40歳で下僕デビューしました!《週刊READING LIFE vol.138「このネタだったら誰にも負けない!」》
2021/08/09/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
40歳で結婚していなかったら、絶対猫を飼おう!
30代後半になった頃から決めていたことである。
動物の中で何か好きかと聞かれたら、迷わず「猫」と言うだろう。
私が猫を好きになったのは、10歳の時に観た映画「子猫物語」の影響が強い。
撮影の舞台は広い北海道の大自然。
親からはぐれてしまった、チャトランという文字通り茶トラの子猫が、子犬のプー助や仲間たちの力を借りながら、親探しの旅を続ける中で少しずつ成長をしていくという、ドキュメンタリータッチの映画である。動物映画の先駆けと言っても過言ではない。
動物王国で有名なムツゴロウさんこと畑正憲氏が監督を務め、テーマ音楽が坂本龍一氏、朗読詩には谷川俊太郎氏、朗読は小泉今日子さんなど、豪華なスタッフで構成されている。
スクリーンでの子猫チャトランの何とも言えないかわいいしぐさ、ダンボールの箱に入ったまま川で流されてしまう様子など、子どもながらにハラハラドキドキしながらも、今でいう「キュン死に」する内容だった。
その映画を観て以来、私は小学校の下校時には野良猫に餌をあげるようになった。
社宅に住んでいたため、自宅で動物を飼うことが許されておらず、学校の行き帰りで野良猫を見ることしかできなかった。
昭和50年代当時の佐世保ではあちこちで野良猫を見かけたし、仮に餌をあげても近所の人からクレームが来るということがなかった時代でもある。
わざと給食のパンを半分残して、下校時にお腹を空かせた猫たちが待っているスポットにこっそり行っては、
「お待たせー! 今日も持ってきたよ」と疑似猫飼い体験をしていたものである。
それから30年経って、ようやく猫を家族として迎え入れることができた。
やって来た生後2ヶ月の白黒のハチワレのメス猫は、鼻が黒く、鼻の横にウサギのような、はたまたピースサインのようなホクロのある猫だった。
しかし実際に飼ってみて、私は考えが甘かったことを痛感するのである。
ここで、参考までに猫を飼うデメリットとメリットを挙げてみよう。
デメリットは顕著だ。寝不足になることである。
深夜や早朝に起こされることがとにかく多い。
5時(早いときは3時)に「ご飯をください」、「排泄物を取ってください」など様々な理由で起こされる。
前日に残業で遅くなり寝るのがどんなに遅くなった日も、風邪をひいて今日だけは仕事を休みたいと寝ている日も、小さい彼女は鳴き続ける。
自分の要望が叶うまで。
特に生後2ヶ月から半年くらいまでは、子猫はご飯を短い時間で数回に分けて欲しがるので、仕事が一番多忙な時期に、私はすっかり寝不足になってしまった。
目の下にクマを作りながら出勤する日が続いた。
それでも彼女の希望を叶えるべく、気に入りそうなご飯を用意し、液状のおやつ(ち〇―る)もいろんな種類を買い、力がありあまる彼女のために全力で一緒におもちゃで遊ぶ。
そしてまた夜中に下の世話をせっせとするのが日課となっていた。
気づいたら、すっかり下僕と化していたのである。
そして、飼い始めてから3ヶ月後、彼女に異変が表れた。
発情期である。これがなかなか厄介だった。
猫は生後半年で、子どもが産める体に成長する。
そして妊娠期間は62日~67日程度。一度に1~8頭まで産むことができるという。
発情期の猫の鳴き声は独特で、人間の私が聞いても「あ、ちょっとエロいな」と思うほどだ。
通常の発情期は生後6ヶ月から始まるのだが、彼女は5ヶ月で発情期が来た。早熟さんである。
「ウォーーーン、ウニャーーン」
これがまたなかなかの大声であり、決まって夜中に鳴きだすので近所迷惑となりかねない。
そのターゲットは、うちの家族で唯一の男性である父(70代)に向けられた。
父を見つけると、「オスだわ」とスリスリと近寄っていき、「うっふん」と言わんばかりに体をくねらせる。そして、お尻をくいっと持ち上げて「ロードシス」と呼ばれるポーズをとりだすのだ。
