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週刊READING LIFE vol.140

今年の夏も自らの決断を問われてしまった《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》

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2021/08/23/公開
記事:Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
こんな人がいた。1945年5月、東京は大空襲に見舞われ、この人の家も焼かれてしまった。でも、「書きたい」という意欲があまりに強いため、職場もやられてしまって創作三昧にふけることが許されるような事態におちいればいいのに、などと日記に記した。
 
この人は精神科医の神谷美恵子(1914~1979)だ。彼女の多彩な経歴の中で、一番有名なのは『生きがいについて』という著書だろうか。1966年に出てベストセラーとなり、時を経て今でも読み継がれている。
 
戦争が終盤にさしかかり、壮絶さを極めるなかで、職場がやられることを望むほど「書きたい」という思いにとらわれる人がいたことに、私はとても驚く。それは、小学校の時からの教育がおそらく影響しているのだろう。
 
小学校、中学校と、国語の教科書には必ずといっていいほど戦争でかわいそうな目に遭う子供のはなしが載っていた。お父さんが戦争に行ってしまい、残された女の子とお母さんは食料の乏しい中、暮らしている。ある年のはなしは、赤ん坊だった弟のミルクをひもじさに耐えかねて飲んでしまい、弟がすぐに死んでしまったことから何十年たった後でも後悔の念にさいなまれるというものだった。そんなはなしを読むなかで、戦争はいけないと教育されていく仕組みだ。
 
毎年読まされるこんなはなしのおかげで、私は戦争とは弱い人たちがかわいそうな目に遭うものなのだと自然と思うようになっていった。終戦の夏には決まって物語の中の彼らを思い出す。
 
それがすべてではないと知ったのは、大学に入って自由に読書するようになってからだろうか。ある時ふとこの神谷美恵子の『若き日の日記』を手に取った。これは1942~45年の日記の抜粋集だ。終戦の年、31才だった彼女は東大医学部の精神医学教室に医師として勤めていた。家が焼けたのは5月25日の空襲だったが、大学は無事だったため仕事は続いていた。負傷者の治療にもあたっていたという。でもこれは彼女の一面にすぎず、抑えられない創作欲は、大学もやられて創作三昧にふけりたい、などと彼女に思わせた。
 
彼女は英語が堪能だったため戦争中も海外のラジオを聴いており、日本の運命を予測できていた。これも冷静でいられたことの一因だろう。さらに、精神医学への好奇心、患者への献身に加えて、書きたいという創作欲に忠実でもあった。
 
まさに彼女は、私が10代の頃に思っていたような、戦争中の「弱くかわいそうな人」ではなかったのだ。教育がすべてではないのだと気づくのと同時に、本当に人とは多様性にあふれていて、人それぞれの生き方があるのだと感じるきっかけでもあった。
 
思えば、コロナ禍でオリンピック・パラリンピックが行われる今現在も、生き様は本当に人それぞれだと感じる機会だ。開催は一年延期され、今年になって開幕が近づいてもなお開催への反対は後を絶たなかった。こんな時期に開催するとは何ごとだ、海外から多くの人が来日するのもコロナの蔓延を招くのでは、と懸念する人たちもいた。私は声を大にしては言わないものの、こんな時期に開催しなくてもいいんじゃないかと心のどこかで思っていた。
 
いざ、開幕すると、テレビの画面に映るのは一つ前のリオオリンピックで活躍していた選手たちだった。私は卓球を見るのが好きなのだが、伊藤美誠、石川佳純、水谷隼などあの時も出ていた選手が変わらず卓球をしている姿を見ると、開幕への懸念も変わっていった。
 
彼らはリオオリンピックから今回の東京オリンピックまでの5年間、辛いことがありつつも希望を持って自分を信じて練習を続けてきたのだ。特にコロナになってからは試合が中止になり、練習環境も(おそらく)変わり、オリンピックの開催すら危ぶまれた。それでもなお、彼らは変わらず進んでこのオリンピックの試合の日を迎えたのだ。
 
オリンピック反対派からはいやなことも言われたのではないだろうか。SNSで非難のメッセージを送ることも今は容易だ。誹謗中傷は有名人なら避けては通れないだろうが、コロナ禍ではそれまでの比ではないのではないだろうか。
 
