週刊READING LIFE vol.136

夫の「馬鹿」が子どもに感染る(うつる)と思った時のこと《週刊READING LIFE vol.136「好きな男・好きな女」》


2021/07/26/公開
記事:晴(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
こんなことわざを耳にされたことはあるだろうか。
Laughter is the best medicine
「笑いは百薬の長」
最近、私はこのことを実感している。

 

 

 

彼とは、大学1年生の夏休みに出会った。
私は18歳、彼は19歳で、私たちは同級生だった。
その後、7年の交際期間を経て、私たちは結婚した。
「長すぎる春」と言うに十分な交際期間は、二人の間に「馴れ合い」を醸成し、この先、刺激的なときめきや、新鮮な発見を生むことはないと思わせたが、私は、何より彼の「安定性」を好ましく思っていた。
実際、彼は、大学の授業も適度な真面目さで出席し、余分な単位こそ取りはしなかったが、必要なものは落とさずクリアし卒業した。
また、性格も温厚で、私が一方的に怒るだけで、彼が声を荒らげることはなかった。
私の大学時代の友人は、彼に「ぼさつちゃん」や「お豆ちゃん」というあだ名をつけた。
菩薩のような慈悲を持って、まめまめしく私のわがままに付き合っているということらしかった。
いずれにせよ、私は、「この人は、社会人として大人として真面目に人生に向き合うに違いない」と、信じて疑わずに結婚した。

 

 

 

私の父は几帳面な人だった。
父は、工場で研磨工として働いていたのだが、父が磨いた製品はとても出来が良く、サンプルとして取引先に提出されたことが何度かあり、晩酌をしながらそれを母に自慢していた。
更に、「QC活動」にも熱心に取り組み、細かな製品の品質改善に関する提案をして、会社から表彰状をもらってきたこともあった。「四角いものは四角く、丸いものも四角く」そんな仕事ぶりの人だった。
 
私の母は、正しい人だった。
母は、人から相談ごとを持ちかけられることが多かったが、いつも、何が正しいかを説いていた。例えば、みんなでお金や労力を出し合って、用水路の整備をしたり、村の道路を補修したりする時、あるいは、村に企業を誘致すると決めて、みんなで歩調を合わせて企業用地に田んぼを提供しようという計画を推進する時、それに参加しない人に憤ったり、反対する人を説き伏せたりしていた。いつも「義憤に突き動かされている」そんな暮らしぶりの人だった。
 
二人は、真面目な人達だった。
晩御飯の食卓を囲むとき、いつも7時のNHKニュースが流れていた。
ニュースを見ながら、父と母は、政府に対する意見を述べあったり、事件の犯人に対して怒りあったり、景気が良いとか悪いとか、株が上がったとか下がったとか、そんなことをよく話していた。
二人が話していた詳細な内容やレベルがどういったものか、幼かった私は知る由もない。
だが、「社会人は、常に政治や経済、世の中の出来事に関心を持ち、大人は、常に株や不動産を論じ合う」
それを目の当たりにして暮らし、それを基準として、私は成長した。
 
私は、ある側面において、几帳面で正しく真面目な人間だ。
 
お料理が上手なママ友から、煮物のレシピを教えてもらっていた時のことである。
「砂糖の量は大さじ何杯?」
「醤油は?」
「みりんは?」
と質問攻めにして、
「そんなん適当やーん」
と関西弁で笑われた。
私が、
「調味料は、いつも計量スプーンですりきりに測っている」
と言ったら、あきれてのけぞられてしまったが、私には適当ということの方が難しかった。
 
また、子どもの幼稚園から、「発表会で着用する衣装を作ってください」という依頼が、布の配布とともに母親全員にあった時も、他のお母さん達は、「どうせ、数分間着るだけなのだから」と、とりあえず形にして提出していた中で、私は、きっちり型紙を取り、生地を余すところなく使い、裏地までつけて作り上げた。
私の作った衣装は、息子の身体にぴったりで、ステージ映えしていただけでなく、幼稚園の備品となり、次の年にもよその子どもが着て、舞台で踊っていた。
 
さらには、二人目の子どもが生まれた後、二年がかりで保育士の資格を取った。
子育てに必要な知識やスキルを身につけなければならないと思ってのことだ。
通信教育を受け、近所のピアノ教室に通ったのは、「初めてのことやわからないことは、プロに教えを乞うて専門的な知識を身に着ける」という、いつものやり方を踏襲したからだった。
 
私には、こういう事例は枚挙にいとまがない。
ずっとこんな風にやってきて、万事がこの調子だった。

 

 

 

