週刊READING LIFE vol.124

リアル赤ひげ先生へのはなむけに《週刊READING LIFE vol.124「〇〇と〇〇の違い」》


2021/04/19/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「これ、知ってる?」
夫から見せられたのは、新聞の地方ニュースの欄だった。
そこにいたのは、私がよく知っている人物だった。「よく知っている」と言うと語弊がある。私が一方的に慕っているだけなのだから。
 
新聞記事を見て驚いた。その人と、もう会えなくなるかもしれないのだ。
言いようがないショックと寂しさがこみ上げてきた。
その人とは、私が敬愛するA先生だ。A先生は地元の個人病院の院長先生で、私の病を見つけてくれた恩人だ。
記事によると、高齢のため病院を畳むというのだ。
 
今から3年前の春、私は初めてA先生の病院を受診した。
原因不明の痛みに1か月ほど我慢していたが、とうとう我慢しても治るものではないことに気がついた。
正直に言うと、私は病院が苦手だ。何とか自然治癒で治したいと思ってしまうほうだ。こらえて痛みが鎮まるようならば、できるだけ病院に行きたくはない。
けれど、我慢も限界だった。ひょっとして、悪い病気だったら困る。気が小さい私に、今度は悪い想像が働き始めた。
やっぱり、ちゃんと診てもらおう。そう思ったものの、どこの病院に行ったらよいのか分からず、しばし悩んだ。
痛みがあるならば、整形外科かな? しかし、整形外科と言えば、ある苦い思い出が私の頭によみがえった。
以前、怪我をした時に診てもらったB先生のことだ。
 
B先生は、地元でも名医として有名なようだった。ちょっと取っ付きにくいけど、腕はいいとの評判だった。
家からも近かったので、怪我をした時に迷わずB先生の病院へと向かった。
 
ところが、診察は緊張感みなぎるものとなった。なぜなら、私の質問に、どういうわけか先生は否定するような、皮肉のこもった感じで受け答えをするのだ。
別に変なことは聞いていなかったと思う。それなのに、先生の話し方には、こちらの意見を押さえつけるような有無を言わせない圧迫感が漂っていた。
 
極めつけは、ある電話だった。
私の診察中に、先生宛に一本の電話がかかってきた。
電話に出たB先生は、あろうことか患者の私の前で、電話の相手方を罵倒し始めたのだ。
電話を切った後も、相手方への愚痴を聞かされた。私とは全く関係のない人のことを。
内心驚いている私を尻目に、先生は饒舌に相手方をけなしていた。
どう相槌を打つべきか、事情も何も分からない私は困る一方だった。診察で何を言われたか、すでに記憶の彼方になっていた。
家に帰り着くと、もうあの病院には通わないことを心に決めた。いくら名医だろうが、もう一度診てもらおうという気持ちになれなかったのだ。その後、一切その病院には行っていない。
 
B先生のことがトラウマになり、今回どこで診てもらうのか病院選びに慎重になっていた。結局は、インターネットで通いやすそうな場所の病院をいくつかピックアップした。
 
その中の1つが、A先生の病院だった。
外観や内装も、私が子供の頃に通った病院のような感じで懐かしさを感じた。
お世辞にも今風の病院とは言えなかったが、床はピカピカに磨かれ、清潔な感じが心地良かった。
受付を済ませると、看護師さんの問診が始まったが、そこで驚いたのは問診の細かさだった。
診察前の問診で、こんなに質問攻めにあったことはなかった。
看護師さんが事細かに質問し、それをカルテに書き留めていく。今風の電子カルテではない。
カルテは、あっという間にびっしりと看護師さんの文字で埋め尽くされていた。
次第に私は、しつこいとも思えるほどの問診に辟易し始めた。疲れて、ちょっと受け答えがぶっきらぼうになっていたかもしれない。
 
ようやく問診が終わると、それからさらに2時間ほど待たなければならなかった。
「ひょっとしたら、この病院はハズレだったかも」
待ちくたびれて、段々と気持ちが荒んできた。
ネットサーフィンにも飽き、周りを見回してみると、早い時間だったにもかかわらず待合室は患者さんでびっしりと埋まっていた。
「案外患者さんが多いな。腕がいいのかもしれない」
ちょっと気持ちを取り直して、自分の順番が来るのを待った。
 
