94歳の祖父の恋《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》
2021/04/26/公開
記事:リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
あなたは、何歳まで恋愛したいだろうか。
恋愛が、「年頃の男女」のものだけでないことは周知の事実だ。
中には、生涯、互いに恋愛相手でいられる夫婦もいる。それは、ひとつの理想形ではあるだろうが、そうじゃない関係も、世の中にはあふれている。
もし、自分が望みさえすれば恋愛できるとしたら何歳までしたいだろうか。
「死ぬまでしたい」
そう格好良く言いきることができたらなと思う。
しかし、実際はできるのだろうか。人生100年時代といわれるこれからの私たちの老後は長い。
おじいちゃん、おばあちゃんになってもずっと魅力的でいられるだろうか。
自分を好きになってくれる人がいるだろうか。
具体的に想像しようとすればするほど、実感がわかない。
年齢とともに「何歳まで恋愛したいか」という問いは、「何歳まで恋愛できるだろうか」という不安に入れ替わっていく。
そんな私の身内に、びっくり仰天の出来事が起こったのは、今から9年前、大正7年生まれの祖父が94歳のときだった。
祖父は、その3年前から、老人介護施設に入所していた。
祖母は数年前に他界しており、90を過ぎたお年寄りを一人で一軒家においておけないという理由で、父が説得したのだった。
ホームに入るまでの祖父は、こまごまとよく動く人だった。
退職してからは、日の出とともに起きて、毎朝、庭の掃き掃除をし続けた。
一日おきに公園に行き、落ち葉集めやゴミ拾いをする。
帰ってくると、自分で朝食を作る。
玉ねぎとピーマンを炒めて、卵を焼き、それらを食パンの上にのせ、ケチャップをかけてトースターにいれる。
祖父特製のピザトーストだ。頼めば、家族の分も焼くばかりにして作り置きしてくれる。
祖父は、年がら年中、散歩のついでに、いろんなものを拾ってきた。
どこかの空き地やゴミ集積場にあった板やトタンなどのたぐいだ。それらをうまくノコギリで切って加工して、ちょっと不便な場所で、新しいアイテムとして生まれ変わらせるのが得意だった。
タオルかけ、肘かけ、踏み台、手すり…… 家の中には、あちこちに、そんな祖父の手作りアイテムがあふれていた。
親子三代で同居していたころは、いつも、いろんな音が響きわたっていた。
トントン、カンカン、ギーコギーコ、シャーシャー……
ときおり、ガシャーンとか、バンという聞きなれない音がすると、家族の誰かが、あわてて祖父のいるガレージに飛び出していく。それが日常だった。
やがて、両親はマンション住まいに。
孫である私や弟は結婚。
祖母が他界。
ある年、間一髪だった火の不始末が2,3度続いて、祖父のホーム行きは決まった。
ホームで祖父に与えられたのは、トイレ付きの6畳の部屋に、シングルベッド、丸机と籐の椅子、日用品と着替えの入った収納ダンスだけだった。
祖父が愛用していた彫刻刀も、指を切りかけたことから、部屋に置くことができなかった。
日がな一日、籐の椅子に腰かけて、テレビを観る。
それが祖父の日常になっていった。
そこから数年はあっという間にすぎていった。
始めの頃でさえ、週に一度くらいの割合で顔を出していた私も、テレビ以外何もない部屋で祖父と二人では、することもない。
元気な顔が確認できればそれでよいかと思うようになり、2週に1回が、月に1回、3か月に1回と間が空くようになっていた。
そんなある日のことだった。
「おじいちゃんがね、ちょっと面倒なことになっちゃって」
母から、電話があった。
祖父と、施設内の入所者との話だという。
「チヨさん(仮名)って知ってる?」
「ああ、隣りのね」
私はすぐに答えた。
祖父の部屋の隣りには、80代前半の女性が入所していた。
