週刊READING LIFE vol.125

ストーブを通勤カバンに入れて《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》


2021/04/26/公開
記事:和来美往(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
実に快活で、よく働く男がいた。
大学卒業後、地元企業に就職をし、まじめに働いてきた。その甲斐あって、順調に昇進し、同期のだれよりも早く、管理職になった。
そんな彼に会うことになった。
 
「あなたに会うのが、待ちきれず、昨日は一睡もできなかった」
 
ネット上では何度かやり取りをしたが、会うのは今日が初めてだった。
挨拶もそこそこに、恥ずかしげもなく、私にそう言った。
 
彼は30代後半の独身男性、ルックスは、どこか俳優の宅間伸さんに似ている。
シュッとしていて、いわゆるイケメン、どこからみてもモテそうな見た目であった。
 
しかし、言動には少し違和感があった。ソワソワしているのだ。
会いたくて仕方のなかった私に会えて、ドキドキしているわけではなく、周りの人間がとても気になるようで、何かに怯えているようにみえた。
 
「みんなが私を見ている気がするんです」
「みんなが私の悪口を言っている気がするんです」

 

 

 

私はアドバイザー的な仕事をしている。彼から、悩みを聞いてほしいと電話があり、直接会うことになっていた。
 
彼はいま、大きな不安のなかにいた。
あまりの仕事の忙しさに、自分のキャパシティーを超えてしまったようだ。
 
誰かと約束したり、会ったりすることに対しても、極度に緊張し、不安状態になる。
約束の時間があると、そればかりが気になり、他のことが手につかなくなる。
私との待ち合わせの3日前から眠れなくなったようだ。
当日も午後からの約束の時間が待ちきれず、午前9時から待ち合わせ場所に来ていた。
 
私は、彼に、彼のことを聞いた。

 

 

 

彼は、サラリーマン家庭の次男として生まれた。小さい頃から運動が得意で、いつもリレーの選手だった。中学・高校時代は、テニス部のキャプテンをし、大学のゼミやテニスサークルではリーダ的存在だった。大学卒業後は、地元の企業に就職した。地元では、かなり大きな企業であり、そこへの就職は、彼の自慢だったし、家族の自慢でもあった。
 
仕事はとても順調だったという。分からないことは、とことん調べるので、ドンドン知識が蓄積されていく。仕事の処理スピードも、とても速かった。他の人が、なぜそんなに仕事に時間がかかるのか、理解できなかった。
 
そんな働きぶりが評価され、30代半ばに管理職に昇進、会社史上最年少の管理職であり、いわば大抜擢だった。周囲からは、将来の幹部候補だと噂され、ますます張り切っていた。
部下には、先輩社員も多くいた。協力的でない人もいたが、気にしないようにしていた。出世に対する妬み嫉みだろうと割り切って考えた。
 
彼の管轄部署はどんどん実績を伸ばしていった。
実績をあげない部下に対しては、かなりキツく当たった。
「こんなこともできないのか」
「給料分は働いてもらわないと困るよ」
それが彼の口癖だった。
 
実績をあげ、より広範囲のエリアを担当することになり、一段と仕事が忙しくなった。
もっともっと実績を伸ばす必要がある。
部下の管理もしなくてはならない。
 
大きなプレッシャーを感じるようになった。
仕事の範囲を広げる分、仕事量はどんどん増えていく。そして、溜まっていくようになる。
「絶対に、期待に応えたい」
増え続ける仕事を、働く時間で解決しようとした。
 
残業時間が増えていく。
働く時間を増やせば、仕事を片付けることができる。
最初は、22:00頃まで残業していた。
それでも、仕事が終わらない。
次第に終電ギリギリまで残業するようになった。
それでも、仕事が終わらなかった。
 
ある日、終電に乗り遅れてしまう。
仕方なく、会社に戻って、一晩を過ごすことになった。
せっかく、会社にいるんだから、仕事をしよう、と寝ずに仕事をし続けた。
 
少し、仕事が捗った。
 
その成功体験が、彼を支配するようになる。
「そうか、会社に泊まれば、ずっと仕事ができるんだ」
次の日から、彼は会社に泊まるようになった。
昼休みには仮眠をとるものの、実質24時間連続して仕事をすることになる。
部下への当たりは、ますます厳しくなっていった。
「自分は24時間働いているのに、お前たちは何も働かない」
そんな口癖も加わった。
 