タモリ俱楽部という金曜日の深夜に放送されている番組をご覧になったことはあるだろうか。その番組の名物コーナーに「空耳アワー」というのがある。
「洋楽の英語の歌詞が、日本語に聞こえる」
言葉にしてしまうと、たったこれだけのことなのだが、視聴者から投稿されたネタは、それを聞く前は全くと言っていいほど日本語に聞こえないのに、一度日本語として聞いてしまうと、もう日本語にしか聞こえないという絶妙な「空耳」となっており、これにタモリのひょうひょうとした司会進行とシュールな映像があわさって、人気を博していた。
 
7年も付き合って、彼のことは全てを把握し、新たな発見などみじんも無いと思って結婚した私の夫は、金曜の深夜、「空耳アワー」を見て声を立てて笑う。
 
ホワイトカラーのサラリーマンというものは、毎日欠かさず日経新聞に目を通し、平日は夜遅くまで働き、上司や取引先との付き合いをこなし、週末には専門学校で勉強するのが当然ぐらいに思っていた私は、毎週毎週こんな低俗な番組に腹を抱えて笑っている夫に、わが目を疑った。
私には、マイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」のイントロ部分が、「パン、茶、宿直」に聞こえようが、プリンスの「Bat dance」のDon‘t Stop Dancing が「農協牛乳」に聞こえようが、どうでもよかった。
そんなことより、夫にはきちんとしてほしかった。
「この人はどうして新聞を読まないのだろう」、「この人はどうして勉強をしないのだろう」
幾度も自問自答し、こんな人と結婚してしまったことを激しく後悔した。
 
あの頃、私は夫が嫌いだった。
もっと正直に言うと軽蔑していた。
「かわいい私の息子に、あなたの馬鹿が感染(うつ)ったらどうしてくれるのか」と真顔で詰め寄ったこともある。
夫は、「晴ちゃん、そんなことある訳ないや~ん」と、大学時代と変わらない呼び方で私に答え、大笑いしたが、私は、真剣で大真面目だった。
笑っている場合か! と、夫に心底腹が立った。

 

 

 

ところが時が経つにつれ、私と夫、それぞれの目の前に展開する人間関係が全く違うものになっていった。
私が嫌がり馬鹿にした夫は、人から嫌われない。
特に、気遣いができるという訳でも、空気が読める訳でも、利に聡いという訳でもないが、なぜか人に安心感を抱かせる。
子どもを通して仲良くなり、家族ぐるみの付き合いになった友人から、
「あなたは、あの旦那さんだから、結婚生活が維持できている」
というようなことを言われたことは、一度や二度ではない。
夫は、誰に対してもどんな状況に陥っても、気分や態度が変わることはなく、目の前の全てを楽しんで受け入れ、その結果としてゆるく長く続く人間関係を築いていた。実際、今でも幼馴染との交流は続いており、実家に帰省した時は一緒に楽器を演奏したり飲みに行ったりして旧交を温めている。
一方、私は人間関係が続かない人だった。
子どもの学校の役員やボランティア活動など、その時々に人とかかわることはあっても、その関係が長く続くことはまれなことだった。
どちらかというと、煙たがられているように感じることが多かった。
 
几帳面に正しく真面目に、人にも物事にも取り組んでいる私が、受け入れられたように感じられないのはどうしてなのだろう。
どうして夫は、人から嫌われないのだろう。
この疑問を解消したくて、私は自己啓発系のセミナーや心理学、宗教、あらゆる事に首を突っ込んだ。
いつのまにか、「セミナー行脚」をし、「資格ジプシー」となっていた。
この「セミナー行脚」が、私と算命学の教室との出会いのきっかけになった。
算命学は、日本では、占いのツールとして使われることがほとんどのため、算命学イコール占いと思っている人が多いかもしれないが、本来は、「自分が自然から与えられた役割」を知り、その役割に沿って生きる方法を学ぶ、いわば「生き方学」だ。
私は、私自身に与えられた「生き方」を知りたくて算命学の教室に通い始めた。

 

 

 

今年の4月で算命学を学び始めて8年目に入った。
週に1度とはいえ、会社員として普通に働きながら夕方からの教室に通うのは正直大変だ。仕事が忙しくて通えない時は、後日、講義の録音を聞きに行く。
それすらも無理な1年間は、休学を余儀なくされた。
金銭面でも、子どもの学費や仕送りでやりくりが大変な中、私のおけいこ代の出費は痛かった。家族に申し訳ない気持ちもたくさんあった。
 