「今村さん、どうぞ」
ようやく診察用のベッドに通された。中を覗くと、他にもいくつかベッドがあり、待機中の患者さんが何人もいた。
どうやらこの病院の医師は院長先生一人らしく、順番にベッドを回るようだ。
仕切りの向こうから、溌剌とよく通る声が聞こえた。
診察している先生は、カルテを見ながらあれこれと質問しているようで、その声の調子や患者さんとのやり取りを聞いていると、結構ユーモアに富んだ方のようだ。聞いていて、思わずこちらがクスリとしてしまう。
 
順番が来て私の目の前に現れたA先生は、思ったよりも小柄で白髪の医師だった。クリーニングから帰ってきたばかりのようなパリッとした白衣の上下を身に付けて、眼鏡の奥の目は笑っていた。
先生は私のカルテをじっくりと読んだ後、私に再び症状を一つ一つ尋ね始めた。
私の答えが、カルテと微妙にニュアンスが違ったりすると、先生は傍らの問診した看護師さんの方に、チラッと目を走らせる。すると、看護師さんの背筋がピンと伸びたような気がした。なかなか厳しい先生なのかもしれない。先生は、更に私のカルテにいろいろと書き込んでいた。
 
先生は、事細かに症状を確認すると、今度は私を立たせて体の可動域や動きのスムーズさなどを確かめ始めた。何度も行ったり来たりさせたり、動かしては痛みの強弱を尋ねたり。
先生のきびきびと尋ねる調子と時折混ぜるウイットに、不思議と私の中に安心感が生まれ始めた。こんなに、一人の患者に時間をかけて対応してくれる先生を初めて見た。道理で、待合室に患者が溢れかえっているはずだ。
 
レントゲンや丹念すぎる診察の後、先生の診断によって、私は初めて自分の病の名前を知った。
手術が必要になるかもしれないので、少しでも早く、その病のスペシャリストである大学病院の専門医を受診した方が良いといわれた。しかし、その専門医は、後から知ったが受診までに数か月待たなければならないという先生だった。
いつ紹介できるか連絡しますと言われ病院を後にしたが、その日の午後には、A先生自ら電話をくださった。
「○○先生に連絡が取れて、月曜日に大学病院で診察してもらえることになりました。あと3日後だけど、今村さん大丈夫?」
大丈夫も何もない。もう少し後でなければ無理だろうと思っていたから、二つ返事で承諾した。先生の尽力のおかげで、すぐ診てもらえるようになって有り難かった。
思わぬ早さで紹介してもらえることにもびっくりしたが、もう一つ私が驚いたのは、その連絡に先生自らが電話を下さったことだった。他の病院では、受付の方や看護師さんがお電話をくださることはあったが、今回のように先生本人から連絡をいただいたのは初めてだった。
「今村さんの症状は、○○先生によく話していますから安心して行ってきてください」
先生は、例のきびきびした口調でそう言った。そして最後に、何かあったらいつでも連絡してきていいからと付け加えた。
 
月曜日に、夫と2人で大学病院に向かった。
大きな病院は、待ち時間が長い。予約していても、1、2時間待つことはザラだ。
待合室の患者が少なくなってきた頃、ようやく私の順番になった。
専門医の診断も、A先生の見立て通りだった。
治ることのない病だが、手術をすれば少し進行を遅らせることができるかもという可能性に、私たち夫婦は賭けることにした。
 
それから2か月後、手術を受け入院してリハビリ中だった私は、病棟で同じ病の人と知り合った。
お互いのことを話す中、その男性は私のことをラッキーだと言った。
「私はこの病だと分かるまでに、何軒も病院を回ったんです。どこに行っても原因がなかなか分からず、辛い日々を過ごしました。あなたは一発で見つけてもらえて、幸運だと思いますよ」
 
確かにそうだ。
やはりA先生は、名医だったのだ。あの丹念な診察も、びっしりと字で埋め尽くされたカルテも、先生のたゆまぬ追究心と見識の深さゆえだ。診察時の先生の真摯な姿勢が、頭に浮かんだ。A先生に出逢えて良かった。心からそう思った。
 
