週刊READING LIFE vol.144

「2011 HOPE JAPAN」というチャリティ・ガラで日本に勇気を与えてくれた世界的バレエダンサーを知っていますか?《週刊READING LIFE Vol.144 一度はこの人に会ってほしい!》


2021/10/25/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
シルヴィ、あなたが舞台を去ってから6年が経ちました。
 
コロナ禍でずっと延期になっていた海外バレエ団の公演が1年半ぶりに開催され
先日、観に行きました。
世界中の優れたダンサーのパフォーマンスを久しぶりに舞台で目のあたりにし
その技巧と美しさに現実を忘れた1日でした。
 
けれども一年半の自粛期間がダンサーへあたえた影響も大きかったようです。
 
それまで世界のトップを走っていたダンサーは円熟期も後半にさしかかり、代わりに次世代のダンサー達がバレエ界に台頭しはじめていました。
 
ダンサーの生命はよく2本の曲線に例えられ、肉体的なピークは10代後半から20代。
どんなに優れたダンサーでも後は少しずつ衰えていく。
これに少し遅れて精神的な円熟の線が伸び、たゆまぬ日々のレッスンで身体と技を鍛え、経験も通して心を鍛えたダンサーは、肉体的な下降曲線をくぐりぬけて円熟する期間に長く踊れる。
しかしシルヴィ、あなただはその常識もうちやぶって、どこまでも先へ進化したダンサーでした。
 
もう6年も経つのに、彼らとあなたを比較してしまう理由はどうやらそこにありそうです。
 
今回の公演の幕間に、観客のこんな言葉を耳にしました。
 
「みんな規則ただしい綺麗な踊りだね。時代は変わったのかな。10年前まではもっと
クセのある私たちを夢中にさせてくれるダンサーがいたよね。もうそんな人もいなく
なっちゃったね……」
 
その言葉に実は私も内心で大きくうなずいていました。
 
それは シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem)。
あなたのことを思い出したからです。
 
「100年に一度のバレエダンサー」あなたをあらわす言葉です。
 
1981年パリ・オペラ座に入団。すい星のように登場したあなたは89年にはエトワールだったオペラ座を離れ、英国ロイヤルバレエ団に入団。
その後も世界各地のバレエ団に招かれ客演し、またたくまにバレエ界の頂点に昇りつめました。
 
あなたの能力は1990年以降の女性ダンサーの踊りを決定的に変えてしまいました。
破格の存在であるその象徴が「6時のポーズ」でした。
つま先の1点からまっすぐに、足をあげきってポワント(トゥシューズのつま先で立つ)で堂々と自立する美しさは彫刻のようでした。
 
フランスのパリに生まれたあなたと私は1歳違い。
身長は170センチ、体重50キロ。
完璧主義で何をする時も全身全霊を込める。
同じ年代に生まれたことは本当に光栄でした。
 
卓越したスキルだけに同世代のダンサーと戦う必要のなかったあなたの戦う相手は、常に型にはまった伝統という魔物だったのはないでしょうか。
 
あなたの作りだす大きなムーブメントは私を座席に釘付けにしました。
と同時に踊りを通してあなたの身体からあふれだす巨大なエネルギーは舞台へも流れだして、観客をのみこみ、思わず立ち上がりたい衝動にもかられました。
 
意味もなく涙が自然にあふれてくることが何度あったでしょうか。それをぬぐう時間や瞬きする時間さえ惜しくて、ただあなたの身体から放たれる膨大なエネルギーを五感の全身で受け止めたかった。
 
今世紀にはいってクラシックからコンテンポラリーへ挑戦の場をうつしたあなたは、2006年の第11回世界バレエフェスティバルでファント振付の「TWO」を踊りました。
 
このパワフルなソロの作品は踊りと照明、そして音楽の関係を探求する作品でしたが、それを見事に成功にみちびいて圧倒的な世界間であなたの代表作となりました。
 
バレエを知らない人でも、これを観た人は皆、これがバレエ? と驚愕したものです。
 
緊張感に満ちた暗闇から、ゆっくりと降り注ぐ細い照明が身体をつつみ、2メートル四方の光の檻のなかで踊るあなた。
鈍くひびく金属音の音楽は最初はゆっくりとそして段々と加速していく。
まとめられた長い髪。
背中を覆う筋肉の一つ一つの隆起が日々の超人的な鍛錬をものがたっていました。
 
