週刊READING LIFE vol.125

「父親」という名からの卒業式《週刊READING LIFE vol.125「本当にあった仰天エピソード」》

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2021/04/26/公開
記事:すじこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「お父さん、定年したらフィリピンに行くわ」
定年退職まで3年に迫った親父の「第二の人生」がフィリピンでの永住だと聞いたのはついこないだのことだ。
 
親父と会うのは実に1年ぶり。
 
「話したいことがある」
と親父から連絡がきたときは肝が冷えた。
何しにろ大事な連絡以外は意思疎通をしない親子だ。
 
ラインも滅多なことがない限り動かない。
1年前に連絡が来たときの内容は、確か「親戚の叔母さんが死んだ」だったかな。
 
そんな、誰かが亡くならない限り動かないラインが久しく動いたのだ。
 
また誰か亡くなったのか?
はたまた、誰か病気になったのか?
それとも、親父自身が病気になったのか?
 
嫌な匂いが、親父のラインからただよってくる。
恐らく、生半可な報告ではないだろう。
不吉な妄想が頭を駆け巡る中、迎えた当日。
 
ある程度覚悟を決めていた。
覚悟は決めていたが、
まさかの「フィリピンでの第2の人生」を計画していたとは。
 
「え?」と聞き返してしまった。
何を言われても動じないと決めていたが不覚にも動じてしまった。
 
「な、なんでまた?」
「いや、前から言ってたじゃん。余生は海外で暮らしたいって」
 
確かに「言っていた」といえば言っていたが、それは単なる幻想の話だと思っていた。
「余生はハワイで過ごしたい」と言って、結局日本の田舎で暮らすというパターンがよくあるのでてっきり、そのパターンかと思っていた。
 
まさか、本気で移住を計画していたなんて。
 
しかも、親父は現在57歳。
定年まで3年だ。
 
30代や、40代が「定年後は、海外で暮らしたい」というのは、わけが違う。
 
小学生が、「将来の夢」を無邪気に語るのと
二十歳が「将来の夢」語るのでは、言葉の重みや現実味が違うのと同じように、親父も「定年後」という言葉にはある程度現実味を考えないといけない年齢である。
 
親父も夢を語る年齢ではないことも自覚しているはずだし、まさか夢を語るために、音信不通だった息子を呼びつけたわけではないだろう。
その上で、なお「フィリピンに行く」というのだから
これは、つまり、あれである。
 
本気のヤツだ。
本気のヤツということなのだ。
 
その後も親父が、どこまで本気なのか確かめるように様々な視点から質問をぶつけてもた。
 
移住とは、「永住権を獲得する」ということなのか。
年金は受給できるのか。
移住後、今の家はどうするのか。
 
夢話で終わるなら、きっと答えられないだろうという質問をした。
が、親父にしてみれば、その質問は小手先の質問だったようで、全て迷うことなく答えられてしまった。
 
どうやら、将来的にフィリピンの永住権をとるらしく、その算段も考えているという。
親父曰く、フィリピンは永住権を取りやすい国だそうだ。
何年か住み続け、お金を払えば、永住者として認められるらしい。
そのお金も、日本の年金をフィリピンの通貨に換金すれば問題ないとのこと。
家は時々日本に帰ってきたときに寝泊まりするように当面は売らないようだ。
 
ここまで計画的に将来を考えているとは。
これが本当に移住を決めた人の本気というヤツだ。
 
勝手に計画を立てるのは、ここ数年で親父の常套手段となった。
何か知らないところで計画を立て、時に勝手に実行し、実の息子である私に報告が来る時には、既に後日談となっていることが多い。
 
以前、「1人でフィリピンに旅行へ行った」と話を聞いた時も、既に親父の中では思い出話となっていたし、「フィリピンの友人が長期間日本ヘ遊びに来ていたから、その間はホームステイをさせていた」という話を聞いた時も、既に後日談となっていた。
 
「事前に言ってくれればいいのに」
と思いつつも実はこのお互いを干渉しあわない関係性が心地よかったりもする。
 
かくなる私も親父に人生のターニングポイントとなる話を相談したことも、もっと言えば、報告したことすらない。
私が「転職すること」や「一人暮らし」を始めたことはフェイスブックで知ったそうだ。
 
「そんな親子いる!?」
と友人には毎回驚かれるが、それが、私たち親子なのである。
 
しかし、親父も昔からそのような考え方ではなかった。
今では一人で旅行をいくぐらいアクティブだが、昔は、常に家でテレビを見ていたような人であった。
 
そんな親父が変化した理由。
その理由として「離婚」という経験はやはり外せないだろう。
 
我が家は、離婚というものを私が中学生の時に経験している。
各なる私は、母に引き取られ、突然家に父親いない生活が始まった。
しかし、離婚後も会える距離に住んでいたので特別「自分は片親だ」と被疑することはなかった。
高校を卒業するまでは週1回、親父の暮らす家で夕飯を食べながら近況報告をしていた。
今思い返せば、高校生と言えども、週1回親父に会いに行くのはスケジュール的にキツイ時もあった。
部活、勉強、友だち付き合いなど、優先すべきことは色々とあったが、それでも週末の第一優先は、「親父とメシを食べること」だった。
 
