週刊READING LIFE vol.140

鳴くではなく、泣くと感じる夏の終わり《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》


2021/08/23/公開
記事:スミ咖(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
チチチチチチ……あーヒグラシが鳴いている。としみじみと夏の暮れを感じるより、より強く夏の終わりを感じる風物詩がある。彼が泣くと、あーこの時期が来た、夏が終わるなと。
 
「マスオさーん!!」国民的人気アニメ、サザエさん。サザエの弟カツオが、この世の終わりのように大騒ぎする時がある。8月の終わり頃、いつもに輪をかけて、とてつもない勢いで彼はマスオさんに助けを求める。「宿題が終わっていない!!」と。よく言えば天真爛漫な彼は、その日を、夏休みを精一杯楽しく生きているから、宿題という苦行を自らやることはない。明日やる、また明日と延ばしに、延ばし、それを40回続けて、夏休みが終わる。もういい加減大変になるということを、学習したらいいのに。とツッコむが、結果助けてもらえるから、また今年も繰り返す。彼が騒ぎ出すと、もう夏休みが、そして夏が終わるのだと、焦っている彼には悪いがしみじみしてしまう。
 
そして、自分も追われて、誰かに助けてもらいたかったことがあったなと共感している。だけど、共感すると同時に、私はカツオとは違うと自負もある。私はサボってたんではない、むしろ、とても真面目に宿題に取り組んでいたのよと。なのに、なのに、中学生になって初めての夏休みが終わろうとしている最後の1週間、私はカツオと同じ状況になっていた。夏休みの宿題を真面目にやったのにカツオになった私は、自分の真面目さが嫌で嫌で仕方なく、そして理不尽さがつらかった。

 

 

 

中学1年生の夏。今まで「ねー〇〇ちゃん」と気軽に呼んでいた年上の友達を急に「先輩」と呼ぶ習慣になり、最初はドキドキしていたそのやりとりにも慣れてきた。小学校の楽しいクラブというより、真剣味を帯びた部活動の練習にも、やっとついていけるようになってきた。
そして迎えた夏休み。やったーと歓喜に満ちていても、学生にも完全なオフというものはなく……。ハメを外して、どこかに飛んでいかないように、自由研究、読書感想文、その他もろもろ宿題という制約を与えられる。配られた宿題の1つに真っ白なノートがあった。夏休みが終わるまでに、この1冊を終わらせる。というのが宿題だった。ノート1冊……普通に授業を受けていてもなかなか消費できないのに、休み中に終わるんだろうか。とはいえ、出されたものは、しっかりやらねば。
 
授業中に夏休みの宿題をどうこなしていくかと計画を立てる時間があった。
割と計画を順序だてて、考えるのが得意な方だった。先生がやりなさいと言うことに、疑問をもつこともなく、計画書に、予定を書き込む。今思うと、きっと、その頃から、手を抜くとか何かに反抗するということを知らない子どもだったんだろう。おばあちゃん家に行く日、家族で民宿に泊まりに行く日、予定を書く。この日はお出かけするから、宿題できないな……ならここを多めにするか。読書感想文も含め、どの日に、何ページ進めれば終わるかという枚数を書いて計画を立てていた。
我ながら、すばらしい! きもちに余裕をもって、1週間前に宿題は終わるように予定を立てた。大丈夫、きっと終わる。計画は完璧だった。あとはその通りやるだけだ。計画通りにやるのには自信があった。だから、自分があのカツオみたいに泣きつくことになるなんて、思ってもいなかった。

 

 

 

