しい大きな白い鳥に成長する。
そこへ、白鳥の群れがやってきて「こっちへおいで」とあたたかく迎え入れる。
みにくいアヒルの子は、アヒルの子なんかじゃなかった。白鳥だったのだ!
という物語だ。
 
この童話が大好きだった子供の頃は、辛く悲しくても、自分を信じていれば、かならずいいことがあるのだ、と思っていた。
 
ある程度成長してから改めて読んだときには、社会というのは、それぞれに適した環境で過ごさないと生きにくいものなのだなあ、と思った。
 
現実の社会だって同じだ。誰もが、しっくりくる環境を与えられているわけじゃない。かといって、みにくいアヒルの子のように住む場所を変えたり、旅に出たりするは容易ではない。
 
自分の周りに、アヒルの世界しかなかったら、どうだろう。
「みっともない」「なんかへん」と言われても、なんとか、アヒルらしく振る舞おうとするのではないだろうか。
それで、生きやすくなるのではあれば。

 

 

 

映画「まともじゃないのは君も一緒」を観た。
一人のオタク系予備校講師(成田凌)を、生徒の一人である18歳の少女(清原果耶)が、まともな男性に仕立て上げようと奮闘するストーリーである。
 
主人公の予備校講師は、大学までは数学を専攻。素数などの数字だけをひたすらに愛し、社会一般の常識にまったく興味を持たず生きてきた。ところが、数学者の夢破れ、現実社会に向き合ったとき、世間から浮いている自分に、このままでは結婚できないかもしれないと不安をもつ。
 
そんな彼に興味を持ったのは、塾の生徒である18歳の女子高生。彼女は、彼を変身させ、あわよくば、自分の恋敵である女性とくっつけて、自分の恋も成就させようと考える。
彼をまともな男性にするための変身計画は、コミュニケーション能力ゼロの喋り方からスタート。見た目を整え、デートの誘い方を教え……
 
予備校講師は、いわば、自分探しの旅にでることのできない、みにくいアヒルの子だ。
白鳥の群れを探せないのだから、周りのアヒルの群れに馴染むしかない。結婚したければ、アヒルに気に入られるしかないのだ。
女子高生が、彼を、見た目も中身もモテるアヒルに育て上げようとする過程が面白い。

 

 

 

人間関係は、共感で成り立っている。
 
良好な関係を築くために、多かれ少なかれ、誰もが、他人や社会を意識している。
常識やマナーはもちろん、生活スタイル、お金、時間の使い方など、価値観が同じであれば付き合いやすいし、友達にもなりやすい。趣味や食べ物の好みが同じであれば、話もあう。
だからこそ、周りの「ふつう」に馴染んでおけば、友人もたくさんでき、恋愛のチャンスも増え、結婚もスムーズにできると考えるのは、当然といえば当然だろう。
 
この映画には、「ふつう」という言葉が、なんと、54回も出てくる。
「ふつう、その笑い方、しないでしょう」
「ふつうは、デートでそんな店に行かない」
女子高生は、不器用な彼に、彼女が信じる「ふつう」を教え込もうとする。
しかし、少しずつ彼本来の魅力に気づき、自分の気持ちに戸惑いはじめる。

 

 

 

自分を「ふつう」だと思っている人はいったいどれくらいいるのだろう。身長はふつう? 体重はふつう? 顔のホリの深さや髪の色は? 体力は? 学力は? 年収は?
 
「ふつう」があるから、その上も下もある。
本当は「ふつう」になりたいわけじゃない。せめて「ふつう」以上でありたいと願うがために、ふつうを気にするのだと思う。
しかし、その「ふつう」を、どう定義すればいいのかは誰も教えてくれない。
具体的な数字や言葉で、聞いたためしなんてない。

 

 

 

「あの子、なんかへんじゃない? なんか、ふつうじゃないっていうか……」
 
「なんかへん」「ふつうじゃない」は、たとえば、「センスが悪い」「愛想がない」などと、具体的に悪口をいわれるより、はるかに恐ろしい。
 
一体、何を変えたらふつうになれるのか? ものの考え方なのか、はたまた歩き方なのか、笑い方なのか、しゃべり方なのか…… 言われたほうは、全人格、存在を否定されたような絶望を感じるタチの悪い言葉だ。
 
中3の甥に、将来の夢を聞いたことがある。
 
彼の答えは「ふつうに目立たないように生きる」だった。
 
愕然としたが、なんとなく理解できた。小さいころから、SNSのプチ炎上などを目の当たりしてきた世代だ。人と変わったことをしたり、秀でたりすることで、かえって「悪目立ち」したくないのだという。
 
脳科学者の中野信子氏によると、日本はいじめが起きやすい社会なのだそうだ。稲作文化で、災害の多いこの国では、和を乱すことは昔からご法度だった、個を滅して共同体の一員として協力することこそが、まっとうな生き方とされてきた。
そんなDNAがいまだに息づいているのだろうか。
 
最近になって、ようやく、多様性やダイバーシティなどと、次世代のあり方を考えはじめた日本社会だが、「ふつう」への強迫観念は、相当根深いものがあるのかもしれない。

 

 

 

話を映画の主題に戻そう。
 
主人公が抱く「結婚ができるかどうか不安」というのは、多くの人が持つ悩みだ。
 
かくいう私もそうだった。
「ふつうの家庭をもって、ふつうの幸せを築いてくれればいい」
両親などからそう言われて育ったが、今となっては、それ自体が、なんと難しい課題だったのだろうと思う。
 