オス猫に「さあ、マウンティングしていいわよ」という交配OKの合図だ。
これには、初めて猫を飼った私も父もびっくりして、
「ちょっとちょっと! 人間じゃ無理だよー!!」
とひたすらなだめて、お尻をさすってあげることしかできなかった。
まずい。私だけでなく、家族全員が寝不足になってしまう。
これは早めに避妊手術をしないと本当にまずい。何より本人(猫)が一番つらそうだ。
翌日、あわてて近所の動物病院に連絡すると先生は言った。
「うーん、5ヶ月か。ちょっと早いんじゃないかな。麻酔をかけて子宮を全摘出するからね。手術は猫ちゃんの体にも負担がかかるんだよ」
私は負けじと懇願した。
「そうは言っても……。毎晩すごい大声で鳴くし、毎日のように父に発情しているんです。先生、どうかお願いします!」
「そっか、それはお父さんも大変だね」
先生は苦笑しながら、避妊手術を承諾してくれた。
術後は嘘のように激しい鳴き声はなくなり、子猫に戻ったかのようにおとなしくなった。
それ以来、残念ながら父は猫にはモテなくなってしまったのが、ちょっと寂しそうでもある。
逆にメリットはたくさんある。
まず、完全室内飼いということを保護主さんと約束していたので、犬のように毎日散歩をさせる必要がない。外にいる猫と違って、行く先々でノミやダニを持ち帰ってくるという心配もほぼない。ただし、年1回のワクチン接種は必要である。
次に、家に帰ることが楽しくなった。
早く会いたい、早く一緒に遊びたい! という気持ちが日に日に強くなっていった。
今までは仕事で少しでも嫌なことがあると、友人や同僚を誘ってご飯に行き、愚痴りまくってから帰宅することが多かった。でも、モヤモヤが完全に晴れることはなかった。
しかし彼女がうちに来てからは、
「彼女が待っている。早く帰って顔を見たい!」
と極力残業をしないように、効率よく仕事を進めていけるようになったのだ。
帰宅して、玄関や階段でちょこんと座って出迎えてくれる彼女を見ると、疲れも嫌な気持ちも吹き飛ぶ。「下僕、戻りました!」と挨拶をしたらご飯の時間である。
休日出勤をすることもなくなった。時間が許す限り、そばにいたいと思ったからである。
とはいえ、仕事上での付き合いで飲み会が入るときもある。
たまに「うーん、今日は二次会まで行きたくないな」と思うとき、帰る理由としての台詞がこれだ。
「すみません! 小さい娘が家で待っているんで、今日は帰ります!」
「あれ? 田盛さん、娘さんいたっけ?」なんて言葉を背中に受けながら、お先でーすと帰ることも下僕の技として身につけた。
ちなみに、猫は同居家族のことに関して敏感に察知をする。
たまに両親が意見の食い違いから、ちょっとした言い争いをすることがある。時には声を荒げて2階の私の部屋まで聞こえることもある。
するとリビングにいた彼女が、知らせにやってくる。
「なんか、下でモメてるみたい。避難してきた」
そんな顔をしながら、私の部屋で「はぁーあ」とごろんと横になる。そして、安心したようにスヤスヤと猫用ベッドで眠る。
また、家族の誰かが病気をしたときは、専属ナースとなる。
ある時、私がひどい坐骨神経痛になってしまい、ベッドでうんうん唸っていた夜。そーっと足音を立てずにやって来て、腰の辺りでしばらく付き添って寝てくれた。
冬の寒い時期だったので、私より2度も体温の高い彼女の体がほかほかと暖かく、痛みが和らいでいく感覚があったのを鮮明に覚えている。
別の日には、長期入院から退院した父が自宅でしばらく休養をしていたことがある。
その様子を心配そうに見つめ、「大丈夫なの?」という感じでこちらをちらりと見て、物音を立てないように、かつ起こさないようにそろりと父の寝室へ入っていった。
そして、父の邪魔にならない場所(呼吸器系の病気だったため、お腹の辺り)で、ポジションを考えつつ、くるんと丸くなり、父が眠る姿を心配そうに見つめながら彼女もいつの間にか寝ていた。
その健気な姿に何度癒されて、心がほっとしたことか。
「言葉は通じなくても、わかってるんだね」と。
