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週刊READING LIFE vol.140

旅する家族となくした色鉛筆《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「連れていってくれへん。まみちゃん。ベトナム一緒に行って」
 
ゆり子の車を降りると、頭上の木からセミの鳴き声が覆いかぶさるように降ってきた。
 
「うち、行きたいねん。まみちゃんと海外。助けると思って一緒に行ってくれへん」
ゆり子は運転席から私の顔を一途にあおぎ見る。
 
ゆり子とは長いつき合いだが結婚後、とくに出産後はしばらく会ってなかった。
第一子が生まれて、自営業を営む夫を助けながら家庭を守り幸せに暮らしていると聞いていたし、毎年、クリスマスに送られてくるグリーティングカードには幸せな家族の姿が写っていた。
 
そんなある日、突然ゆり子から電話がかかってきた。
久しぶり、とまるで昨日別れたばかりのようにあっさりと挨拶したあと彼女は告げた。
「あっ、まみちゃん、うち離婚することになってん」
どうしたの? そう聞くのが筋だし、そう答えるしかなかった。
その日の午後、迎えに来た彼女とお茶を飲みながら離婚にいたるいきさつを聞く。
夫に別の女性ができたというのだ。その女性に走り戻ってこないので離婚に踏み切ったという。夫もよく知る私は彼に女性ができたと聞いて、すぐに腑に落ちた。
大阪の一等地にヘアサロンを開業し、腕もよく細かい気配りができ、女性の心理も先読みできるゆり子の夫は、知らず知らずに女の警戒心をといてしまう色気があった。
 
離婚話の経緯を淡々と話した後、彼女はこれからは自立するために近い将来、大好きなフランス菓子を学びにフランスの製菓学校へ留学したいと具体的な未来を明るく語った。
 
その時、テーブルの上で彼女の携帯がぶるぶると震えた。メールをみた彼女の顔色が一気に曇る。慰謝料を含めて相手が正式に離婚に応じる意思を伝えてきたので、協議離婚に向けて実務的な手続きにすぐ入りたいと弁護士から連絡が入ったのだ。
ゆり子はひどく動揺していた。
人の一生に関わるそんな大事な局面に、なぜ自分が居合わせたのか、まるでシナリオも判らない芝居に代役として加わった時のようにかける言葉もないまま、帰り際、彼女の車を降りた時に突拍子もなく旅行に誘われた。
 
「海外……。ついて行ってあげようか」
 
重奏する蝉の鳴き声にかき消されるような小さな声で答えた。少しでも気分が変ればと海外旅行の話などしなければよかったと悔やんだ。
しかしその意に反して、彼女を一人で行かせてはならないという直感が勝ったからだ。
 
それからの準備は慌ただしかった。子連れの旅行は初めてだったので子供の体力や集中力を考慮して旅程を組むのは至難だった。
病気、迷子、ケガ、加えて彼女のメンタルが悪くなったてしまったら? 不安ばかりが頭をもたげる。
子連れでアジアの個人旅行は無謀だと周りからも止められた。
行けない理由を探せばいくつもあったが、それでもまるで何かに後押しされているように準備を勧めた。
 
出発当日、彼女からキャンセルの連絡が入らないか私は何度も携帯のメールをチェックしていたが、待ち合わせの空港で、ゆり子とよく似た後ろ姿の男の子と二人で肩を寄せあい座っている姿を見て、腹が決まった。
 
初めて会う男の子は半ば眠たげな様子で「翼」と名乗った。指を4つ立てて4歳だという。

 

 

 

深夜にハノイに着いて翼に変化が現れたのは2日目の朝のことだった。
部屋の窓から中庭の熱帯植物と青空をぼんやり見ていると、翼が傍らに寄ってきて同じ空を見上げる。
「まみちゃん、ステキな空やねぇ」
 
うなずきあって私たちはしばらく二人で空を見る。
その小さなできごとがきっかけとなって、私は次第に翼の行動に興味が向きだした。
子供のいない生活を送ってきたため最初はめずらしいのかと思った。
旅の過程で、どこに行ってもしなやかに順応していく子供の柔軟性と生命力に目を見張った。
 
田園の水牛を何時間も飽かず眺めたり、チャンバ王国の遺跡で囚われた子供の妖精を一緒にさがしたり、子供と同じ視線で物事をみるとすべてが新鮮に見え愉快に感じられた。
ある時、急な大雨にあい大木の下で雨宿りしていると、無数のゴキブリが降ってきて私たち3人はお腹がよじれるほど笑い、子供の存在を通して驚きや喜びが新鮮な風となって心を洗うことを知った。
 
