週刊READING LIFE vol.133

あの日の空《週刊READING LIFE vol.133「泣きたい夜にすべきこと」》

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2021/07/05/公開
記事:あおい 真雪(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
昼休憩が終わると、つまらない会議が始まった。
無駄な内容。重要な議題もない。
課の全員を集めて、25人全員の貴重な1時間半を奪ってまでやらなくてはいけない会議か、心の底から疑問に思う。
うちの会社では、この手のどうでもいい会議が2ヶ月に1回行われる。
私にとって、この会議は苦痛でしかなかった。
1時間半も拘束されるおかげで、残りの時間で業務をこなさなくてはいけないのが大変だったし、何より会議の1時間半が非常に長く感じられて辛かった。
 
1時間半の会議は、前半はCSR研修といって社内外のコンプライアンスについての研修で、後半は課の皆が親睦を図るためという意図のもと、毎回テーマが設けられ、ランダムに選ばれた数人が、テーマに沿った内容の発表をするというものだ。
コンプライアンスとは、法令の遵守(例えば「飲酒運転の根絶」とか)と、会社内で決められたルールの遵守(うちの会社では「お客様情報の守秘義務」とか「企業倫理の遵守」)を指し、これらコンプライアンスを皆が理解し遵守することは、会社にとって大事なことであり、研修が必要なのは分かる。
 
CSR研修は3ヶ月に一度実施され、耳にタコができている。CSRの内容が記載された小さなカードを社員証と一緒に携帯することを求められており(両面が透明な社員証入れに社員証の反対側に入れさせられている)、毎日目に入るし、今更説明を受けることは何もない。
説明をする課長も、皆が真面目に耳を傾けるのを求めて説明していない。そんな状況で実施されるこの会議は、半分が居眠り、残りの半分は「聞いているフリ」をするために、時折うなずいたりメモを取ったりしていた。
 
後半はさらに苦痛だ。
後半の「親睦を図るための発表」部分のテーマは、「旬な食べ物について」とか「近隣のお勧めのお店」とか、どうでもいいものばかりだった。
テーマ発表は1人5分の発表時間が与えられ、発表のためにスライド資料を作らねばならなかった。仕事の内容じゃない資料を作らされるのも嫌だった。
これも仕事のうちと思えば、仕事なのかもしれない……と諦めていた。
「この会議は時間が長くて苦痛だ」、「後半の発表が嫌だ」「テーマがつまらない」と皆口々に言うものの、誰も課長に進言しないため、良くなることはなかった。皆、課長に悪く思われたくないのだ。課長にたてついて評価が下げられると、月々の給与もボーナスも下がるからだ。
誰かが発表している間、他の者は黙って聞く。会議の後、それらについて話がされることはない。皆が嫌々参加しているので、親睦が深まることもない。
 
この無駄な時間の発案者は支店長だった。
昨今では飲み会に参加しない社員も多いので、仕事の時間内で、全員が参加する形で親睦を深める機会を作るということらしい。
趣旨は良いのだが、やり方が悪い。会議というムードが良くないし、選出されるテーマが微妙だ。そして1時間半の拘束は長すぎる。
最初に別の話題をやって疲れた頃にその発表が始まるので、聞く気になれなかった。
やる意味は理解するが、意味のあるものになっていなかった。
 
13時に始まった会議は、もうすぐ1時間が過ぎようとしていた。周りを見渡すと、案の定半分くらいのメンバーが寝ていた。私は「真面目に聞いているフリ」をしていたが、本当は眠くて仕方がなかった。
 
私の隣に座っていた佐藤さんがふいに席を立ち、窓に近寄っていった。
窓の向こうはバルコニーになっており、外に出られる作りだ。
30cmほど換気のために窓が開いていたので、閉めに行ったのかなと思った。
 
彼女は窓を閉めるのではなく、両手を使って窓を全開した。
そして、バルコニーに出て、バルコニーの手すりに手をかけた。
手すりに体重を乗せるような形で、まるで鉄棒の前転をするような感じで、
 
手すりの向こう側にいった……。
 
一瞬の出来事だった。
 
私は何が起こったか分からなかった。
 
落ちた……?
 
