無礼か無知かは捉え方しだい《週刊READING LIFE vol.132「旅の恥はかき捨て」》
2021/06/29/公開
記事:高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
私が好きな場所の1つに、青森がある。
継続したコンサル業務があり、定期的に訪問していたときがあった。
何度も訪れていると、愛着がわくものだ。
なにより、食べ物がおいしく、日本酒の種類も多い。
いつも、青森に出張することが楽しみだった。
私が青森に行くのは、春から秋にかけての雪のないシーズンだった。
それが、あるとき、2月に訪問する予定が組まれた。
雪のある青森は初めての経験である。
「冬の青森はどんなだろう」
少しワクワクしながら、2月が来るのを待ち遠しく思っていた。
「悪天候のため、着陸できない場合は、別の空港に向かうか、出発空港に引き返すことがあります」
2月になり、青森に向かうため、最寄り空港に到着したところ、搭乗前からアナウンスが繰り返しされていた。搭乗してからの機内でも繰り返しアナウンスされる。
2月ということで、飛行機が欠航になるリスクも承知していたが、「まあ、なんとかなるだろう」と軽く考え、飛行機で移動する方法を選択していた。
私鉄や新幹線を乗り継げば、リスクは軽減されるかもしれない。しかし、所要時間に問題があった。少なくとも8時間は要するからだ。
飛行であれば、1時間20分でひとっ飛びである。
以前に、電車を乗り継いで、青森まで行ったことがあったが、到着した頃には疲れ果て、クタクタになってしまった。そんな経験もあり、飛行機を選択したのだった。
しかし、繰り返されるアナウンスを聞いていると、ドンドン不安になっていく。
青森に到着しなければ、大変なことになる。
明日から、セミナーが始まるのに。
今回は、青森市、弘前市、八戸市と、連日セミナーを行う予定になっており、講師である私が到着しなければ、大変な事態となる。
「青森空港に到着しますように……」と願うしかなかった。
青森に近づくにつれ、眼下にみえる山々が白い化粧をしている。
まもなく青森に到着するという頃には、窓の外は真っ白になり、何も見えなくなった。
吹雪のなか、飛行機は進みつづける。
機内のモニターには、外の様子がライブで映し出されていたが、真っ白で何も見えない。
こんな状況でも飛行機は飛ぶのかと、少し不安に思った。
着陸なんて、無理かもしれない……。
そんな不安をよそに、飛行機は着陸した。
前後左右が何も見えなくても飛行機は進み、そして着陸できる。
レーダーをたよりに操縦するにしても、その凄さに驚いた。
青森空港に降り立ち、そこから青森市内行きのバスに乗る。
1時間ほどで、目的地である青森駅に到着した。
駅前には3メールを超えるくらいの雪が積もっていた。
道の雪をかいて、道路わきに避けたため、高く盛り上がっているようだった。
雪を見た瞬間「わー!」と喜びの雄たけびをあげた。
目の前の大雪にワクワクが止まらない。
荷物を横に置き、ちょっとだけ、雪の塊にダイブしてみた。
降ったばかりの雪だったようで、フワフワしていた。
私の人型が雪にしっかりと残っていた。
私は三重県の沿岸部の出身である。
太平洋の温かい潮のおかげで、年中南国のような陽気だ。
2月くらいにとても寒い日があると、雪が降ることもあるのだが、ちょっとだけチラつく程度である。だから、雪には憧れがあった。
学生時代はスキーをしていたので、雪を見たのは初めてではない。
しかし、こんな市街地に積もった、たくさんの雪を見ることは初めての経験だった。
雪に向かってダイブしたところで、周囲の人たちの視線を感じる。
駅前で、こんな言動をとる人間は、確かに珍しいだろう。
できることなら、雪だるまも作ってみたかったが、気持ちをぐっと抑えた。
大きな荷物を抱えたままだったし、かなり寒くなってきていたからだ。
それにしても、すごい雪である。
この素晴らしい雪景色を何枚もの写真に収めた。
私は、今回冬の青森に来る前に、いくつかの準備をしていた。
寒さ対策はもちろんのこと、靴も新調した。
秋頃に青森を訪問したとき、訪問先の担当者との会話がきっかけだった。
「次回は2月に来ますね」
「2月に来られるなら、「冬靴」を準備したほうがよいですよ」
私は、冬靴という単語を聞いたことがなかった。
「冬靴って何ですか?」
