週刊READING LIFE vol.140

今日もメロンクリームソーダ日和《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部)
 
 
わかっちゃいるけど、やめられない。
いい歳の大人なのだから、欲望に負けるべきではない、そう頭の隅では思っているのだ。
歯医者さんには、「あなたが思っているより繊細なんです。歯と顎を痛めるのでやめてください」と言われた。
漢方薬剤師さんからも「身体がびっくりするので、なるべくあたたかいものを摂るよう心がけてください」と言われた。
わかっている、十分にわかっているのだ、理性的な部分では。
あぁ、だが、それを目の前にしたらもう、もうダメなのだ。
 
ガリ ボリボリ
 
「ねぇ」
「ん?」
「その癖、直したほうがいいよ」
「え、私またやってた!?」
おしゃれなカフェで、向かいの席に腰掛けた友人が呆れた顔をしている。
「無意識が一番ダメだからね?」
「ごめん」
 
シャリ シャリシャリシャリ
謝りつつも、私は口の動きを止められない。
その様子を見て、友人は大きく息を吐く。
「子どもじゃないんだから、自制しないと。飲み物の氷を食べ尽くすなんて、大人がすることじゃないんだから。公衆でやったら引かれるよ?」
友人の冷ややかな視線と、あっという間に溶けてしまったっ氷のお陰で、私はヒンヤリした。申し訳なくて、頭を垂れる。
「はい……気をつけます」
 
氷が好きだ。
その透き通った美しい見た目も、滑らかな舌触りも、軽やかなあの音も。
一番気に入っているのは、やはり、あの噛み心地だ。
大きな氷は、はじめは砕くのが一苦労だ。
しかし、一度崩れれば、こっちのもの。
 
ガリッ ボリボリ シャリシャリ
 
氷山から、欠片、シャーベット、水へと変わって、喉元を過ぎていく。
最高である。
 
だが、それは私の体感でしかない。
医学的にも、大人の品性としても、氷を噛み砕くことは良しとされない。
本当のところ、私は体質的に氷を食べるべき人間ではない。
 
私は、重度の冷え性だ。
人間というのは、恒温動物という、気温などの環境が変化しても、自分の体温等を調整できる生物に分類される。
それに対して、変温動物というのがいる。いわゆる、トカゲなどの爬虫類や両生類などの、環境に影響されてしまう分類の生き物だ。冬になれば身を守るため冬眠し、春先は体温を上げるため日光浴をする。
どちらかというと、私は自身のことを変温動物だと思っている。
春夏秋冬、基礎体温は35~36℃、世間でいう微熱である37℃でフラフラになる。冬になれば、体温が下がる。基本的に、手足の先は冷えているので、真冬はあまり熟睡できない。皮膚も弱いため、ホッカイロですぐ低温やけどしてしまうので使えない。
胃腸も弱い。ある時は、たまごかけご飯に当たり、とんでもないことになった。牛乳などの乳製品も個人的許容量を超えると、腹を下す。
足腰は強いし、腹筋は少し割れてるぐらいなのに、果たしてどういうことなのか、自分でも不思議で仕方がない。
そんなちょっとした虚弱体質の私が、氷や冷たい食べ物をたらふく摂取したらどうなるか。
 
「ぐぅ、ぅぅぅ~!!」
 
腹を下すだけで済めばまだ良いほうだ。
連日、氷入の麦茶とアイスティーを数杯飲んだ、たったそれだけで、激しい腹痛に見舞われる。
重度の時は、夜中、胃痙攣を引き起こす。
痛い、なんていうレベルではない。脂汗が全身吹き出て、布団の上で七転八倒だ。実際は、うめき声さえ出せず、酸欠の金魚のようにハクハクと口を開閉させることしかできない。激痛のせいで、嘔吐症状も出る。だが、夜中だ。胃の中も腸の中も何もないので、吐きたくても何も出せない。
激痛で意識朦朧状態なので、自分で救急車も呼べない。
そうなるともう、耐えるのみ。
地獄の時間は、永遠にも感じるほどの、体感をくれる。
 
