週刊READING LIFE vol.136

最初で最高のスウェーデン人《週刊READING LIFE vol.136「好きな男・好きな女」》


2021/07/26/公開
記事:大多喜 ぺこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
スウェーデンの新聞社の人気投票で、シルビア女王を抜いていつも女性部門の一位に輝いていた女性がいた。
アストリッド・リンドグレーン。スウェーデンの児童文学者だ。
私がスウェーデンに住んでいた頃、ノーベル賞受賞者の発表の頃になると、毎年、今年はリンドグレーンが文学賞を受賞するのでは・・・という話題が持ち上がった。
 
リンドグレーンはとうとう、ノーベル賞を受賞しないまま、2002年に亡くなった。今でも、多くのスウェーデン人は、リンドグレーンがノーベル賞を受賞すべきだったと思っている。

 

 

 

アストリッド・リンドグレーンは1907年にスモーランド県のヴェンメルビーの農家に生まれた。
4人兄弟の2番目。
 
「やかまし村のこどもたち」(岩波書店 以下翻訳されている本はすべて岩波書店です)を読んだことがある方には、イメージがわくだろう。あれが、アストリッドの子供時代だ。
陽のでているときは、野原を駆け回って遊ぶ。雨に日には、誰かの家に集まって、ごっこあそびをしたり、かくれんぼをしたり。干し草の中で寝たり、庭で採れたさくらんぼを道で売ったり。台所の生姜入りクッキーをつまみ食いしたり、自家製ラズベリーのジュースに喉を潤したり。いつもワクワクと何かを見つけては、はしゃぎまわって遊び、明日を楽しみに眠る。
本人も「遊び死にしそうなぐらい遊んだ」と言っている時代。
 
そして、それが、のちの児童文学者リンドグレーンの原点である。
 
彼女の作品の多くに、春の一斉に花咲く頃の香りや、夏の沈まない太陽の中での開放感や、秋の干し草の感触や、冬のクリスマスを迎える興奮や……そう言った、自然と一体になった五感の感触が生き生きと書かれているのは、幸せな少女時代の賜物だろう。
 
そして、彼女の凄さは、その後の人生の変遷を経ても、子供時代の思いや記憶を少しも忘れずに持ち続けていたことだ。
 
それこそが、リンドグレーンの小説が、今子供である読者だけでなく、既に大人になった読者にも長く愛されている理由だろう。
 
スウェーデンで子供時代を過ごしたことのない私でも、リンドグレーンの作品の世界に入るとその体験を文字の上で、一緒にたどることができる。自分も同じような体験をした記憶もまざまざと蘇ってくる。
 
私が小学生だった頃には、既に日本でリンドグレーンの作品がいくつも翻訳されていた。私は、友達と「名探偵カッレくん」の真似をして、探偵団グループを作ったこともある。
「さすらいの孤児ラスムス」で、感想文を書いたこともある。
そして、一番行きたい国はスウェーデンだった。
 
スウェーデンに住んでいる日本人に聞くと、「長くつしたのピッピ」に憧れてとか、「やかまし村」が好きだったとか言う人が多い。そんな時、日本の全く別の場所で、全く違った時に、同じようにスウェーデンへの憧れを抱いていた人が、いたんだなあとちょっと感慨深い気持ちになったりする。

 

 

 

さて、リンドグレーンは、ヴェンメルビーで幸せな少女時代を送った後、あまり幸せではないハイティーンの時代を送る。もう、ただ、遊んでいればいい年頃を過ぎてしまったが、自分が何者かわからない思春期を、リンドグレーンの感性が持て余したのかもしれない。長髪が普通だったその時代に、いきなり断髪して、周囲を驚かせたりしていたようだ。
 
そして、就職。18歳の時に、未婚のまま妊娠。さすがにその時代のヴェンメルビーで出産するわけにはいかずに、ストックホルムに出る。19歳、デンマークで出産。
なぜ、デンマークか。 その頃、唯一戸籍の提出なしで、出産させてくれた病院がコペンハーゲンだったからである。
 
