週刊READING LIFE vol.138

型にはまって、安心したい私たち。《週刊READING LIFE vol.138「このネタだったら誰にも負けない!」》


2021/08/09/公開
記事:中川文香(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
なんだか不調が続いていたけれど、病名が分かったらスッキリした。
 
自分だけだと思っていたけれど、他の人もその不調があると知って安心した。
 
そんな経験は無いだろうか?
 
今年のはじめ、私は自分が “強迫性障害” というものを持っているかもしれない、ということに気が付いた。
強迫性障害とは、 “自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れず、わかっていながら何度も同じ確認などを繰り返す” ※1 といった行動をとってしまう、こころの病気の一種だそうだ。
具体的に言うと、
『ドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて触れない、もしくは汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗いを繰り返す』などの『不潔恐怖と洗浄』行為、
『戸締り、ガスの元栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する、何度もチェックする、指差し確認する』などの『確認行為』、
『自分で決めた手順で物事を行わないと恐ろしいことが起こる、という恐怖からどんな時も同じ方法で仕事や家事を行う』などの『儀式行為』、
といったように、強い不安やこだわりによって日常生活に支障をきたす病気だそうだ。
ここに挙げた以外にも様々な症状があり、人によって表れるものはバラバラのようだが、こういった一連の行動をとるものを “強迫性障害” と呼ぶらしい。
私は特に『確認行為』が異常で、ガスの元栓や戸締りの確認を何度もする、なんてのは当たり前で、読み終わった本に余計なメモ用紙なんかが挟まっていないか本をバサバサして何度もチェックしたり、歩いている時は後ろに何か落とし物をしていないか何度も振り返って確認する。
財布からお金を出した時には毎回、主要なカード類がちゃんと全部入っているか確認するし、かばんに物をしまった時には開けてもいないポケットがきちんと閉まってるか全てチェックする。
 
これまでこういった行為は、「ちょっと几帳面が過ぎるせいだ。それが少し度を越しているだけだ」と自分に言い聞かせ、それでも世間一般の人はそんな行為をしていないはずだ、ということが分かっていたので、人から変な目で見られないように、こっそりとやっていた。
 
この確認癖、止めたい。
でも、自分の意志では止められない。
ほぼ無意識のうちに確認してしまっている。
 
この確認癖の一番古い記憶は小学生の頃、それから30歳を超えた今でもずっと続いている。
もう性格のようなものだから仕方が無いのかな、と無理矢理自分を納得させて、でもやっぱりどこかで釈然としない思いがあった。
どうしてこんなに確認しないと不安なんだろう。
 
ずっと疑問に思いながら生きてきたのだけれど、今年のはじめ、旦那さんから「そういう確認癖のある人、他にも知ってるよ」と言われて自分だけではないと知った。
調べてみて “強迫性障害” という病名にたどり着いた時、何とも言えない安堵感に包まれたのを覚えている。
 
ああ、私だけじゃないんだ。
 
そういう気持ちだった。
 
別に、私の過剰な確認癖がその時に治ったわけでは無いのに、だ。
 
なぜそれが起こったのか、なぜそんな行動をとらないと不安なのか理由が分からない、いわば得体のしれない私の行動は、 “強迫性障害” と名前の付けられているものだったのだ。
なんだか分からない手に負えないものが、名前を付けられたことで急に手のひらにすぽっと収まったような、自分の意識の範疇に入って来たような、そんな気がした。
 
似たようなこと、前にもあったな。

 

 

 

数年前、私は帯状疱疹を患った。
帯状疱疹は身体の半身に湿疹が出来る、水疱瘡のウイルスがもたらす病気だ。
原因は色々あるようだが、私の場合はおそらく激務続きのストレスのせいだろうと言われた。
湿疹自体は処方された薬のおかげで数日の内に治り、それに伴って患部の痛みも引いた。
「良かった」と胸を撫で下ろしたのもつかの間、今度は疲労がたまると湿疹が出来た側の足や腰に軋むような痛みが出るようになった。
 