「えっ……!?」
 
咄嗟に他の同僚を見たが、誰も気づいていなかった。
 
「えっ……、えっ……!?」
 
佐藤さんが座っていた場所を見ると、彼女のノートとペンが残されていた。
 
現実だ。
 
私は立ち上がり、窓に駆け寄った。
窓に駆け寄ったが、バルコニーの下を見る勇気がなかった。
 
「あの……、あのっ……、今……、佐藤さんがっ……!」
バルコニーを差して言うのがやっとだった。
 
私のただならぬ様子に、係長が「どうした?」と言いながらバルコニーに出た。
バルコニーを見渡して、そして下を覗いた。
会議室を振り返り、「皆、その場所を動かないように!!」と叫び、大きな声で課長を読んだ。課長はバルコニーに走り寄って、下を覗き込んだ。
胸ポケットから携帯電話を取り出し、「今すぐ救急車を1台お願いします!」と震えた声で電話するのが聞こえた。
 
課長は「皆、部屋から出て、自分の席に戻って各自仕事してください。バルコニーから人が落ちました。すぐに救急車が来ると思います。警察も来るかもしれないので、バルコニーに決して出ないように」と言い残し、携帯電話を片手に会議室を飛び出していった。
 
係長が私たちを部屋の外に追いやった。
皆ゾロゾロと会議室を出て、自分の席に戻った。
皆自分の席に戻ったが、隣の者同士でヒソヒソ話す声が聞こえた。
「え? なに? 佐藤さん落ちたの……?」
「事故?」
「まさか飛び降り……?」
「何か仕事で悩んでいたっけ……?」
悩んでいたように見えただとか、最近暗かったとか、廊下ですれ違ったときに心ここにあらずな様子だったとか、彼女のことをよく知りもしないのに憶測で話していた。
「佐藤さん死んじゃうのかなぁ……」と一人が言うと、皆がざわついた。
 
救急車のサイレンが聞こえてきて、真下で止まったのが分かった。
何名かは席の近くの窓に駆け寄り様子を見ていた。
私は覗く気になれなかった。
 
自分の席に戻ったが、仕事ができるような状態ではなかった。
「佐藤さん、何かに悩んでいたのかな? いつもと同じように見えていたけど」
と向かいの席の同僚が話しかけてきたが、
「うん……」
というのがやっとだった。
 
私は佐藤さんのプライベートをそんなに知らない。
彼女の苦悩? そんなのは聞いたことがない。
私と彼女は同じ担当で同じチーム。彼女の1年後に入った私は、新人のころ彼女に仕事を教わった。質問をすると、いつも丁寧に教えてくれた。
彼女はいつも仕事をテキパキとこなしていた。
私では手に負えない問題やトラブルを彼女が代わって解決をしてくれることが度々あった。
自分も彼女のように仕事ができるようになりたいと思っていた。
 
彼女は会社で特に親しい人も作らず、皆と平均的に、それなりに関係性を作っている様子だった。
以前、「会社の中で親しい人を作りたくない。親しくなっちゃうと、相手がミスをした時に指摘しづらくなっちゃうでしょう?」と言うのを聞いたことがある。
 
彼女のことを詳しく知る者はいなかった。
会社に溶け込んでいなかったわけではない。
彼女は誰にも心を許していなかったのだと思う。
近づく人をガードしていたようにも思えた。
だから、彼女が飛び降りた理由を、誰も思い浮かべることができなかった。
彼女が何を思い、何に悩み、どんな気持ちで手すりを越えたのか、誰も分からなかった。
 
数時間後、彼女が一命をとりとめたことが知らされた。
皆ほっとした。
このフロアは5階で高さはあるが、彼女が落ちたところが自転車置き場の屋根の上であり、奇跡的に助かったというのだ。骨折や打撲がひどく、救急車で運び込まれた国立病院で緊急手術、緊急入院となった。
 
彼女は30代後半で未婚、年老いた母親と二人で暮らしていた。
母親の身体の調子が良くないと一度聞いたことがあった。
これからその母親に彼女自身の世話をさせることになるのは、彼女にとっては不本意だろうと思う。彼女が運び込まれた国立病院は完全看護であるが、それでも、母親は心配で毎日病室を訪ねるであろう。
彼女が何を思いその行動に出たかは分からなかったが、その後のことを考えると、胸がぎゅっとなり私も辛かった。
彼女が落ちた当日も後日も数回警察が訪れ、その場に居合わせた全員、事情聴取というか会議室に呼び出され、いろいろ質問を受けた。目撃者である私や彼女とかかわりがあった者全て、課長、支店長、人事にも呼ばれ、いろいろ質問を受けた。
彼女が飛び降りた理由は分からずじまいだった。
彼女はそのまま退職し、1年たつと社内で彼女の話題は出なくなった。私ももう細かいことは覚えていない。10年以上前のことだからか、それとも私が記憶に蓋をしたのかは分からない。
彼女が窓に歩み寄ったところから手すりに身を預けるまでの一連の動作だけは、今も頭から離れないが、それ以外のことは曖昧な記憶になっていた。
 
もう嫌だ……、疲れた……、何もかもすべて手放したい、この苦しみから逃れたいと思う時、あの日のことが頭に浮かぶ。
 
そして、自分が死んだ後のことを考える。
私が何に悩み、何を思い、何から逃げたくて死を選んだのか、誰にも伝わらない。
伝わらないまま私は去ることになる。
せめて、自分が何を思っていたのかくらいは知ってほしい。
 
そして、自分の死後、一人暮らしの部屋の荷物を誰が整理するのか。
年老いた両親に、私の部屋の片付けをするのは無理だ。私は物を捨てることが苦手なタイプで、物が多い。
 
預貯金はどうだろう……?
年老いた両親がインターネットバンキングを理解し、預貯金の引き出しや口座の解約ができるだろうか?
 