そんな中で、彼らはオリンピックに出場して金メダルを目指すという目標にむかって突き進んだのだ。伊藤選手は男女混合ダブルスで金メダル、シングルで銅メダル、女子団体で銀メダルを獲得した。リオでは補欠扱いだった平野美宇も今回は団体戦に出場して銀メダル獲得に貢献したのも個人的に嬉しかった。オリンピック開催を望む人の思いがどれだけ大きかったのかも、試合を見ながら感じていた。そんな思いを受けて実現できたのだから、オリンピックはきっと意味があることなのだろう。
 
コロナ禍での過ごし方、はたまた生き方も人それぞれ。求められるがままに自粛をしてじっとすごすか、自分の好きなスポーツを続けてオリンピックに出るか。
 
推奨されるままにアルコール消毒を熱心に行うか、ほどほどでいいと割り切るか。
 
海外渡航をあきらめるか、安全対策をした上で予定通り留学するか。
 
戦争、コロナ、オリンピック、いつもとは違う出来事は、自分がどう反応するか、その中でどんな行動をとるかが試されるバロメーターのようなものなのだろう。
 
日本人選手もいろんな決断を迫られただろうが、海外から来る決断をした選手団にも私は畏敬の念を覚える。
 
ある日、テレビでプールへの飛び込みを見ていた時のこと。各国の選手が順番に飛び込み台に上がって技を披露するのだが、印象的だったのは彼らの演技をタブレットで撮影しているサポートスタッフたちだった。選手一人につき、スタッフが3,4人はいただろうか。彼らは飛び込む様子を動画におさめ、その出来に対して喜んだり、がっかりしたりしていた。そんな光景もテレビにはしっかり映されていた。そして、水中から上がってきた選手が戻ってくると、逐一動画を見せていた。
 
この人たちもこの時期にいろいろある中で東京にやってきて、こうして試合本番を迎えて、選手とともに喜んだり悲しんだりしている。もはや、オリンピック開催への是非なんてどうでもよくて、ただただ彼らのスポーツへの思いと行動力に感心するしかなかった。
 
テレビを見ながら感心している当の私はどうなのかというと、生活に必要なものの買い出しと仕事以外はあまり外出しないようになった。マスクなしで人と接するのもちょっと怖い。私だったらマスクなしで試合したりはできないかも、と思う。海外に行くのももちろん怖い。行きたいという気持ちはあるけれど、たとえ仕事が一週間休めることになって、必要な資金も用意できる場合でも、本当に行くかと問われたら、何らかの強制力が働かない限りきっと行かないだろう。それは、感染リスクのあることは控えたいという安全策でもあるし、他の人の視線が気になるからかもしれない。
 
この夏のオリンピックで、数々の反対をくぐりぬけて日本にやってきた外国人選手やスタッフたち。自国開催の好機を活かして練習に励んだ日本人アスリートたち。彼らの存在は、人の目なんて気にするな、と言ってくれているようだ。
 
本当にやりたいことがあるのなら、コロナ禍でもオリンピックで戦えばいい。戦争中で家が焼けて死傷者があふれているさなかでも、創作意欲を存分に発揮すればいい。
 
ある日、自分のやらかしたうっかりミスを処理するために私は遅くまで残業していた。卓球の試合の最終日で、ちょうど男子団体の3位決定戦が行われている頃だった。リオから注目していた水谷選手も出るのでとても気になる。家でLIVEの試合を見ることは叶わなかったが、残業の合間にちゃっかり検索して日本チームが銅メダルを獲得したことを知って喜び、すぐに作業に戻った。
 
こんな時期だからか、帰る頃にはコンビニくらいしか開いていない。立ち寄った家の近くのコンビニには、オリンピック関係者のベストを着た異国のおじさんが1人いた。日本のコンビニを物珍しげに見学だか観光だかしていたのだろうか。普段だったら日本で身につけた英語で話しかけるのだが、こんな時期なのでそっと見るのにとどめた。あなたもここに来るという決断をしたのね、と心の中で思いながら。
 
そして、自分はこれからどんな決断をしてどんな行動をとっていくのだろうかと、自分自身に問いかけながら。
 
 
 
 

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Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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