おかしい、治ったはずなのに。
 
調べてみると、 “帯状疱疹後神経痛” というものがあるらしい。
帯状疱疹になった時に神経が傷つき、長年その痛みに苦しむ場合がある、と書いてあった。
困った私は、湿疹が出た際に診察してもらった皮膚科を再度受診した。
「帯状疱疹後の神経痛だと思うのですが……」
と主治医に主張したのだが、
「帯状疱疹後神経痛は、帯状疱疹になってからずっと痛みが引かない場合に言うもので、あなたの場合は一度痛みが引いているからそれには該当しない。ここではこれ以上診ることは出来ないので、どうしても気になるなら脳神経外科に紹介状を書きます」
と言われ、釈然としない気持ちを抱えながら紹介状を持って脳神経外科を受診した。
そこで一通りテストをしても私の痛みの原因は分からず、 “脳の器官には特に異常ありません” ということが分かっただけだった。
事実、痛みはあるのに “異常なし” の烙印を押され、一体どうしたらいいものやら途方に暮れた。
その後、極度の疲労がたまると痺れまで起こすようになった足をかばいながら、だましだまし生活していた。
整体に通ったり、整形外科に行ってみたりしたけれど、症状は改善するものの完治はしない。
整形外科の先生に、「一度神経系の伝達検査をやってもらうと良いかもしれない」とアドバイスをいただき、再び紹介状をもらって総合病院の神経内科を受診した。
今度は脳波ではなく、痛みの出る足に小さい電極のようなものをたくさん貼って電気を流し、神経伝達を調べる検査のようなものをやってもらった。
その結果、私の右下肢はどこかで神経が傷ついていて、一部分信号を伝達出来ない状態になっているようだ、ということが分かった。
詳細に “どの部分で” “どのくらい” 傷ついているのかは今の技術では分からないし、一度傷ついてしまった神経を治療によって修復するのは困難だ、ということを神経内科の医師から告げられた。
 
「おそらく帯状疱疹をした時に、症状が酷くて神経を傷つけてしまったのでしょうね。今は根本治療は出来ません。痛み止めを使ったりするしか無いでしょうね。この病院では出来ませんが、『ペインクリニック』と呼ばれる、痛みの症状を緩和することに特化した病院があるので、そちらに……」
 
丁寧に説明して下さる医師の言葉をぼんやり聞きながら、その時もなんだかすっきりした気持ちになった。
 
痛みが治ったわけでは無いのに。
しかも、「治療による完治は難しい」ということが分かったのに、だ。
 
その時の感情も、 “強迫性障害” という名前を知った時と似たようなものだった。
 
一言で言うと、「安心感」だった。

 

 

 

「これは帯状疱疹後神経痛ではありません」と最初に医師から告げられ、「じゃあ私のこの足腰の痛みは一体何なのだ?」という不安に襲われた。
あの時不安に感じたのは、痛みの原因が分からなかったからだ。
何だか分からないけど痛い。
良く分からないけど、この痛みと自分一人で向き合わなければいけない。
そんな不安だった。
 
その不安を和らげてくれたのは “名づけ” だった。
「あなたの神経は一部傷ついているようですよ、そのせいで足腰が痛むのだと思いますよ」という理由付けを、自分ではない第三者、しかも専門医にしてもらえたことで「そうか、この症状はそんな原因があって引き起こされているのだ」ということが分かった。
私一人でぼわぼわと得体のしれない痛みに向き合っていたところが、名づけをされたことによってその症状が、自分の手で掴むことの出来るような物体になった気がした。
 
“強迫性障害” という病名を知った時もそうだった。
自分でやっている行動なのに、なぜそれをしているのか理解できない、自分の手に負えない良く分からない現象として捉えていたものが、名前があり、他に似たような症状で苦しんでいる人がいる、ということが分かった。
 
要するに、名前を付けられたことで、安心感を得たのだ。
 
どちらの場合も、特に症状が良くなったわけでも無いのになぜ安心したのか。
いくつか理由があると思う。
 
まず一つに、注意点が分かる、ということだ。
「こういう原因ですよ」「こんな症状がありますよ」と明文化して示されることによって、何に気を付ければ良いのか、自分の頭の中で、言葉で理解出来る。
神経痛の場合は、治療では治らないということが分かったので、痛みの緩和の為に整体に通ったり、痛みが出た時には無理しすぎず体を休めたり、といったことの他にも、注意点や対処法をいくつか知ることが出来た。
強迫性障害については、どんな症状が出るのかといったことや、どうしても自分だけの手に負えなくなったら通院して治療することが出来る、ということが分かった。
 
