週刊READING LIFE vol.121

あまりに個性的すぎるネーミングセンスを持った男から学ぶ、人生を変える名前の付け方とは。《週刊READING LIFE vol.121「たとえ話で説明します」》


2021/03/29/公開
記事:タカシクワハタ(READING LIFE公認ライター)
 
 
「内をついてカラテだ! カラテが来た! カラテです! カラテが勝ちました」
いったいこの実況は何を言っているのだろう。
一瞬そんなことが頭をよぎった。
もちろんこの実況は空手や格闘技の実況ではない。
東京競馬場11レース、東京新聞杯というレースの実況である。
カラテというのはれっきとした馬の名前なのだ。
変わった名前の馬だなあと思い、ふとカラテの馬主の名前を見ると「小田切光」という名前があった。
小田切…? どこかで聞いた名前だ。
その時僕の頭の中には一人の男の名前が浮かんだ。
「もしかすると、この人は小田切有一の息子か?」
 
小田切有一。
福岡県で会社を経営する彼は、40年近く数多の競走馬を所有し続けている大馬主だ。
実は、彼はあることで非常に有名な馬主でもある。
あること、とは何か?
それは彼の所有している馬の名前に秘密がある。
モチ、ドングリ、ロバノパンヤ、オジサンオジサン、イヤダイヤダ…
お分かりだろう。
彼の所有馬は非常に個性的な名前を持っている。
いや、あえて言おう。明らかに変な名前の馬が多い。
そう。彼は「自らの所有馬に珍名をつけまくる馬主」として有名なのだ。
 
現在日本国内の競馬で走る馬には、カタカナ9文字以内かつローマ字18文字以内であれば自由に名前をつけることができる。
競走馬に名前をつけるということは、たとえるなら自分の子供に名前をつけるのとよく似ている。
「この子が健やかで幸せな人生を歩めますように」
「この子が誰からも愛されて育ちますように」
おそらく親は子に、そのような思いを込めて名前を付けているのではないだろうか。
だから子供の名前には、良い意味を持った漢字の組み合わせが使われることが多い。
多くの競走馬も同じように名付けられる。
例えば、三冠馬であるディープインパクトは「衝撃を与える走りを見せるように」という意味でそう名付けられているし、同じく三冠馬のオルフェーヴルやアーモンドアイは
その美しい毛並みや目の特徴を示した名前がつけられている。
彼らだけではない。過去の名馬という馬は大抵強そうでかっこいい名前の馬であることが多かった。
それに対して、小田切の所有馬の名前はあまり意味があるようには思えない。
例えば、「モチ」という馬は「餅のように粘り強い馬になってほしい」ということで名付けられたのだが、何もそれは餅でなくても良い気はする。むしろ、新聞の見出しで
「モチ伸びる」
「モチ粘る」
のように書かれることを狙ってつけたような気がしてしまう。
「ロバノパンヤ」は、「自らの子供の頃見ていた景色から」という意味があるそうだ。
確かに戦後間もない頃、日本でまだ珍しかったパンは、ロバにワゴンを引かせて販売されていたそうだ。ただ、それは競馬とは全く関係ないし、そもそもなぜ馬に「ロバ」という名前をつけるのかという疑問があった。
「ロバって遅いやん」
そんなツッコミを待っているような名前ではないかとも思えた。
人間で例えるなら「キラキラネーム」ではないだろうか。
意味よりも語感やインパクトだけを求めた名前。
強引に当てはめられた漢字。
そこには親が持っているはずの子への強い思いはどうしても感じづらい。
「一般的に読みづらい名前を付けられた子どもは知能が低い可能性が高い」
最近、「2ちゃんねる」開設者であるひろゆき氏の発言が議論となっているように、
日本ではキラキラネームに対する風当たりは強い。
「キラキラネームをつけられた子供がかわいそう」
「キラキラネームなんて親のエゴだ」
そのような意見を目にすることが多い。
では、小田切の馬もウケ狙いやインパクト狙いの「馬主のエゴ」でつけられた名前なのだろうか。
実はそうとも言い切れない。
彼は、少なくとも一人の男を「珍名で」何度も救っている。
 
馬は馬主に購入されると、騎手の指示に従って走るトレーニングを経ることによって
競走馬として晴れてデビューすることができる。
そのトレーニングを行うために、馬主は調教師に育成を委託しなければならない。
小田切は自身の購入馬のほとんどをある一人の調教師に預けている。
その調教師の名は音無秀孝だ。
小田切と音無は40年以上の付き合いがある。
音無が騎手としてデビューし、初めての勝利も小田切の馬であったように、音無は非常に小田切に可愛がられていた。
その頃の二人は、同じような悩みを抱えていた。
音無はデビュー後、堅実な騎乗は見せていたものの、
大レースや重賞競走といった華やかな舞台にはあまり縁がなかった。
一方の小田切も、数頭の活躍馬はいたものの、やはり大レースには縁がなかった。
しかも、彼の持っている馬はどういうわけか雨を苦手とする馬が多かった。
そのため、絶対の自信があっても運悪く雨が降ってしまい、勝ち星を逃してしまっていた。
つまり、二人とも真面目に過ごしてはいたものの、それに見合った成果が出てこないという悩みがあった。今で言うところの「持ってない」人であったのだ。
そして、ある年、小田切はあることを思いついた。
「僕の持ち馬は雨が苦手な馬が多い。雨に強い馬になるような名前を付けてみよう」
彼はある一頭の雌馬に少し風変わりな名前を付けた。
その名は「ノアノハコブネ」。今の「珍名」のルーツとなる馬であった。
その「珍名」の効果はてきめんであった。
ノアノハコブネは音無を背にデビューすると、3歳春までに2勝をあげ、
見事オークスという世代チャンピオンを決める大レースへの切符を手に入れた。
そして、そのオークスでも最後の直線で、あたかも洪水の中を走る方舟のように
前を走る27頭をごぼう抜きして優勝してしまったのだ。
オークスは小田切にとっても音無にとっても初めてのビッグタイトル。
まさに「珍名」が二人の人生を変えてしまったのだ。
 
