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週刊READING LIFE vol.125

落合博満はたった1打席で三冠王が取れなくなった《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》


2021/04/26/公開
記事:安堂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
日本プロ野球界で前人未到の三度の三冠王(ホームラン、打率、打点がすべてリーグトップの成績を残すこと)を獲得した落合博満は、ロッテ、中日、巨人、日本ハムと4つの球団を渡り歩いた。
 
そのうち打撃タイトルを獲得したことあるのはロッテ、中日にいたときである。
 
巨人ではタイトルは取れなかったが、リーグ優勝と日本一を経験し、日本ハムにいた時は選手としては晩年を迎えており、体力的な衰えもあって満足する成績を残せなかった。実際に日本ハムに2年間在籍をした後にプロ野球選手を引退している。
 
つまり、落合博満が選手として全盛期を迎えていたのはロッテと中日にいた時といえる。プロ野球選手になったのは25歳と遅かったにもかかわらず、プロ2年目でレギュラーを取り、翌年には打率326.で首位打者に輝き、初の打撃タイトルを獲得した。
 
1982年には28歳と史上最年少で3冠王に輝いた。この時は「これで俺も、プロ野球の歴史に名前が残せるな」と思ったくらいで必死で野球をやった結果だという。
 
しかし翌年に落合を変える出来事が起きた。
 
それは、ライバル球団の阪急ブレーブスに在籍する外国人打者・ブーマーの存在だ。ブーマーは落合が三冠王を取った1982年から2年後に同じ三冠王に輝く。
 
プロ野球選手はタイトルを取ると取らないとでは自分の年俸が大きく変わってくる。タイトルを取ればリーグで一番なのだから球団に対して堂々と「給料をアップしてくれ」と主張できるし、球団側も何かしらの形で給料に反映させてくれる。
 
チームの成績が給料査定のトップに来るのはどの球団も同じだが、チームが最下位でもタイトルを取れば給料は上がりやすくなる。それくらいタイトルというのは選手にとって大きい。
 
落合の年俸もタイトルを獲得すると大きくアップした。プロ入りした当時は360万円だったのがレギュラーを取って540万円にアップする。
 
翌年に首位打者となると年俸は1600万円と約3倍も伸びた。そして初めて三冠王になった年は1600万円から5400万円にまで年俸がアップしたのだ。その翌年は首位打者だけなので球団のフロントからは「前の年に3つ獲った選手が、今年はひとつなら減俸だ」とか言われたそうだが、5940万円と僅かながらアップしている。
 
しかし、ブーマーが三冠王を取った1984年は前年と同じ年俸を提示されたのだ。
 
理由はタイトルを獲得してないから。
 
落合はそれが不愉快だったという。それから落合は「来年は俺が獲ってしまおう」と決意して三冠王にこだわるようになったそうだ。
 
三冠王を取るに当たってこだわったのはホームランであった。三冠王を取ったときもホームランは32本とホームランをたくさん打てる選手ではないと自己分析をしていた。そこで考えたのが何試合に1本ホームランを打てばいいのか? と考えた。導き出した答えは当時は130試合制だから、3試合に1本なら40本をクリアする。これを2.5試合にすれば52本になると。
 
その計算を実現させるために1985年のキャンプがスタートした。どうやって自分のホームラン数を増やすのか? 単純にパワーを付けて飛距離を伸ばせばいいと考えたが、これは自分の打撃フォームを崩すと考えて止めた。
 
バッティングは繊細さが大事で少しでも力を加えると手ごたえが変わってしまう。そうなると打撃フォームを修正しないといけない。修正に失敗すれば成績が残せなくなる。
 
自分が三冠王を取ったときの打撃フォームはできれば崩したくない。
 
そう考えた落合はホームラン数を伸ばすために別の方法を試すことにした。それは普通の人なら思いつきそうにないやり方であった。なんと、普通にならファウルになってしまう打球を、何とかポールの内側を通せないかということだ。
 