夏休みが始まった。休みといっても、毎日遊べるわけでもなく、部活に行ったり、ラジオ体操にいったり、子どもと言ってもちょっとした忙しさもあった。今思えばかわいい程度の忙しさなのだけど、その時は一生懸命なことに、変わりなかった。計画書を見ながら、宿題を進めるべく、ノートを開いた。
開いてから、考え込んでしまった。枚数は決めていたものの、何で埋めていくかということは、考えていなかった。困った……。でも今日は2枚終わらせる予定の日。とにかくやろう。数学の問題に取り掛かり始めた。
計算式を解くか。XとYそれぞれにどんな数字が入るか、まず問題をノートに写す。この数字を求めることで、一体自分の人生に何の役に立つのだろう。大人が言う勉強しなさいという言葉に反抗こそしなかったけど、自分のやっていることの目的は、全く分からなかった。ただただ、私は今ノートを2枚終わらせなきゃいけない。これからの人生の目的とかそういうのじゃなくて、終わらせることしか考えていなかった。数式を写して、これはとんでもなく大変なことだということに気が付いてしまった。私は驚くほど字が小さい、計算式はノートの左上の1/6くらいしか埋められていなかった。これは一体何問解けばいいんだろう。途方に暮れた。でもやるしかない。とにかくいっぱい解くしかない。何問も、何問も数式を解いては、式を写すことを繰り返し、やっとのことで1枚目の表が終わった。
 
これ、まだ表だけ……計画では2枚終わらせるのに。終わりが見えなく、数字に疲れてしまったこの日は、諦めてしまった。明日挽回すればいい。もうちょっと頑張ろう。計画通り進まなかったことに対するモヤモヤはあったけど、それ以上に数字から喰らったダメージは大きすぎた。
きもちを切り替えて迎えた次の日。数字が嫌なら、漢字でもやるか。国語のドリルを開いて、漢字をひたすら書いた。これまたなかなか埋まらない。漢字を書き続けるのは、勉強して覚えようとするのではなく、ノートを埋める為だけのものだった。何回も何回も書き続け、意味を表す漢字が、意味のない呪文とか、記号みたいに見えるようになってきた。
 
日にちが経つにつれて、計画が全く思い通りにいかないことが続いていた。毎日ノートを開いている、問題も解いている。なのに、枚数が全く予定通りに減っていかない。なんで? こんなに一生懸命やっているのに……努力すれば、一生懸命やれば大抵のことは成功していた自分にとって、真面目にやっているのに、進んでいかないことは、未経験のことで、ちょっと怖かった。
 
夏休み終了1週間前、計画では余裕をもって終わっているはずだった。私の手元にはあと1/3の白紙があるノートがあった。どうしようと途方にくれていたある日、友達が一緒に宿題をやろうと提案してくれた。私は宿題を一生懸命やっているという、自信があった。きっとまだみんな終わってないはず、自分よりも大変な事態なっているに決まってる。そう思いながら友達とノートを開こうとすると、彼女はノートを開かなかった。
「あれ? ノートやらないの?」
「えっ!? もうあれ終わったよ」
……。なんで!? こんなに大変なのに! どんな技を使えば宿題を終わらせることができるんだ!? 衝撃的過ぎた。さらに彼女のノートを見せてもらって、衝撃は続き、そして自分は一体何をしてきたんだろうとかなしくなった。
 
まず表にデカデカと”数学 連立方程式”と真ん中に書いてある。そのページはそれで終わり。なんと大胆な。次のページをめくると、左右に2問計算式が書いてあった。2問でいいの……数学が終わり、漢字になっても、進め方は同様で、とにかく立派な大きさで、漢字が並べてあった。並べた漢字の間と間には、すき間というには広すぎる、大胆な空間が広がっていた。
 
こうしてダイナミックな彼女のノートは、全て埋められていた。真っ白なページはなかった。
だけど、私にはまだ1/3もある。
なんで……私はこんなに一生懸命やってきたのに。
計画を立てて、毎日ノートを開いてきたのに。
何問も問題を解いてきたのに。
 