「24時間仕事をしていれば、何とか、仕事が片付いていく」
働き続けることによる安堵感があった。
 
しかし、そんな生活は長く続かなかった。
彼のことをよく思わない部下が、彼が会社に連日宿泊していることを、上層部に言いつけたからだ。
 
「会社に泊まるのは、やめるように……」
上層部から、そう告げられたとき、とてつもない恐怖感が彼を襲った。
「24時間仕事をしなければ、仕事が終わらないのに、どうすればいいんだ……」
 
深夜勤務が禁止され、22時までには帰るよう命令された。
ギリギリの時間まで、必死に仕事をするものの、やはり、終わらない。
しかし、帰宅するしかなかった。
 
いつも最後の1人だった。
電気を消し、帰路につく。
いつのまにか、寒い季節になっていた。
 
「あれ? ストーブの火を、消しただろうか」
 
電車に乗った瞬間、突然気になった。
消し忘れたような気がして、会社まで歩いて戻ることにした。
マスターキーを使って、会社に入る。
電気をつけ、ストーブを確認すると、火はきちんと消えていた。
再度、電気を消し、帰路についた。
 
次の日も、同じようなことが起こった。
帰り道に、どうしても、ストーブの火を消したか、不安になってしまう。
会社に戻って、確認をする。
その次の日も、その次の日も、火の確認行為が続くようになった。
 
その行動はエスカレートしていく。
 
火が消えていることを何度確認しても、安心できなくなったのだ。
ストーブの火を確認するために会社に戻って、安全を確認したのにもかかわらず、再び火が気になりだすようになった。
「本当に火は消えていたのだろうか」
火が消えていることを幾度も確認しても、納得ができない。
何度も駅と会社を往復するようになった。
気にしないでおこうと自分に言い聞かせ、何とか自宅に帰ったものの、ストーブの火が気になり、眠れなくなった。
翌朝は始発電車で会社に行き、ストーブの火を確認した。
 
ある日、駅と会社を何度も往復するうち、終電がなくなってしまった。
仕方なく、彼は、会社の駐車場で一夜を明かすことにした。
タクシーで帰るとか、ホテルに泊まるとかの選択肢もあっただろうが、その時の彼には思い浮かぶはずもなかった。
 
不思議なことに、会社の駐車場にいると、安堵感につつまれた。
会社の駐車場にいれば、ストーブが気になっても、すぐに確認に行くことができる。
そう思うだけで安心することができた。
 
冬の駐車場で、彼は久々に安心して眠ることができた。
心の安定を求めて、彼は、次の日も駐車場で野宿することにした。
野宿はとても、心が落ち着いた。
そうやって、連日、駐車場で寝るようになった。
 
そんな状況を、会社が黙っているはずがない。
「駐車場に泊まるのはやめるように」
厳重注意がなされた。
 
彼は居てもたってもいられなかった。
「一体、どうすればいいんだ……」
そんなとき、彼に名案がうかぶ。
 
「そうか、ストーブを、自宅に持って帰ればいいんだ!」
 
そして、仕事が終わると、ストーブを持って帰ることにした。

 

 

 

しばらく、彼の話を淡々と聞いていたのだが、私は思わず、
「え? ストーブを自宅まで持って帰ったということですか? 通勤カバンに入れて?」
と聞き返した。
「はい、毎日持って帰りました。通勤カバンには入らないので、風呂敷に包んで」
「小さいストーブだったのですか?」
「いいえ、石油ストーブです」
 
お餅を焼いたり、やかんのお湯を沸かしたりできるタイプの大きな石油ストーブだった。
それを、大きな風呂敷に包み、自宅まで持って帰る。
会社から駅まで10分、電車で30分、最寄り駅から自宅までは徒歩10分の距離である。
石油がこぼれないように、まっすぐ持って移動させる。
そして、次の日の朝は、ストーブを持って、会社に行く。
そう、通勤電車に乗って。
 