なので、冬から春先は、「北国から来たの?」と笑われるくらい分厚いロングコートをしっかりと着込み、腹巻きを装備している。外での飲食は、出された水を飲むだけでドキドキしてしまうくらいだ。
でも、食べたいのだ。
グラスの中に、プカプカと浮いている、その小さな氷山の欠片が。
私の中では、冷凍庫から出したてのしっかりした氷より、溶けて消えそうなくらいの小さくなった氷が一番おいしいと思っている。
その儚い氷を、噛み締めたい。
だが、それはできないのだ。
 
「でさ、そういうことがあってね。ねぇ私の話、聞いてる?」
「……うん、彼氏の話でしょ? 聞いてる聞いてる」
 
生返事をしながら、私は、結露の付いたグラスを大事に手で包みながら揺らす。私のかすかな体温が伝わりぬるまった水の中で、氷は儚く散ってしまった。
私は、悲しげな瞳で、そのあわれな姿を見送るしかできなかった。
 
しかし、この悲しいおあずけ状態を緩和してくれる、ゴールデンシーズンがあるのだ。
サンサンと降り注ぐ太陽。
ゆったりと首を振る扇風機、浴衣なら扇子やうちわも良い。
暑気払いに登場する、季節限定メニューたち。
フェスやお祭りも欠かせない。
それは、夏。
7~8月は、変温動物にとって、待ちに待ったチャンスなのだ。
外気温が上がれば、それにおのずと体温が引っ張られ、比較的に体調が安定する。多少冷たいものを飲食しても、お腹が許してくれる。もちろん、自己許容範囲内に限られるけれど。
色とりどりのかき氷、華やかな外国産のシャーベット、夏限定のフレーバーのアイスクリーム、紅茶とコーヒーには惜しげもなく氷を注ぎたい。
すべてを完食できる気がしない。でも、選択肢がこんなにもあるなんて。
喫茶店のメニュー表を開いても、「アイスコ……いえ、ホットコーヒー、お願いしまっ、す」と、下唇を噛んで我慢しなくてもいいのだ。
さらに、氷噛みも意外と容認される不思議。
 
「暑いね~」
「そうだねぇ、暑すぎて氷まで食べちゃうよ」
ガリッ ボリボリ シャリシャリ
「わかる~!」
ガリッ ボリボリ シャリシャリ
 
親しい間柄の人物の前だけの限定ではある。小さな氷なら、水と一緒に静かに口内に誘い込み、そっと楽しむこともできる。
まさに、天国だ。
 
中でも、私が楽しみにしているものがある。これだけは、絶対に食べると決めている。
「緒方さん、あれ、はじめましたよ?」
「うわぁ~、本当ですか!? ひ、一つお願いします!」
プライベートでも、取材でもお世話になっている本屋さん。そこの二階のカフェで、限定数提供しているメニューがある。
私だけでなく、常連さん、喫茶店世代の年配の方の心と胃袋を鷲掴みにしている。
喫茶スペースのちゃぶ台の前、私は正座して、指も揃えてお行儀よく待つ。
「お待たせしました」
「ほわぁ~~~!」
目の前に置かれたのっぽなグラスの登場に、いつもは半開きの私の黒い目が、キラキラと輝きを放つ。
 
シュワシュワとかすかに涼やかな音を立てる、エメラルドグリーンの海。
その中をプカプカと泳ぐほどよい大きさの氷山。
その上に、丸く整えられた白い小島。
てっぺんには、ルビーのように赤いさくらんぼや、太陽を切り取ったようなパイン。
キンキンに冷えたソーダ、氷、アイスクリーム、冷凍果物。
私にとって、禁断の食べ物だ。
 
あぁ、メロンクリームソーダ。
なんて君は罪深い食べ物なんだ!
 