私の父親は転勤族のサラリーマンで、母親は専業主婦。一男一女。女の子(私)にピアノを習わせ、男の子(弟)は、野球チームに所属させる。週末になると、山へハイキング、あるいは、お弁当をもって公園に。つつじの植えられた団地に居を構える昭和の中流家庭が、我が家だった。
 
だから、大人になって、年頃になれば、私も、そんな、ふつうの家庭を築くのだろうと当たり前のように思っていた。
 
が、甘かった。
 
付き合う相手とは、かならず結婚を意識した。しかし、なかなか、そこにこぎつけられなかった。
「どうしてもっと会えないのだろう」
「どうしてあんなにお金を使うのだろう」
「どうして仕事のことばかりなのだろう」
ダメになるたびに、自分が被害者のような気がしていた。
しかし、よくよく考えてみると、どれもこれも、自分にとっての「ふつう」が、相手にとっての「ふつう」ではなかっただけだ。
なぜ、かたくなに自分が正しいと思ってしまったのだろう。
 
そうこうしているうちに、私は、30歳になった。あれ、こんなはずじゃないのにと思い始めた。このまま独身かもしれないなと思った。
一方で、もう、ふつうの奥さんには、なれない気がした。
結婚が遠のく一方で、新しい趣味や、交友関係はどんどん広がっていった。
結論からいうと、両親の想像する「ふつうの家庭」は持てなかった。
 
結婚したのは、35歳。
夫とは、互いのペースをみとめあえる友人の延長のような遠距離婚の関係だ。
 
年齢を考えれば、すぐにでも妊活にはげまねばならなかった。
しかし、そうしなかった。当時、仕事でハードな生活が続いていて、妊活どころではなかったというのもある。
子どもは好きか嫌いかと聞かれれば、好きだ。友人の子を見ていて、子供がいたらいいなとは思っていた。しかし、なにがなんでも授かるための行動は、結局とれなかった。そして、夫もそれに反対しなかった。
 
そのことを、いつも、どこかで、私はふつうじゃないのかもしれない、と感じている。
 
子育て中の友人と話すときは、ただ「恵まれなかった」というスタンスをとっている。
「努力はしたんだけど……」といえば、それ以上には何も聞いてこない。
過酷な不妊治療を思い浮かべる人もいるだろうし、夫との複雑な関係を想像する人もいるだろう。
そのほうが楽だ。
「そこまで欲しいとは思えなかった」という本当の理由を告げるより。
 
子どもは、どんなに欲しくても、できない人がいる。
本当の気持ちを話したら、そこまで頑張らなかった自分は、女性としての資質を問われてしまうのではないか、自己本位な人間だと軽蔑されてしまうのではないかと想像してしまう。「欲しくて当たり前」という、世間の「ふつう」からずれていると思われるのが怖いのだと思う。
 
「ふつう」とはつくづく実体のない言葉だ。
 
みんな誰ひとりとして、ふつうの人生なんて歩いていない。
しかし、これがふだんの会話となると、ふつうを確かめあうことで、なんとなく安心することもあるのだ。
 
「食事はふつうに作っているの?」「うん」
「体調はどう?」「ふつうだよ」
「うちの旦那、ふつうの人なんだよねえ」「うちもだよ」
 
そもそも、ふつうって何? なんてぜったい聞かない。
皮肉なことに「ふつう」を口にすれば、互いを信じあえる社会の中で私たちは生きている。

 

 

 

映画は、後半に向かうにつれて、それぞれの立場の「ふつう」を浮き彫りにしていく。
二人は、そんな日常のもやもやに、真っ向からぶつかっていくことになる。
根底によこたわる深いテーマとはうらはらに、笑いにあふれたシチュエーションと、温かい人物描写の連続で幕を閉じる。
 
それは、なぜなのか。
すべての登場人物が「ふつうじゃない」から。
それぞれの「ふつう」を思いっきり生きればいいのだという、人間へのエールがつまっているからだ。
キラキラしたラストシーンをぜひ目に焼き付けてほしい。

 

 

 

卵からかえると、一羽は、大きな灰色のヒナでした。
黄色いヒナたちは、「大きいね」と話しかけました。灰色のヒナは言いました。
「みんなも、よくみると違うよ」
子どもたちは、それぞれを見比べてみました。確かに、大きさも違えば、羽の付き方もバラバラでした。
お母さんは、言いました。
「ひとつとして同じものはないの。自分の身体や羽は、自分だけの宝物なのよ」
子供たちは、なんだか嬉しくなりました。
そこへ、さまざまな動物たちがやってきました。カモ、カラス、ハト、カブトムシ、バッタ…… すべての生き物たちが、それぞれの生き物の数だけ、自分だけの宝物を持っていました。
灰色の大きなヒナは、言いました。
「いつか、この羽が大きくなったら空を飛べるかな」
黄色いヒナたちは、口々に言いました。
「飛べるよ、君ならきっと飛べるよ」
お日様は、優しい光を降り注ぎながら、ゆっくりとほほえみました。
 
(映画「まともじゃないのは君も一緒」3月19日から全国で公開中)
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

立教大学文学部卒。地方局アナウンサー
文章による表現力の向上を目指して、天狼院のライティング・ゼミを受講。「人はもっと人を好きになれる」をモットーに、コミュニケーションや伝え方の可能性を模索している。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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