ゆり子は一人になりたいと自分だけで過ごす時間がふえる一方、翼が私になついて、私と翼が親子に間違われることも多くなる。
そんな状況も手伝って周りを観察する旅から、初めて人の内面を観察する旅へと私の視点を変わった。
 
ある時、移動手段を見つけに山道を歩いていると、摂氏40度を超す炎天下で翼が私を追いかけてきたことがある。彼の頭より大きな背中のリュックを左右に揺らしながら懸命に走ってきて追いついた。
「まみちゃん、いっぱい歩いて疲れたら休んで、また歩いて疲れたら休んで、みんなで
一緒に行こうな」
この言葉に胸が衝かれた。これまでなんにつけ無理をしてしまう癖が自分にはあったのを
知ってか知らずか翼はそれを見抜いて私を案じる言葉をかけてくれたのだ。

 

 

 

世界遺産のハロン湾で小さな帆船を貸し切ってクルーズで奇岩の景観を楽しんでいると
ゆり子の携帯がふるえた。彼女が渇いた声で私に告げる。
「離婚届が提出されて、今日、離婚成立やて」
「そうなんや」
どこまでも青い空が広がる日だった。海はどこまでもおだやかだった。
刻々、刻々と姿をかえる奇岩をながめながら、ゆり子は泣かなかった。

 

 

 

旅も終盤にさしかかり16世紀から17世紀にかけて中国からインド、そしてアラブを結ぶ「海のシルクロード」の中継基地として栄えたホイアンという街に流れついた。
朱印船時代に日本人が多く移住して日本人町をつくったことでも有名だ。
 
着いたその日は「満月祭」の夜だった。
世界遺産に指定された旧市街を歩いていると日本の田舎町を歩いているような錯覚を起こす。地道の両脇には瓦の長屋がつづき、軒には色とりどりのランタンが飾られ、日本の田舎の夏祭りのような懐かしさが胸に溢れる。
日本と唯一違うのはどこからとも流れてくるキャラの香木の甘い香り。
 
格子から赤い明かりがもれる宿に荷物を預け、フロントで情報をとっていると、興奮した翼が、柱を飾る古美術にふれてうっかり倒しそうになる。少しもおとなしくしない息子にゆり子が激しく怒って、手を引いて外へと連れだしだ。
しばらくして様子を見に行くと母親に怒られた翼は不服顔に母親を見上げていた。
 
気まずい空気のまま3人そろって祭りの行事のある川に向かって歩き始めた。
精霊流しのある川に近づくにつれ、地元の人や観光客で道は混みあい、川べりに立つ黒い柳の上に、大きな満月が夜空に白々と浮かんでいた。
 
突然……
 
ゆり子はその場に立ち止まり、嗚咽を発してその場で泣き出した。
 
「男親がいないだけで子供がこんなに言うことを聞かへんのやと現実を知ったら、
この先一人でどう子育てしていいかわからへん。辛いばかりで、あいつが憎くてならない」
それを聞いた翼も、その場で声をあげて泣き出した。
 
路上で立ち止まって声をあげて泣く親子の傍らを、客引きの若い男がベトナム語で話しかけ、反応がないと去っていった。
地元の子供たちがランタンを下げて私たちのそばを走り抜けていく。
乳飲み子をおんぶして、歩きながら月餅にかぶりついていた質素な身なりの若い母親は、立ち止まって翼だけを見ていた。
観光客を乗せたシクロを乱暴に運転する男は、大声をあげて通り過ぎた。
店先に吊り下げられた赤・青・黄・だいだい・紫のランタンが色とりどりに妖しい光を放っていた。
川には何艘もの船が浮かび、人々はゆったりと精霊流しをしている。
黒い柳の下で若いカップルが身を寄せ合い満月を見上げる隣で、屋台の豆電球をたよりに老婆が買い手のつかない駄菓子を無心に油で揚げていた。
 
熱気と人いきれと地道から舞い上がる砂埃。川から重い湿気をおびた風がときおり吹きつけて肌にじっとりまとわりついた。
 
泣く親子とその周りを私はただ観ていた。
 
私たちは過去と現在と未来の役割としてそこに存在していた。
 
居合わせた何百もの魂と生命が、精いっぱい蠢きながら生きている姿がそこにあって
私は生涯、その光景を忘れないだろうと思った。
 
人が隠していた感情を満月があばき、邪気のない月明かりが離婚に向き合う現実を照らしだしていた。
そして私はただ彼女を抱きしめていた。
 
宿にもどり、涼みながらベッドの上で3人で話していると、突然明かりが落ちて停電の闇に部屋は沈む。
ゆり子はフロントに懐中電灯をとりに部屋をでていったがなかなか戻ってこない。
様子をみにいくと中庭を囲む回廊のらせん階段にゆり子は座って月を見上げていた。
隣に座って私も月を見上げる。
 