今でこそ、シングルマザーが珍しくないスウェーデンだが、やはりその時代、未婚で若くして子供を産むことは大変なことだった。結局、リンドグレーンは生まれた男の子を里子に出す。
預けた先のデンマークまで、お金を溜めては、ストックホルムから通ったのだそうだ。片道500キロ以上ある。
 
リンドグレーンの小説に、貧しい人々に対する共感が溢れているのは、そうした体験のせいだろうなどと評論するのは、簡単だが、その時代のリンドグレーンの中に去来していたものを考えると、そうした分析的な言葉は色褪せる。
ストックホルムで、技術も学歴もない女性が、稼げるお金は、自分の生活を支えるのがようやっとのものだ。その中から、コペンハーゲン行きの費用を捻出するのである。
しかも、休暇の許可をもらわずにコペンハーゲンに行ったことが原因で、仕事場をクビになってしまうのだ。
 
その後、再就職した会社で、彼女の夫となるリンドグレーン氏と知り合う。運命というのは,粋なことをする。
離れていた息子も引き取り、37歳から、本格的に作家の道を歩み始める。
 
きっかけとなったのは、「長くつしたのピッピ」。
きっかけは、娘のカーリーン。彼女が病気の時、話をせがまれて口から出まかせに話したのだった。その後、文章にまとめて、大手出版社に送ったところ、あっさりと送り返された。
世界一力持ちの女の子。しかも、お行儀が悪くて、一人暮らしで、金貨を山ほど持っていて、好き勝手に生きていて、大人も手玉にとってしまう。
そんな教育的でない本は,出版できないというところだろうか。
 
でも、ピッピのお行儀の悪さは,こんなだったらいいなあとか、こんなこと一度してみたいなあと誰もが思うようなことを実現するために起こることなのだ。
例えば、どうして枕に足をのせてはいけないの。わたしは、枕に足をのせて寝るの、とか。クッキーを作るのにテーブルでは狭いので床の上で、延ばすの、とか。床を掃除するのに、足にブラシをつけて、スケートのように掃除したら便利・・・とか。
 
でも、一人暮らしのピッピが必ずしもいつも幸せであるはずがなく、
「夜寝る時、誰も私に子守唄を歌ってくれない。だから、私は,自分で自分に子守唄を歌ってあげるの」
天衣無縫なだけではないのだ。
 
そして、次に応募した小さな出版社の文学賞で、その感性は認められ、二位を受賞する。批評家たちの中には、「こんな作品に賞を与えるとは、ふざけすぎ」のような酷評を書くものもいたが、まずは,お隣のデンマークで人気が出て、その後、世界中のいろいろな言葉で訳されるほど、爆発的に人々に愛された。
 
というわけで、保守的だった、大手出版社は、この小さな出版社にその後のリンドグレーンの版権を全部取られてしまったのである。
みる目って、ほんと、大事。
この出版社ラーベン・オク・ショーグレン社は、もちろんその後、大手出版社になった。
 
児童文学者アストリッド・リンドグレーンを国民的アイドル?にしたのは,テレビの力が大きい。知人に頼まれて「二十の質問」という番組にレギュラー出演すると、彼女のユーモアのセンスや、頭の回転の速さに国民はほれぼれしたのである。
 
そして、彼女の意見は、正統で偏見がなく、大衆の意見を簡便に伝えているため、知らず知らずのうちに、オピニオンリーダーのようになっていく。
 
税制が改革され、リンドグレーンの払うべき税率が、102%になったことがある。収入より多い税金。すかさず、リンドグレーンは野党系の新聞で、ユーモアと皮肉を込めた小説を描いた。そしてそれは,すごくわかりやすかったため、大衆の支持をえた。税制は間も無く、再び改正された。
 