「でもね、ボールに対してバットを出す角度を色々と試してみたら、そういう打球が打てるようになったんだよ。極端に言えば、レフトにはスライスボール(打球が利き手の方向に曲がって弧を描くように飛んでいくボール)を、ライトにはフックボール(ボールが利き手とは逆に曲がること)を打つということ。これで、ファウルの何本かは外野スタンドへ入る。まぁ、実際にはシーズンに1本あったかなかったかという結果なんだけど、そういう感性を働かせて打撃に取り組むことが、自分の技量を高めていくんだよ」
 
そう語った落合は、猛練習の末自分で思い描いた打撃を手に入れて1985年のシーズンに入る。三冠王を争うライバルはやはりブーマーであった。お互いに打って打って打ちまくり、打率、打点、ホームランの打撃タイトルを争った。
 
激しいタイトル争いで落合が考えていたのは執着心であった。
 
「とにかく先を走り、それでも気を抜かずに数字を上げていけば、いつかは相手も諦めるだろう」
 
そう考え、常に三冠王になることだけを意識して、ひたすら打つだけだと自分に言い聞かせて打席に入っていた。そして、どんな打っても満足せずに日々の試合でヒットとホームランを打ち続けた。夏場を過ぎたころにはライバルたちはタイトルを諦めて「本気で3つ狙っているのは俺しかいない。これで安全圏に入ったな」と確信したという。
 
打率.367、52本塁打、146打点と堂々たる成績で二度目の三冠王に輝いた。翌86年も手を緩めることなく、打率.360、50本塁打、116打点の成績で三度目の三冠王になる。三回の三冠王は”世界のホームラン王”と呼ばれた王貞治も成し遂げられなかった記録である。当時プロ入り9年目で33歳の落合が達成したのだ。
 
そしてこの年のオフに1対4のトレードで中日に移籍し、慣れ親しんだパリーグからセリーグに移ることになり、セリーグでも三冠王の獲得が期待された。
 
しかし、1989、90年は打点王、1990、91年には本塁打王を手にするも、3つの打撃タイトルが揃うことはなかった。
 
落合がセリーグで三冠王を取れなかった理由を評論家は単に1歳ずつ齢を重ねたことか、セとパによる投手の攻め方の違いによるものと分析するも、どれも正解ではない。
 
落合自身がはっきりと自覚しているのは、三冠王を取ったときのバッティングフォームと変わってしまったからだという。
 
そのきっかけは1986年に行われた日米野球だそうだ。日米野球とは、アメリカからメジャーリーグの選手を呼んで日本のプロ野球選手と対戦をさせているイベントであった。今でこそメジャーリーグは、日本でも生中継されていて日本の野球ファンにはお馴染みになっている。
 
当時メジャーリーグの選手は、雲の上の存在で日本のプロ野球選手はどれくらい対抗できるか? かが注目されていた。落合は全日本の4番打者として初めて参加することになる。
 
そこで落合はショックを受ける出来事に遭遇をする。
 
西武ライオンズ球場(現・メットライフドーム)で行われた第3戦に落合は4番1塁で出場する。相手の投手は21勝を挙げているジャック・モリス(デトロイト・タイガース)だ。そのモリスが投げ込んだ渾身のストレートを、落合のバットは真芯でとらえる。打球は、バックスクリーンに向かって一直線に飛んだ。
 
「手応えも十分だった」という打球はフェンスの前で失速し、相手選手のグラブの中に落ちていった。落合は大きなショックを受ける。何せ真芯でとらえながらも力負けしたのは初めてだった。攻守交替の時間、さすがの落合も頭の中が真っ白になったという。
 
