週刊READING LIFE vol.135

愛されて、いたのかな《週刊READING LIFE vol.135「愛したい? 愛されたい?」》


2021/07/19/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
蒸し暑さにうなりながら目を覚ました。
もうすぐ日が暮れそうな薄暗い部屋の中は、しん、としている。
 
(なんで誰もいないの?)
 
さっきまで編み物をしていたはずの母はどこに行ったのだろう。
 
「お母さん……」
 
父はバトミントンに出かけた。でも母はいるはずなのに。
みんなどこ?
 
「誰かいる?」
 
……声に出した時からゆっくりと、ぼんやりした頭の中がはっきりしてきた。
 
ここは、実家じゃない。
母は、いなかった。
 
夢うつつの頭がだんだんと晴れてきた。ここは今の自分の家だ。そして私ははるか昔に子どもではなくなっているのだ。

 

 

 

振り返れば、幸せな子ども時代だったと思う。
生家はこれといって何かを成し遂げただとか、そのようなことは全くない普通の家である。
 
父は田舎の5人兄弟の次男坊だった。男ばかり5人も兄弟がいたら、誰か1人くらいは他家に養子に出るのが宿命なのかもしれない。そんな父と、一人娘の母を引き合わせた人は、きっと「なんてうってつけの話なのだろう」と膝を打ったに違いない。こうして両親は結婚した。
 
母は東京で育った。
正確に言うと母は、母の伯母と暮らしていた。母の父、つまり私の実の祖父はフィリピン戦線で亡くなっている。戦後、働き手を失った家族を再編成することは珍しくなかった。子どもがいなかった母の伯父夫婦が、母を引き取って養育した。
母の伯父は、母が結婚した時には既に他界しており、母の伯母と2人で暮らしていた。そこに父が婿養子に入り、3人暮らしとなった。この「母の伯母」は私が生まれた時からいたし、私もこの人を何の疑問も持たず自然に「おばあちゃん」と呼んで一緒に暮らした。
 
父と母、そしておばあちゃん。ここに私と、3歳年下の弟が加わる。
5人家族の毎日は賑やかだったことを覚えている。
 
長女の私は、いつもおばあちゃんにくっついていた。
おばあちゃんが毎月四のつく日に巣鴨のお地蔵様に行くとなれば、必ずついていった。
おばあちゃんがお風呂に入るときは、たいてい一緒に入った。
おばあちゃんが針仕事をするとなれば、側でじーっといつまでも眺めていた。
 
とにかく夜も昼もなく、私はおばあちゃんのあとを追いかける子だった。
典型的な戦前生まれ、昭和の働きマンだった真面目な父と、義理人情を重んじていつも厳しかった母にはなんとなく近寄りがたかったせいもあって、優しくなんでも願いを叶えてくれるおばあちゃんに私は懐いていた。
 
小さい頃はそれでよかった。しかし物心ついた頃からだんだんと違う想いが湧いてきていた。
 
「どうしてお母さんは、いつも弟と一緒なの?」
 
当時大流行していたガチャガチャのスーパーカー消しゴムが出ると聞いたら、母は弟のために大量に買いこんでいたし、毎週出るヤンジャン・ヤンマガ・ジャンプ・モーニングは弟の代わりにコンビニに買いに行って揃えていたし、ファミコンソフトの発売日には学校に行く弟に代わって早朝からビックカメラに並んで買っていた。
 
「ねえ、なんでそこまでするの?」
「なんで弟には甘いの?」
 
時々そんなことを私は母に対して口に出していたのだろうし、母は父からもそう言われていたのを覚えている。それでも一向に母は、弟の希望を叶えてあげることをやめなかった。
 
今思うと、とにかく弟は小さい頃からやんちゃだった。
典型的ないたずらっ子で聞かん坊だった。そして小児喘息も持っていた。幼稚園の頃から入退院を繰り返して、ひどい時には一晩中吸入をして、両親が交代で寝ずに抱っこをしていないと呼吸ができなくなっていた。そんな弟を、自然に母はサポートしていたのだろう。その気持ちはよくわかるけど、だからといって中高生になってまで毎週マンガ雑誌を4冊も買ってきてあげているのは違うじゃん? と思うのだった。
 
私が「ああして欲しい」とか「こうしてくれないかな」とか、そういうことをあまり言わない子だったからというのもあるかもしれない。手がかからない長女はおばあちゃん子だから、お任せしちゃってもいいかな。下の弟の方に手がかかるし。母がそう思ったのも無理もない様な気もする。だからといって私だって何にも希望がないわけじゃないし、たまには私のいろんなことも見てくれてもいいじゃない。よその家みたいに、私のいろんなことを褒めてくれてもいいじゃない。そう思うのが自然だ。
 
弟にばかり目をかけて、私にはかまってくれない母に対して、次第に期待というものを薄めていったような気がする。自分も大人になっていったし、大事なことも自分で決めるようになっていったから、弟にばかりかまってずるいとも、やきもちを焼くことも減っていったような気がする。

 

 

 

新卒で就職をして社会人2年目にして早々に結婚することになったことは、自分の人生の中で1番の想定外だったのかもしれないけど、そう決めたことにも特に両親は反対はしなかった。
 