やがて数年が経過した。
その頃、小田切は「変な名前をつける馬主」として有名になり、
音無は騎手を引退し、調教師として第二の人生を歩んでいた。
小田切は音無が調教師になると、彼に自らの馬の育成を委託するようになった。
そして、音無に調教師としてビッグタイトルを取らせるためにある良い血統を持った馬を用意した。
その名はエガオヲミセテ。また少し風変わりな名前がついていた。
しかし名前は変わっていても彼女は歴史的な名馬であるエアグルーヴという馬の姪にあたる良血馬であった。
エガオヲミセテはデビューすると期待通りの走りを見せた。
大レースでは惜敗が続いたものの、その能力の高さは誰が見ても明らかであり、
いずれはビッグタイトルを取るものだと小田切も音無も思っていた。
ところが、ある日、事態は意外な展開を見せる。
エガオヲミセテが4歳となった春、レースの疲れを取るために牧場に戻したところ
なんとその牧場が火事で焼けてしまったのだ。そして、必死の消火活動も虚しく、
エガオヲミセテは帰らぬ馬となってしまった。
この出来事は音無に大きな衝撃を与えた。もちろんこの事故は彼の過失ではない。
しかし、馬主の側からすれば自身が大金をはたいて買った馬を預けるわけである。
過失ではないとしても、委託先として不安を感じてしまうのも仕方ないだろう。当然その後音無に馬を預ける馬主が少なくなってしまう可能性が予想されていた。
そんな中、小田切は苦しむ盟友をなんとか助けようと考えていた。
まず、火事の直後に彼が預けた馬には「ゲンキヲダシテ」という名前を付けて、無言のエールを彼に送った。さらに、数年後には亡くなったエガオヲミセテの弟を彼に委託した。
小田切は石原裕次郎が出演した映画から「オレハマッテルゼ」と名付けた。そこには間違いなく音無の再起を待ち続けるという彼のメッセージが込められているように思えた。
そしてオレハマッテルゼは姉譲りのスピードを生かして勝ち進み、4歳春には高松宮記念という大レースを制することになる。またしても、小田切の付けた名前が音無のピンチを救ったのだ。
 
「最初に勝ったオークスの時は、当時監督をしていた少年ソフトボールの試合を見に行っていたんですよね。オークスは何度でも勝てるけど、彼らの試合はこの試合だけだから」
後年、小田切は自らの馬主人生を振り返ってこのように語っている。
そう。彼はあくまで自分のエゴだけでは動かない、人情の人なのだ。
小田切は自分の馬の名前にいつも何かに対する強い思いを込めている。
ある時は、自分の悪運を払拭して人生を切り開くために。
そしてある時は盟友を支え、励まし、変わらぬ友情を示すために。
言葉の持つ力を誰よりも信じ、彼は自らの馬に名前を付け続けていたのだ。
他人から見たら少し奇妙な名前かもしれなかったけれども。
人間の名前も同じなのかもしれない。
そもそも、名前が読みやすかろうが、読みにくかろうが、キラキラネームであろうが
親が何らかの思いをつけていることには変わりはないのではないだろうか。キラキラネームはそれが少し外から見えづらいだけなのかもしれない。そのように考えると、当事者が納得していれば、部外者がどうこういう筋合いはないような気もする。
 
小田切は78歳となった今も、馬主として精力的に活動を続けている。
嬉しいことに、最近は息子の小田切光も馬主となり、冒頭のような結果を出し始めている。
自らの馬とは少し異なり、美しい響きの名前を付けられた小田切光はきっと父親の背中を見て育ったのだろう。彼も独特の「珍名」を馬につけている。
音無は、その後2010年に最多勝調教師となるなど、日本を代表する調教師となっており、
今年もインディチャンプやアリストテレスといった実力馬を擁し活躍が期待されている。
そして、今も音無は小田切家の馬を預かり続けている。
小田切の「珍名」は人を繋ぎ、そして時代を超えていこうとしている。
そしてきっとこれからも私たちを驚かせるような珍名を付け続けてくれるのだろう。
私たちはいつまでも楽しみにしている。
言葉の力が何かを変えていく瞬間に出会えることを。
そしてその斬新なネーミングにクスリと笑ってしまうような一瞬を感じることを。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2021-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.121

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