それが、彼にとっては、心が一番落ち着く方法だった。
「やっと、安心して眠れるようになったんです」
 
ストーブを包んだ風呂敷が、通勤カバン代わりになった。
そんな日が、暖かくなる4月まで、毎日続いた。
 
誰にでも、「鍵をかけ忘れていないか」「火を消し忘れていないか」と、出かけた後に、気になることはあるだろう。彼の場合は、それが度を越している。不安を払拭するために、不安の原因であるストーブを持ち歩くという行動を起こしたのだった。
 
通常レベルから逸脱した彼の行動は、ストーブの一件だけにおさまらなかった。
さまざまな場面で、トラブルが多くなっていく。
 
上司や同僚、顧客にまで、暴言を吐くようになった。
相手の言うことが間違っていると思えば、その感情のまま言葉に出していた。
 
井戸端会議をする婦人に対して「うるさい、だまれ」と怒鳴ったこともあった。
 
近所のコンビニでは、店員に笑顔がないとブチ切れた。
 
そんな日々が続き、彼は会社から、「少し休むように」と言われた。
休職命令であった。
 
「誰もわかってくれない」
「誰がそばにいてほしい」
「自分の行動が抑えられない」
彼は大きな不安の真っただ中にいた。
 
私は、とにかく彼の話を聞いた。
彼が感じる理不尽さ、自分は間違っていないという思いを聞いた。
 
「相手が約束を守らないから、いけなんだ」
「道の真ん中で井戸端会議なんて、通行の迷惑だ」
「コンビニは、客商売なんだから、愛想良くすべきだ」
 
確かに、彼の考え方は、どれも間違っていないのかもしれない。
話を聞きながら、納得する部分もあった。
 
私も、道の真ん中の井戸端会議を邪魔だと思うことがある。それでも、その人たちを注意することはない。それは、逆恨みされたくないとか、できれば関わりたくなりという事なかれ主義の1つなのかもしれない。それに注意された方も気分が良いものではないだろう。楽しく話しているなら、なおさら、自分が我慢すればよいと考えてしまうのである。
 
彼は正直に生きているだけかもしれない、とも思った。
しかし、感じたことをそのまま正直に言葉にすれば、この社会は生きにくくなる。
ひと呼吸おいて、言い方を考える必要もあるだろう。
 
彼は、もともと不安症でもなく、思ったことをすぐに言うような人間ではなったという。
管理職になって、仕事に追われるようになってから、イライラが抑えられなくなった。
そして、ある日、たがが外れた瞬間があったそうだ。
そこから、攻撃的な言動をとってしまう自分を止められなくなってしまったのだという。
 
「なぜ、こんなふうになってしまったんだろう」
過去の自分を振りかえりながら、少し涙ぐんでいた。
自分の辛さを、これまで、誰にも話したことがなかった。
話すことで、自分を俯瞰してみることができたのか、何かに気づき始めているようだった。
 
私は、彼に必要と思われる知りうる限り情報を、1つずつ、ゆっくりと、伝えていった。
何より休養が必要だということも伝えることにした。

 

 

 

1年ほど経過し、久しぶりに彼に会った。
つい先日、会社に復職したところだった。
完全に体調が回復したわけではないが、長期の休養により、随分と落ち着きを取りもどした。
退職も考えたが、会社の配慮で部署を異動してもらい、周囲のサポートを受けながら、少しずつ動き出していた。
現在でも正義感が顔をだしてきて、他人の言動に物申したい場面もあるようだが、そんなときには、ひと呼吸おくようにしているという。
そのような変化もあって、なんとか、働くことができていると言っていた。

 

 

 

人には、許容量があるのだと思う。
自分の許容量を超えた負荷を負い、体調を崩す人は多い。
彼は、仕事のできる人だったからこそ、完璧を求め、許容範囲を超えてしまったのだろう。
過去の自分を振り返り、気づきがあり、思考や行動が少しずつ変わっていった。
 
まだまだ人生は長い。一度の躓きなんて、何てことはない。
これからも平坦な道ではないかもしれないが、彼らしく、人生を歩んでほしいと願っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
和来美往(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

三重県生まれ
2020年の天狼院書店ライティングゼミに参加
書く面白さを感じはじめている

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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