週刊READING LIFE vol.132

たんぽぽが旅をするように働くということ《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》


2021/06/29/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
一途であることが正義であるのだと、そう思っていた。
 
それは、恋愛などの、対人コミュニケーションの場合だと、間違いなくそうだ。人から人へと渡り合うような、そんな不誠実なことは倫理的に大問題だ。
同じように、働く、ということもそうなのだと思っていた。
よくテレビドラマで見るような、勤続うん十年、定年退職まで真面目に一企業で勤め抜き、別れを惜しまれながら颯爽と、贈られた花束を持って会社を後にする。それが、世の中のスタンダードであり、正義なのだと思っていた。
では、何が悪なのかというと。
「Aさんとこの娘さん、大学卒業までしたのに、コンビニでアルバイトしているらしいわよ」
ひそひそと、たまに大声で、近所のマダムたちが噂話をしている。
あくまで私の実家のある、田舎の年配の方の場合だが、こういった近所の人間は他人のゴシップが大好物だった。
やれ、子どもを連れでの出戻りだの、未だに結婚してないだの、結婚しているのに子どもがいないだの。
他所様の家の事情にやたら詳しく、文句をつけたがった。
 
そんなの、あなたたちには関係ないでしょうに。
 
そういった場面に出くわす度、私は、冷ややかに両目を糸のように細めた。ついでに耳も塞いでしまいたかったが、不審がられるので、そっと、その場から退散していた。
彼女らからしたら、男は正社員で、女は専業主婦で、子どもがいて、一軒家があり、2世帯または3世帯で人生を送ることがスタンダードであり、正義だった。
その思い込みや押し付けが、異常であるとわかりつつも、私は怯えていた。
 
まっとうに生きなければ、何を言われるかわからない。ゴシップの標的にならないよう、目立たず、騒がず。
 
だから、彼女たちがアルバイターや未婚者を影で責め立てているのを見聞する内、いつの間にか私も、その人達が正しい道をそれた人々のように思うようになってしまったのだ。
今思えば、10代の私も、随分狭い視野と世界で生きていたのだと思う。だが、長いことその洗脳から抜け出せずにいた。
 
種をまき、一つの場所に根をはり大木になり、次世代へとつなぐ果実を実らせ誇らしげに枯れていく。そんな生き方が正義であり、そうあらねばならないと、知らぬ内に、自分を追い込んでいた。
 
だが、10代後半。はじめてのアルバイト先で私は、その考えが大きく揺らいだ。当時の私は、短期大学へ通いながら、その先に進学するための学費などを、自分で稼ぐ苦学生だった。学校では遅刻を一回もせず、成績も落とさず、休日はアルバイトに勤しむ。たまに、友人と遊びに行くこともあったが、勉学とアルバイトが天秤の平衡であるような、そんな青春時代だった。
「今日から入った緒方さん? わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」
「は、はい! よ、よろしくお願いいたします」
私は、そこではじめて、フリーターで生計を立てる人々に出会った。失礼な話、私は、しげしげと彼女たちを観察していた。
 