「ご存じないですか? 靴の底が滑らないような仕様になっている靴ですよ。以前来られた講師の方は、普通の靴を履いてきて、スッテンコロリンと転んじゃって、足を骨折して、研修をせずに、そのままお帰りになられたことがありましたよ」
転んで、骨折して、研修ができないなんて、絶対にあってはいけない。
その話を聞いて、帰宅後にすぐに、地元の靴屋さんをおとずれた。
冬靴を探すが、どこにも見当たらない。
時期的に少し早かったのかと思い、店員さんに聞くことにした。
「冬靴は、まだ入ってきていないのですか?」
「え? 冬靴? 冬靴って何ですか?」
私が住む地域には、冬靴というものは売っていなかった。
雪が殆ど降らない、地面も凍結しない環境では、冬靴を履く必要がないからなのだろう。
しかし、私は、冬の青森に行く。
何とかして手にいれなくてはいけない。
冬靴がなければ、私は骨折する、という思考回路になっていた。
最悪、青森に着いてから買えばいいか、と思っていたところ、インターネットで「冬靴」を見つけた。試し履きもできないが、仕方ない。ネット購入し、準備万端で雪の青森を訪れていた。
ただ、青森の人のアドバイスによれば、冬靴を履いてもコケるときはコケるのだそう。
慌てずに、地面を踏みしめて歩くのが大切なのだという。
歩き方にも、十分に注意をし、青森の街を歩いた。
青森に到着した翌日、青森市の企業でセミナーを行った。
100名を超える受講者を前にして、滞りなくセミナーを実行できたことをありがたく思った。もし、飛行機が青森空港に降り立たなければ、この人たちに迷惑をかけてしまうところだった。飛行機を無事に着陸させてくれた機長への感謝の気持ちが再現した。
青森市でのセミナー後、翌日のセミナー会場である弘前市に向かった。
弘前に着いておどろいたのは、青森以上の雪が積もっていたことだった。
この年は、弘前の大雪がニュースになっていた。
ニュースで見たとおり、青森市以上の雪が、あちこちに積もっていた。
歩道は、雪の絨毯のように、カチコチに固まっている。
弘前駅からホテルまでは、そう遠くないはずだが、この雪道を、キャリーケースを引きずりながら歩いたら、スッテンコロリンするかもしれない。セミナーができなくなるリスクを考え、歩くことは諦めて、タクシーを利用した。
それにしても、スゴイ量の雪である。
「雪だるま作り放題だ!」
雪への憧れが強い私は、そう思っていた。
弘前市のセミナー会場で、担当者と談笑しているとき、雪の話になった。
「雪景色が素敵ですよね」
と、大雪に感動したという話をした。
皆は少し驚いたような顔をしていたと思う。
口をそろえて、「雪が良いなんて、思ったこと無いです」と言い、雪の大変さを語っていた。
褒めたことに対しての謙遜だろうか。
それとも、灯台下暗し、目の前の素敵さには気づかないものかと思った。
弘前市でのセミナーを終え、新青森駅経由で八戸市に向かった。
新幹線から窓の外を眺め、たくさん積もった雪を、存分に眺めていた。
ふと、あることに気づく。
ある一定の場所を過ぎたころから、極端に雪が少なくなった。
トンネルを超えたら景色が一変したという感覚だった。
今まで、空から地まで一面真っ白だった景色が、木の緑や、家の屋根の色、道などが色彩を帯びている。水墨画の世界から、カラフルな世界へと変化した。
そして、八戸駅に着いたころには、雪がほとんど積もっていなかった。
私の事前知識では、冬の青森は、どこもかしこも雪景色のはずだった。
なのに、地域によって違うというのか。
その疑問を、八戸のセミナー担当者に聞いてみた。
「青森や弘前はスゴイ雪でしたけど、八戸はそうでもないんですね」
「八戸は太平洋の影響もあって、そんなに積もることはないんですよ」
「そうなんですか、青森県は、どこも全部同じと思っていました」
「本当に雪は大変なんですよ。災害ともいえます。私は弘前出身ですが、雪から逃れたくて、八戸に引っ越したのです」
「雪が災害?」
「雪は災害です。家の前に積もった雪を片付けようにも片付ける場所がない。雪かきをして、家の横に積んでおくと、隣近所から、これはお前の家の雪だろう! と苦情が来る。雪のある地域では、雪による揉め事も多いんですよ。その点、八戸は雪がないから、住みやすいです」
雪かきの大変さについても教えてくれた。
雪が多い地方の冬の朝の日課は雪かきであり、雪かきをしてから会社に出勤、帰宅後も、雪かきをしてからでないと、自宅に入ることができないそうだ。多い日で一晩に30センチ以上の湿った重い雪が積もるというから、その作業の大変さが想像できる。