うっとり眺めている場合ではない。メロンクリームソーダは足が速い。ぼんやりしていると、私の目の前で消えていなくなってしまうだろう。
私は、素早く、アングルを変えつつその愛らしい姿をスマートフォンカメラで激写。本当は、相棒の一眼レフで撮りたいところだが、他のお客さんが驚いてしまうので、我慢だ。そのために私のスマートフォンは、その企業で売られている中で一番高性能カメラのものを選択しているわけであるし。
 
現代は、豊かになったと言われている。平均所得は上がらないものの、物資はあふれている。ファッションも、音楽も、食べ物だって、選び放題だ。
夏のおいしい食べ物、と言ったら、もっと高価で、見た目が華やかで、腹が膨らむものは、数え切れないくらいあるだろう。
だが、私にとっての夏の女王は、メロンクリームソーダなのだ。
一番古い記憶は、母と兄と行った、商業施設のフードコートで飲んだメロンソーダだ。幼い私は、一口飲んで目を丸くした。
「ぜんぜん、メロンの味せん! なんでメロンソーダなん?」
兄と母が笑う。
「緑だからやないの?」
「いや、メロンのなんかの成分が入っとるんやない?」
みんなで議論した楽しい夏の思い出。果汁0%のそのなぞの飲み物。当時は飲食業界もおおらかだったので、飲み干したころには、私の舌は着色料でメロン色になって、兄と見せ合って声を出して笑った。
それ以来、メニューにメロンソーダがあれば、ねだるようになった。
その後、その上級の、メロンクリームソーダという至高の品を知って、私の目は零れんばかりに開かれることになる。
 
「私の時代はね、喫茶店で食事をする、っていうことが特別なことだったの」
ある時、同じようにメロンクリームソーダを注文されたマダムとお話させてもらったことがある。
「アイスクリームも、こんな鮮やかな色の飲み物もなかったし。今では、もう、珍しくもなんともないのだろうけど、とってもハイカラな飲み物だと思わない?」
「そうですね。この、上に乗ってるさくらんぼ、私、これが一番特別感を演出してくれるのだと思います」
私が指でさくらんぼを摘むと、マダムも鮮やかなネイルを施した指先で、お上品に摘んだ。
「そう、この赤がアクセントよね!」
私達は、宝石をパクリと口に含んで顔を見合わせて微笑んだ。
「このすてきな飲み物が、未来にも受け継がれますように!」
 
私は、南国で見つけた宝石箱のようなメロンクリームソーダが好きだ。
喫茶店の小さな氷がたくさん泳いでる、冷たい水と、透き通ったグラスが好きだ。
かき氷はシンプルな、メロンやイチゴの蜜がかかっているのが好きだ。
涼やかな風を通す大きな窓と、緑あふれる庭のある日本家屋や古い洋館が好きだ。
冷房が効きすぎていない、ちょっと汗ばむくらいの昔ながらの喫茶店が好きだ。
クーラーより、カラカラ音がなる、使い古した首振り扇風機が好きだ。
それを、何の気負いもなく満喫できる夏が好きだ。
 
なのに、もう行ってしまうの?
 
お祭りやイベントなどのお楽しみがいっぱいで、おいしいものも両手で抱えきれないくらい豊富で、緑も青々として美しくて写真に収めきれないくらい鮮やかで、美しい景色を見せてくれる。
年々環境が過酷になり、寝苦しい夜もある。
カブトムシだけでなく、蚊も元気いっぱいだ。
製氷機が追いつかないくらいで、飲んだ以上に汗も吹き出る。
 
でも、それがいい。
生きてるって、心の底から感じることができる。
 
夏生まれの変温動物の私にとっての、ゴールデンシーズンももう終盤。
お腹とスケジュールの許す限り、メロンクリームソーダと氷をたらふく食べようと、心に固く誓う。
今は、嘆くよりも、幸せを噛み締めて。
でも、やっぱり、ちょっぴり、泣いてしまうよ。
 
あぁ、夏よ。
私を置いていかないで。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、タロット占い、マヤ暦アドバイザーなどの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォト・ライター」。喫茶店やモーニングが大好物。おいしいものをおいしく楽しめるよう、漢方などで体質改善を目論んでいる。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動中。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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