光の中にのばした手足がゆっくりと動き、やがて手刀のように空気を規則的に切りさいていく。その後に青く輝く軌跡をしなやかな腕が描く。うねりをあげながら計り知れないエネルギー体が小さな光の檻の中に満ちていく。
 
その鍛えられた背中の筋肉は男女の性をこえて踊りの神そのものでした。
 
あなたの長い両手がリズムに合わせて空を切ると、私たちの肉眼にエネルギーの青い残像が尾をひきました。
 
それは前だけを見て生きなさいと伝えられているような強いエネルギーで、どんな困難をも乗り越えられる。そう伝わってくるものでした。
人生で苦しいことがあった時も私は少なからずあなたの踊りを思い出して乗り越えたことが幾度となくありました。
 
そして初めて観た日から引退まで、あなたの肉体と心の変化に合わせて、何度も「TWO」を観ました。
 
その度に体中に力強いエネルギーが満ちてくるのがわかりました。
 
日本の空を見上げて、あなたも世界のどこかで踊り、または同じ時間に孤高なダンサーとして踊りを極めているのかと思うと、自然に力がみなぎりました。
私の大切な20代~40代を支えてくれたあなたに本当に心から感謝します。
 
シルヴィ。あなたの踊りには生命への喜びがいつもあふれていました。
 
言葉をのりこえて、踊りの呼吸とリズム、そしてエネルギーの波動を観客に体感させてくれました。
 
そこには力がみなぎり、胸のすくような高揚感がありました。

 

 

 

なんでも自分で決め、どんな権威者やトップにも従わないあなたは「マドモワゼル・ノン」とついたあだ名さえ楽しむ強さもありましたが、同時に繊細で心優しい感性をもつ人でもありましたね。
 
16才で初めて公演で来日して以来、日本の文化に深い感銘を受けて、34年にわたって、日本の観客と特別な関係を結び、東京バレエ団のダンサーの育成にも大きく貢献してくれました。
 
上野公園で牡丹の花を雪から守る小さな和傘に感動したり、5時間もかけて伝統技術の職人を訪ねに行くあなたは、日本の芯の理解者でもありました。
 
2011年11月。
東日本大震災の後「ホープ・ジャパン・ツアー」のため来日してくれました。
数々の外国人アーティストの公演がキャンセルする中、あなただけが日本に来てくれました。
 
震災で日本の舞台芸術を取り巻く状況も一変したこの年、あなたは自ら呼びかけチャリティー・ガラを開催し、旧知のダンサーだけでなく邦楽や音楽会からも名のある芸術家の参加を呼びかけたことは、あなたの人間性と日本への愛をよくあらわす出来事でした。
 
 
あの時、東京の会場で、私たち日本人ファンは、とても厳粛な気持ちと尊敬であなたを見ていました。
「田園の出来事」の演目で、舞台のスソからあなたが踊りながらでてきた時……。
いつもそうですが、舞台装飾もないのに、一瞬でそこには世界の田園の風景が広がっていました。
 
作家や詩人が何行にもわたって言葉を紡いで恋に堕ちる歓喜を表すものを、あなたはたったひとつのポーズやムーブメント(動き)でシーンや世界を変えてしまうのです。
2500人の観客が見守る舞台の中央でたったひとり、息遣いひとつで情緒の変化を観客に伝える。
広がる手は大きく空間を支配し、ギリギリまで観客の視線を惹きつけながら、鮮やかに観客を突きはなす表現の名手でもありました。
 
