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週刊READING LIFE vol.133

だから金曜日の夜には、ウドンをこねる《週刊READING LIFE vol.133「泣きたい夜にすべきこと」》

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2021/07/05/公開
記事:古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ウドンは、手でこねるより足で踏むと、よりコシがあり、おいしくなるような気がする。
 
日本に帰国して1年、一人暮らしが始まって1年。
ウドンを足でこねることが私の金曜日の夜のルーテインだ。
 
昨年、わたしは、家族から離れて、ひとりだけ日本に帰らざるを得なくなった。
それまで、わたしは、平日はラオスで働き、週末は家族がいるタイで過ごしていた。
コロナのために、両国間の国境が閉まり、タイに戻ることができなくなり、ついでラオスから日本に帰国しなければならなくなったのだ。
 
わたしは一人で暮らしたことはない。
今いる実家を含めて、大学時代は、運動部の合宿所で生活し、タイに渡ってからは、孤児院、大学の寮などで生活していた。
そして、結婚してからは、タイ人の妻の実家で暮らしていた。
だから、今の一人だけの生活は、初めての経験だ。
特に一人で、黙々と食事をすることなんて初めてだ。
 
当初、特に違和感はなかった。
しかし、3ヶ月ほど過ぎてからだろうか?
突如として、涙が出てくるようになった。
悲しいというより、得体の知れない何かへの不安や恐怖からだ。
 
食事をしていても、おいしさなんて感じる余裕がなかった。
それなのに、10キロも体重が増えた。
食べた記憶なんてないのに。
心と身体がチグハグになっていたのだ。
 
違和感のはじまりは、わたしが、仕事を辞めた時期と重なる。
仕事で、自分の不得意なことや、他人との面倒なやり取りにクタクタになっていたのに。
仕事という、毎日のルーティンが、内面に潜む何かを押さえ込んでいたのだろうか?
 
涙が出るのは、決まって金曜日の夜だった。
仕事をしていた時なら、平日の仕事での疲れがピークになり、早い時間に寝てしまうはずなのに。
涙で息をすることがしんどくなる。
だから息をするために、苦し紛れに、独り言を言ったいた。
 
精神科の病棟に入院しているうつ病の患者さんの聞き取りをしたことがある。
彼らは、独り言が多かった。
でも、単に独り言を言っているのではない。
なぜなら、注意深く聞いていると、誰かと話しているような素振りを見せるからだ。
医師によると、独り言は問題ないが、いないはずの人の声が聞こえてきたら、危ないとのこと。
 
そういえば、わたしも、誰かと話しているような感じがする。
机の上には、ポットがある。
ポットからの呼びかけに、わたしは話を返していたかもしれない。
 
そのポットはわたしの反対側にある。
なんの変哲もない赤色のポット。
ちょうど、わたしとの向かいに赤い服を着た人が座っているようにも見えなくもない。
 
“ポットとしゃべる、泣くおっさん”は、今となっては笑える。
でも、あのときは、笑えなかった。
 
病院にも行ってみたが、原因はわからないと言われた。
だから、とても落ち込んだ。
 
ある金曜日の晩、いつものように涙が出てきた。
例のポットの横を見ると、筒状の入れ物があることに気がついた。
わたしの家は、ガラクタが多い。
なぜなら、古いこの家には、祖父母そして父母の私物が大量に残っている。
台所には、大量の皿、そして鍋などがたくさんあり、お玉なんて20個ぐらいある。
筒状の入れ物は、そんなガラクタの一つだろうと思った。
中を開けてみると、一握りできるぐらいの太さで、長さは30センチほどの木製の棒が入っていた。また、木製のヘラがあり、紙片が一つ入っていた。
その紙片には“おいしいウドンの作り方”とある。
この棒は、ウドンを伸ばすのに使うのだ。
 