もちろん、政府は、その小説のせいで変えたとは言わなかったが、国民はみんな、そうに違いないと思ったそうである。
そんなに高額な税金を払ってもアストリッドはスウェーデンを出ることはなかった。多くの企業家が、税金対策のために外国に籍を移す。しかし、リンドグレーンは「スウェーデンが大好きだから、収入のほとんどを徴収されても喜んで払う」と言っていた。
 
日本では一般的なケージ飼いの鶏(ずっと籠の中で、卵を産む機械になっている鶏)についても、短い物語を描いた。そして、その後スウェーデンでは,動物保護法が改正され、全ての鶏は平飼いになった。

 

 

 

アストリッドの故郷のヴェンメルビーには,地元出身の大作家リンドグレーンにちなんで作られたテーマパークがある。アストリッド・リンドグレーン・ワールド。きっかけは,地元の数人のお父さんたちが、自分の子供たちのために何かを作ろうとしたことだ。
何にするか考えた時、それはすんなり、リンドグレーンの物語の中の世界に決まったのだそうだ。
 
それから、スポンサーを得て、今では、家族連れが一日中楽しめる場所になっている。残念ながら、夏(スウェーデンの夏休み期間中なので、6月から8月半ばごろまで)しか開いていない。しかも、スモーランドは日本人の観光コースから外れているので、日本人旅行者にはちょっと不便だ。
 
それでも、リンドグレーンを愛する人には,ぜひ、そこを訪れてもらいたい。
ファンにとっては、本当に素晴らしいところだ。小説の中の主だった登場人物が、決まった時間に野外劇をしている。そうでない時間には,役者たちは,園内をまわりながら即興劇をしている。
 
観客は、いつのまにか、ただの見ている人から、その村を訪れた知り合いのような気分にさせられる。
 
ピッピはお巡りさんと追いかけっこをしている。さすらいの孤児ラスムスとパラダイスのオスカルはアコーディオンを持ちながら、あちこちで歌を聞かせてくれる。
屋根の上のカールソンも通りすがりの客たちに、ちょっかいを出してくる。
 
絶叫系のマシーンは一つもない。それどころか、機械仕掛けで動くアトラクションはひとつもない。
あるのは、数十年前のスウェーデンの子供達が遊んでいただろう、干し草小屋や、イカダや、ボールを投げて缶を落とすような、素朴なあそびばかりだ。園内をまわる干し草馬車に乗って、ピッピのごたごた荘や、山賊の娘ローニャの山や、カールソンの家などを周ると気分はすっかり小説の中だ。
 
ありきたりの言い方だが、こうした十分の自然体験や、遊び体験が、将来の人生の底力となるのではないだろうか。そういう意味で、十分遊んでいないように見える日本の子供たちが、気の毒になる。
 
語学学校の教科書や、パブなどで出される余興のクイズなどにもリンドグレーンは、必ず出てくる。アストリッド・リンドグレーンは既にスウェーデンの常識である。そして、スウェーデンの良心でもある。
毎年夏に盛大に開かれるダーラナ地方の音楽祭では、プログラムの一つに「リンドグレーンの世界」というコンサートがあった。
地元の体育館が会場で、中は満席だった。
テレビ番組化や映画化されたリンドグレーン作品の中で使われた曲だけが演奏される。気づけば外国人の私にとってさえもその多くが耳慣れた曲だ。
そして、圧巻なのは、歌詞のついている曲は、会場全員が口を揃えて歌うことだった。
子供だけでなく、大人も全員。歌詞カードも配られていないのに。
リンドグレーンファンの私には、その光景は、思わず涙が出るほどの驚きと感動だった。
 
アストリッド・リンドグレーンの訃報を聞いた時には、本当に悲しかった。
 
アストリッド。私はあなたと会うことはなかったけれど、私にとってあなたは、最初のスウェーデン人で、そして、最高のスウェーデン人でした。
 
 
 
 

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2021-07-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.136

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