日々の鍛錬の成果だとしても、あなたはやはり私が人生で出会った唯一の天才と呼べる人です。
あなたが登場すると、私たち観客の間には沈黙がおとずれ、やがて生命の息吹を与えられるのです。天才と呼ばれるなにか侵しがたいものが舞台には存在していました。
 
あなたの踊るものは全てあなたらしい「ボレロ」「椿姫」「マノンレスコー」「ライモンダ」「シルフィード」「白鳥」のオデットとオディールでした。
 
バレエはセリフがないからこそ見る側のイマジネーションをかき立ててくれる。
 
例えばオペラや歌舞伎ではセリフを聞いて状況を理解して、ストーリーに追いつかねばならない。けれどバレエは音楽と舞踏のみの表現だからこそ、言葉の雑味がない分、感情へそのまま働きかけ観客の感性にゆだねられて、ある種の浮遊感や高揚感をえられるのだと思いました。
 
あなたが引退を決めつつあった2013年マッツ・エック振付の「カルメン」は全く新しいバレエに刷新されてあなたがカルメンを演じました。
 
初演で私は舞台の前から3列目で観ていたのですが、終始、奇妙な違和感を感じていました。
素晴らしい踊りでしたが、あなたが疲れているように感じたからです。
 
なぜなら幕が下りて暗転したとき、舞台に近かったからこそ私が耳にしたのは、あなたの少し苦しそうな息遣いだった。
 
のちにカルメンの演出をてがけたマッツ・エックはこんな言葉をのこしています。
「カルメンを演じる前、彼女が何気なくいった言葉。自分はキャリアの分岐点にあるのかもしれない。周囲の期待から解放されるにはキャリアに終止符を打つしかない。
シルヴィもあえて自分が築き上げてきたものから離れ、新たな一歩を踏みだすしかなかった。時間は限られている。ダンサーは自問自答しながらも与えられた振付と音楽を吸収し、作品を成功させるしかない。より大きな観客の期待に応えるために……」
 
超人から人間へ。
 
寂しいことですが、あなたが決めることはどんなことでも受け入れようと、私はあなたの鼓動をつなぐ荒い息遣いを聞きながら、別れの予兆を感じました。

 

 

 

大好きな日本の花を引用したあなたからの別れの言葉。
 
「桜の花は静かに散っていくが、牡丹の花は突然、潔く散る」
 
その言葉通りにあなたは自分の引退を突然決め、牡丹の花のように潔く散りました。
しかも最後の日本公演では、成功した演目だけでなく新作まで携えてきました。
ファイナル公演のタイトルは「プログレス(進化)」
 
シルヴィ。あなたは季節ごとに生まれ変わり、毎年花開き、そのステップは今も目にやきついていて同じ演目を他のダンサーが踊る度に私に問いかけます。
「もしあなただったら……」と。
 
あなたは舞台に立った時、孤高から解放されてきっと何度も味わったことでしょう。
観客の呼吸や身震い。鳴り響く拍手、そしてブラボーの声、アンコール、投げ放たれる花々。
 
反対に、私たちはあなたを見るたびにそのすべてを充分に鑑賞しただろうか。
もう二度と見ることのできない感動や心の底から湧いてくる永遠の感情を心深くまで味わったのだろうかと。
 
バレエ界も変わり、あなたの名前を知る人も徐々に少なくなっていくでしょう。
それでも最近では少しずつですが、あなたの演目がYouTubeや動画で一部の作品を観ることができるようになりました。
 
今のような時ほど、あなたのような力強さを世の中は望んでいるように思います。
 
時代を超えたシルヴィ・ギエムの踊りのすばらしさを、会場にいた人だけでなくもっと多くの人と分かちあえる日がくることを願います。
 
そしてあなたの類まれな踊りの軌跡をまだ知らない世代の人にも知ってもらい、そして感動を共有できる日がくることを楽しみにしているのです。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、現在、大阪本社の派遣会社にて新規事業の事業戦略に携わる。
2021年 2月ライティング・ゼミに参加。6月からライターズ倶楽部にて書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2021-10-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.144

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