青森の雪事情を理解するにつれ、とてつもない後悔が襲ってきた。
私は、雪は災害であると思っている人たちに向けて、「雪って素敵ですね」と、うれしそうに言葉に出して伝えてしまったのだ。
私としては、その地域を褒めているつもりだったのだが、聞いている人にとっては、「何もわかっていない」「脳天気なことを言っている」と思っていただろう。
なんて無礼な言動だっただろう。
今更ではあるが、青森県の雪事情について調べてみることにした。
青森県は、青森市や弘前市のある津軽地方、八戸市を中心とした県南地方、むつ市を中心として下北地方に分かれている。
気象庁のデータによれば、2018年11月から2019年5月までの積雪量は、青森市が546センチ、弘前市が503センチ、御所川原が336センチ、八戸が126センチであった。
青森市や弘前市と、八戸市の差は明らかだ。
青森には、さらに雪が積もる場所がある。
八甲田山の近くにある温泉地である「酸ヶ湯温泉」だ。
湯治場であり、混浴であり、そして日本で一番雪が積もることで有名なところである。
のちに、私も訪れたが、温泉施設の窓が全部雪で埋まっていた。
この八甲田山の存在が、雪の多い地域とそうでない地域を二分しているらしい。
冬はシベリア大陸から、冷たい北西の風が、吹いてくる。
この風が温かい日本海を通って、日本に流れることにより、海の水分をたっぷりと含んだ風になる。その風がぶつかるのが、八甲田連峰である。
八甲田連邦がそびえ立つ北西の地域である津軽地方に大量の雪を降らせるという原理だ。
青森市や弘前市のように、市街地において、平均2メートルの雪が積もるのは、世界でも珍しいのだという。
一方で、八戸市などの県南エリアは、県内では雪が少ない地域になるが、風が強く、路面は凍結する。冬靴は必須である。
行ってみて思ったのは、体感としては、八戸が一番寒かったということである。汽車を待つ5分くらいの間、外に出ているだけで、身体が凍りそうに感じた。寒いというより、痛いという感覚であった。これまで行ったことのある地域で、一番寒いと感じたのが八戸だった。
雪の多い地方の雪の大変さも理解せず、知らない土地とはいえ、「雪景色な素敵」なんて、なんと無礼なことを言ってしまったのだろう。
しかし、青森の人たちは、私の言動を責めることはなかった。
訪問者のたわ言くらいに、思っていたのかもしれない。
それどころか、現状を丁寧に説明してくれていた。
おかげで、青森県のことに興味をもち、さらに知ることができた。
青森のことが、ますます好きになった。
日本には「旅の恥はかき捨て」と言葉がある。
旅先では知っている人もいないから大胆なことをしてしまう意味で使われている。
しかし、かつては、情報があまりなくて知らない土地での習慣や風習を知らずに思わぬ失敗をしても、恥じる必要はないという意味のことわざだったと聞いたことがある。
私のような無礼な発言に対しても、青森の人達は、「知らないのだから仕方ない。恥ずかしいことではないですよ」と大きな心で受け入れてくれたように思う。
無知を無礼と捉えると、許せない気持ちが支配するが、無礼を無知と捉えれば、許せる気持ちが沸き上がる。
社会環境が変化するなか、ことわざが持つ意味も変化するのであろうが、もともとは良き日本人の配慮が生きているのだと思う。
世の中には、知らないことがたくさんあって、思いがけず無礼なことをしてしまうこともあるだろう。それは、旅行先でなくても、日常でも起こりうる。
人生を旅に例えることもあるが、生きていくうえで、失敗のない人生なんてありえない。
「失敗したくない」「傷つけたくない」「傷つきたくない」という気持ちが強く、人と関わりを避けている人がいると聞くが、ちょっとした失敗を大きな器で受け止めてくれる日本の文化が存在することを信じてみてもよいと思う。
物事を穏やかに受け入れる気持ちさえあれば、互いに、気持ちの良い時間、人生が過ごせるだろう。だからこそ、無礼があっても、それを無知と捉え、大きな心で包み込むことのできる寛大さが大切なのだと思う。
□ライターズプロフィール
高橋由季(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2020年の天狼院書店ライティングゼミに参加
書く面白さを感じはじめている
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