ふんわりした優しい顔立ちの色白の小さな女性だった。腰がまがっているせいか、スリッパをスリスリとすべらせて歩く様子がかわいらしかった。何度か挨拶を試みたが、耳が遠いようで、ニコニコとほほ笑むだけだった。
「チヨさんとおじいちゃんがどうしたの?」
「それがねえ」
母は、もごもごと言いにくそうにした。
「あのね、おじいちゃんね、朝、職員の方が部屋に様子を見に行ったら……」
「うん」
「寝てたんだって」
「それがどうしたの」
「いや、だから、その女性と寝てたんだって」
「え、チヨさんと一緒に」
「裸で」
「えっ」
「裸で」
「え~~~~~!!! 裸でってぜんぶ裸で?」
「裸はぜんぶ裸じゃない、半分も一部もないでしょう」
母は、電話越しに、ふうと大きくため息をついた。
私は、すぐさま思い描こうとした。
94歳の祖父と80代前半の女性のベッドインを。
しかし、ダメだった。
10年ほど前、一度風呂場で転んだ祖父を抱き起こしたときに、祖父の皮膚に触れたが、それはもうタプンタプンの骨と皮だった。
よく骨折しなかったなと胸をなでおろしたほどだ。
そのシワシワの祖父が、あのぷよぷよのおばあさんと……
先に断っておくと、この話が、老人ホームのお年寄りの、一大ラブストーリーのような展開になることを期待している読者がいるとしたら、最初から謝っておきたい。
本当にあった仰天エピソードが、映画のようなエンディングならどんなにいいかと思うのだが、やはり、現実はそうはならなかった。
その日、双方の家族が施設の職員に呼び出され、事の顛末を聞くことになった。
聞けば、チヨさんは、しょっちゅう祖父の部屋へと遊びに来ていたらしい。
彼女は、ずいぶんと認知症がすすんでいて、訪れる回数が日に日に増え、そのたびに、祖父は、手持ちの梅干しや、鈴カステラを分けていたそうだ。
それがなぜ、シングルベッドに一緒に入ることになったのかと父が問い詰めると、祖父は「かわいそうだったから」と言ったそうだ。
「一緒に寝てやらないとかわいそうだと思った」と。
押しかけていたのは、いつもチヨさんのほうだったから、後日、あちらのご家族から「ご迷惑をおかけしました」と、お詫びがあった。
その後、チヨさんの部屋は別の階に変更され、彼女の症状から考えると、会いにいける距離ではないとのことで落着した。
母から話を聞いた一週間後、私は老人ホームを訪ねた。
鉄筋コンクリートの4階建てで、エレベータで3階へあがったら、右奥が祖父の部屋だ。
近づくといつも必ずテレビの音が聞こえてくる。安全面と介助のしやすさを考えて、ドアはずっとあけっぱなしだ。部屋をのぞくと、決まって、祖父は、籐の椅子に背中をまるめてじっと座っている。
「おじいちゃん」
「おじいちゃん」
何度かよびかけると、ゆっくり祖父が顔をあげ、数秒たってからうっすらとほほえんだ。
祖父は、数か月会わないうちに、ぐっと小さくなった気がした。
テレビは、部屋に似つかわしくない大きな音で、芸能人の不倫の話題を流していた。
丸机の上には、封の開けられていない鈴カステラと、梅干しのビンが、おかれていた。
「みかん、食べる?」
私は、となりにパイプ椅子を広げて座り、買ってきたみかんを、祖父の返事をまたずにむき出した。
祖父は、焦点のあわない目で、テレビ画面を見続けていた。
元気なころは、人の不倫などまったく興味のない人だった。たぶん今もこれっぽっちもないのだろうなと思った。
みかんの白い筋が苦手な祖父のために、ひとつずつ、丁寧にとった。
「はい」と、ひとつ手のひらにのせると、祖父は、それをゆっくりと口に入れた。
少し前まで、この役は祖母がしていたことを思い出した。
来る理由がなかなか見つけられなかったが、こうやって、みかんを剥くだけでよかったのかもしれないとも思った。
祖父の手のひらに、みかんを一つのせるたびに、心の中でつぶやいた。
「なかなかやるじゃん」
「あの人綺麗だったよね」
「おじいちゃんがお金持ちだったらさ」
「ここから逃げ出せたのにね」