フリーターで働いていても生きていけるんだなぁ。
 
周りの大人たちがあんなに悪く評価するものだから、正社員として働けないような何か大きな問題を抱えているのかと思っていた。
だが、彼女たちと接することで、その認識は塵となって消えていった。
彼女たちは、とても勤勉で、勤労で、人格もまったく問題がなかった。いつも朗らかに丁寧な接客をし、私にもやさしく接してくれた。私がミスをすれば、叱ることもあったが、それが尾を引くような冷たい接し方をするなんてこともなかった。時に厳しくやさしく、すてきなお姉さんたちだった。
だから、なおさら不思議だった。能力も高いのに、どうして正社員、一企業で勤めるという選択をしなかったのか、と。
「Bさんは、こんなに仕事ができるのに、その、なぜフリーターをしているのですか?」
フリーターのBさんに、恐る恐る聞いてみた。彼女は、長いまつげをパシパシと瞬いて、小首を傾げた。
「う~ん、窮屈だったから、かな」
「窮屈、ですか?」
正社員の方が、社会的にも金銭的にも安定してるのではないのだろうか。首をかしげる私を見て、彼女が笑う。
「一度、企業に勤めたことがあるけど。自由じゃないのよね。なんていうか、会社のために生かされてる、みたいな? 私が勤めてた所は、土日出勤もあって、自分の時間が取れなかったよ」
「自分の時間?」
「そう、自分のために投資をしたり、ゆっくり休む時間。若い時は、無理できるけど、歳を重ねると、心身が悲鳴をあげちゃう。お金を稼ぐことも大事だけど、まず自分を大事にしてあげなきゃ、でしょ?」
ほう、と私は呆然とした顔でうなずく。その顔を見て、Bさんが苦笑いする。
「社会に出たらわかる時が来るよ。緒方さん、真面目だから、がんばり過ぎちゃだめよ? 自分の人生を生きることを最優先にしてね」
「自分の人生、ですか」
接客のために、Bさんは、視線を私からお客さんへと戻す。豊かなまつげは、真っ直ぐ、前を向いていた。
 
それから、私は、短期大学卒業と共に、そのアルバイト先を後にした。
専門学校に進学、卒業、そして念願の業種に正社員として滑り込めたものの、激務とストレスに心身が耐えられなかった。頭をしぼるほどに悩みに悩んで、私は、その職を手放した。
そして、療養という名の、無職の暗黒期に突入する。
 
仕事を辞めて、家に引きこもっているなんて。そんなこと、近所の人に知られたら、なんて言われるか。
 
不眠症で、ただでさえ頭が回らなくなっているのに。突き詰められてもいない悪態を妄想して、震えていた。
 
はやく、はやく、どうにかしないと。
はやく、真っ当な職業に就かなければ。
 
その、真っ当な、というのが私をさらに苦しめた。体調が良い時に、短期のアルバイトや、フリーターとしてでも働いてみたらよかったのに。他人の評価ばかりが、頭の中でぐわんぐわんと鳴り響く。
 
できない。
Bさんたちのような、自由な生き方は。根を生やさずに、好きな所に飛んでいくなんて。そんな、たんぽぽの種のような生き方は。
社会経験の少ないひ弱な私なんて、風に吹き飛ばされて、消えてなくなってしまう!
 
それから数ヶ月。
趣味でのドイツ語の勉強や、そこで出会った人々との出会いで、私は自分を取り戻していった。手に職も付けて、なんとか暗黒期を抜けて、社会復帰を果たした。
 
しかし、新たな壁にぶち当たった。とある企業に正社員として勤めた時のことだ。
これで、私も真人間にやっとなれた、そう思っていたのに。
新暗黒期への突入である。
私は、その企業が販売しているアイテムに惚れ込んでいた。
お客とクライアントを繋ぎ、笑顔をとどけるようなすばらしいプロダクトだった。だが、入社してしばらくして、雲行きが怪しくなる。
まず、不況などが原因で、アイテムが売れなくなりはじめた。それを立て直そうと、社長が新たな試みに出る。だが、それは、社員に前説明がなく突然プロジェクトが始動する、なんてことも少なくなかった。
上司たちは、それに応えようと、連日残業、休日出勤も当たり前。時には、徹夜することもあったようだ。
その上司の指示に応えるため、部下たちもがむしゃらに働くしかない。文句を言うなんてそんな空気ではなかった。出勤時間が早まり、退勤時間が伸びる。段々と、家で過ごす時間が短くなり、会社に住んでいるような錯覚も覚え始めた。
だが、業績が伸びない。給料は上がらない。でも、仕事は増える、働くしかない。
体調不良になります、休ませてください!
言えるわけがない。
それを言う代わりに、同期たちは退職願を提出して、次々と会社を去って行った。
「緒方さん、ダメだと思ったら、早く逃げて。自分の人生の方が大事なんだから」
業務の引き継ぎで他部署に出向いた時、退職する先輩にそう耳打ちされた。
「は、はい」
私は、口端を引きつらせてうなずく。
 