わたしは、この棒を捨てようと思った。
でも、思いとどまった。
なぜか、ウドンを作ってみようと、思ったのだ。
改めて、“おいしいウドンの作り方”を読み直してみた。
 
10人前
薄力粉(もしくは強力粉)500g
水           350cc
塩        大さじ 1
 
材料を見る限り、簡単に思えた。
そして、冷蔵庫の中に、薄力粉を見た覚えがある。
死んだ母は、食品はなんでも冷蔵庫に入れる人だった。
だから、この薄力粉も何年前のものだったのかは、わからない。
 
人生で初めて、薄力粉をボールに入れる。
そして、分量の水を入れる。
サラサラだった薄力粉が、水を加えると粘土のようになり、とても手では、こねることができなくなるくらいの重さと硬さになった。
水をもう少し入れてみたが、様子は変わらない。
レシピを改めて見ると10人前の材料だ。
 
薄力粉の塊を前にして、わたしは、しばらくなすすべもないまま座っていた。
放っておくと、カチコチになりそうな気がした。
そういえば、ウドンを手の代わりに、足でこねるのを見たことがあった。
YouTubeで調べてみた。
すると、布団の空気を抜いて小さくして収納するビニール袋に粉を入れて、足でこねている動画があった。
 
さっそくビニールのゴミ袋を破れないように3重にして、粉の塊を入れた。
ある程度、塊を手で平にしてから床に置き、机につかまりながら、足でこねてみた。
泣きながら、踏み続けた。
不安や恐怖を、踏み潰すようにしていた。
 
足の裏に強い抵抗感があったが、段々と平になってゆくのがわかる。
今度は、表と裏を逆にして、踏み続けた。
泣きながら、踏み続けた。
 
30分ほどで、ビニールの面ほどの大きさになった。
ビニール袋から出して、指でつまんでみる。
ちょうど耳たぶくらいの硬さだ。
再びビニール袋に戻して、寝かせる。
 
その間に、具を考える。
揚げが食べたくなった。
しかし、夜中にコンビニまで行くのも面倒くさい。
というか、この泣き顔で行くのが嫌だった。
 
冷蔵庫を漁ると、鰹節と醤油くらいしか、使えそうなものがない。
だから、
“素うどん”にすると決心した。
Youtubeを見ると、出汁の作り方がある。
人生で初めて、鰹節を煮出した。
涙でグシャグシャになった目に、グラグラと沸騰する鍋からの湯気が見える。
とても良い香りがする、でも懐かしい香りでもある。
涙でグシャグシャになった鼻にも、やさしい。
こんな香りは、この20年間住んでいたタイ料理ではまず感じられない。
そして、懐かしい香りがするのは、多分、子どもの頃にうちで食べたうどん出汁の香りを思い出したのかもしれない。
そういえば、子どもの頃は、わたしは鰹節を削る手伝いをしていた。
昔は、鰹節は今のような小袋に詰められたものではなく、塊を、刃がついた小箱に擦り付けて、削った。
 
網で鰹節を濾して、そこに醤油を垂らしてゆく。
冷蔵庫を見ると、未開封の日本酒とみりんがあった。
この2つも入れようと思った。
 
日本酒とみりん、この2つの違いは自分でもよくわからない。
タイにいるときも、みりんは売っていた。
現地の米で作られたものであり、タイ料理に入れてもおいしかった。
自分にとっては、砂糖に変わる甘さとコクを出す調味料ぐらいにしかわからないのだが。
一方で日本酒も、原料は米、でもみりんとどう違うのかは、よくわからない。
たぶん入れたらおいしいだろうというぐらいにしか、考えていなかった。
 
味を見ながら、自分の舌がおいしいと思えるところまで入れてみた。
 
おいしいと感じた時、涙が止まっていることに、気がついた。
いつ止まったのだろう。
 
鼻が、すっきりした状態で、出汁の香りを感じている。
やさしいというより、おいしいという香りだ。
目が、陰りもなく、はっきりと出汁の色を捉えている。
それは、黄金色をしていた。
 
