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週刊READING LIFE vol.140

世界一過酷な駅伝《週刊READING LIFE vol.140「夏の終わり」》

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2021/08/23/公開
記事:佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
「駅伝」
 
この言葉を聞いて、あなたは何を想像するだろうか?
おそらく多くの人が正月の風物詩である「箱根駅伝」を想像するのではないだろうか?
「箱根駅伝」については説明するまでもないと思うが、東京大手町サンケイビルから、箱根・芦ノ湖までを繋ぐ往路107.5km、復路109.6kmの全長217.1kmを10区間で競う駅伝レースである。
 
特に往路5区の箱根の山登り区間は、20km走る中で600mの標高を駆け上がらなければならず、その過酷さゆえに毎年多くのドラマが繰り広げられている。中には脱水症状や疲労でふらふらになり、倒れこんでしまう選手もいるほどだ。
 
実は、この「標高差」というのはランナーにとって非常に重要な要素になっている。
平坦な道であれば水平移動なので、摩擦や抵抗がなければ一度走り出せば慣性力が働くので、比較的誰でも走ることが出来る(とはいえキツイのだが)
ところがここに垂直方向への移動が入ってくると、話しはガラッと変わる。
 
垂直方向に体を持ち上げるということは、体に位置エネルギーが加わってくる。
物理が苦手な方にも簡単に説明すると、地球には重力があるため、すべての物質は地球の中心に向かって引っ張られている。そのため垂直方向にモノを動かすためには、その重力に逆らって持ち上げなければいけないため、その分のエネルギーが必要となる。
 
つまり走るときに水平方向に体を動かすエネルギーだけでなく、垂直方向にも体を持ち上げなければいけないため、坂道を走るのはとてつもないエネルギーを必要とするのである。
 
箱根駅伝の5区でいえばおよそ600mの高さを上ることになるのだが、これは東京スカイツリーと同じくらいの高さに相当する。つまり5区のランナーは20km走る間に、自分の体重をスカイツリーの頂上まで運ぶだけのエネルギーを消費しているのである。それだけ標高差があるところを走るというのは過酷な作業なのだ。
 
ところが、この箱根の5区をはるかにしのぐ世界一過酷な駅伝が存在する。
なんとそのレースでは、約20kmを走る間に3,200mの標高差を駆け上がらなければならないのだ。
そしてそのレースは日本で開催されている。
 
それが「富士登山駅伝」である。
 
これは、静岡県御殿場市で毎年開催され、すでに40年以上の歴史がある日本を代表する駅伝である。
御殿場駅前(標高約456m)から富士山山頂(標高3,684m地点)まで上り、そこで折り返し御殿場市陸上競技場(標高約580m)まで下る、全長47.93km、11区間を繋ぐ駅伝である。また往路と復路は同じ選手が担当するため、一人で上りと下りの両方を走るのもこの駅伝の特徴となっている。
そして私は2019年第44回大会に選手として参加したのである。
 
私はトレイルランニングという山を走るレースを趣味にしている。
とはいえ、普段は会社勤めをしている一般市民ランナーだ。
 
ところが2019年に自分が所属しているトレイルランニングクラブで「富士登山駅伝に参加しよう」という話しが持ち上がった。この時「富士登山駅伝」という名前は知っていたが、正直自分には縁がないレースだと思っていたので、その内容は殆ど把握していなかった。
ただ、子供のころにテレビで放送されていて、その時に富士山山頂からものすごい勢いで駆け下りてきて転倒しながらも襷を繋いでいるランナーの姿が目に焼き付いていた。
 
そのイメージだけがあったのでとんでもないレースで、超人的な人たちだけが参加することが出来るレースなのだと勝手に思い込んでいた。そのレースにまさか自分が挑戦できるか可能性があると知り、私は興奮を隠せなかった。
 
もちろんこのレースに参加するためには、高い基準があり、選手全員の走力が一定以上なければ、審査で落とされてしまう。正直私はエリートランナーでもなんでもない一般ランナーなので、高い走力などほとんどない。
 
それでもこの超人レースに参加したいという思いだけで、選手になりたいと手を挙げたのだ。
それからは選手に選ばれるために何度も富士山に通い詰めた。
 
レースは大きく分けて二つのパートに分けられる。
一つはスタートから富士山五合目までの「ロード区間」と、もう一つが五合目から山頂までの「山岳区間」である。
 
ロード区間の15kmだけでも約1,000mを駆け上がるため、一般のレースとは比べ物にならない過酷さなのだが、この区間はさらにスピードも求められるため、正直私の走力では全く手が出せなかった。
また山岳区間も前半は砂場のような場所を走らなければならず、体重の重い自分では足が埋まってしまい正直タイムを出すことは期待できなかった。
 