挙式が近づいてきてだんだん準備に追われるようになっていた。式だけじゃなくて新居とか仕事とかその後の生活のこととか、いろんな段取りが押し寄せていた。私の頭はいつも何かのことでいっぱいだった。流れるように時間が過ぎていく、そんなある日のことだった。
 
「……これ、いる?」
 
母が差し出してきたのは1冊のノートだった。
 
「何?」
「ちょっと書いてみたんだけど」
 
なんだろうと思いながらノートを開く。
書いてあったのは、母のレシピだった。
 
母は料理が上手かった。
気取ったものを作っているわけではないが、ありあわせのもので何かを作るのが上手かった。TVの料理番組で見て気に入ったものを作り、それをアレンジして自分の味にしていた。しかも食べたらそこそこ美味しい。そんなレシピをいろいろ持っていた。
 
鶏のささみをさっと煮て、からし醤油で和えた一品や、毎年暮れに数百個も作っては正月の来客に出し、好評のうちに瞬く間にsold outになるシュウマイも書いてあった。
 
「すごいね、これ手書きするの大変だったでしょう」
「まあね。でも、あなたには何にもしてやれなかったから」
 
何にもしてやれなかったから。
 
母から出てきた意外な言葉を私は反芻した。
そうなのかな。
 
母自身も、人に甘えるとか、ああしたいこうしたいと好き勝手に口に出して誰かを困らせるようなことはしてこなかった人生だったと思う。
実の父を戦争で失って、実の母は生活のために再婚して他家へ行って、1人残されて伯父夫婦に引き取られた母。学をつけて育ててくれた、一緒に暮らしたとは言え「生さぬ仲」の義理の両親の元では、言いたいことももしかしたら言いにくい日々だったのかもしれない。
 
若い頃から1人でしっかりしなければいけなかった母の人生を思う。もしかしたらこの人も私と同じなのではないのかと。だからあんなに手がかかる弟が誕生して、長女の私に手がかからなかったから、2人の子どもに対するバランスが取りにくかったのかもしれない。
 
思えば、私が真剣に悩んでいることを母に打ち明けたような記憶はない。何か相談しても的確な答えがあまり返ってこなくて、「それだったらいいや」という感じで自分で解決してきたような気がする。身内に悩みを打ち明けるのはすごく勇気がいるし難しいけど、相談した時に親身になってくれないと、その後は心を閉ざしてしまう。自分で解決しようと思った私はたぶん、形は違えど早く自立を迫られた母の人生を自然とトレースしていたのだろうか。
 
母に放っておかれた、おばあちゃん子にされたと言っても、母が全く何にもしてくれなかったわけではない。そうではないけど、モノで満たすのではなく気持ちをわかって欲しかったかな、という想いはある。でも、人の気持ちをわかることが苦手な人にそれを求めて、ぴったりと沿うような回答を出して欲しいと望んでも、不得意な人には難しかったに違いない。
 
今はこうして母のことを分析できるけど、若い頃はそこまで考えることはできなかった。
だからあの時、手書きのレシピノートを準備していた母がすごく意外だった。それが母にできる精一杯の私に対しての愛情だったのかもしれない。母は母なりに、自分が長女にあまり手をかけていなかったことを反省していたのかもしれない。私が知らないところでノートを書いて準備していたのかと思うと、今まで「こちらのことをわかろうとしない」と一方的に思っていたことが申し訳なくなってくる。
 
「……何にもしてくれなかったってことはないと思うよ。ありがとう」
「みんな使えるレシピかどうかはわからないけど、よかったらこれ見て作ってみて。それから前にあなたが欲しいと言っていた料理百科みたいな事典も買っておいたわよ」
 
実家暮らしで料理は母に任せっぱなしだった私は、本当にからきし家のことは何にもしないで社会人をしていた。そんな私を心配もしてくれていたのだろう。料理百科と、お菓子百科を揃えて出してきてくれた。
 
「覚えててくれたんだね。これ欲しかったんだよね。ありがとう」
「前に言ってたからね。これと、ノートでレシピは足りるかな?」
「まあなんとかなるんじゃない? わかんないけど」
 
そんなたわいもない会話をしていた。
振り返るとそれは、母が示してくれた愛情の記憶なのだ。

 

 

 

午睡から覚めた私は、徐々に自分がいるところがわかってきた。
今、2021年の自分の家だ。
 
(私が、お母さんなのにね……)
 
結婚して四半世紀が過ぎ、とっくに子どもではないはずなのに、夢の中で私は子どものままだった。
 
夢に出てきた母は、趣味の編み物をしながら微笑んでいた。
あの真面目だった母が、私を見てにっこりと笑ってくれている。
 
(お母さんが、笑ってる)
 
何故かそれだけでもう、胸がいっぱいになるのだ。
たぶん私は、愛されていたのかな。
今は離れて暮らす年老いた母にこんなことを話したら、なんと言うだろうか。それでも、話してみたい気がしている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
「魂の生産者に訊く!」http://tenro-in.com/category/manufacturer_soul、「『横浜中華街の中の人』がこっそり通う、とっておきの店めぐり!」http://tenro-in.com/category/yokohana-chuka 連載中。

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2021-07-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.135

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