それから、 “自分だけではない” という、どこかに所属している安心感だ。
病名が付く、診断が下る、ということは、過去に自分以外でも同じような症状で苦しんだ人がいて、その研究がなされたことによって名づけがされたということだ。
つまり、「それは自分だけの症状ではない」ということだ。
“こんな病気がありますよ” とカテゴリ分けされる、名前が付けられると、一定数そういった病気の人がいたということで「そうか、自分だけおかしいわけじゃなかったんだ。そういう病気(性質)だったんだ」という “なにかのグループに所属している” という安心感が生まれる。
この “自分だけじゃない” という安心感は、社会の中で生きている限り、どこまでもついてくる問題なのではないかと思う。
あるいは、少し意地悪な言い方をすると、そのグループの中で自分よりも重い症状を見つけて「こんなに苦しんでいる人もいるんだ。私はそこまでは無い。良かったな」という優越感を感じられる、という安心感もあるのかもしれない。
 
そして、得体のしれないものに名前が付けられるという安心感もあると思う。
結局、人間は自分の理解の及ばないもの、分からないものを不安に感じる生き物なのだ。
だから、名前のついていない、ラベリングされていない状態だと掴みどころが無くて持て余すけれど、同じものでも名前が付くと、なんだか自分の手の中に収められたような感覚に陥る。
 
それから「しょうがないんだよ、病気だから」と誰かに言ってもらえる安心感だ。
自分一人でその症状と向き合っていた時には、「これは自分の問題なのではないだろうか?」「努力次第で何とかなるものなのではないか? 自分が何かをサボっているからこんな症状が出ているのではないか?」と不安に感じていた。
けれど、名前を付けて「こういうものなんだよ」と第三者から言われることによって、それは私の中である程度 “しょうがないもの” に分類された。
自分一人よがりに「まあ、しょうがないよね」と決めている段階ではなんだか心もとないけれど、名前を付けられる、他にもそういった症状の人がいる、と分かった時には、世間一般的に見ても「しょうがないことだよね」と認定されたような、そんな感じがした。
「あなたの努力が足りないせいじゃない、こういう性質なんだ、こんな原因があるんだ」と励まされたような、誰かに承認してもらったような、肩の荷が下りたような、そんな感覚だった。
 
もちろん、帯状疱疹の後に続く神経痛も、強迫性障害も、命の危険が迫るような重篤な病気では無かったから、というのが大きいとは思う。
もっと重い症状があるような病気であれば、名づけられることによる安心感よりもその先に待ち受ける不安の方が大きくなることが多いだろう。
けれど、例えば冬に高熱が出て「インフルエンザか!?」と不安になり、検査をして「風邪です」という診断が出てほっとする、最近で言うと、咳が止まらなくなって「コロナウイルスに罹患したのか?」と不安になり、恐る恐る病院に行くと「扁桃腺が腫れています」という結果で安心した、といったように、それが何の症状なのか分からない時には不安で、分かったら症状が改善したわけでも無いのに途端に安心する、ということはあると思う。
そこに共通するのは、やはり名づけによる精神的な安心だ。
 
私も、名前を付けられて、それで安心感を得て満足していたのだ。
本当は、 “治すこと” が目的だったはずなのに、いつの間にかすり替わって “名付けてもらうこと” が目的になっている。
原因が分かって、名付けられて安心した。
そして、改善のための行動を、積極的に治療法を探すことを止めてしまった。
 
結局、誰かから型にはめてもらって、安心したかっただけなのだ。
 
自分のその感情に気付いた時、少しだけ、うすら寒い思いがした。
 
 
 
 
出典:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_compel.html
厚生労働省 「知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス総合サイト」
※1 「強迫性障害」頁より引用。

□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)

鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
 
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
 
興味のある分野は まちづくり・心理学。

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2021-08-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.138

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