そこで私が唯一可能性があると考えたのが6区の山頂区間だった。
この区間は3,090mの中継地点から山頂まで618mを上がり、山頂の富士山本宮浅間大社奥宮で襷に判を押してもらい、中継地点まで駆け下りてくる区間となっている。
 
この区間は岩場なので、足が取られることもほとんどない。そして私がこの区間に目を付けたもう一つの理由が標高の高さだった。
実はこの6区は標高3,000mを超えたところを走るため、選手は酸欠状態になる可能性が極めて高い。つまりまともに走ることが出来ないのである。それであればスピードがない自分でも勝負することが出来ると考えたのだ。
 
ちなみに、標高の高いところは酸素が薄いということは皆さんご存じだと思うが、実際どのくらい薄いかというと、3,000mを超えたところでは地表のおよそ7割。山頂付近では6割5分ほどである。これだけ酸素が薄い(正確には空気中の酸素濃度が薄い)と高山病を発症するケースが高いため、選手は事前にこの標高になれておく必要がある。
 
そこで私は大会が開催されるまでにできるだけ多く富士山に登ろうと考えた。
チームメンバーとの練習会以外にも一人で登りに行った。しかし富士山は標高が高いこともあり、天候が安定せず、山頂まで行くのは天気に恵まれないと難しく、なかなか山頂まで行くことが出来なかった。そこで私は毎日WEBで天気予報を見て、この日であれば山頂まで行けるという平日の夜に仕事が終わったその足で、一人で富士山に行き、山頂まで登ったこともあった。
 
会社を定時に退社して、急いで家に帰り車を走らせて富士山に向かった。そして夜9時から5合目をスタートして、深夜0時過ぎに山頂に到着。そこから再び5合目まで下山し、それから家に帰り、そのまま出社した。さすがに会社の同僚も私が前日会社を退社した後に、富士山山頂まで登って、翌朝また出社してきたとは誰も想像できなかっただろう。
そんな努力の甲斐もあって私は6区担当に選ばれ、晴れて駅伝メンバーに加わることとなった。
 
そして2019年8月4日、ついに私は富士登山駅伝に参加した。
大会は1日で行われるが、私が担当する6区は7.5合目(3,090m)からスタートするため、当日に上るのは難しいため、選手は前日に8合目の赤岩館という山小屋で前泊することになっていた。前泊するのは時間的な問題もあるがやはり標高に慣れるという意味も大きかった。
 
ちなみに私は山小屋というものに始めて宿泊したのだが、まさに「うなぎの寝床」のような狭い場所に人ひとりがギリギリ横になれるほどのスペースがあてがわれ、選手とサポーターを含めて百数十人が雑魚寝をしていた。体が大きな私にとってはここで宿泊することも一つの試練だった。
しかし、6区の選手の一番の特権は、なんといっても翌朝ご来光を拝むことが出来ることだろう。3,000mから見る太陽は地上にいるときよりも早く見ることが出来る。
地平線のかなたから太陽が浮かび上がってくる光景は、太陽が惑星であることを感じさせてくれた。
夏場とは言え標高3,000mの早朝は気温が5℃しかなく、真冬の寒さだった。しかし太陽が姿を現し、日の光が届いた瞬間に全身に太陽の温かさを感じることが出来た。この瞬間を味わえただけでもここに来たかいがあったというものだ。
 
その後朝食をすませ、朝8時の1区のスタート合図を待った。
1区から私が待つ6区までおよそ3時間。その間に5人の仲間が22.8km、標高差2,581mを繋いできてくれる。途中サポートしてくれているクラブの仲間がSNSで様子をシェアしてくれたので、仲間の様子が伝わってきた。そして襷が近づいてくるたびに私の緊張は増していった。
 
そしてついに5区の選手に襷が繋がった。
5区はわずか4.2kmで1,000mを駆け上がってくる、最も苦しい区間だ。私のいる砂走館にはトップチームの選手が次々と襷リレーを行っていった。そして襷を渡し終わった5区の選手は誰もがそこに倒れこみ、その過酷さを物語っていた。そしてついに私の視界に仲間の姿が飛び込んできた。
 
5区の仲間の走力なら平地の4.2kmなら15分弱で走れる実力者だ。それが1時間もかけなければ上ってこられないほどの急勾配だった。仲間の苦痛にゆがんだ顔が見えた。私は大きく手を振り大声で名前を呼んだ。そしてついに私は仲間から襷を受け取り、体に巻き付けスタートを切った。
 