「お月様の光がこんなに明るいなんて知らんかった。まるで電球を灯したように何もかも周りまではっきり見える。こんなにつらいのにお月様をみてまだ美しいと思える心が残ったなんて自分でも不思議。自分を殺めなくて良かった」
 
キャラの香りがどこからともかすかに漂ってくる。
ふと悠久の時を超えて中世に戻ったようなそんな既視感におそわれた。
私たちは以前もここに座って月を見ていたのではないだろうか。

 

 

 

帰国のチェックインカウンターでゆり子はまた翼を叱っていた。
日本から持ってきた12本の色鉛筆が4本に減っていたのが今度の理由だ。
宝物だったポケモンカードの入ったカードファイルもとっくになくしていたし、その上、翼は旅の間、毎日、色鉛筆をどこかに置き忘れてきたのだ。
移動のタクシーやバスのなか、ホテルの部屋、遺跡後、ロビーや階段、レストランの床、そしてホイアンの街に置き去りにしてきた色鉛筆という感情。
 
「色鉛筆は12色そろって色鉛筆で呼ぶねん。たった4本になったら色鉛筆にならへんねん。なんでお母さんのいうこと聞かれへんの!」
感情が高ぶるゆり子のそばで、4本の色鉛筆を握りしめたまま、母親を見上げて黙り込む翼。
 
失ったものに執着し、これ以上は失いたくないと過敏に反応する母親と、いろんな感情を色鉛筆にたくして無意識のうちに捨て去った翼。
 
精神的に不安定な時、よくモノをなくしては母に叱られた過去の自分を思い出す。
モノの意味や価値がわからない子供は親から無理にもたされたものが苦痛でならない。
 
帰国の搭乗ゲートの植物の植え込みの陰に隠れていた翼をみつけて声をかけた。
「お母さんは怒ってばっかりやねん。いつも怒ってる……。だからお父さん出ていってん」
「そうやな。怒ってばっかりやな。怖いなァ、でもなんでお母さん怒るんやろ。お母さんに聞いてごらん」
翼は首を横にふる。
「そしたらお母さん、かわいそうやねん。女はすぐ泣くねん」
「そうやな、お母さんかわいそうやな。つばさはなんで怒られるのかな」
「僕がうっかりして色鉛筆なくしたから。ぼくが悪いねんけどな」
「お母さんがせっかく買ってくれた色鉛筆やから。なくしたらお母さん、哀しむよね」
「でもお母さん、電話ですぐ男は嫌いやっていうねん。ぼく男やろ。それがイヤやねん」
 
間違いなく過去の自分がそこにいた。
 
ぶぜんとする翼を抱き上げると、ふわっと広げた子供の手から長さの違う4本の色鉛筆がこぼれて床に転がった。
二人は共犯者となってそれを拾わず、日本へ帰る搭乗ゲートに向かった。

 

 

 

帰国後しばらくしてゆり子からベトナムから戻った翼が明るくなったと報告をうけた。
旅行前は爪噛みがひどくて家でもほとんどしゃべらなかったのが、びっくりするほど明るくなり話すようになったと聞き、胸に温かいものがこみ上げた。
 
けれど……。
 
旅が終わった後、私はなんとも言えない空虚感を抱いていた。
子供のいない静かな日常の生活はもどったが、明らかに以前とは何かが違っていた。
ドアを開けると必ず後から追ってくる子供の姿がないか待つ自分がいた。
どこにいても視界のすみに子供の姿を探す癖がしばらくぬけず、数日たった頃、突然、大きな虚脱感に襲われた。
あのベトナムの日々の密度は何だったのだろう。
 
私とゆり子と翼はつかの間、本物の家族となってベトナムの街から街を身を寄せ合うようにわたり歩いた。
終わってしまったカゲロウ家族。
翼の存在は過去の自分と私の自分を結びつけてくれた。
その翼の存在はもういないのだと気づくと、その場にしゃがんで声を殺して泣いていた。
 
夏が終わり、ゆり子と翼は実家に戻った。
蝉のいのちのような短い家族だった。
 
家族とはいったい何なのだろう。
 
夏が終わると私はいつもカゲロウ家族を思い出す。
今、16才になった翼はベトナムで過ごした夏を思い出すことはあるのだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・人材マネージメントなどの経験を経て、現在は大阪地場の派遣会社にて新規事業の企画戦略に携わり創るよろこびを知る。

今度は自分のためにと思い、2021年 ライティング・ゼミに参加。
「書き、伝える」楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。経験を通して出逢った人から学んだことを伝えることができればと考える。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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