その理由は、多分「親父が可哀想だから」に尽きると思う。
やはり、母と私を失った父を不憫に思ってしまったのだ。
もちろん、「離婚」はどんな理由であれ、母と父の両方に責任があり、両者に同意があってこと成立する行為だ。
当然、父も同意したからこそ「離婚」が成り立ったのであるのだから、息子が不憫に思うことはない。
しかし、あいにく私はバカである。
そんな「理論」よりも「母と息子を失ったという表面上の事実」だけに目がいってしまい、親父を「可哀想な人」として哀れんでしまったのだ。
つまりは私の勝手なエゴだけで「毎週父親に会う」というノルマを課せていたのだ。
今思うと、「独りよがりな考えだな」と感じるが、当時の私は、これが親父との関係を保つための最善だと勘違いしていたのだ。
 
しかし、高校卒業後は、行かない週も増えていった。
高校時代はなんとか、自分の時間に融通を効かせてスケジュールを空けていたが仕事をするようになってからは、それが難しくなり、やがて行かないことがスタンダードになって行った。
 
その現状に「親父に申し訳ない」という気持ちがあった。
社交的ではない人だ。休日の親父は私が行かないと孤独だろう。
とまた勝手な思い込みをしていた。
 
しかし、私が行かなくなったことで親父にある変化が生まれることになる。
 
「英会話を始めた」
それはいきなりの報告だった。
「え!!?」
驚愕だった。あの社交性が皆無な親父が。あの何もやる気がなく、休日はテレビを見て過ごしている父が。
まさかの英会話を自発的に始めたとは。
 
驚愕だった。
「え? 英会話に通っているの?」
「違う。ネットでやっている」
 
今では当たり前にあるオンライン英会話だが、
親父はそのサービスが世の中に浸透する前にやっていたのだ。
1日20分、フィリピンのインストラクターと会話しているらしく
休日は20分を3セット行っていると楽しそうに話していた。
平日もあまり人と会話しないため、日本語よりも英語を話している時間の方が長いとのこと。
 
信じがたかった。
とても信じがたかったので試しに英会話の授業風景を見学させてもらった。
と言っても、家のリビングで行うので、私は、カメラに映らない場所に座っていただけなのだが。
 
授業の構造はシンプル。
時間になったらインストラクターがスカイプで連絡してくるのでそれに応答するだけ。
 
今では、オンライン授業なんて普通のことだが当時は物珍しく、オンラインで先生とつながる風景が新鮮に感じた。
 
そして、時は流れいよいよ授業の時間。
社交性ゼロな親父がどのように話すのだろうか。気になる。
そんなことを思ってるうちにパソコンから呼び鈴がなりインストラクターの明るい
「Hello!」という声が聞こえた。
こんなにテンションが高いのかと思った。
だが、それに負けないテンションで親父が「Hello!!!」と言った。
 
え?
と思った。親父がこんなにテンション高く挨拶をしているのを初めて見たのだ。
その後もテンションが高く、オーバーリアクションというぐらいの会話であっという間に20分の授業が終わった。
初めて親父が生き生きしているところを見た瞬間だった。
 
後日そのことを母に話すともともとは根が明るい人間だったそうだ。
友人とよく旅行などにも行っていたような人間だったが、結婚し、子供が生まれたことで家庭に入ってしまったことで、交友関係もなくなった、とのことだ。
 
つまりは、インドアで社交的ではない父は、本人の根の性格ではなくあえて古き「父親像」を演じていたのだ
まさか、昔から思っていた親父が虚像の姿だったとは。
 
その後も家庭という呪縛から解放された親父は元来の社交性を取り戻し、フィリピンのインストラクターと仲良くなり、ついには移住まで決意するに至ったのである。
 
つまり親父を「父親」という型に押しつめてたのは息子である私だったのだ。
しかし、親父も「父親」という型にはまろうとしなくっても良かったのになと思う。
もしかしたら「父親」という型にはまらなければ、「家庭」というものに縛られなければ、
離婚はしなくても良かったかもしれない。
そもそも「親父」という型とはなんだ?「家族」の形とはなんだ?
 
所詮人間の集まりで、役割に縛られる必要はないと思う。
と行ってる私も「良い息子」を演じていた仮面家族の一味である。
型にはまることなく、役割に関係ない家族の方が結果うまくいくのだ。
家族に当たり前なんてない。そんなことを改めて感じた。
 
あと3年で親父が日本を発つ。
さて、「父親」という型から外れた親父はこれからどんな話題でおどろかさてくれるにだろうか。
親父を卒業した親父。
今からワクワクが止まらない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
すじこ(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

28歳

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2021-04-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.125

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