ここから往復で4.92km、標高差600mを駆け上がり、3,700m地点にある折り返しポイントで襷に印をもらい、その後一気に600mを駆け下りてこなければならない。目標時間は55分。上りで約40分、下りで15分弱の計算だ。
スタートから飛ばしたら絶対に最後まで持たないと思い、前半はできるだけ余裕をもって進もうと計画していた。ところが300mほど進んだだけで、息がすでに限界まで上がってしまった。息を吸いたくても体に酸素がとりこまれている気が全くしなかった。
 
「苦しい」
「空気が足りない」
 
私は標高3,000m越えた場所での運動がこれほどまでとは想像できていなかった。
走りたくても走ることが出来ず、両手を太ももに当てて腕の力で足を押し、とにかく止まらずに前に進むことだけで精一杯だった。酸欠で目がかすみ、意識を保つのもやっとだ。気を抜いたらすぐにでも止まってしまいそうだった。周りの選手もほぼ同じような状況で、皆必死の形相で山頂を目指していた。
 
ところがこんな苦しい状況の中、途中で後ろからきた選手にスッと追い越された。
その背中には「自衛隊」の文字が見えた。
 
実は富士登山駅伝は私たち一般の市民ランナーのほかに、全国の「自衛隊」が30チーム参加しているのだ。私を抜いていった自衛隊の選手はなんとこの標高の場所を走って上っていた。もちろん苦しいに決まっている。しかし彼は歩くことなく走り続け、あっという間に私の視界から消えてしまった。
私はこの時に自衛隊員が普段からどれだけ自分を鍛え上げているのかを垣間見ることができた。
 
そしてスタートから40分。ついに山頂手前にある白い鳥居が見えた。
私は最後の気力を振り絞り両手に力を込めて、ありったけの力で足を押して上った。そして鳥居をくぐって折り返しポイントが見えた時に私は襷を手に取り、印を押してもらうためにピンと張って机に置いた。
 
「バン」
 
襷に印が押されたのを確認してすぐに振り返り、ここからは7区の仲間が待つ中継地点に戻るために走り出した。
本当なら今すぐにでも足を止めて休みたかった。しかし制限時間があるため襷を最後まで繋ぐためには1分1秒でも早く戻らなければならなかった。しかし足元は岩場で通常だったら転ばないようにゆっくり進むような場所だ。そこを注意しながらも私は必死で走った。
 
下りの山道にはまだ山頂に向かって登ってきている多くのランナーたちとすれ違った。彼らの苦痛の表情が痛いほど伝わってきたが、その顔を見ると不思議と私のこころにさらに火が付いた。
 
「ここを上ってきている全員が全力を尽くしている」
「ここで全力を出し切らず、余力を残したら、何の意味もない」
 
そして私はそこからさらに加速して自分でも信じられないようなスピードで走った。途中で岩にぶつかったり、滑って転んだが、すぐに立ち上がって走り続けた。そして中継地点である砂走館まで戻り、7区の仲間に襷を繋いだ。
タイムは目標としていた55分から27秒オーバーしたが、ほぼ目標通りに走り切ることができた。
私はその場に倒れこんだが、その途端に救護班の方に手を引かれ「怪我の治療をします」と言って椅子に座らされた。見ると先ほど岩に激突した右腕と、滑ったときの右足に酷い裂傷ができ、血が噴き出していた。これだけの傷ができていたのに全く痛みを感じないほど私は興奮状態だったのだ。そして治療の消毒の痛みで私はようやく冷静さを取り戻すことができた。
 
結果として私たちは一般の部101チーム中、30位で、初出場ながらこの結果に私たちは大満足だった。
 
こうして私たちの熱い夏は終わった
その後、新型コロナウイルスにより2020年、2021年の大会は中止になってしまった。
しかし来年はきっとまた開催されるのではないかと期待をしている。
その時にはまた選手として参加できるように、これから1年自分を鍛えていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
佐藤謙介(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)

静岡県生まれ。鎌倉市在住。
幼少期は学校一の肥満児で、校内マラソン大会では3年連続最下位。ところが35歳の時にトレイルランニングに出会い、その魅力に憑りつかれ、今ではウルトラトレイルランニングを中心に年に数本のレースに参加している。2019年には世界最高峰のウルトラトレイルランニングの高い「UTMB」に参戦し完走。2021年より「WEB READING LIFE」公認ライターとして、トレイルランニングの記事を連載中。

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2021-08-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.140

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