そして、何よりも「腹が減った」と思える自分に驚いた。
 
不安や悲しさがなくなったわけではない。
でも、「腹が減る」と思えるようになったのだ。
 
母が言っていたことを思い出した。
戦中生まれの母は、空襲で友人を失ったのだが、いくら悲しいことが起こっても「お腹が減る」と言っていた。
だから、あの時代、母は食べるために生き続けることができたのではないかと思う。
いくら悲しくても、腹が減ることで、人は救われてきたのかもしれない。
 
次に、寝かせたウドンを切る。
真っ白な麺を見ていると、茹でた後のモチモチとした質感を想像してしまう。
こんな想像をするようになったのは、久しぶりだ。
不器用な自分は、等分に麺を切ることが苦手だ。
だから、太くなったり、細くなったりしてしまった。
 
湯の中に入れてみた。
4分ほどで、茹で上がった。
湯から上がった麺を口に入れてみた。
ほんのりと甘い。
舌がとても敏感だ。
モチモチ感は想像した通りだ。
今なら、このままでも食べることができそうだ。
そんな気持ちを抑え、冷水でしめた。
 
懐かしいウドンの器に、冷水からあげた麺をもった。
そこに、出汁を並々と入れた。
 
黄金色の出汁に、白い麺が浮いている。
ちょっと寂しい。
ネギや、生姜があればと思う。
でも、我慢しよう。
これで、十分と思った。
 
手を合わせた。
こんなことをするなんて久しぶりだ。
そして、ちょっとだけ大きな声で、「いただきまーす」と言ってみた。
こんなこと言うのも、久しぶりだ。
 
麺は、箸からでもわかるぐらいに十分な弾力を感じる。
それでいて、歯触りは軽いから、すぐに噛み切れる。
こんな麺を食べたことはない、はずだ。
一口目と二口目をゆっくり食べたが、あとはもう覚えていない。
 
ズルズルという気持ち良い音を何回も立てながら、噛んでは飲み、噛んでは飲み込んだ。
 
気がつけば、3杯食べていた。
 
お腹がいっぱいになった。
こんなに気持ちよくお腹がいっぱいになるのも久しぶりだ。
だから、
その日の晩は、本当にぐっすりと寝ることができた。
 
その後も、金曜日の晩は涙が出てくる。
時には、外出中に出ることもあった。
ちょっと困るが、前ほど悩まなくなった。
 
ただ、変わらないのはウドンの麺をとりあえず足でこねることだ。
不安や恐怖を踏み潰すというより、今ではそれらも麺に練り込んで食べてしまえ!と思えるようになった。
 
台所のガラクタを探すと、鰹節削りの箱も出てきた。
だから、鰹節を塊のまま買ってみた。
ひと削り、ひと削り、丁寧に削る。
手だけではなく、上半身を使う事で、力を加えずに、削れることも知った。
大きな鰹節が、少しづつ小さくなってゆく。
木に彫刻をしていく感じかもしれない。
 
涙のことは、やっぱり気になる。
鰹節が、あと何個なくなれば、涙が止まるのだろうか?
そんなことを考えることもある。
 
でも、そんなことは、大したことではないんだろう。
「腹が減る」ことに比べたら。
 
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
古山裕基(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

タイ東北部ウドンタニ県在住。
同志社大学法学部卒業後、出版企画に勤務。1999年から、タイで暮らす。タイのコンケン大学看護学部在学中に、タイ人の在宅での看取りを経験する。その経験から、トヨタ財団から助成を受けて「こころ豊かな「死」を迎える看取りの場づくり–日本国西宮市・尼崎市とタイ国コンケン県ウボンラット郡の介護実践の学び合い」を行う。義母そして両親をメコン河に散骨する。青年海外協力隊(ベネズエラ)とNGO(ラオス)で、保健衛生や職業訓練教育に携わる。現在は、ある地域で狩猟の修行をしている。
著書に『東南アジアにおけるケアの潜在能力』京都大学学術出版会。
http://isanikikata.com 逝き方から生き方を創る東北タイの旅。

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2021-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.133

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