理不尽なきもちになってきたのと同時に、こんな風にやっていいんだ。と彼女の取り組み方に驚いた。
そして要領よくやらず、真面目に、クソ真面目にやっている自分は…… 一体何をやってるんだろう。
ノートを1冊終えることが、目的なら、友達のやり方でいいのだ。しかしそこに、クオリティというか、よりよく宿題をしようとする。勝手に自分で、自分を追い込んでいる。結局真面目にやった自分は、宿題が終わっていなくて、大胆な空白を入れた友達は宿題が終わって、のんびりしている。
ずるい……
担任の先生はよく「正直者はバカをみない」って言うけど、そんなのウソだ。だって私は正直に、真面目にやってきたのに、宿題が終わってなくて、苦しい思いをしている。そんなことを感じながら、計画的だったのに、私はカツオ状態で、泣きたい気分で、宿題に追われた。

 

 

 

何かやらなくてはいけないことがある時、自分は抜け道とか、要領よくやろうという考えがない。ノートを終わらせるなら、すき間がないように、全部埋めることしか考えてない。表題を書いて埋めることなんて、頭によぎらなかった。
ただ真面目に、真剣に向かって、取り組んでしまう。だからスマートにやりこなしている人がうらやましくて仕方なかった。自分はなんでこんなに時間や労力をかけないと出来ないんだろうと。大人になった今でも結局それは変わっていなくて、守らなくてはいけない期限や規則を全部受け入れようとして、これって無理かもしれない、すごくしんどいと苦しくなることが多い。
 
なんでここまで真面目であるということに違和感、嫌だなと思うことが多いのか。一生懸命、真面目にやっていたことに、自分自身が納得出来ていなくて、人のことがうらやましくなるのは、誰かの為に、というか誰かにいいように見られたいというきもちが大きかったような気がする。だから、自分で自分のハードルを高く設定してしまう。
先生に、友達に、そして両親に、いい子だと思われたかったし、そうでなければならないと思っていた。職場の書類提出期限があると、私は大抵前もって終わらせる。同僚が「あー! 全然終わってない」と困っていると「書類やってていいですよ。他の仕事はやっとくので」とフォローすることが多い。
「ありがとう。ほんといつも仕事速くてすごいわ」と言われるのだが、本当はそうじゃない。しっかりしているのは、簡単にできていることじゃなくて、すごくエネルギーを使って、努力して、そうであろうとしているだけなの。頑張ってるの。と言いたかった。
だけど、そういう周りの声に応えなくちゃいけない、そうでなきゃいけないという意識の方が強かった。期待に応えることに必死だった。
本当は、頑張ることはしんどい。「あー仕事手伝ってもらって助かった」と笑って話せる、ちょっとズルもできるくらいの軽やかな人に憧れてた。自分はそれが出来なかったから。

 

 

 

自分自身に対して、真面目にしてなきゃいけない、こうでなきゃいけないと強い制約をかけて、自分で苦しくなっていた。もっと頑張らなきゃ、真面目にやらなくちゃと。だけどちょっと周りを見渡すと、違う方法でも大丈夫だと気が付いた。それに人と比べてみると、少しくらい手を抜くくらいが、ちょうどいいのかもと思えるようになってきた。ちょっと苦手だけど、”まあこれくらいでいいか”と思うくらいが、人から見たら、しっかり出来ているレベルなんだと。そしてそのまあいいか、を積み重ねて、馴染んで、それでもいいと思えることが増えてきた今、きもちがふわっと軽くなっている。
自分で苦しくしてしまっていただけなんだ。もう少し、肩の力を抜いてもいいんだと。そう思えたら人に向けていたうらやましさは薄れていった。
 
テレビの前のカツオはすごく大変そうなのだけど、彼は私に”これくらいでいいんだよ”ということを教えてくれた。
カツオ、宿題頑張って! とこころの中で応援すると同時に、私も彼みたいに軽やかでいいんだとスッキリした気分になる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
スミ咖(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

保育士歴12年。子どもと関わる中で、子ども時代に経験したことが、大人になって強い影響を与えることがあるということを自分の過去に投影しながら過ごす日々。保育以外の職務経験がないため、色んな仕事をして、経験値を上げてみたいと、ライティングに挑戦中。悩んでいる人が共感して、元気が出るような文章を書けるようになるのが目標。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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