祖父は、テレビから目をそらさずに、ただ口元だけを動かしていた。
祖父は、チヨさんを守ったのではないかなと思う。
裸で抱き合っていたことを自分の息子たちに知られるなんて、チヨさんにとっては耐え難い出来事だと考えたのではないだろうか。
「かわいそうだった」ということで、すべてを病気のせいにした。
施設も家族も納得させる理由はそれしかないと思ったのではないかと思う。
そして、おそらく、話を聞いた全員も、そう信じることにしたのだ。
認知症だってなんだって、嫌いな人とベッドに入ったりしない。
以前、老年医学の本で、「認知症だからこそ感情がごまかせなくなる」と読んだことがある。二人はとても心地いい関係を築いていたのだ。
そのことに、私は、深い感動を覚えた。
たとえ、行為そのものができなくても、肌と肌で触れ合いたいと、人は、いくつになっても思うものなのだ。
「肌があう」人とは、やはり肌をあわせたくなるのだ。
祖父は、掃除から日曜大工まで、家族みんなに頼りにされてきた。しかし、ホームに入ってから祖父を頼るのは、チヨさんたった一人だった。
梅干しや、鈴カステラを分けるというささいなことであっても、嬉しかったのではないだろうか。
ニコニコと微笑むチヨさんに、いろんな話を聞いてもらっていたのではないだろうか。
もし、家族が、もう少し二人を気遣うことができれば、隣り同士の部屋で暮らし続けることができただろうか。
離れた部屋に移動したチヨさんを、祖父は、その後、どう思っていたのだろうか。
今となっては、それらの答えを知ることはできない。
2年後に、祖父はホームで静かに息をひきとった。
人は、人生で何度、人を好きになることができるだろう。
「大丈夫、また次があるよ」と軽々しく声をかけられるのは若いうちで、その若いうちだって、ふりかえってみれば、あっという間に過ぎ去ってしまう。
私も、もうすぐ50に手が届きそうな年齢だ。
夫と二人、それなりに穏やかに暮らしてはいるが、この自分が、50になろうとしているということが信じられない。
心の中は、ほとんど10代の頃と変わっていないからだ。
漫画のドラマ化のような学園ラブストーリーであっても、ときめいたり、甘酸っぱい気持ちがよみがえってきたりする瞬間がある。
知識や常識はふえて、なんとなく大人のフリはできても、それは、恋愛という熱病にかからない生活スタイルができているだけなのかもしれない。
風邪と同じだ。
引きそうになったら早く寝るし、出歩かないようにする。熱を出さないように、免疫を落とさないようにする対策がとれるようになった。
ただ、それだけのことなのかもしれない。
綺麗なもの、美味しいものにはワクワクし、暴力や孤独には、怒り、震える。
恋愛以外の感覚や感動は、いくつになっても好きなだけ表現できるのに、恋愛感情だけをおさえつけてしまうというのはなんだかおかしい。
一方で、「常識」や「倫理」や「体裁」といった熱病をさまさせる処方箋は、年を重ねれば重ねるほど増えていくようにも思う。
祖父は、「君住む街で」という歌が好きだった。
歌詞は、愛すべき人に出会った瞬間に、周りの景色がすべて輝きはじめるという内容だ。
見るものすべてが昨日までとは全く異なってみえる、それが恋だと歌っている。
恋愛には、そんな力があるのだ。
あなたは何歳まで、恋愛したいだろうか。
□ライターズプロフィール
リサ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
立教大学文学部卒。地方局勤務
文章による表現力の向上を目指して、天狼院のライティング・ゼミを受講。「人はもっと人を好きになれる」をモットーに、コミュニケーションや伝え方の可能性を模索している。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
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