さらに、猫は今の時期は特に活躍してくれる。
G(ゴキブリ)退治である。
私はこのGが大嫌いなので、小さいのを見ただけでも「ギャッ!」と飛び上がって動けなくなってしまう。
犬の聴力は人間の4倍、猫は犬のさらに2倍は優れているそうで、単純計算しても人間の8倍の聴力を持っていることになる。一説には、20メートル先にいるネズミの足音まで聞き分けることができるという。
というわけで、狭い家の中にいるGの羽音や足音にも非常に敏感に反応する。
つい先日も、廊下で彼女が棚の上に座ってじーっと身動きせずに一点を見つめていた。
「どうしたの? 幽霊でも見える?」と聞いた瞬間、母が視線の先を見て
「あっ! 柱にでかいゴキブリおるやん!」とすかさず殺虫剤を持ってきて、あっという間に仕留めることができた。
「ありがとう。Gがいることを教えてくれたんやねー。ゴキブリ〇イ〇イより、よっぽど効果的やない」と家族で笑ったものである。
人間だけでなく、家も守ってくれる頼もしい4歳半である。
猫の下僕として暮らすようになって気づいたことがある。
それは、自分自身の性格が以前より丸くなったということだ。
一人っ子として育った私はわがままで、納得いかないことがあると、大人に向かっても
「なんで? そんな曖昧な言い方じゃわからない!」
と白黒はっきりつけないと気が済まない性格だった。
白か黒か、0か100か。そんな生き方をしていた私は、なんだか無駄にエネルギーを使い、常にぐったり疲れていたような気がする。
そんな私が、少々はっきりしないことについても「まぁ、仕方ないか」と思うようになった。
なぜなら、猫は自分が思うように動いてくれることなんて、まずないからだ。
散歩もしないし、お手やお座りなど芸を覚えるようなこともしない。
自分が食べたい時には夜中であろうと、早朝であろうと鳴いて起こす。時間に関係なく。
鳴いて下僕が起きなければ、ちょっと頭突きをすれば下僕が起きることも心得ている。
寝たい時間に好きなだけ寝る。起きたくなったら、起きて家の中をパトロールする。
もし遊びたくなったら、下僕を呼べばいい。
下僕である私は、言葉は通じなくても一緒に過ごす中で、鳴き声のトーンや耳の向き、尻尾の振り方で「うんうん。きっと、こうしたいのだな」ということがわかるようになってきた。
それをわかってくれると、彼女は満足げにゴロゴロと喉を鳴らす。
「そうそう、わかってるじゃない。もう下がっていいわ」
ツンデレどころか、ツンツンツンデレぐらいの割合と言っていいだろう。
でもそんな彼女に振り回されている私も好きだったりするのだから不思議だ。
すっかり下僕が板についてきたようである。
言葉が通じない猫と暮らすことで、人間同士のコミュニケーションは、思っているより実は簡単なのではないかと考えるようになり、できるだけ平明な言葉で相手に伝えるようになった。
仕事ではうまくいかないことも、はっきりしないこともある。
あんなに白黒つけたがっていた私が、
「しょうがないよね、なるようにしかならないんだから」
と、フラットな気持ちになれているのは間違いなく彼女のおかげだ。
下僕デビューは遅かったが、そこから得たものは寝不足の時間を費やした以上に大きい。
これからの人生、猫のように柔軟にしなやかに生きていけたら、もっと楽しくなりそうな予感がしてワクワクする。
□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
長崎県生まれ。福岡県在住。
天狼院書店の「ライティング・ゼミ冬休み集中コース」を受講しライティングの技術を学び、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で人間の生き様を面白く感じている。自身の経験を通して、読んだ方が一人でも笑顔になる文章を発信することを目標にしているアラフィフの事務職。
休日に愛猫と昼寝することが、最近の一番幸せな時間である。
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