Bさんの言う通りになった。
ゾンビのような私たちを追いて、定時で去っていく、アルバイトや派遣の方々が心底羨ましかった。
あきらかに、私たち正社員と目の濁り具合も、肌のツヤも違う。
 
正社員というのは、その肩書と立場を理由にして、さまざまなことを背負わなければいけない。
でも、その分、福利厚生などが充実するべきなのに。
その保証がないのなら、こんな馬車馬のように働く理由はあるのだろうか。
ホワイトから、限りなく黒に近いグレーに染まっていく会社。
強い雨風にさらされ、今にも枯れそうな社員。
そこから、ふわりと風に乗って新天地を目指す綿毛となった同期たち。
 
まずい、このままでは。
 
こうして、私は、また再就職という風に、飛び乗った。
 
「僕、フリーのデザイナーをしているんです」
「フリー!?」
転職して、1年経った頃、読書好きの集まるイベントに参加した。そこは、老若男女、さまざまな方がいて、ちょっとした異種業交流会だった。そこで、フリーランスで働いているという方に出会った。
フリーランス。
フリーターと同じくらい、私にとって怖いものだった。会社に雇われず、たった一人で起業して生きていくなんて。そんな恐ろしいことをやってのけるなんて、冒険者にしか見えなかった。私は、恐る恐る初対面の彼に尋ねる。
「ふ、フリーでやっていける、ものですか?」
「ええ、なんとか。はじめは苦労しましたが、前の企業のつてや、人との繋がりに助けられて、なんとかやっていけてますね」
おおう、と変な相槌を打ちながら彼になおも聴く。
「自宅がオフィスなんですか?」
「そうですね。でも、そこに限らず、カフェとかフリースペースを定額で借りてそこで働いています」
「カフェで仕事!?」
ノマドワーカー。ノートPCやスマートフォンなどの機器で主に仕事をし、カフェなどのWi-Fiスポットなどのネット環境を活用して、場所を選ばす仕事をする人々の総称だ。
「か、かっこいい……」
私は、背を思わずのけぞらせた。
 
そんなの、東京とか都会の人しかできないと思っていた。ドラマの中のことのような、そんな遠い世界のことだと思っていたのだ。
そんなアクティブな働き方が許される時代になったのか。
そして、それで、生きていけるものなのか。
目の前の生き証人、ノマドワーカーをしげしげと、羨望を込めて観察する。
朗らかで人格も申し分ない、身なりもラフだが清潔感がある。革靴もきちんと磨かれている。
「履いている靴を見れば、その人となりが見える」、と年上の友人に教えてもらっていたので、勝手に、なるほど、と納得した。
 
「僕はね、旅先で仕事をするのが好きなんだ」
「わざわざですか!?」
文章を書く技術、ライティングの技術を教えてくださった先生の言葉に、私は目を丸くする。
ワーク・トリップ、と彼はそう呼ぶ。地方の旅館まで足を伸ばし、そこで引きこもって仕事をするそうだ。なんと、移動の新幹線の中でもノートPCを広げて仕事をしている。
まるで、明治時代の文豪のよう。
静かな邪魔の入らない場所で、整えられた環境、おいしい食事、行き届いた接客と温泉を堪能しながら仕事を思う存分にする、のだそうだ。
「めちゃくちゃ、仕事はかどっちゃうんだよね。ご褒美もすぐあるしさ」
「か、かっこいい……」
ほうほう、と私は真剣に「ワーク・トリップ」と大きくノートに書いた。
 
そんな、最高に楽しい働き方があるのか。
 
私は、旅もカフェも大好物だ。
それに、上司の意向に左右されて、自分の時間を殺して働くという大きなストレスから、離れることができる。
 
よし、まず、ノートPCや、持ち運べる機器だけで仕事できるようにスキルを磨こう!
 