そうまでして、私は「なぜ、教室に通うことをやめなかったのだろう」
 
私の目的は、「自然から与えられた自分の役割や生き方」を知り、私の人間関係に役立てることだったが、この目的は、勉強を始めてかなり早い段階で達成されていた。
2年間の初級クラスで、基礎の勉強はほぼ終えたからだ。
ごく簡単に言うと、私は「春の畑」が自分の宿命で、人を育てたり、応援したりするのが与えられた「役割」だ。
また、私は、白黒をはっきりとつけたがり、攻撃性や行動力の高い性質をたくさん持っている。乱世には軍人として活躍する可能性があるが、平和な時代には生きづらさを感じてしまう。だが、「攻撃性」や「行動力」は決して悪い側面だけを持っているわけではなく、それらは、正しく発揮されると、「竹を割ったようなさっぱりとした性格」となり、人と爽やかな付き合いができる。こういった「生き方」や「人間関係」が、本来の私に則したものであった。
 
当初の目的を達成したにも関わらず、私は教室をやめなかった。
「なぜ、今も教室に通い続けているのだろう」
 
几帳面な私は、理由を探ってみた。
算命学は「生き方学」だから、その奥深さに魅了されたのは間違いない。
だが、それだけではなく、先生の授業が垣根なく「面白い」ということに気が付いた。
先生は、時々、有名人(芸能人が多い)の人生を例に出して授業をする。これが、そんじょそこらのワイドショーよりずっと面白い。時には「親父ギャグ」が入り、時には「ウイット」に富み、時には「アイロニー」を効かせる。
受講生は、きょとんとしたり爆笑したり失笑したりするうちに学び、毎回1時間半の授業があっという間に終わる。気づくと、私も声を立てて笑っていた。
一週間の仕事の疲れも、ちょっとしたストレスも、授業に行ってみんなで笑っているうちにどこかへ行ってしまう。
私が、目の敵にしていた「ばかばかしさ」が、勉強を続ける秘訣になっていた。
単に「為になる」だけでは続いていなかったのではないかとさえ思う。
 
夫は、私の算命学の教室の話を、楽しそうに聞いてくれる。
思い返してみると、算命学だけでなく、今まで私が「始めてはやめ、やめては始めた」すべてのことを、夫は楽しんでいた。
私のギザギザした生き方や人間関係ですら「面白がって」いたように思う。
そして、それが夫の深くて継続性のある人間関係の元になっていたのだと納得がいった。

 

 

 

私は、今ではYouTubeで面白い動画を見つけては、せっせと家族のグループラインに送る。もちろんその中には、「空耳アワー」傑作選も含まれている。
夫からは、「今、この動画にはまってます」というコメントと共に、私がまだ見たことのない動画が返信されてくる。
うっかり電車の中で開くと、一人でニヤニヤ笑っている変なおばさんになってしまうから注意が必要だ。
さらには、夫からきちんと「馬鹿」を感染(うつ)された息子たちも、たまに参戦して盛り上げてくれる。

 

 

 

最近の研究で、笑うことは、ナチュラルキラー細胞を活性化させ免疫力を高めることがわかっている。免疫力が高まると、睡眠の質が改善され、うつやがんを防止する効果があるらしい。さらには、笑いには深呼吸と同じ効果があり、笑うと、血流が良くなったり新陳代謝が活発になったりすることもわかってきた。
他にも血糖値の改善や認知症の予防など様々な効果が期待され、研究が進められている。
笑うことで脳がリラックスし、脳の血流量が増加し、結果として認知症を予防できるのではないかということだ。
 
このことを読んで、私は、脳がリラックスした状態で人と接すると、リラックス状態が他の人の脳にも感染し、結果として人間関係がスムーズにいくのではないかと考えた。
逆に言うと、私の緊張した脳は、他の人の脳を緊張させていたのだと思う。
これが、私が作っていた「人との見えないバリア」の正体だったのではないか。
私が、幼い頃から身につけてきた「几帳面さ、正しさ、真面目さ」は消えない。
そしてそれらは、決して悪者ではない。
夫は、いつも人の全部を受け入れて笑っていた。私も、自分の全てを受け入れて笑う。
今では、私たちは、笑い合うことが「好きな男と好きな女」になった。

 

 

 

今、私の目の前でこの文章を読んだ夫が、
「晴ちゃん、今は計量スプーンで砂糖とか測ってないやん」と感想を言った。
この人は、私の主婦歴を何年だと思っているのだろう。
笑うしかない。
笑いしかない。
それがいい。
それだけでいい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
晴(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

2021年2月より、天狼院書店にてライティングを学び始める。
1966年生まれ、立命館大学卒 滋賀県出身 算命占星術「たなか屋」亭主

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2021-07-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.136

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