昔の日記や子どもの頃の手紙、膨大な数の写真、全てがさらけ出される……。
真剣に死にたい気持ちになったときでも、私はその後のことを考えてしまう。
私の死後、誰が後片付けをするのか。死にきれなかったときは、私の面倒は誰が見るのか。
両親か?
私が身体に不自由を生じるような形になった場合、その時はどうだろう?
年老いた両親には無理だ……。
そしていずれ両親は死ぬ。その後はどうするのか。
私は生命保険に入っていないし、自死の場合におりる保険には入っていない。
 
私には頼れる人が誰もいない。
親しい友人はいるが、宮城県、長崎県、海外に住んでいる。私のいる愛知からは遠い。
何かに悩んだときにLINEやメールで連絡すれば、親身に話を聞いてくれる。とても心強い友人たちだが、距離的やお互いの仕事の関係で、会うのは数年に1回。そんな彼女たちに、私の死後、身の回りの片づけを頼むわけにはいかない。
私の少ない預貯金を全て差し出しても、片付けの大変さ、交通費や宿泊費などの出費に比べたら、受け取る金額が安すぎて、とてもじゃないが頼めない。
 
現在、付き合っている彼もいない。
最後の彼氏とは2年前に別れている。もう連絡も取っていない。
彼は私より18歳も年下で、私より長生きすることは確実だし(順当にいけば私よりは長生きすると思う)、私の少ない預貯金でも全て差し出せば、彼の年齢にとっては多いと思ってもらえるかもしれない。年の割にはしっかりした考えを持つタイプで、付き合っている時は20歳とは思えない落ち着きがあった。出会ってすぐに気が合い、2年続いた。若い彼がいることを私は誰にも言わなかったし、彼もたぶん誰にも言っていないと思う。
新しい彼女や奥さんがいたりして、オバサンと付き合っていた経歴がある事を受け入れられないタイプだったとしたら、バレるわけにはいかない。そう考えると、私の死後に彼に片付けをお願いするのはできない。
 
親戚や従妹が同じ愛知県にいるが、彼らの結婚式の披露宴であったのが最後で、もう20年くらい会っていない。
 
残るは行政か。
行政の人が私の部屋に来て残された物を片付ける時、どんな思いで片付けるのだろう。
哀れな中年女性に同情しながらだろうか? それとも、物が多い事を腹立たしく思いながら片付けるのだろうか。どちらにしても申し訳ない。
いくらお金で派遣されたとしても、「おいおい、もう少し片付けといてくれよ」と思うだろうし、穴の開いた靴下、よれよれのTシャツを部屋着にしていることを知られたくない。
死んだ後であるが、その辺の恥じらいは捨てきれない。
 
そうやって考えると、やっぱり今は死ねない。
まず、部屋を片付けてからじゃないと。
人に知られたくない秘密(日記とか手紙とか)を葬り去ってからにしたい。
誰かに見られて恥ずかしいものは捨てておきたい。
そしてできることなら、親を看取ってからにしたい。親より先に死ぬという親不孝だけはしたくない。
 
死にたいと思っても行動できない理由が「生きたい」からではなく、自分の死後を想像して「今はまだ死ねない」という結論に至るのだ。
死ぬために必要なことを考える。
そして、思いとどまる。
 
未来に希望があるわけでも、やりたいことがあるわけでもない。望みがあるわけでもない。
でも、いつもそこで踏みとどまる。
 
もう嫌だ ⇒ 死にたい ⇒ 死のう ⇒ 部屋を片づけなくては ⇒ 物が多くて片付けられない ⇒ 片付かない ⇒ 死ねない
 
ゆえに、私はまだ生きている。
 
辛くて苦しい夜、涙が止まらない日がある。
悲しすぎて放心状態となり、涙すら出ない日もある。
もうダメだ。
生きるのをやめよう。
 
そう決めても、部屋の中が目に入る。
「まだ死ねない」とやっぱり思う。
辛くて苦しくて、息をすることすらやめたいと思う中で、目を閉じ大きく一つため息をつく。
死ねない。
死なない。
そしてまた朝が来る。
時間になると会社に行く用意をして部屋を出る。
幸か不幸か、新しい日がまた始まる。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
あおい 真雪(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2021-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.133

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