私は、目を輝かせながら、新技術修得に向け、歩き始めた。
 
「こ、これだ、私のしたいことは!」
私は、一冊の小説を天に掲げるように、潰れないように気をつけながら両手で握りしめた。
『占い日本茶カフェ「迷い猫」』(標野凪 著作)
それは、ハチワレ柄の愛猫・つづみを連れて、お茶と占いをお客さんに振る舞いながら、日本の各地を巡り、旅するように働く女性の物語だ。
都内で日本茶カフェを営んでいた彼女。そのお店があった場所が老朽化で店舗立ち退きになってしまう。そこで、お店のSNSに「出張カフェ承ります。どこへでもお道具箱ひとつで参上します」と掲載したところ、日本各地のイベントなどに呼ばれ、その土地のお茶とお菓子、茶器を使いおいしいお茶を入れてくれる。その合間に、依頼があれば、悩めるお客さんをタロットカードで占い、道標となるアドバイスを贈る。そんな、彼女のいれたお茶が飲みたくなる、そのお茶の産地に旅したくなるような、心温まるストーリーだ。
驚くことに、主人公の彼女の名前は、「如月たんぽぽ」。
さまざまな縁に呼ばれ、ふわりと身軽に旅する彼女にピッタリな名前だった。
 
「いいな。私もノートPCと、占い道具があれば同じことができる。カメラも持って。旅先を仕事場にするのもありかもしれないな」
 
私は、大真面目な顔で一人、うんうん、とうなずく。
 
ノートPCとネット環境があれば、どこでも仕事が可能である。
それは、この外出自粛が推奨される世の中で、自宅でのテレワークという形で、実証されている。
接客業などの職種を除けば、それが叶うのだ。
異常事態が、新たなスタンダードを生み出した。
 
今思えば、私は、一つの企業に根をはる、というのがどうにも性に合わないようだ。
それぞれの職種、業界で、学び、失敗し、経験を積んだ。
気がつけば、さまざまな特技と資格を修得している。
それも、現在進行系で増え続けている。
好奇心と知識欲が増える一方だ。
20代のころは、独り身であることも恐ろしかったけれど。
 
それがどうした? 独りでしかできないこと、やりたい放題楽しんでみなきゃでしょ!
 
と、開き直れる図太さを、歳と経験を重ねる内に手に入れた。
 
一つの場所に根を張り、空を支えるように枝葉を伸ばし、次の世代に実を分け与える、どっしりとした大木もすばらしい。
 
でも、綿毛で種を飛ばし、根を張り、また綿毛を飛ばす。ふわりふわりと身軽なたんぽぽも捨てがたい。
 
世の中が落ち着いたら、旅に出よう。
背中の大きなリュックには、ノートPC、カメラ、占いの道具。あとは、福岡の銘菓を詰め込んで。
旅先で出会った現地の人々や、同じように飛んできた人々と、さまざまなことがしてみたい。独りで旅して修得した技術を、みんなのために振る舞いたい。
時には、勢い余って、失敗することもあるだろう。
まぁ、それは、他人の迷惑にならない程度に、笑い飛ばしてリカバリーして。
旅の恥はかきすて、なんて昔の人は言っていたことだし。
恐れず、好奇心のままに飛び込みたい。
 
私は、どんな花を咲かせることができるだろう。来年の今頃はどこにいるのだろう。
無鉄砲なたんぽぽの旅は、まだ、はじまったばかり。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、タロット占い、マヤ暦アドバイザーなどの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォト・ライター」。職人の手仕事による品物やアンティークな事物にまつわる物語、喫茶店とモーニングが大好物。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.132

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