「当時のメジャー・リーガーは、力と力の勝負をしている選手が大半だった。投手は速球を力一杯に投げ込み、打者はそれをパワフルなスイングで打ち返す。対して日本の野球は、投手はストライク・ゾーンを広く使い、様々な変化球も駆使して勝負をする。だから、打者もパワーよりもバランスのいいスイングを重視して、そうした攻めに対処する。つまり、力一杯のスイングではなく、投手が投げ込むボールの速度、重さ、キレなどの力も利用して弾き返すんだ」
 
落合の打撃フォームも日本のプロ野球に合わせて作り上げており、力任せに振る打撃ではなかった。それがメジャーリーグの選手にはまったく通用しなかったのだ。
 
自分の打撃が通用しなかった落合は次の打席からは10の力でボールをとらえにいってしまった。結果1安打を放ち、力でも打てることを証明したのだが、その1安打に残った感触が落合の打撃を狂わせた。
 
日米野球も終わり、中日入りも決まり、オフを過ごして自主トレーニングを始めると違和感を覚えたという。
 
バッティングフォームを固めるために素振りをした落合は日米野球で起きたショックを思い出したそうだ。
 
「バットを手にして構える。ここまではいつも通りの感触だったけど、スイングをすると喩えようのない違和感が身体に染みついていることに気づかされたんだ。疲れなどでスイングを修正する際のポイントを何度確認しても、私のスイングは別人のもののように変わっていた」
 
何度スイングしても拭えない違和感に襲われたという。周りから見れば勘違いと思われるかもしれない。しかし落合は非常に繊細で、シーズン前に削り出してもらったバットを握り、「グリップの部分が0.1mm太いと思うけれど……」とバットを削った職人に連絡した。「そんなバカな」と測り直した職人が、本当に0.1mm太かったことに驚かされたというエピソードがあるほどだ。
 
それくらい繊細な感覚で自分のスイングを作り上げた落合が抱いた違和感は、いくら素振りをしても消えることはない。落合は焦る。セリーグでも三冠王を取るためには投手の特徴をいかに早く覚えられるかがカギだ。しかし、自分で作り上げたバッティングフォームで打つことが大前提である。三冠王を取った打撃は遠心力も生かした独特の柔らかいスイングができなければ絵に描いた餅である。
 
一日も早く自分のスイングを取り戻さなければいけない。それができなければ、三冠王から一転して並み以下の打者になってしまうかもしれない。
 
そんな焦りの中で迎えた1987年のシーズンは絶不調からのスタートだった。巨人との開幕戦では、西本 聖の徹底したシュート攻めに4打数1安打に終わる。その後も自分の打撃を取り戻すことなく打率331.、28本塁打、85打点と当時球界最高年俸1億3千万円の選手としては寂しい成績に終わった。
 
現役を引退した落合はこう語っている。
 
「結局は、現役を引退するまで自分の打撃を取り戻すことはできず、何とか誤魔化しながら12年もプレーしたというのが事実。長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間余り、もっと言えば1打席で崩れてしまう。この自分の体験から、技術の奥深さと人間の脆さを痛感させられた」
 
ほとんどのプロ野球選手は、手にマメができてしまうという理由でバットを持つときにグローブをしている。しかし打ったときの感触を直に感じたいという理由でグローブを付けずにバットを握るほど繊細な感覚を持つ落合は日米野球の一打席で三度目の三冠王に輝いた打撃を狂わされてしまったのだ。
 
プロ野球選手というのは、それほどまで隅々までに神経を使って自らのバッティングフォームやピッチングフォームを作り上げている。だからこそほんの少しのズレで打てなくなったり、速い球が投げられなくなったりするのだろう。
 
それでも落合は移籍したセリーグでもホームラン王と打点王を2回ずつ獲得しているのだから恐ろしい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篁五郎(READING LIFE編集部公認ライター)

現在、天狼院書店・WEB READING LIFEで「文豪の心は鎌倉にあり」を連載中。

https://tenro-in.com/bungo_in_kamakura

初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって打ち合わせに行くほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーのWEBライターとして日々を過ごす。

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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