大学病院を退院した後も、私はA先生の病院に通った。
季節の変わり目や、寒い冬、また疲れ過ぎてしまったときなどに、私の右半身は痺れたり痛んだりするようだった。
怖がりの私は、病が進行したのではないかと気にかかり、その度に先生の病院を受診した。
特効薬のない私の病気には、痛み止めを処方してもらうしかない。
けれど先生は薬を処方するだけでなく、相変わらず丹念に私の状態を確認してくれた。
「うん、大丈夫。悪くなっていないよ」
毎回、眼鏡の奥で笑っている先生の目を見ると、安心した。明るくジョークを言う先生に癒された。
 
私の影響で、夫も先生の病院にお世話になるようになった。
医師に対してちょっと辛口な夫も、安心して治療を受けられるとA先生のことを信頼しているようだった。
「この間、隣の診察台でおばあちゃんが診察されていたんだけれど、先生は、そのおばあちゃんのことよく知っているんだよ。息子さんがどうだとか、畑仕事でどこを痛めたとか、とにかく病状のことだけでなく、患者さんの家庭のこととかも良く知っていてびっくりしたよ」
 
そうなのだ。
いつも診察を待っている時、前の患者さんと先生の会話が聞こえてきた。
先生は、病だけを診るのではなく、その患者さんの背景を良く知ろうとしていた。患者の話に耳を傾け、励まし、為になるアドバイスを明るく添えてくれる人だった。真摯な先生の言葉は、スッと胸に響いた。
 
昨年の夏、突然今までにないような体調不良に陥った私は、どうしてよいか分からずA先生に電話したことがあった。
先生は、診察中であったにもかかわらず、また専門外のことをお聞きしたにもかかわらず、丁寧なアドバイスを下さった。そして、いつものように、何かあったらすぐ連絡しなさいとおっしゃった。
その後しばらくして病院に診察に行った夫に、先生は私のことを大丈夫だったかと尋ねたそうだ。
「先生がとても心配していたから、今度病院へ行ってきたらいいよ」
夫に言われて、そのうち伺おうと思っていた。
ところが、しばらくご無沙汰している間に閉院が決まっていたようだった
 
新聞の記事によると、A先生は80歳目前だと言う。ご年配だとは思っていたが、そこまでご高齢だとは思わなかった。
声の張り、動きの小気味良さ、そしてあの記憶力と判断力など、とてもその年代とは思えなかった。開院してから40年以上地域に根差して診療してきた先生は、常にストイックに医療の道を歩んでこられたのだろう。
 
A先生は、真っ暗な海を照らす灯台のような人だ。
道標もなく、さまよっている船を安全に港に導いてくれる。不安な船員に安心を与えてくれる。その光に向かう限り、大丈夫だと思わせてくれる。
私のイメージだが、記事によると多くの人が閉院の日に感謝を伝えに来たというから、あながち間違いではないことだろう。
親子3代でお世話になった方たちが挨拶に訪れ、小学生からの寄せ書きなどもあったというから、やっぱり先生は老若男女に広く慕われた人だった。
 
A先生は、患者に寄り添い、真摯に向き合うことのできる真の医者だと思う。現代のリアル赤ひげ先生のようだ。
名医と呼ばれる医者は多い。しかし、技術だけでなく患者の心を明るく照らす真の医者は得難いものだ。両者は似ているようで違う。私は、人としての温かさを感じられる真の医療を体現してくださったA先生に出逢えて、本当に幸運だったと思う。
 
先生が診療しなくなったら、一体どこで診てもらえばいいのだろう?
そんなことをつい考えてしまうけれど、ひとまずはA先生に長い間お疲れ様でしたと伝えたい。
しゃんとした背中で、晴れ晴れと真っ直ぐに最後まで自らの信じる道を進みきった先生に、去り際の美学すら感じる。
A先生、どうか、患者優先で遅くなった第2の人生を謳歌してください。そして、先生がいつまでもお元気でいてくださることを、先生の想いを受け取った一患者として切に願う。
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

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2021-04-19 | Posted in 週刊READING LIFE vol.124

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